8-①

 戦史には、サンモリモ城塞の陥落について短くこう記されているだけだ。


『暮葉の月の末日、連合王国軍ヒスタニア大公ロペス麾下の兵およそ六千がサンモリモ城塞を望む丘陵に陣を張り、雨がやむのを待って昼過ぎに攻撃を開始した。難攻不落で知られるサンモリモには帝国軍少将ベルケンボッシュ卿率いる騎士団とその手勢三万が詰め、果敢に応戦したものの、天地の巡りが連合側に与し、日の入りを待たずして帝国軍は城塞を明け渡して撤退を強いられることとなった』


 まるで運だけで帝国側が負けたかのような書き方だが、これはベルケンボッシュ少将が皇族の血を引く名家の出身であるため史家が無駄な気を回したのだと思われる。

 事実は以下の通りであった――



 その日、ベルケンボッシュ少将は城塞の胸壁から眼下に広がる平原を眺め渡し、小糠雨に煙っている彼方の丘の幕屋に目を細めて笑った。


「あれしきの兵でサンモリモを攻めようというのか。帝国もなめられたものだな」


 脇に控えた副官が追従の笑みをみせる。


「明日には一万の増援が到着し、やつらの背後を衝けます。牛を追うよりもたやすく挟撃殲滅できるでしょう。厚みのない城攻めを一日いなせばいいのだから楽な戦です」

「いっそ打って出て叩き潰すのはどうだ」

「雨で足場が悪い上に、敵は高台に陣取っているので囲い込むのは面倒ですな。待っていれば向こうが勝手に消耗してくれるのです。じっくり構えていればよいのですよ」


 正論だった。この副官はまずまず有能だったといっていいだろう。戦況の楽観視にもそれなりの客観的な根拠があった。

 しかし部下の騎士たちは、ただ敵を舐め腐っているだけだった。遠く雨中の敵陣を眺めながら口々に言う。


「だいいち、あんな穢らわしい理由で帝国に弓引くなど、貴族とは思えん。大義名分のかけらもない」

「まったくだ。やつら帝国騎士の誇りもないのか。嘆かわしい」

「エルフを性奴隷にする権利など! 反吐が出る!」

「エルフといえば見た目は若いが人間の何倍も長寿なのだろう? つまり全員ババアだ。女の趣味が悪すぎる!」

「それにエルフは痩せ型ばかり、男ならもっと豊満な肉付きの女を――」


 連合側と大差ない穢らわしい理由で騎士たちは息巻いていた。

 やがて雨がやみ、雲間に陽が差す。

 丘の斜面に騎馬が居並び、叛乱軍の七連旗が雨上がりの空にはためているのが見える。

 物見台の兵が怒鳴った。


「敵およそ六千、総勢こちらに動き始めました!」


 ベルケンボッシュ少将はうなずき、部下たちに号令した。

 総員配置につき、迎撃に備えよ――。

 旧帝国時代に建てられ、幾度もの激戦の舞台となったサンモリモ城塞は、二百年の間一度も破られたことがない頑強さを誇っていた。大規模な攻城兵器を容易に寄せ付けないための濠も完備されている。おまけに配備された防衛兵力は攻め手の五倍である。一日耐えれば増援が到着して敵を挟み撃ちにできる。

 だれもが楽な防衛戦だと信じていた。

 帝国側の誤算はただひとつ。叛乱軍の旗の合間に、翻る『馬と鉄球』の軍旗を見逃していたことだった。


 鉄血騎士団。

 鉄将軍率いる南方最強の傭兵団である。


 莫大な契約金を要求するが、金払いが滞らない限り主君への忠誠は篤く、手勢は少数精鋭の千騎ほどながら沈着剛毅、常勝無敗の部隊だった。帝国軍が鉄血騎士団の参戦を把握できていなかったのは、連合側の財力を見誤っていたからだ――と後世の研究者は分析している。

 軍装を施した愛馬にまたがった鉄将軍は、丘の中腹から彼方のサンモリモ城塞の門をにらみ、それから振り返った。

 ずらりと轡を並べ、下り斜面を余裕たっぷりに行軍する鉄血騎士団員の不敵な面々。


「よし、てめぇら。今日の俺らのお仕事はあそこの城門を日没までにぶち破って、ロペス公ご一行を城塞内にご案内することだ」


 鉄将軍は部下たちに太い声でそう告げた。


「そろそろ夜は涼しくなってきたし、野営したくねえよな? 帝国さんが用意してくれた寝床と飯をいただいてゆっくり休みたいよなぁ?」


 応、と笑い混じりの声があがる。


「報償はたっぷり出る。城塞内一番乗りには帝制金貨二十枚だ!」


 大歓声に変わった。鉄将軍は苦笑いで付け加える。


「もちろん俺が一番だったら俺がもらうからな?」

「将軍あんた管理職なんだからたまには幕屋でのんびり座ってろよ!」

「貴族連中と老後のことでも相談してたらどうだ!」


 部下たちの間から野次が飛ぶ。うるせえ、と鉄将軍は怒鳴り返すが、鉄血騎士団においては毎度のやりとりなので萎縮する兵など一人もいない。

 連合軍の他の部隊は、この緊張感のない傭兵たちを呆れ半分、不信感半分で見ている。これがほんとうに天下無双の戦闘集団なのか、と疑う者も当然出てくる。雨上がりのぬかるんだ地面をゆっくり進んでいるせいで余計に空気が緩い。


「鉄将軍。貴様らが先陣だ。城塞の防備を切り開くんだ。わかっているな」


 すぐ隣まで来ていた伝令が馬上から言う。

 将軍は億劫そうにうなずき、右手をさっと挙げた。


「野郎ども、突っ込むぞ! しっかり稼げよ!」


 鬨の声があがり、騎馬の一団が加速して斜面の残りを一気に駆け下りた。

 そこからの鉄血騎士団の戦いぶりは、敵も味方も唖然とさせるものだった。降り注ぐ矢の雨の中を斬り込み隊が全速で突っ切り、工兵が濠に渡した板の上を駆け抜ける。続く破城槌の突撃は信じがたいことに陽動で、そちらに矢と投石が集中したことで斬り込み隊が最短距離で城壁にたどり着く。馬から飛び降りた彼らが手足に仕込んだ鉤爪でそのまま城壁を這い登り始めるので城塞の防衛兵たちは仰天し、あわてて手近にあるものを次々に投げ落として追い返そうとするものの、鉄血騎士たちは壁に取り付いたまま蜘蛛のような俊敏さで落下物を躱し、勢いをまったくゆるめようとしない。

 しかし真に恐るべきはその人間業とは思えない登攀すらも――結果的にではあるが――陽動に過ぎなかったことだ。


 轟音が城塞を揺らした。

 分厚い合板を鉄枠で補強した堅牢な城門が、ひしゃげている。

 閂が、引きちぎられた留め具ごと落ちてもうもうと土埃をたてる。

 城塞の兵たちはみな目を疑った。連合軍の破城槌はまだ一基も城門に到達していないはずなのに、なにがどうやって門を破ったというのか。

 わずかに生まれた門の隙間の向こうに、人影が見える。

 刈り込んで逆立てた鋼色の髪に、古傷の刻まれた精悍な顔立ち。鍛え抜かれた肉体は鎧を内側から突き破りそうなほどの力に満ち、右の拳からは細く煙が立ちのぼっている。


「……素手で……?」

「馬鹿な……」


 門のすぐ内側にいた兵たちは、あまりの状況に武器を構えることも忘れ、その男が城塞内に踏み込んでくるのを呆然と見守るばかりだった。


「――っしゃあ! 今回も俺が一番んんッ!」


 鉄将軍の大音声で門が震える。

 ようやく我に返って槍を構えた帝国兵たちを、鉄将軍は背中から引き抜いた大剣の一薙ぎでまとめて弾き飛ばした。


「けっきょく将軍かよォッ」

「突っ込めェッ」

「とっとと終わらせて夜の博打で将軍からかっぱぐぞォッ!」


 隙間から斬り込み隊の面々が次々と入り込み、門を内側からいっぱいに押し開く。雪崩れ込んでくる後続の本隊を押し留めるすべはもはやなかった。雄叫びと悲鳴が城塞の中庭にこだまし、戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的な、『狩り』と『掃除』が始まった。

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