4-④

       *


 皇女アクィラが帝都の外れで侍女とともに発見されたのは、誘拐翌日の夜のことだった。

 すでに出動していた万を超える捜索隊にはただちに帰還命令が出され、セルマ離宮の警護担当者には厳しい処分が下され、なんともせわしなく馬鹿馬鹿しい騒動には一旦の幕が下ろされようとしていた。


 その三日後――

 湖水を挟んで帝都と向かい合う帝国軍研究所に、とびっきりの珍客があった。

 門前に駐められた馬車の扉の紋章は有翼の獅子。皇帝その人のしるしである。


 御年五十二ながら若々しく壮健なその体躯は随伴する精鋭近衛兵たちに勝るとも劣らず、苦み走った顔は巌のような険しさで、あまりの威圧感に研究所の所員たちは出迎えの礼儀も忘れてそれぞれの研究室に隠れた。

 運悪くつかまってしまった初老の所長が、縮こまりながら先導している。


 皇帝の一行が案内されたのは、研究所の地下にある一室だった。

 鋲を打った頑丈そうな金属扉には、ありとあらゆる種族の言語で《勝手に入るな》を意味する警句を記した紙片がべたべた貼られている。


「……こちらでございますが……」


 所長が卑屈な声で言って皇帝をそうっと振り返る。


「しかし、あのような者にどんな御用が」

「ご苦労。退がれ」


 皇帝はそう言って自ら扉を引き開けた。

 不快な金属音と蒸気の音の律動が廊下にあふれ出てくる。かなり広い室内のはずだったが、わけのわからない装置と棚、壁を埋め尽くすほどの多種多様な工具、机の上に積みきれずに床にも山をつくっている書籍や記録紙のせいで、息苦しいほどに狭い印象だった。

 煤けた白衣の小さな背中が、工具箱に腰掛けている。

 皇帝が靴音をたてて近づいていっても、その者はまるで気づいていない様子で、握りしめた記録紙の数字を指でたどりながらなにかぶつぶつ呟いているばかりだった。


「キム・カイン少佐だな?」


 皇帝が呼びかけると、ようやく振り向く。

 見た目はまるっきり十二、三歳くらいの少年である。紅顔、と呼ぶにふさわしい瑞々しい肌に賢しげな眼、柔らかそうな褐色の巻き毛。


「たしかに自分はキム・カインだが。扉の警告が読めなかったのか。勝手に入るな」

「こらっ、キム!」


 所長が皇帝と近衛兵の間をすり抜けて部屋に転がり込むとキム・カインの耳元に顔を寄せて必死に声を絞った。


「どなたの御前かわかっとらんのかッ」

「わかっている。皇帝だろう。しかし自分はべつに皇帝と主従契約を結んだ憶えはないから、へーこらする理由はない」

「ぐぐっ……そ、そういう問題では――」

「ドワーフ族だと聞いたが、髭がないということは子供なのか」


 皇帝が遮って訊ねる。キム・カインは目を眇めて皇帝をにらみ返す。


「生えない体質だ。それで気味悪がられて山を出た。兵器の研究開発を自由にさせてくれるなら人間のところでもかまわんしな」

「なるほど。そなたは帝国随一の研究者と聞いている。生物学、薬学にも詳しいと」

「兵器を究めるならそちら方面の知識も必要だからな」

「エルフの生態にも詳しいのか?」


 キム・カインは眉根を寄せた。


「エルフ? ああ、最近揉めているらしいな。戦争か。エルフだけ殺すような毒を作れ、とかか? やってやれないことはないと思うが――」

「たわけ。エルフどもなぞどうでもいい」


 皇帝はキム・カインの白衣の襟首を片手でつかみ、自分の目の高さまでねじり上げた。


「だがな。余の愛しい愛しいアクィラがエルフめの郷で一晩過ごし、すっかりのぼせて帰ってきおった。エルフの王子様がいつか迎えに来る、などと世迷い言を」

「……それで――エルフを滅ぼせと?」


 キム・カインは両脚をばたつかせながら苦しげにうめいた。

 皇帝は鼻で笑い、キム・カインの小さな身体を床に投げ捨てる。


「エルフなぞどうでもいいと言っておろうが」


 身を屈め、目を合わせてくる。


「そなたに作ってほしいのは、余をエルフにする薬だ」


 しばらく、沈黙の間に装置の作動音だけが虚しく響いた。


「余がエルフになれば! 今はなぜか父親に対して冷たいアクィラも『お父様大好き! 結婚して!』となるはずだからな!」

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