6-①

 ピエーレ・レギスパーニュ子爵邸の食料庫には、荷馬車からおろされた大量の木箱が次々と運び込まれていた。甘酸っぱい香りが庫内に漂っている。


「これだけの量のコケモモ、買い集めるのは苦労しましたよ」


 でっぷり肥った穀物商の男があごの汗をぬぐいながら言う。


「まだ暑いですから、何日保つか。果汁を搾っちまうか、干すかしないと」

「わかっておる」と子爵。「また手に入り次第、買うからな」

「コケモモだけでいいんですかい」

「色々試したが、これしか食わんのだ。森でなにを食っておったのか訊いてみても、知らん果物や知らん蟲の蜜とかで」

「まあ、肉だの魚だのは絶対食わなそうですなぁ」


 穀物商はうなずき、それからにへらぁっと笑って付け加えた。


「どうですかね、あっしにも一目見せていただけませんかねぇ。エルフなんてお目にかかる機会は一生に一度あるかないかでしょう」


 子爵は目を剥くが、穀物商は卑屈になりながらも食い下がった。


「いや、他意はありませんよ。ちょっと見たいだけです。ほら、ね、子爵閣下としてもエルフを奴隷にしてるなんて噂を広められたくないでしょう。口の堅いあっしはもちろん秘密をがっちり守ってますよ。守り手としてね、自分がなにを守っているのかこの目で確かめたいと」


 まったくの詭弁で、明らかな脅迫だった。見せなければどこかで喋るぞ、と言っているのだ。子爵は忌々しそうに鼻を鳴らした。


「一回だけだぞ」


 穀物商は小躍りして、倉庫を出ていく子爵の後に続いた。

 城館の東棟に入る。家人も使用人も近づけないようにしているため、棟全体がしんと静まりかえり、埃っぽいにおいが漂っている。

 三階のいちばん奥にある両開きの扉を開いた。婦人用の広い寝室だが、寝台は壁際に押しやられ、代わりに葡萄の蔓で編んだ大きな敷物が部屋の中央に広げられていた。


 二人のエルフが、身を寄せ合って敷物の上に実を横たえている。

 子爵と穀物商が部屋に入ってきたのに気づくと、エルフは二人とも肘を突っぱって身を起こした。怯えて全身をこわばらせているのが見てとれる。瞳は不安に濁り、髪は疲弊して色あせ、肌も曇っているが、それでも震い付きたくほど美しい。


「うほほぉ。これはこれはこれは」


 穀物商は下品な声を漏らす。


「想像以上ですな。生きた宝石じゃないですか。んほほ、見るだけで寿命が延びる」

「あまり騒ぐな。怯えているのがわからんのか」

「こりゃ申し訳ない。いやしかし、うらやましい。二人も、でしたか。閣下も若返るでしょうなあ。夜はもうこの部屋に入り浸りで」

「まだ指一本触れておらぬわ」

「はっ? いや、それはまた、どうして」

「だから貴様にコケモモを買い集めさせているのだろうが。二人とも身体が弱り過ぎていて夜の相手をさせるどころではないのだ」

「ははあなるほど。それじゃあもっと精のつくものを、ううん、肉は食わない、となるとニンニクや野蒜など――」


 そのとき、背後の扉が強く叩かれる音がした。


「――旦那様! 旦那様、こちらにいらっしゃいますか!」


 切羽詰まった声が扉越しに響いてくる。たしかこの城館の執事の声だ。


「なんだ。この部屋には近づくなと言っているだろうが!」


 子爵は振り向いて扉に怒鳴った。エルフ二人はいっそう縮こまってお互いの身体に腕を回して引き寄せ合っている。


「は、申し訳ありません、しかし、急な来客が……その、帝国の……」


 執事の声はすぼまり、それから唐突にひっくり返った。


「やっ、いけません、お待ちください、ここは、そのっ、そんな無体なっ」


 扉が勢いよく開かれた。

 穀物商は驚いて壁際に跳び退り、飾り棚の裏側に隠れようとする。子爵は憤激で顔を真っ赤にしている。

 執事を脇に押しやるようにして寝室に踏み込んできたのは、狩猟服姿の少女だった。派手な羽根飾りを髪に差し、有翼の仔獅子を刺繍した胸章をこれみよがしにつけている。

 皇族の紋章だった。子爵は目を剥く。


「……アクィラ……様……?」


 祝賀会で一度だけ遠くから見たことがあるだけだったが、その美貌、そして《アムステロの黄金》と称される皇統特有の燃え立つような金髪は、見間違えようもなかった。


「あなたがピエーレ・レギスパーニュ子爵ね?」

「なぜ皇女殿下が……」


 末の皇女アクィラはとくに皇帝の溺愛ぶりが有名で、求婚はすべて握りつぶし、湖中の離宮から一歩も出さないようにしていると聞いていた。

 それが、なぜ侍従の一人も連れずにこんな場所に?


「やはり隠れてエルフを奴隷にしていたのね。帝室を代表してその人道に外れる行為を正しに来たわ。ただちに解放しなさい!」


 子爵は混乱の極みにあったが、なんとか気を持ち直し、反駁する。


「いや、殿下にそのようなことを命令されるいわれはありません。正当な商取引で手に入れた奴隷ですし帝室にはこの件に関してなんの権利もないはずです」

「エルフを奴隷にするなんて恥ずかしくないのっ?」

「ぐっ……ですから! なぜそんなことで殿下に責められなきゃならんのですか? いきなり屋敷にずかずかと上がり込んでくる方が人道に外れて――」

「子爵の奥様も連れてきたわ」

「んなっ?」

「あなた様、いくら私が最近だいぶ肥ってきてお肌もたるんできて夜のお相手ができなくなってきたからってこんないたいけな娘を二人も……失望いたしましたわ」

「子爵のお嬢様も連れてきたわ」

「はあああぁっ?」

「お父様、そんなご趣味が……最低です、軽蔑します」

「子爵のお母様も連れてきたわ」

「んげええええっ?」

「ピエーレ、おまえねえ、その娘たちエルフってことは母親のあたしより歳上なんだよ、よくもまあそんないやらしい目を向けられるもんだね」


 子爵は恥辱のあまり泡を吹いて悶死しかけた。アクィラがずいずいと大股で寄ってきて指を突きつけてくる。


「子爵、わかったわね? おとなしく解放しなさい。もちろん正当な商取引であることは尊重するわ。あたくしが買い取るから」


 アクィラは紋章入りの上質紙の束――帝国債券――を子爵に投げつける。厚ぼったい紙吹雪が舞う中で蔓織りの敷物に近づき、膝を折った瞬間、アクィラと二人のエルフの姿は朝陽を浴びた霜のように消え失せていた。

 その後、レギスパーニュ子爵家でどのような家族会議が開かれ、どれほどの地獄が訪れたのかは、ここでは記さない。

刊行シリーズ

神様のメモ帳9の書影
神様のメモ帳8の書影
神様のメモ帳7の書影
神様のメモ帳6の書影
神様のメモ帳5の書影
神様のメモ帳4の書影
神様のメモ帳3の書影
神様のメモ帳2の書影
神様のメモ帳の書影