7-③

 ヒナはエピトルテ以下やかましい女たちを庵の外に追い出し、キム・カインに向き直る。


「あいつらの言ってることはともかく、なんで帝国軍の研究員が俺を男にしようとする? エルフが自力で繁殖できるようになったら人間どもには都合が悪いんじゃないのか」

「いや待て待て。エルフの事情なんか知ったことじゃない。言い方が悪かったな。貴様をどうこうしようという話じゃないんだ。人間の男をエルフに変える方法を探しているんだ」


 ますます意味がわからなかった。頭が痛くなってくる。


「自分は皇帝の勅命を受けている。皇帝がエルフになりたがっている」

「……ああ、なるほど。不老長寿が目的なのか」

「ちがう。娘がエルフに心酔しているらしいので、自らがエルフになれば娘の気を惹けると思い込んでいる」


 頭痛がひどくなってきた。


「……その、娘、というのは、末娘の――」

「貴様が一日だけ誘拐したアクィラ姫だ」


 状況は混乱の極みだった。

 混乱の原因の一端はヒナにもあるのだろうが、どこをどうしたらそうなるのか。

 しかしヒナは徹底した現実主義者だったので、考えてもしょうがない部分は考えず、手と目が届く範囲だけに注力するようにすぐ意識を切り替えることができた。


「皇帝は俺たちをどうしようと考えてる? 滅ぼすつもりなのか、種族ごと奴隷に――」

「どうでもいい、ときっぱり言っていたぞ。皇帝の頭にあるのは娘のことだけで、貴様らエルフの行く末にはまったく興味がない。ついでに言うと自分も貴様らがどうなろうと知ったことじゃない。ただし人間のエルフ化、という技術には大いにそそられる。長寿化、自然治癒力の強化、植物や虫の兵器化、様々な軍事利用が考えられるからな! 皇帝直々の手厚い出資でそんな研究ができるのだから最高だ!」


 ヒナとしてもキム・カインの度しがたい研究熱などどうでもよかった。


「つまり各地で俺たちの同胞に手を出しているのは、それぞれの地方領主の自己判断、ということなんだな?」

「そう。それで帝国内が二つに割れて戦が始まってる」


 皇女アクィラが奴隷エルフ解放のために諸国を回り、それに反発した諸侯が結託して挙兵した、という経緯を聞かされると、さしものヒナもしばらく言葉を失った。

 冷静に考えろ、と自分に言い聞かせなければいけなかったということは、よほど冷静さを失っていたということに他ならない。

 帝国には内紛が起きており、皇帝――つまり強い側――は自分たちエルフにとっては少なくとも敵ではない。

 状況は、有利に動いている。


「……いいだろう。皇帝に恩を売っておくのは俺たちにとっても得がある。おまえの研究に協力してやっていい」


 庵の出入り口のすぐ外で、エルフたちが心配そうに息を呑むのが聞こえる。

 キム・カインはまるで嬉しくなさそうに言う。


「皇帝が恩義を感じるかどうかはわからんぞ。そもそもすぐ結果が出るような研究じゃない」

「そんなのはおまえのやり方次第だろう。生きて帰してやる上に協力しようっていうんだからおまえも協力しろ。俺たちエルフの力で研究が進んでるって皇帝に伝えるんだ。結果が出なくたって適当にでっちあげればいいだけだろう」


 キムの目が細められる。


「それはできない相談だ。他のどんな嘘が赦されても、実験結果に嘘はつけない」


 ヒナは髭のないドワーフの幼い口元をにらみ据えた。


「てめえの立場がわかってるのか? 今すぐここで殺してもいいんだぞ」

「研究者にとっては真実は命より重い」


 しばらく二人の間には窒息しそうなほど分厚い沈黙があった。

 先に息を吐いたのはヒナだった。


「……くそったれが。……たしかに、おまえのその意地っ張りはなんだか記憶にあるな。前世で知っている気がする」

「前世のことを思い出したならどんどん教えろ。人間のエルフ化につながる情報もあるかもしれない」


 キム・カインの頭にはほんとうに研究のことしかないようだった。ヒナはその日何度目かわからない嘆息を漏らす。


「他になにかしてほしいことは?」

「そうだな。貴様の髪の毛、爪、血液を採取させろ。各種検査に使う」


 血液、と聞いて庵の外のエルフたちがいきり立つのが気配でわかった。ヒナは手をあげて仲間たちの憤りを押しとどめる。


「血ぐらい少しならくれてやる。他には?」

「今のところはそれくらいだ。検査結果が出てみないことには次の方針は立てられない」

「いいだろう。だが、交換条件だ。帝国の内情について教えてもらう」

「帝国軍研究所の研究内容についてなら、なにも答えられんぞ。守秘義務がある」

「……その義務も命より重いのか?」

「当然だ。我々研究員は、外に漏らさない、という相互信頼のもとに研究内容を共有しているのだから、自分だけの問題ではない」

「まあいい。軍事研究には興味がない。それよりも知りたいのは帝国軍の構成、内部勢力、今後の動きなんかについてだ」

「それも守秘義務があるな。見ての通り自分も一応は軍人だからな」


 キムは軍服の肩章を指さし、続ける。


「ただ、研究者としての義務ほどは重くないので、ちょっと拷問されればべらべら喋ってしまうかもしれん」


 大真面目な顔でそんなことを正直に言われると、ヒナとしても毒気を抜かれてしまう。実にやりにくい相手だった。必要とあらば拷問も辞さないつもりだったが、すっかり気が削がれてしまった。それに、残忍な側面を同胞たちに見られたくない。いくらヤクザの気質が少しずつ浸透してきているといっても、エルフは元来が平穏を愛する種族だ。


「内紛が起きていると言っていたな。敵方、叛乱軍についての情報は喋れるか」

「そっちはいくらでも喋ってやる。敵だからな」


 よし、とヒナはうなずいた。自分たちエルフとしても当面の敵はそちらだった。

 帝国軍研究所というところは兵器開発だけではなく、より巨視的な戦略級の研究も行っているらしく、キム・カインは今回叛乱を起こした南方の諸王国についてかなり詳しく教えてくれた。庵の外で聞き耳を立てていたエルフたちも、いつの間にか中に入ってきて地政学講義に耳を傾けた。はじめて《敵》の情勢を包括的につかめる貴重な機会だった。


「帝国軍と連合王国軍の兵力比はおよそ300:1、ということか」


 一通りキムの話を聞き終えたところでエピトルテがそうまとめた。


「私たちが介入するまでもなく、人間同士で勝手に戦って、エルフに不届きなことをしようとする勢力は潰れてくれるのではないか?」


 それを聞いた他のエルフたちも顔を見合わせてうなずく。

 けれどキム・カインはわざとらしく息を吐いて首を横に振った。


「兵力差はそのまま戦力差ではない。まず帝国側は戦う理由が薄すぎる。もともと皇女の勝手な行動で引き起こされた戦だし、もちろんエルフのために戦おうなんて兵士がいるはずもない。大多数の人間たちにとって貴様ら森の民はお伽噺の中の存在だからな。一方で連合側には、皇族のわがままを押しつけられたという怒りもあるし、なによりエルフへの変態性欲という強い動機がある。勝って帝国に権利を認めさせれば下々の兵士たちにまでエルフをものにできる機会が回ってくる――などという無根拠な噂も流れており、士気は高い」

「最低です」

「人間ってほんとうに最低です」

「そのまま相打ちで滅びてしまえばいいのに」


 エルフたちの反応は棘だらけだった。イシュタラビアでの水商売を通して人間男性のエルフに対する剥き出しの欲望にはだいぶ慣れているはずの彼女たちだったが、やはり代金を支払って店で遊ぶのと無理矢理捕まえて奴隷にするのとでは天地の隔たりがある。

 そんな憤激をキム・カインは聞き流し、続けた。


「また財力面も無視できない。連合を組んだ南方七王国はいずれも海運で栄えている富裕国。エルフを買ったのも投資という意味合いがあるはずだ。寿命が長く年老いない貴様らエルフは絶対に値下がりしない優良物件だからな。そんな美味しい商売を帝国に邪魔されたのだから金に糸目をつけず強力な傭兵を雇い入れるはず」


 言葉を切り、もったいぶって一同を見回してからキムは結論を口にした。


「自分の予測では、連合軍は南サガンの要衝サンモリモ城塞をまず総攻撃するだろう。六日で陥落すると見ている」


       *


 戦略眼にも長けたキム・カイン少佐の予測は、一点を除いてすべて的中した。

 サンモリモ城塞はわずか一日で陥落したのである。

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