10ー①

 地揺れのような頭痛の中でキム・カインは目を醒ました。

 板張りの天井がどろどろに溶けて木目が渦を巻いている。まぶたはひどく重たいが、痛みのせいで眠気は頭蓋の片隅にみじめに押しやられている。

 身体を起こそうとして、後ろ手に縛られていることを思い出す。痛みが二の腕を伝う。


 混濁気味だった記憶が一気に透きとおる。

 研究所の近くの森に苔土を採取しにいったところを何者かに襲われ、拉致されたのだった。覆面をつけた正体不明の男たちに暴行を受けながら尋問され、帝国にさほど忠誠心のないキムは軍の内情をぺらぺら喋ってしまった。尋問が研究内容に及び始めるとさしものキムも口が重くなったため、拷問は苛烈さを増し、キムはそのまま気を失ったのだ。


 歯を食いしばって痛みをこらえながら、ほとんど動かない首を少しずつひねり、自分が今いる場所の様子を探る。組の細かい石壁、ということはある程度以上の規模の建築物だ。諸王国連合軍の軍事施設だろうか。唯一の扉は鉄製の頑丈そうなもの。それから天井近くに明かり取りの窓がひとつあり、そちらには鉄格子がはまっている。

 さて、とキム・カインは尋問のことをあらためて思い返す。

 拉致者はほぼ間違いなく軍事関係者だろう。尋問の内容が専門的だったし、こちらがエルフを軍事研究していることまで知っていた。襲撃時も複数人だったし、尋問時にも何人かが部屋に出入りしていた。組織的な犯行だ。


 となると、現状では生きて帰れる見込みはない。情報価値がなくなったと判断された時点で殺されるだろう。

 出入り口のそばまで転がっていき、鉄扉に顔を押しつけて外の気配を探る。

 見張りは――いるかもしれないが、現状よりも敵の注意が薄くなる機会はまずないだろうと思われた。


 自分の身体の状況を再確認する。

 軍服のままだが、採取のための道具などは当然すべて取り上げられていた。白衣も剥ぎ取られている。

 しかし、とキムはほくそ笑む。


(雑な身体検査で満足したようだが、このキム・カインをなめていたな)


 息を止め、腹に力を込め、両肩をくねらせ、全身を絞るように蠢かせた。嘔吐感がこみ上げてくる。喉が硬い感触でふさがれる。視界の端に星が散った。

 キムが吐き出したのは、細長い油紙の包みだった。


 胃液と唾液で汚れていたが、気にしてはいられない。包みの端に歯を立てて剥く。中から出てくるのは極細の刃や金属を織り込んだ特性の紐の束。

 監禁・拘束された際に、自力で脱出できるように、胃の中に隠しておける道具一式を開発しておいたのだ。隠し持つ方法と取り出す方法が常軌を逸していたため、軍上層部からの評判はすこぶる悪く、本採用されなかったが、キムは開発者当人として有用性を固く信じていたためせめて自分だけは使い続けることにしていたのである。

 その意地がついに実る日がやってきた。


(かっこうの実地試験となる。研究所に生還したら実体験に基づいた完璧な使用報告書を所長に叩きつけて採用を再検討してもらわねば)


 あふれ出る研究熱のあまりにやにや笑いながらキムは後ろ手に縛られた手で苦労してまずは手首の縄を切る。両手の自由が戻ってしまえばぐっと楽になる。両脚の拘束を解き、立ち上がって身体のあちこちの筋を伸ばしながら負傷の状況をたしかめる。尋問中に殴られた箇所の打ち身はだいぶひどいが、骨までやられた部分はなさそうだった。

 キムは紐を手にすると鉄格子を見上げた。



 脱出してからしばらく後で背後に爆発音が聞こえた。

 キムが扉のところに仕掛けた爆薬が着火したのだろう。逃げるための時間稼ぎになる。

 夜中なのでそこまでの騒ぎにはならないが、民家から通りに出てきて爆心地の方を見てなにか怒鳴っている住民がちらほら見受けられた。


 キムが監禁されていたのは、街中にある古い屋敷のようだった。

 暗い中を走り回り、周囲の景色を確認し、店の看板や辻の掲示板などをあらため、ようやく自分がどこに閉じ込められていたのかを知る。帝都郊外の、林檎栽培で知られる小さな街だ。監禁場所のあの建物はどうやら、かつて林檎の果汁を搾るために使われていた工場らしい。

 帝都のすぐそばであるという点がキムを混乱させた。

 諸王国連合軍の拠点が、こんな皇帝の喉元ともいえるほどの近さに?


(そもそも自分を攫ったあの連中はほんとうに連合軍なのか?)


 夜道を足早に歩きながら、考えつく可能性を頭の中で並べてみる。

 民間人、ということはあり得るだろうか。

 連合側に情報を売って稼ぐ賊。

 ないでもないが、その場合は拐かしたキムの身柄をそのまま連合軍に売り渡した方が握実だし儲けも大きい気がする。わざわざ自分たちで尋問するなど。


 あるいは――

 帝国軍?


 思いつきに寒気をおぼえる。

 友軍であれば、これほど帝都に近い場所に居を構えていたことも、キムの動向に詳しく容易に拉致できたことも、尋問内容がやけに具体的で的確だったことも説明がつく。帝国軍の内情についてもいくつも訊かれたが煙幕のための質問だったかもしれない。


 この思いつきが当たっていたとして――

 目的は?

 研究成果を掠め取ろうとした?

 あるいは研究をやめさせようとした?


 帝国軍が一枚板などではないことは政治にまるで興味が無いキム・カインもよくよく承知していた。キムは諜報関連でもめざましい成果をあげているので、公表すればだれかしらが大出血するような真実を山ほど抱えている。


(これは、このまま研究所に戻るわけにはいかんな……)


 あまり考えたくないことだが、研究員の中にも敵がいるかもしれないのだ。

 自分を拉致した者たちの正体をつかんでおかなければ、この先安心して研究に打ち込めない。今はむしろ好機だ。敵がそこの建物内にいることがわかっていて、脱走と爆発で混乱している最中なのだ。

 まさか、逃げおおせたはずの自分が舞い戻るとは思うまい。


(さすがに身一つで再侵入するわけにはいかない)


 キムは手近の民家の納屋に忍び込んだ。

 大地の眷属であり地中で暮らすことが多いドワーフは、エルフ以上の完璧な暗視能力を持っている。髭の生えない突然変異体のキムもここに関しては例外ではなく、真っ暗な納屋の中でも必要なものをすぐに調達できた。


 兵器開発の達人である彼にとっては、板状のものと棒状のものと紐状のものと粉状のものが存在する場所であればどこでも兵器庫である。

 干し草の上に座って即席兵器をいくつも組み上げたキムは、成果物を身体中に巻き付け、立ち上がって独りごちた。


「よし。征くぞ」

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