5-①

 その店は、帝国第二の都市イシュタラビアの裏路地にあった。


 日干し煉瓦造りの家並みに挟まれた陽当たりの悪い路地である。花輪を模した銅製の小さな吊り看板は、地元の住人でなければまず気づかないだろう。

《456人目の花嫁亭》――という不思議な店名だ。


 狭い店内は、若い女性客がいつも詰めかけている。棚に並ぶのは肌水、白粉、口紅に頬紅といった化粧品、若さや美貌を保つという謳い文句の怪しげな酒、果ては惚れ薬まで。

 女たちを惹きつけるのは、そうした色欲を刺激する品揃えだけではない。

 腰の高さの飾り棚の向こう側に立ってにこやかに客と応対している店主が、目もくらむような美青年なのである。


 客のほとんどは商品よりも彼との会話を目当てに足繁く通っているふしがある。

 そんな《456人目の花嫁亭》に、その日の午後、奇妙な客が訪れた。

 そろそろ夏が近いというのに重たそうな厚手のマントを着込んだ二人連れだった。フードを目深にかぶっているせいで顔はよく見えないが、体つきからして女に見える。

 色香でむせかえるような店の空気の中では、二人の異物感は際立っていた。店主と楽しげに談笑していた婦人客たちもみな口をつぐんでそちらを見やる。


「いらっしゃいませ」


 ただ一人、店主だけがにこやかな表情を崩さずにその二人に呼びかけた。


「……ロキ・バラク・ワヒアというのはあんたか?」


 フードの下から少女の声。


「ロキでいいですよ。なにをお探しですか?」


 店主は柔らかい声を返す。

 すると、少女の声がしんと凍る。


「店頭では扱っていない、ものすごく高価な商品について話がある」


 ロキの表情のごくわずかな緊張に気づいたのは、隣で台帳整理をしていた助手の若者だけだっただろう。


「ちょっと店を頼む」


 ロキは助手にささやいた。


「えっ、あ、は、はい」


 助手はまごつき、婦人客たちの不満そうな視線を浴びる。


「奥へどうぞ、森からのお客さま」


 ロキはマントの二人にそう言って、店の奥の扉を指さした。



 応接室に通された二人はフードをとった。

 銀月色の髪に、飛び抜けて長い耳。


「生きているうちに夜エルフにお目にかかれるとは思っていませんでしたよ。噂以上の麗しさですね。寿命が延びそうだ」


 ロキは二人を見比べて口元をゆるめる。


「他のエルフなら見たことがある、みたいな口ぶりだな」


 ヒナはロキの目をじっとにらんで言う。


「商売柄、そういう機会もなくはないです。……ご用件というのはそれでしょう?」

「話が早いのは助かるが、あんたが俺らの敵じゃないかどうかはまだ確定していないからな。口の利き方には気をつけろよ」

「あ、あの、ヒナ」


 もう一人のマントの少女――付き添いで来ていたヒミカが不安そうに背後から訊ねる。


「この方は? これからなにかお世話になる方なのですよね、いきなりそんな喧嘩腰は」

「ねえさまがそんな気を遣うようなやつじゃねェよ。こいつは女衒だ」


 聞き慣れない言葉にヒミカは目をしばたたく。


「女を専門に扱う奴隷商人だよ」

「その言い様は心外だなあ」


 ロキは苦笑した。


「おれが勤め先を世話した女の子はみんなそれなりに幸せになってますよ。おれは安い取引はしないからね。最上の女の子を、大切に扱ってくれるお客様にお届けする。それが当店の誇りですから」

「ど、奴隷? ええと、あの」


 ヒミカは困惑しきって妹とロキの顔を見比べた。ヒナが大都市にまた出かけようとしていると聞いて心配のあまりついてきてしまっただけで、訪問先も目的もなにひとつ知らなかったのである。


「立ち話もなんだから座ったらどう? エルフの口に合う飲み物は用意がないから、他におもてなしはできないけど」


 ロキはそう言って毛織りの寝椅子に腰を下ろした。しかしヒナは警戒の色を目に浮かべたまま立っている。ヒミカもその背中に寄り添っている。ロキはため息をついて訊ねた。


「それで、詳しいご用件を伺いましょうか」

「エルフをあんた自身が扱ったことはあるか?」

「ないですね。残念ながら」

「売買の話を聞いたり、現場を見たりしたことは?」

「何度か」

「あんたに依頼したいのは二つだ」


 ヒナはほっそりとした人差し指と中指を立てる。


「一つ目は、エルフが市場に出るって噂を聞いたらすぐ俺に報せる。二つ目は、これまでにエルフを買ったやつの情報を可能な限り俺に提供する。報酬はどっちも一人あたり六十金貨だ。できるか?」

「いや、待ってくれ」とロキは苦笑いする。「一つ目はともかく、二つ目は、顧客の信用を失うよ。無理な相談だ」

「奴隷の転売の仲介もやってるだろう、あんた」

「やってるけど」

「あんたが転売を一から十まで仲立ちするより、売り手と買い手が直接交渉した方が仲介手数料かからず得だよな。中抜きされる不安もないし。そう相手に持ちかければ、買い手である俺に売り手がだれなのか教える道理が立つよな」

「それはまあ――いや、ええと、お嬢さんが買うの? エルフを?」

「そのつもりだ」


 ヒナは答え、ロキをじっと見据えた。

 ロキの表情からはもはや女性客向けにつくった親愛感など完全に消え失せ、裏社会の汚れた商売でしのいできた獣の貌があらわになっている。ヒナは眉ひとつ動かさなかったが、その背後のヒミカは怯えている。


「バサマランカ辺境伯が捕まえてたエルフはずいぶん乱暴なやり方で攫ってったって聞いてるけど。おれから得た顧客情報をそういう目的で使われるのは困るね」

「さすがに耳が早いな。あれは急ぎだったからだ。今後しばらくは事を荒立てたくないから真っ当に取引するよ」


「真っ当ね。そりゃけっこう。けどね、そもそもなんでおれに話を持ちかけたの? 初対面でお互いなんにも知らない。おれが正しい情報を売る保証なんてないよ?」


 ヒナは渋い顔になった。


「理由は特にない。ただ、ロキ・バラク・ワヒア――あんたのことは、なんというか、知らないやつだとは思えない」


 ロキは笑い出した。


「……奇遇だね。おれもだよ。不思議なもんだ。初対面でしかも異種族の女性相手に、普通ならこんな危ない話はできないはずなのに」


 ヒミカはわけがわからず二人の顔をそっと見比べる。


「勘違いするなよ。あんたを信頼してるわけじゃないからな。裏切るかもしれねぇが、いつどうやって裏切るかは見当がつく、って意味だ」

「光栄だね」


 ロキの笑い方はあきれたように平べったくなる。


「請けてもいい気になってきたよ。しかし一人頭六十金貨というのはちょっと安いな」

「他になにか付けろってのか? 珍しい女が抱きたいっていうなら、俺の身体くらい好きにしてもいいが」

「ヒナっ? なにを言うんですかッ」


 ヒミカの声がひっくり返る。事情もよくわからず口を挟めずにいたが、我慢できなかった。


「もっと自分を大事にしてください! というかヒナのはじめてはわたしのものですからっ」


 必死になるあまりとんでもないことを口走るヒミカだったが、ヒナは面倒そうに横目で見ただけ、ロキは微笑ましそうに口元をゆるめただけで流した。

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