8-③

 マリエルドールの精霊樹前広場と、帝都アムステンブルムの帝宮謁見の間が空間共有によって結ばれたのは、エルフと人間の歴史上おそらくその日がはじめてのことだった。

 きざはしの上の玉座に深く気怠げに身を沈めた男は、間違いなく皇帝その人だろう。同じ壇上の左手に設えられたやや小さく装飾の少ない椅子にかけている若い男は、一目でそれとわかる面差しからして、おそらく皇子だ。


 玉座から何段か下った左右に、重臣や将官らしきごてごてしい服装の男たちが渋面をずらりと並べている。

 しかしなによりもヒナの目を真っ先に惹いたのは、広間の中央に無造作に置かれた若木の苗である。

 土を詰め込んだ袋で根を覆い、石畳の床に転がしてあるそれは、精霊樹だった。占拠しているエルフ郷のいずれかから引き抜いて運んできたのだろう。


「ちゃんと地面に植えろ」


 ヒナは苗を指さし、苛立ちを滲ませて言った。


「通信機じゃねえんだ。生きてる樹だぞ。水もちゃんと森から汲んでこい」

「小娘がッ、口の利き方に気をつけんか! 陛下の御前だぞ!」


 髭面の将官の一人が顔を紅潮させて唾を飛ばし憤慨する。


「てめぇこそ口の利き方に気をつけろ」


 ヒナが一睨みして低い声で言うと将官は竦み上がる。


「人間の身分の上下なんて俺たちの知ったことか。そっちの用で呼び出したんだろうが」


 近衛兵たちがいきり立って腰の剣に手をかけようとするのを、皇帝が億劫そうに手を持ち上げて止める。


「よせ。どうせ空間なんとやらで手が出せないのだろう。時間の無駄だ。さっさと用件に入りたい」


 皇子も臣下も表情を硬くする。ヒナは少し感心していた。この場でいちばん話がわかりそうなのは当の皇帝のようだ。


「エルフをまとめている《組長》とは其方のことだな?」

「四代目雛村一家、リュサンドールのヒナだ。用件は?」

「こ、これっ!」


 侍従長らしき初老の男があわてふためいてヒナに言う。


「陛下に直接話しかけるでない、この私に言え! 私からお伝えするから! そういうしきたりになっておるのだ!」

「だから知らねえって。馬鹿馬鹿しい。早く用件を済ませたいんだろう」


 皇帝がうなずいて侍従長を黙らせる。


「南方の七国が結託して叛乱を起こしたのは知っておるか? 其方らにも関わりのある戦だ」

「知ってる。俺たちを奴隷にする権利を認めろって要求してきてンだろう」

「そうだ。すでにかなりの被害が出ている」

「負けてるってことだな?」

「負けてなどいないッ」


 将官の一人がまたも赤く茹で上がって憤る。


「我が誇り高き帝国軍が田舎者の寄せ集めに負けるはずがないッ! しかし度重なる卑劣な奇襲で攪乱されているため各地で一旦退却の後に反転攻勢の隙を狙っており――」

「負けておるのだ」


 皇帝がすげなく断言するので将官は卵を喉に詰まらせたような顔で黙り込む。


「で、其方に叛乱軍をなんとかしてもらいたい、というのが今日の用件だ」


 ヒナは皇帝の顔をじっとにらみ返した。

 予想もしていなかった事態の展開だった。もちろんヒナとしては、エルフを虐げる王侯貴族たちとはいずれ全面戦争するつもりだったが、まさか皇帝から頼まれるとは。


「……そもそもあんたら人間は全員で俺たち森の民を搾取してただろう。なんで内乱なんてことになってる?」

「全員ではない。余はエルフのことなぞどうでもよいと考えていた。其方らの窮状につけこんだ所業はそれぞれ諸侯が勝手にやったことで帝国の意思ではない」


 皇帝の口ぶりは嘘ではなさそうだったが、判断材料が他になかった。


「そして今は、愛するアクィラがエルフの解放を訴えておるので、それが帝国の意思だ」


 そこで皇帝は言葉を切り、意味ありげに目を細めた。


「其方の誘拐は、この上なく効果的に働いた――ということになるな」


 ヒナはなにも答えなかった。表情ひとつ変えなかった。


「あの件は赦しておらぬが……未来永劫赦さぬが……しかし今は置いておこう。現状、帝国と其方らは利害が一致しておる。引き受ける一手であろう?」

「……なんで俺らに頼む? 普通に応戦して叩き潰しゃいいだけだろ。それともそこに雁首並べてるやつらは滅びかけのエルフにも劣るぼんくらなのか」

「なッ」

「小娘ェッ」

「言わせておけばッ」


 将官たちが青筋を立てるが、皇帝の小さな咳払いひとつで黙り込む。


「普通の戦ならな。今回は特殊なのだ。叛乱軍のほとんどは取るに足らない有象無象だ。ただわずか一部隊のみが突出して強く、敗因はすべてそやつらなのだ。その一部隊、いや、将ひとりをどうにかすればたやすく勝てる。となると、隠密行動や妖しげな術に長けた其方らエルフの方が向いているであろう? その他の有象無象はな、余に楯突いた不届き者とはいえ、大切な臣民でもあるのだ。可能ならば傷つけたくない。ひとりを潰せば勝てるなら、そのひとりだけを狙うのが賢い戦というもの」


 ヒナはしばらくじっと考え込んでいた。

 事情はおおむねつかめた。あとは――

 ヒナの沈黙を別の意味に捉えたのか、皇帝が付け加える。


「もちろん、ただやれとは言わぬ。褒美は出そう。当然其方らの郷は安堵するし、今後其方らには手を出さぬと――」

「いや。褒美の話はいい」


 ヒナは皇帝の言葉を遮った。


「引き受けよう。詳しい話を聞かせてくれ。褒美のことは仕事が終わってからおいおい話せばいいだろう」


 皇帝はこちらの意図を図りかねているらしき表情だった。自然な反応だ。

 ヒナとしては、エルフの当面の安全を保証する口約束よりも、さらに大きな成果をこの機会に確保しておきたかった。

 そのためにはヤクザ最大の武器――すなわち《負い目》という名の楔を、皇帝の胸に深く打ち込む。

『ただより高いものはない』――この至言が、こちらの世界でも通用するか、試すのだ。


「……よかろう」


 しばしの思案の後で皇帝はうなずいた。


「では、攻撃対象についての詳しい情報はそこにいる准将から――」

「お待ちください父上」


 それまでずっと沈黙していた皇子が険しい表情で口を開いた。


「ほんとうにこの者を頼るつもりなのですか? 異種族の、それも女の力を借りて戦をするなど、帝国騎士の矜持にかかわるのではないでしょうか」


 居並ぶ将官たちも、賛意を表情にあらわにして小さくうなずく。

 しかし皇帝は心底あきれた横目を息子に向けた。


「カドニス、そんなだから其方はまだまだ青いのだ。いいか、これが帝国の存亡を決するような重要な戦であれば、帝国騎士の全力をもって正々堂々と迎え撃つべきだ。しかし今回の戦は史書に記すのもためらわれるほどに恥ずかしくつまらぬ理由の叛乱だぞ。正攻法で対処する方がむしろ帝国騎士の名折れとなる。つまらぬ理由の元となっているエルフに対処させるのが天地の道理に適っておるのだ」


 真正面からやり込められた皇子カドニスはぐっと言葉に詰まるが、なんとか言い返す。


「し、しかし父上、エルフなぞ信用できますかっ? もっと他の手段がありましょう!」

「他の手も打ってあるに決まっているではないか」


 皇帝の蔑みの目が皇子カドニスをなぶる。


「将ひとり潰せば済むのだぞ。手段は選ばず、やれることはすべてやるのが賢者の戦よ」


 そのときの皇帝の狡猾そうな笑みが、ヒナの心象に粘り着いてしばらく消えなかった。

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