6-②

 レギスパーニュ子爵邸の門からやや離れた林の中にしゃがみ込んで息を潜めていたサビーナの目の前に、アクィラは忽然と姿を現した。ひとりではない。両腕にかばうようにして、細身の美しい女性二人を抱えている。透けるほど白い肌に柳の葉の先のような細く長い耳。エルフだった。サビーナは盛大にため息をついた。


「ご無事でなによりです、姫様。ここにもやっぱりエルフがいたんですね……」

「これで六件目、すべて的中よ! あたくしの考えた追跡調査法はやはり完璧だったようね」


 立ち上がったアクィラは自慢げに胸を張る。


「エルフを養おうとしたらまず絶対に食べ物に困る! あたくしもたった一晩エルフ式で過ごしただけでもう人間の食事がなんだか口に合わなくなってしまったもの。それで色々試してみて、涼しい土地のとにかく酸っぱい果物がいちばんましだと気づいたら、あとは商人に渡りをつけて買い占めの動きを追いかけるだけ!」


 サビーナのため息は止まらなかった。

 実践的な知性と知識を身につけていることは教育係としては喜ぶべきことなのかもしれないが、宮殿を抜け出してこんな荒事に手を染めていると皇帝に知られたらどうなるか。

 それもこれも、エルフのせいだ。


「姫様、その、しゅっと消えて離れた場所に一瞬で飛んでいける力ですけれど、ほんとうにエルフの力なのでしょうか? なにか悪魔憑きとか呪いの力とかではありませんか? あんまり使いすぎるとよくないのでは……」

「絶対にエルフの力よ。エルフ生活をしたあの夜以来いきなり目醒めた魔力ですもの。きっとあたくしの遠い遠い祖先にエルフがいたのね! その血が森の空気とかエルフ式の食事とかで活性化したのよ!」


 アクィラの突拍子もない推測を、否定する材料はなかった。サビーナとしてはただ心配なだけだった。手に入れた瞬間転移の魔力のおかげでアクィラは帝国じゅうを飛び回って奴隷エルフ解放運動に勤しんでいるのだ。引き留める手段がない以上、自分もいっしょに連れていってくれと頼む以外にサビーナにできることはなかった。


「……あの、あ、ありがとうございます……」


 連れ出されたエルフの片方が、困惑の色を瞳いっぱいに溜めて言う。


「どなたかは存じませんが、助けていただいて……」

「べつにあなた方を案じて助け出したわけではないわよ」


 アクィラは少し不機嫌そうに言う。


「あなた方がどうなろうとあたくしはどうでもいいの。あなた方の故郷がどこにあるかも知らないし、ここで容赦なく放り出すわよ。がんばって歩いて帰りなさい」

「はあ……」


 エルフの瞳に揺らぐ困惑がいっそう濃くなる。サビーナは密かに二人に同情した。ここがどこかも、故郷の森がどちらの方角かも見当がつかないだろう。


「とにかくあたくしは人間に捕まっているエルフを一刻も早く全員解放したいのよ。そうすれば戦争が起きるわ!」


 これはもうエルフたちにとっても完全に意味不明だろう。サビーナだって最初に聞かされたときは意味がわからなかったのだから。アクィラは自信満々で続ける。


「エルフが人間にこれだけ酷い目に遭わされているのにいまだ全面戦争に突入していないのは、あなたたちみたいに奴隷として捕まっているエルフが少なからずいるからよ。人質にされたら戦いづらいでしょう? すべて解放すれば心置きなく宣戦布告できる。そうすれば愛しい愛しい愛しいあの方も、もう遠慮する必要はなくなるわ。今度こそあたくしをしっかり攫ってくれるはずよ!」


 姫様、『宣戦布告できる。そうすれば』以降の理屈がだいぶつながっていませんが、とサビーナは思うのだが、口には出さない。そういう穏当な正論は今のアクィラには逆効果だ。


「そんなわけであなた方がなんとかお仲間に合流できたら、組長に伝えておいて。アクィラは迎えにきてくださるのをお待ち申し上げております、って!」


 そう言い残し、アクィラはサビーナといっしょに瞬間転移して消えた。

 残された二人のエルフは顔を見合わせるしかなかった。


       *


 イシュタラビアの夜を震撼させた抗争から二ヶ月。

 夏が終わりかけ、繁殖期に入った夜光虫たちが求愛の紫色光を灯し始めた頃、ヒナは久しぶりにリュサンドールの谷に戻った。

 陽が沈み、虫の声が涼しさを一層深める時分になり、精霊樹の広場で幹部会議が開かれた。蓮の葉の敷物に美しきエルフの族長たちが円座をつくる。リュサンドールからの列席者はもちろんヒミカとヒナだ。


「わたしたち森の民も、ヤクザとしての経験をかなり積めてきたかと思います」


 議事進行役をつとめる風裂き谷の族長スャルインフが一同を見回して言う。

 ヒナは渋い顔をする。

 人間と戦えるようにエルフたちをヤクザに仕立て上げようとしてきたのは自分なのだが、当のエルフたち自身の口からヤクザになったという言葉が出てくると、複雑な気持ちだった。


「個々人のヤクザとしての自覚や戦闘力は底上げされてきましたから、次は組織としてのヤクザ強化を考えるべきときでしょう」

「賛成いたします」

「異論ありません」


 他の族長たちもうなずく。


「ヤクザというのは組織全体を家族に見立てて結束を強めるのだそうですね。わたしたち森の民は大霊さまのご加護の元に精霊樹を通してつながり、種族全体がひとつの家族愛を共有しています。とても相性が良いと思います」


 スャルインフの感動を誘う口上にもヒナは首をすくめる。

 ヤクザは家族を模した組織だ、というのもヒナが説明したことだが、その実態は家父長制度によって目下の者の絶対服従を確保するためだけのしろもので、結束だの家族愛だのとは完全に無縁だった。


「ではまず、組長ですけれど、これはリュサンドールのヒナさまで異論ないはずですね」

「はい」

「ヒナさま以外にありえません」

「わたしたち、ヒナさまに命を――いえ、ええと、《タマ》をお預けします」


 ヒナは渋々腰を浮かせた。


「言い出したのは俺だから、やれと言われればやるが、俺でいいのか。まだ六十歳だぞ。ついこの間までガキだったんだ。森の中も外も詳しくない」

「ヒナさま以外のだれに任せられますか!」

「ヒナさまがいいんです。喜んでついていきますから」

「ヒナさまのためなら死ねます!」


 自分の何倍も年長のエルフたちに口々に言われ、ヒナは「わかった」と漏らして座り直すしかなかった。他に適任者もおらず、やはり自分がやるしかないだろう、と頭では納得しているものの、心情はなにか収まりが悪く、くすぐったかった。


「続いては、若頭、つまり副長ですね、これをどなたかが――」


 スャルインフが言いかけたとき、大きな精霊樹の幹から遮る声が飛んできた。


「待て。先に《姐さん》を決めるべきではないのか」

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