3-③

 夜明け前、精霊樹の広場でエルフの大合議が開かれた。


 仲介者となったのはマリエルドールの女王エピトルテ。精霊樹の幹に四肢を半ば同化させ、髪を虹色の花弁へと変化させている。大陸全土のエルフ郷を接続させられるのは当代においては彼女だけである。


 リュサンドール、マリエルドール、シュペムルドール、ハナハイムドール、風裂き谷、月呼び谷――大陸じゅうのエルフの郷の族長、あるいはその代理が一堂に会するのはおよそ百二十年ぶりのことだった。といっても、リュサンドールの谷に集ったわけではない。エピトルテの術はそれぞれの郷にある精霊樹の広場を《重ね合わせ》るだけだ。人や物をやりとりできるわけではなく、空間内の体験だけが共有される。


「みなさま、どうにかご無事なようで……安堵いたしました」


 ヒミカが一同を見渡して言うが、美しいエルフの長たちの顔は一様に曇っていた。


「とても無事とは……」

「もう森は人間たちが平気で歩き回れる場所になってしまいました」

「蟲たちも火や鋼に怯えています」


 口々に弱音が吐かれる。

 ヒミカは隣のヒナの顔をちらと窺う。

 各族長を集めてどうしようというのか。人間すべてを敵に回して戦うなどと言っていたが、本気なのだろうか。エルフは、争いごととは無縁に悠久の時を過ごしてきた穏やかで平和な種族だ。ヒナには数奇な運命からなにやら好戦的な何者かの魂が宿ってしまっているが、いくら強力な精霊を味方につけているとはいえ単身で戦うのも限度があるだろう。

 ヒナは円座の中央に歩み出ると、ぐるりと族長たちの顔を見回し、草地に腰を下ろした。片膝を立てた粗野な姿勢は、透きとおるような肌の少女には実に不釣り合いだ。族長たちもみな困惑の表情を浮かべている。


「俺たちは人間どもになめられてる」


 腹に刃物を突き立てるような口調でヒナは言った。

 族長たちのおもてで困惑が色濃くなる。


「なめ……られ?」

「それは……捕まった娘たちが人間の男にぺろぺろされているという……」

「ああ、なんてはしたない……」

「そうじゃねェよ!」


 ヒナは頭をばりばり掻いた。もちろんそういうこともされているだろうが、話が逸れるので言わないでおく。


「なにをやったってどうせ抵抗しないだろうって思われてるってことだ。俺ひとりで抗戦したり人間どもを皆殺しにしたりなんてのは現実的じゃない。だからエルフに手を出すと地獄を見るってのをわからせる必要がある」

「地獄……なんて、そんな……」

「どうやって」

「私たちに……?」


 ヒミカもはらはらして妹を見守る。ヒナの現状について、事前に列席者たちにはざっと説明してあるが、実際にこのエルフの末姫にあるまじき荒々しさを目の当たりにしては気圧されてしまうだろう。


「戦い方はこれから俺が教える。けど、まずはエルフ全体が《一家》になるところからだ。家族のだれか一人にでも手を出されたら、一家が総出で落とし前をつけにいく。それをはっきりさせるためには」


 ヒナは傍らに置いてあった虫殻の透明な瓶を引き寄せて目の前にどんと置いた。

 黄昏色のとろりとした液体で満たされている。蜂蜜酒だ。


「盃を交わす」


 族長たちは訝しげな上目遣いで瓶とヒナの顔を見比べた。


「盃……?」

「お酒ですか? なぜ……」

「細かいことはいいんだよ。儀式だ。気分の問題だ」


「ヒナ、ちょっと」とヒミカは妹の肩をつっつく。「後ろの樹にかけてある奇妙な布も、その儀式のためなのですか」


 ヒナは肩越しに背後の精霊樹を見やってうなずく。

 幹から張り出したいちばん低く太い枝に、三枚の白い帯がかけられている。書かれた文字はこの世界のものではなく、その場にいるヒナ以外のだれにも判読できなかった。

 ただ、字体から立ち上る物々しさはだれもが感じ取っていた。


《神農皇帝》

《根源大霊》

《天照皇太神》


「これも気分の問題だよ。気にすんな。俺の前世じゃこういうしきたりだったんだよ」


 いかにも億劫そうにヒナは答えた。


「左のは俺が生まれ変わる前にいた国の守り神。右は俺がやってた仕事の守り神。一応ちょっとは配慮して真ん中は大霊さまにしといた」

「はあ。呪いの文字とかではないのですね? 大丈夫ですか?」


 ヒミカは疑わしげだ。


「大丈夫だよ。とっとと済ませよう。媒酌人も呼んである」

「媒酌……?」


 精霊樹の間の茂みがざわりと鳴った。

 蟲灯りの中に歩み出てきた小さな人影。黒髪と黒い衣の裾を草の上に引きずり、目深にかぶった大きな角帽子のつばの下には夜藍色の瞳が静かに燃えている。


「こういうくだらない場に気軽に呼び出さないでくれたまえ」


 幼い少女の声に、列席した族長たちはざわつく。


「《不動の魔女》アリシア……?」

「どうしてこんな場に……?」


 アリシアは横目でエルフの貴人たちを見やってふんと鼻を鳴らす。


「滅び行く種族のそれぞれの亜種がこうしてずらり並んでいるのは壮観だね。今後二度と見る機会はないと考えるとなかなかの見物だ。見物料ということで赦そう」

「滅びねェよ。いいからこっちきて横に座れ」

「まったく人にものを頼む態度とは思えないね! きみのところの細かい流儀なんて知らないからぼくのやり方で通すよ、いいね?」

「それでいい。……ていうか、このやりとり昔もやらなかったか? 前にもあんたに媒酌人を頼んだような記憶が」

「知らないって言っているだろう」


 アリシアは酒瓶のそばにふうわりと腰を下ろし、居並ぶエルフの族長たちを見渡す。


「一人ずつこっちに座りたまえ。だれが最初でもいいから早く」


 そう言われてもエルフたちは不安げに顔を見合わせるばかりだった。見かねたヒミカが横から訊ねる。


「あの、これはどういう儀式なのか説明してもらわないと……」


「義兄弟の契りだよ」とヒナ。「血縁より濃い関係を結んでお互い助け合うって誓う。いや、俺らは女だから義姉妹か」


「えっ。そっ、それは、永遠姉妹の契りということですかっ? ヒナは成人したばかりなのにしかもこんなに大勢と、いけません、わたしは認めませんから!」


 ヒミカは慌てふためく。しかし他の族長たちは得心してうなずきあっている。


「そういうことなら……」

「ヒナさまならお美しいし、凛々しいし、妹になっていただけるなら」

「ええ、願ってもないことです」

「なんですかみなさまっ、急にやる気になって! いくらわたしのヒナがかわいいからって」


 ヒミカは声を張り上げるが、だれも聞いていない。


「それでは最初は私が契ります」

「いえ、私がヒナさまの一の義姉になります」

「いけません。私が」


 族長たちは争ってヒナの正面の席に着こうと組んずほぐれつし始める。


「じゅ・ん・ば・ん!」


 あきれたアリシアがいらだたしげに声を張り上げた。


「先も後もいっしょだよ! 醜い争いはやめたまえよ、一族を負って立つ長だろう?」


 叱られたエルフたちはしゅんとなる。

 エピトルテが最初に盃を受けることに決まり、アリシアの朗々とした口上を背景に、次々とヒナとの義姉妹の契りが成立していった。

 一夜で九人にまで増えた《姉》たちを見回してヒナは言う。


「あとは代紋が必要だな。一家を象徴する図案だ。迂闊に手を出すなよって示威するために旗とか看板に使う。どんな絵面でもいいんだが――」

「あっ、それなら、もう作ってあります!」


 ヒミカが意気込んで言うと、樹の洞から大きな布を引っぱり出してきて、ヒナの目の前で広げてみせた。

 白地に青と紫の見事な刺繍で描かれているのは――

 蝶、だ。


「どの郷の民にもなじみの深い月光蝶を図案化したんです! ヒナがエピトルテさまを助けに行っている間にリュサンドール総出で縫ったんですよ、どうですか? 素敵でしょう?」


 黙り込んでしまったヒナに気づいてヒミカは不安そうに声を落とす。


「あ、あの、気に入らなかったですか、ヒナ」

「……え? ああ、いや、すまねェ。良いと思うよ。ありがとう、ねえさま。これでいこう」


 前世の記憶にあるままの図案だったので驚いていたのだが、さすがに説明できないのでぎこちなくごまかす。アリシアだけはなにやら見抜いているようで、横目でヒナを見て皮肉そうに口の端を曲げて笑っている。


「同じもんをたくさん作ってくれ。衣にも付けられるように小さいやつもほしい。全部の郷に配る。まとまって行動するときは必ず付けるように。あとは籠にかぶせる布にでかでかと刺繍したやつが要る。でき次第、行動に移る」

「行動、とは。次になにをするつもりだ」


 エピトルテが訊ねた。ヒナは木々の間の闇をにらんで答えた。


「俺らがなめられてる一因は、防戦一方だからだ。こっちから攻める」

「攻めるって、どこを」

「女王さん、あんたを助けるために乗り込んだ要塞で人間の貴族どもが面白い話をしてたよ。帝国の急所だ」


 ヒナは歯を剥く。

 笑った――のではない。狼が敵を威嚇するときの顔だ。


「皇帝の身内を攫う」

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