7-①

 帝国軍研究所は、大わらわだった。

 ここ数十年間、泰平の惰眠を貪ってきた帝国である。戦といえば散発的な農奴の暴動と、辺境での少数民族との小競り合いくらいだったところに、『南方の諸王国が結託して挙兵』という報がもたらされ、帝都じゅうを揺るがした。

 平和が続く間、軍事技術が完全に停滞していたわけではない。

 戦車、破城槌、攻城櫓、投石機などは定期的に改良が加えられ、かつての大戦で使われたものとは完全に別物と呼べる段階まで進化していた。


 しかし、研究資源はどうしても攻撃面に著しく偏る。攻撃用兵器は実験がやりやすく、成果も目に見える形で出るので研究者の士気も高まる。一方で防御用の器具は実験のたびに壊れてしまうし、想定しなければいけない事態も幅広い。平時に研究所内でこねくり回しているだけの開発ではどうしても限界がある。

 だから、いざ実戦となると研究所はお祭り状態になる。


 前線から戦況報告が日に何回も届けられ、ときには破損した甲冑や城壁の破片などがそのまま持ち込まれ、研究員は涎を垂らしてそれに群がり、しゃぶりつくすように観察記録をつけた後でそれぞれの研究室に戻っていく。


 平和な時代を惜しむ者など一人もいない。

 開戦理由の正当性を訝しむ者も一人もいない。

 帝国側の劣勢を危ぶむ者さえも一人もいない。


 帝国軍研究所で働く者は全員、より強力で効率的な兵器を生み出すことしか頭にないのだ。戦は彼らにとって純粋に《収穫祭》なのである。

 だが――


「キム少佐はどうした」

「いない? こんな大事な時期に?」

「キム・カインはなにをやってる! 改良案が山積みなんだぞ!」


 帝国軍研究所でもきっての偏執研究者であるキム・カインが、このお祭り騒ぎのさなかにまったく姿を見せないのだ。

 地下の自室に籠もりきりになるにしても、食事にすら出てこないのはおかしかった。研究に没頭しすぎて空腹で倒れているのではないか、と心配になった同僚たちは、地下に赴き、二十数種類の言語で《勝手に入るな》と注意書きされた少佐の個人研究室の扉をおそるおそる引き開いた。

 室内は照明が落とされ、しんと冷え切っていた。


 機械もひとつも稼働していない。床も、入り口から真ん中の机までなにも踏んづけずに歩いていけるくらいには整理されている。人の気配はまったくない。研究員たちはぞっとした。死んで消えてしまったのではないか? キム・カインは人間ではなくドワーフだ。大地の精霊の眷属なので死ねば砂になって崩れ去る――と広く信じられていた。

 しかし、研究員の一人が机の上に書き置きを見つける。


「勅命での調査に向かった、と」

「この間たしか皇帝陛下が来ていたが、その件か?」

「いやしかしこっちの仕事も……キムにしかできん計算が山積みで」

「おい、全部終わらせてあるぞ!」


 書き置きの脇に積み重ねられた計算用紙には、前線から送られてきた結果をもとにした弾道計算や装甲・隔壁の損壊度計算などがびっしりと書き込まれていた。


「……完璧だな……」

「俺たちが総掛かりで七日はかかる計算を一人で……」


 研究員たちは顔を見合わせた。


「じゃあ、帰ってくるのを待つしかないか」

「うむ。どこになにをしに行ったか知らんが」

「所長がこっそり盗み聞きしたところでは、陛下はなにやらエルフ絡みの用件をキムに申しつけたらしいが」

「エルフを軍事利用するのか」

「エルフは体重が軽いわりに魔力が強いから砲弾に詰め込むといいかもしれんな」

「なんか今回の戦の原因がエルフだとか聞いたが」

「開戦事由とかどうでもいいな! エルフの長寿は兵站に生かせるかもしれんが」

「エルフの蟲利用技術も気になる。あれは兵器に流用できるだろう」

「樹を通して遠隔地と通信できると聞いたがそれがほんとうなら――」


 研究員たちは口々に言いながらそれぞれの業務に戻っていく。

 いかな帝国最高峰の科学者集団でも、さすがに予測できなかった。

 キム・カイン少佐の調査目的が、人間をエルフに変える技術である、とは――。


       *


 黒銀の森は、帝都アムステンブルムの北、肥沃な盆地を囲むなだらかな山麓に広がっている樹海である。

 古来より、エルフの住まう森ではなかった。

 背の高い針葉樹ばかりのために大型の蟲が育ちにくいことや、寒冷地なのでエルフの主食となる果物類が自生していないこと、なによりも天然の精霊樹がないことなどから、森の民の郷が築かれたことはこれまで一度もなかったのである。


 しかし、帝都に睨みをきかせられるため、前哨基地を置くには最適の場所だった。

 ヒナの指示で精霊樹が移植され、寒さに強い果樹も持ち込まれ、大型蟲に頼らない設備が研究され、『雛村一家事務所』と通称される郷が整備されていった。

 とくに気を遣ったのが、拠点を外敵から隠すための結界である。

 元来、エルフの郷には、侵入者の方向感覚をそれとなく混乱させて森の外に誘導してしまう呪術的な障壁が張り巡らされていた。外の者たちが《迷いの森》と呼ぶゆえんだ。近年その障壁が弱まって人間たちの侵入をゆるしてしまっているのは、単純にエルフの数が減ってきているせいだった。

 そうしてエルフたちが郷を失い、難民となってリュサンドールに流れ着き、一時的に住民が増えた結果、皮肉にもリュサンドールの結界はじゅうぶんな力を取り戻し、それどころか魔力余剰の状態となっていた。

 そこで難民たちの中からとくに魔力と士気の高い者を選び、黒銀の森に移住させて築き上げたのが『組事務所』だった。

 自然発生的にできあがった郷ではなく、計画的に組み上げた森林城塞である。

 精霊樹を植える場所、住居を構える高さ、育成する蟲や植物の種類、すべてが効率的な防備のために考え抜かれており、事実、帝都の目と鼻の先にありながら、部外者がエルフの生活圏内に入ってきたことは皆無だった。

 ――事務所設営から半年を迎えるその日までは。


「……侵入者! 侵入者です!」

「光鱗粉撒いてください!」

「弓を! 動ける方は全員!」


 エルフたちの声が森に響き渡り、驚いた鳥たちが梢から一斉に飛び立って夕空をひととき翳らせる。

 ヒナもそのとき『事務所』の庵にいたので、声に反応してすぐに外に飛び出した。

 木々に囲まれた広場の一角に、エルフたちが手に手に弓矢をかまえて輪をつくっている。鏃が向けられている地面には――

 なにもない。

 いや、とヒナは目を凝らす。

 なにかがいる。下草と土が、陽炎のように歪んで見える。


 歪みがやがてぐっと浮き上がり、人の形をとった。空間そのものが割れて中から人影が現れた――ように見えたが、その実、森の草や土に巧妙に溶け込むような模様の外套を着込んでいただけだと気づく。


「迷彩は完璧だったはずだが、エルフの熱源視認力を甘く見ていたな」


 侵入者は平然とつぶやいた。悔しさは言葉の端ににじんでいるものの、包囲されて矢で狙われていることなどまったく気にしていないそぶりだ。背丈はエルフたちよりも頭二つ分ほども低く、顔立ちはいとけなく、頬は林檎のように赤い。


「……ドワーフ?」


 エルフの一人が驚きに目を見開いて声を漏らした。


「なぜドワーフの子供がこんな場所に」

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