2-②

「うん、味は落ちていないね! 伝統を守っているようで安心したよ」

「美味いのかそれ……? 毒にしか見えねェが」

「毒ペなどと言うつもりじゃないだろうね! コカコーラ社に訴えられるよ!」

「いやなに言ってんのかわからんが」

「それで、アリシアさま、どうかお願いです」


 ヒミカが寝台の足下に膝をついですがりつくように言う。


「ヒナが人間に戦いを仕掛けるなどという無茶を言い出して聞かないんです。ヒナの身を護れるような術や呪物を」

「護れなくてもいいから戦力になるもんをくれ。使い魔とかいるだろ」

「頼み事があるなら姉妹で意見をすり合わせてから来たまえよ! ……まあいい」


 アリシアは籠を脇に置くと寝台から飛び降りた。背丈はヒナよりも頭二つ分ほど低く、髪は床に引きずるほどの長さだ。


「きみたち姉妹が生きている限り、満月の夜のたびに瓶詰めの薬草水を籠いっぱいに届けるようにね。代金としちゃ安いものだろう。ついてきたまえ」



 アリシアがエルフ姉妹を案内したのは、複雑に枝分かれした洞窟の奥にある広間だった。

 きっちりした円筒形に切られた空間で、寝台のあった大広間に比べれば広さは五分の一にも満たないほど。さらには床面のほとんどを占めている円形の泉のせいでひどく狭い印象を受けた。泉の水は淡く翡翠色に光り、絶え間なく泡が湧き出ている。


「きみたちのわがままな要求を満たすにはなにかしら精霊を喚ぶしかないね」


 アリシアはそう言ってヒナの背中をぐいと泉の縁の方へ押しやった。


「ただしどれくらいの強さの精霊が出てくるかは喚ぶ者の資質によるし、素直に従属してくれるかどうかもわからないけれどね」

「どうやって喚ぶんだ」

「きみの血を一滴垂らすだけだよ」

「血一滴でいいのか。小指一本放り込んだら強いのが出る確率が上がるとかないのか」

「怖っ? どんなろくでもない前世だったんだい? ちょっと指先を切るだけで十分だよ、固形物なんか入れないでくれたまえ、泉が汚れる!」

「ヒナの可憐な指を切るんですかっ? いけません、わたしが代わりにっ」

「ねえさまに従う精霊なんて出しても戦力にならねぇだろ。ちょっと退がっててくれ」


 ヒナは姉を壁際に押しやると、歯で小指の先の皮膚を噛みちぎり、水面に差し出した。

 指先にできた赤黒い玉がやがて自重でぽつりと落ちる。

 かすかな波紋を起こして血のしずくは泉の水に溶けて消えた。

 しばらくはなんの反応もなかった。ヒミカが駆け寄ってきて、自分の衣の袖を裂いてヒナの小指に巻き付けてきた。姉妹で寄り添い、水面をじっと見つめる。


 やがて――

 泡立ちが強まった。

 煮え立つほどになり、水が縁からあふれそうになる。しぶきがヒナの爪先を濡らす。

 水面に大きな盛り上がりが二つ生じた。

 競うように膨れ上がり、あっという間にヒナの目の高さを超え、なにかが水面を突き破って宙に躍り上がった。


「ヴヴヴヴヴヴヴッヴァヴァヴァヴァヴァ!」

「グググググググググガグァグァグァグァ!」


 地崩れかと思うほどの禍々しい咆吼が響く。ヒミカは思わず長い耳を手のひらでぎゅっと丸めてうずくまり、ヒナも首をすくめた。アリシアだけが壁際で涼しい顔をしている。

 あふれ出た水が広間の床を覆い尽くし、くるぶしまで沈める。

 泉の上に、二つの巨体が黒煙をまとわりつかせながら浮遊している。どちらも筋骨隆々たる大男だ。右の者は黒曜石のように光沢のある暗い肌、左の者は時折ぱちりぱちりと光の筋が走る青白い肌。下半身は深い剛毛に覆われ、両脚は野牛のように太く、分厚い蹄を備えている。顔つきは人間にも獅子にも見えた。


「二体同時に喚ぶなんて大したものじゃないか」


 アリシアが愉快そうに言った。


「しかもかなりの大物だよ。大地の眷属岩精と嵐雲の眷属電精。どちらも村一つ潰すくらいの凶暴霊だから付き従えるどころか喰われる心配をした方がいいかもしれないね」


 ヒミカはすっかり怯えきって、ヒナの手をつかんで逃げようとしている。

 しかしヒナは精霊の爛爛と光る双眸をにらみ返した。

 ここで逃げるようでは全土の同胞を救うなど夢物語だ。


「オオオオオオオオオオオオオ」

「オオオオオオオオオオオオオオオオッ」


 二体は涎と雄叫びを吐き散らしながら迫ってくる。

 従えるのは無理か、姉を逃がして応戦するしかないか――とヒナが覚悟を決めたそのときだった。


「――オオオオオオオオ押忍ッ!」

「押忍ッ!」


 岩精と電精はいきなりその巨体を折り畳んでヒナの足下にひざまずいた。身を屈めて頭を深く垂れてなおヒナと同じくらいの体高である。


「あるじ! 参上しぁしたッ!」

「あるじに命ァ預けますッ!」


 ヒナは顔をしかめて硬直した。

 岩精も電精も顔を上げ、むさくるしさを全身から芬芬と発しながらヒナににじり寄る。


「カチ込みスね! どいつをボコるんスか!」

「なんでも命令してください、鉄砲玉やります!」

「あるじが喚んでくれるのを七千年くらい待ってましたッ」

「俺は七万年くらい待ってました!」

「なんだと、じゃあ俺は七億万年待ってました!」

「この野郎! 俺の方は百億千兆万年待ってまし――ぁへぶァッ?」


 ヒナは電精を殴り倒していた。


「精霊を素手で殴らないでくれたまえよっ」


 アリシアが抗議の声をあげる。

「なんかイラっとしたんでつい殴った」とヒナ。


「なにをどうしたら霊体を普通に殴り倒せるんだい、天地の理が歪むからやめてくれたまえ」


「すんません」と電精の方がなぜか謝る。

「殴られてすんません」と岩精も謝る。


「ヒナ姫、岩精や電精を使役した経験があるのかい? いきなりこんなに懐くなんて」

「ねぇよ。あと懐くって言うな」

「ふうん? まあとにかく主従契約を結んでしまおう。ぼくが立会人を務めるよ」

「押忍! 固めの盃スね!」

「姐さんに媒酌人やってもらえるなんて光栄ス!」

「きみたちに姐さんと呼ばれる筋合いはないぞっ?」



 契約を済ませたアリシアは、二体を指環に封じ込めてヒナに渡した。


「ほんとうにありがとうございました、アリシアさま」


 ヒミカが丁寧に何度も頭を下げる。アリシアは肩をすくめた。


「礼はいい。自分たちの心配をしたまえ。全人類と戦うなんて正気の沙汰じゃない。これからなにかあてがあるのかい?」


 ヒナは指環を両手の中指にはめて感触を確かめてから答えた。


「とりあえずマリエルドールの森に行く。女王と連絡がつかねェ」


 マリエルドールに棲む花エルフの族長は、大霊に最も近しいとされている存在であり、大陸全土のエルフたちを束ねる女王だった。彼女の力によって各々の郷は精霊樹を通じて言葉や人や物を自在に流通させていたのだが、ここ数日そのつながりが絶たれていたのだ。


「マリエルドールへは無駄足になるね」


 アリシアはそう言って、手にしていた片眼鏡をくるくると回してもてあそんだ。居ながらにして望む場所の光景を覗き見ることができるという呪物だ。


「一昨日、辺境伯の軍に攻め落とされたよ。女王はバサマランカ大要塞に護送された」


 ヒミカは息を呑んだ。

 ヒナは姉の手をつかむと階段に向かって走り出した。

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