6-③

 女王エピトルテだった。精霊樹を通じてそれぞれの郷を空間共有でつなぐという重要な役をこなしている彼女だったが、ここ最近は精霊樹自体にだいぶ活力が戻ってきているため、女王の霊力を注ぎ込み続ける必要がなくなり、こうして会議でも発言できるようになったのだ。


「女王さま。《姐さん》というのは……?」

「うむ。組長の愛人あるいは配偶者を指すのだそうだ。ヤクザ組織全体から見ての長姉にあたるという立場なのだろう」

「そのような役職があったのですか」

「ヒナさまの愛人……」

「森の民すべての長姉ということなら、だれよりもこの私エピトルテこそがふさわしいと思う。私が《姐さん》に就任するということで異論はあるまい――」

「女王さまっ? 勝手に決めないでくださいっ」

「配偶者というのはつまり永遠姉妹の契りということですかっ? ヒナさまと?」

「そんな大切な役職を女王さまの一存で決められては困ります!」

「まずは立候補者を確認しましょう!」


 列席した族長たちが全員意気込んで挙手する。ヒナの隣でヒミカがいきり立つ。


「ヒナはわたしの妹ですからっ! わたしが契るべきですっ」

「ヒミカさま、実の姉妹かどうかは関係ありませんよ!」

「そうだ。《姐さん》は組長を陰から支えて子分たちをまとめる役目だから精霊樹を束ねる私こそが適任」

「女王さま、お立場を利用するのはずるいです! 精霊樹は無関係です!」

「そもそもヒナさまの愛人というのは一人だけでなくてもいいのではないですか?」

「永遠姉妹の契りは一対一ですよ」

「でも制度としては別物ですから」

「配偶者なのか愛人なのかをはっきりさせていただかないと」

「ヒナさまを愛する気持ちでしたらだれにも負けません!」

「わたしだって負けません!」

「ヒナはわたしのですっ! まだ卵の頃から露を拭ったり歌を聴かせたりしてたんです!」

「ヒミカさまは身内だからといってそんな――」


 馬鹿馬鹿しくなってきたヒナはそうっと後ずさって円座から離れ、広場を囲む茂みに潜り込んだ。まさかこんな間の抜けた議事になるとは思ってもいなかった。まあ、組長は決まったのだし他は自分が人事に関わらなくてもどうとでもなるだろう。

 そばの樹の幹に背中を預け、ヒナは大きく息をつき、葉陰から覗く暗い空を仰ぐ。

 星など見上げる余裕もなく血なまぐさい煙の中で燃え尽きていった六十年間と、星や月や蟲の光に囲まれて育まれた六十年間とが、自分の中で微妙な割合を保ったまま混じり合おうとしているのがわかる。


 ヤクザであるが故に惨めに死んだはずの自分が――

 ヤクザの道に再び突き進もうとしている。


 汚れも硝煙も魂に染みついてしまっているのだろうか。

 ふと、近くでひそめた笑い声が聞こえた。

 驚いて振り向くと、隣の樹の影に黒々とした人影がある。尖った帽子の先が月明かりを受けて幹にぎざぎさの影を落とし、地面につくほど長い黒髪は夜の闇と同化しているようだ。


「アリシア? なんでいるんだ」


《不動の魔女》アリシアだった。黒い薬草水の入った瓶に口をつけて傾け、舌で唇をぬぐって含み笑いを漏らす。


「いるわけじゃないよ。空間共有にお邪魔させてもらっているだけだ。この間呼びつけられたときに精霊樹の苗を一本失敬してね、ぼくの洞窟で育てている」

「俺は気にしねェが他のエルフが聞いたら怒るぞ」


 ヒナは顔をしかめる。精霊樹はエルフにとっては特別な存在なのだ。


「きみたちを観察するのは面白くてね。どうやらほんとうに戦争になりそうだし」

「野次馬ならごめんだ。こっちからは今のところ用はない」

「組織化がどんどんうまくいっているのに、なにか不満そうだね、四代目」


 その呼び方が、ヒナの心をいっそうざわつかせた。


「……アリシア、あんた俺の前世のことを知ってるのか」


 アリシアは帽子の深い庇の奥で意味ありげに目を細める。


「ぼくの全智が及ぶのはこの世界だけだよ。……といっても、今きみがやっている所業を見れば見当はつくけれどね。美しき森の民とはまるっきり正反対の、醜くて暴力的で不毛で虚飾だらけの生だったのだろうね」


 ヒナは鼻を鳴らした。


「そうだ。ヤクザなんて、任侠とか粋がっているが、要するに反社会集団だ。暴力を背景にした脅しで金を稼いでるだけだ。碌な生き方じゃないし碌な死に方もしない。なのに俺は一回死んでも懲りずにまたヤクザだ。しかも大勢の仲間を巻き込んで」


 暗がりの向こうでアリシアの笑い声が鈴みたいに響いた。


「反社会ね。きみが前世で生きていたのがどんなに美しく正しく素晴らしい社会なのかは知らないけれどね。今こうして人間の社会がきみたちエルフの社会に牙を剥いているなら、それに抗おうとして《反社会》になるのは当然じゃないかな」


 ヒナは魔女の顔を凝視した。闇よりもなお濃い闇に、見つめ返される。身を包む森の空気がしんと冷える。


「今世では失敗しないといいね」

「ぞっとするようなこと言うんじゃねェ」


 と、不動の魔女の姿はいきなり掻き消えた。どうやら空間共有を切断したようだった。ヒナが気配を感じて振り向くと、ヒミカが背後に寄ってきていた。


「ヒナ、会議から逃げないで! 大事な話し合いをしていたのに!」

「……いや、どうでもいい話だっただろうが」

「ヒナの将来に関わる大切な話ですっ!」

「決まったのか」


 ヒミカはわざとらしい咳払いをしてから声の調子を変えた。


「それが、今さっきシュペムルドールの郷から気になる報告が入ってきて、議題がそっちに移ったんです。奴隷商人につかまって人間の貴族に売られてしまった子たちが、自力で郷に帰ってきたのだそうです」


 ヒナは眉をひそめた。自力で?


「その子たちの話によると、身分の高そうな若い女性が監禁場所にいきなり押し入ってきて、買い主に話をつけて解放させた、とか」


 そういえばロキが言っていた。正体不明だが、こちらよりも先回りして奴隷エルフを解放させているやつがいる、と。

 身分の高そうな若い女……?


「それで、その子たちは歩いて郷に戻るしかなかったので、何日もかけて辺境領を抜けてきたのですけれど、その道中で不穏な噂を耳にしたんだそうです」


 ヒミカは声を落とした。


「辺境領のいくつかが手を組んで、帝国を攻めようとしてる、って」

刊行シリーズ

神様のメモ帳9の書影
神様のメモ帳8の書影
神様のメモ帳7の書影
神様のメモ帳6の書影
神様のメモ帳5の書影
神様のメモ帳4の書影
神様のメモ帳3の書影
神様のメモ帳2の書影
神様のメモ帳の書影