4-③

       *


 声に目を醒ましたアクィラは、綿毛に埋もれて大きく伸びをした。

 こんなにぐっすり眠れたのはいつぶりだろう。セルマ離宮では常時だれかしらに監視されているようで心から休まる時間が持てなかったのだ。


 庵から這い出る。

 森の中はだいぶ明るかった。目を細めて見上げると、さまざまな鳥の声が柔らかい霧雨のように降り注いで顔を潤す。陽はだいぶ高いはずだが、重なった葉陰のせいで太陽がどのあたりにあるのかはよくわからない。湿気やにおいのせいだろうか、とにかく身を取り巻く空気が濃密に感じられた。

 ぐるりと広場を見回しても、人影はない。


 サビーナはどこにいるのだろう。別の場所に寝床を用意してもらえたのだろうか。

 まだ聞こえてくる女たちの声を頼りに、おそるおそる下草の群生を踏み分けて木々の間に入ってみる。

 森の中を素足で歩くなど、箱入りで育てられたアクィラにとっては生まれて初めてだった。土の感触も、小さな虫の這う気配も、腐った葉や木肌のにおいも、まったくの未体験なのに、不思議と気にならなかった。

 エルフの衣を着せられているせい――だろうか。


 視界が開けた。

 昨日、大蛾が着陸した場所よりは二回りほど小さな広場だった。蓮の葉を座布がわりにして十数人のエルフたちが円座になって、なにか熱心に話し合っている。昨日はそんな感想を抱く余裕もなかったが、こうして静かな森の空気の中で大勢が集まっているところを目にすると、やはりエルフというのは幻想的に美しい。人間である自分が濁りの多い異物に思えてくる。邪魔してはいけない集会なのだろう。きっとなにか繊細で淑やかな議題を――


「では次の課題です。《カチ込み》の際に用いる《ドス》と《チャカ》とは具体的になんのことか答えてください」

「はい。《ドス》は刃物のことだったと思います」

「《チャカ》は火薬を利用した射撃型の武器だったと思うのですけれど」

「弓矢であれば私たちも得意ですけれど《チャカ》に含まれるのでしょうか」

「今度ヒナさまに確認してみましょう」

「続いての課題ですけれど、《なめられない》ようにするための実際の方策についてです」

「なめないようにと相手にきっぱり言うのがまず重要とのことですけれど」

「実践してみましょう」

「そうですね。ではお隣と向かい合って」

「なめないでください」

「なめないでくださいませ」

「なめないようにお願いいたします」

「これ、効果あるのでしょうか」

「こちらも今度ヒナさまに確認してみましょう」

「なにしてるのあなたたち……」


 思わず口に出してしまい、エルフたちの注目を集めてからあわててかがみ込んで草陰に隠れようとするアクィラだった。


「……まあ、皇女さま」

「お目醒めでしたか。……おかげんはいかがですか」


 昨日からの警戒の色はまだ薄れていないが、それでも慇懃に言葉をかけてくる。アクィラはたじろぎつつも気丈に言葉を返した。


「食事と寝床には感謝するわ。でもこの集落はなんなの、今やってた意味のわからない話し合いは一体なに?」


 エルフたちは顔を見合わせる。


「ヤクザになる方法を学んでいたんです」

「……やく……ざ?」


 聞いたことのない響きだった。エルフ古語だろうか、とアクィラは訝しむ。


「はい。人間の方々と戦うためには私たちも変わらなければいけないと」

「あっ、皇女さまも人間ですし、これはお話ししてはいけなかったのでは……」

「でも皇女さまは善い方のように見受けられますし大丈夫かと……」


 話はよくわからなかったが、人間と戦う準備などまるでできていないのはたしかだった。


「なぜあたくしたちと戦うの?」


 訊ねたアクィラに、エルフたちは話して聞かせた。男が産まれないエルフという種。存続のために極稀に顕れる《祝福》とやらが、ここ数百年、絶えてしまっていること。人間の血に頼って子孫を残そうとして弱みを見せたところにつけ込まれ、種族ごと奴隷にされようとしていること……。


 アクィラにとっては刺激的な話だった。

 そもそもエルフの生態に詳しい人間は極少ない。ましてや宮殿から一歩も出ることなく育ってきた皇女にとってはお伽噺の中の生き物である。その幻想側の世界に、いま自分は身を置いているのだ、と思うと震えるほどの感慨がこみ上げてくる。


「なるほど。やっぱりあたくしは人質ということね。けれどおあいにく様ね! 誇り高き帝国軍は皇女を人質にとられたくらいでは剣を収めないわよ。だから交渉など無駄よ。人質返還交渉なんて絶対に絶対に絶対に考えないこと! わかったっ?」


 興奮気味なアクィラの語調にエルフたちは目を白黒させている。


「ああ、なんて悲運なあたくし! でもしかたないわ、国のために犠牲になるのは貴人の務めですもの。ここで永遠の囚われ人となりましょう」

「いえ、あの、皇女さま――」

「エルフの衣を着せられ、エルフの食事を摂らされ、つむじから爪先までエルフ色に染められて、いずれエルフの王子に泣く泣く純潔を捧げて、あたくしそっくりのそれはそれは麗しいエルフの赤ん坊をころころ産まされるのでしょう。ええいいわ、わかっているわ、とっくに覚悟は決めてあるから!」

「いえ、ですから何度も言っていますけれどエルフに王子はおりません」

「ほんとうに男がいないの?」


 死活問題だったのでアクィラは詰め寄って問いただした。


「皇女さまに嘘をお教えする理由がありませんし……」


 困惑いっぱいの答えが返ってくる。


「でも、あの、あの方! あたくしを攫ってきた、あの凶暴そうで鋭そうで凛々しくて猛々しいあの方!」

「ヒナさま――組長のことですか」

「そう! あの方、実は男だったりしないの?」


 エルフたちの反応は予想外のものだった。顔をわずかに赤らめ、互いに気恥ずかしそうに顔を見合わせたのだ。


「ヒナさまが《祝福》を賜っていたら、どんなにか素晴らしいことだと思いますけれど」

「ええ。あのお方ならきっといいお子がたくさん」

「こればかりは大霊さまの思し召しですし。でもヒナさまのお子なら産みたいです」


 無性に苛立ちをおぼえたアクィラである。


「だめっ! それはあたくしの役目でしょ!」

「え? いえ、どうして皇女さまが? エルフではありませんし……」

「心はエルフだからっ!」


 意味のわからないことをわめいていると、そばの茂みがざわめき、ヒナが姿を見せた。その後ろからサビーナも広場に出てくる。


「さっきからうるせぇな。人間の声は森の生き物が怖がるんだ。もっと小さい声で喋れ」

「あっ、姫様、お目醒めだったんですね! おそばについておらず申し訳ありません」


 サビーナがそう言ってアクィラの前に小走りに出てくる。

 その両腕には、なにか幅の大きな帯のようなものを抱えている。


「これ、蟲の背中につける帯です。ヒナさまと相談して造ったんです」


 サビーナは得意げに言って帯を広げてみせる。


「帰りはこれを使いますから落ちる心配無しで済みますよ」

「……帰り?」

「はい。今夜には帰してくださるそうで」


 アクィラは眉をつり上げてヒナに詰め寄った。


「帰すのっ? どうして! たった一日? なんにもせずに? それじゃなんのために攫ってきたのよ!」


 ヒナは鼻白んでアクィラから距離をとる。誘拐してきた相手が、帰してもらえると知って怒ってきたのだから当然の反応である。


「俺たち一家に手を出したらやり返すぞ、って人間どもに見せつけるためだよ。あんたは皇帝のいちばんのお気に入りだから覿面だろ」

「じゃあなぜ帰すの! ずっと捕まえておきなさいよ!」

「なんだよ。帰りたくねぇのかよ。あんたをずっと抱えてたら皇帝をガチで怒らせて全面戦争になるだろ。こっちにはまだその準備ができてねぇ。捕まってる仲間も大勢いる。戦争になったら無事じゃ済まない。だから今回は挨拶だけだ。落としどころをつくっとくんだよ」

「あたくしを人質にして交換交渉すればいいでしょう!」


 ついさっき『人質交換など考えるな』と強弁していたことなどすっぱり忘れてアクィラは必死に言い募る。

 ヒナの双眸に獣の眼光がぎらついた。


「交渉なんざしねぇよ。ヤクザはな、『話が通じるやつ』だと思われたら終わりなんだ」

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