ほうかごがかり 2

五話 ⑬

「…………!!」


 突然の騒音。イルマの心臓が跳ね上がった。廊下を砂のようなノイズで満たしていたスピーカーが急に大きく「ぶつっ」と音を立て、それから堰が切れたように、大音量の耳障りな騒音を吐き出しはじめたのだ。


「えっ……えっ……!?」


 驚き。戸惑い。この騒音は『ほうかご』の始まるチャイムの後に、『かかり』を呼び出す放送が始まる前兆の音だった。そして今のところ、こんな『かかり』の活動の時間の真っ最中には一度も聞いたことのない音で、前例のない異常事態にイルマは動揺した。

 動揺の中、放送が始まった。



『……、の、連絡でス』



 あの、男のものとも女のものともつかない、ただ辛うじて子供のものであることが分かる音割れした不気味な声が、学校中に響きわたった。

 それが告げた。



『ほうかごガかり……の、瀬戸イルマさン……

 ……は、

 至急、家庭科室に…………

 来て、クださイ』



「!?」


 鳥肌が立った。驚愕した。

 ボク!?

 何で!?

 耳を疑った。だが、放送は『くり返シます』と、もう一度その名指しの連絡を繰り返し、誤解や聞き間違いの余地を奪い去った。

 声はそこで沈黙したが、まだ放送の回線は繋がっているようで、ガリガリとした騒音が余韻のように残留している。その残滓は、まるで回線を通じてスピーカーの向こうから、呼び出したイルマの動向を見張っているかのようで、少しでも動けば放送の声の主に見つかってしまいそうで、廊下の隅に縮こまったイルマはその場で身じろぎもできなくなった。


「…………………………!!」


 スピーカーと空気を介して、自分を呼び出した何者かと、廊下が繋がっていた。

 その意思が、廊下を、いや、学校中を。自分を探す何者かの意識が、途切れ途切れの雑音に乗って、校舎内に満ちていた。

 廊下の空気が、雰囲気が、変質している。

 何かが潜んでいるかもしれない、何かと出くわすかもしれないという、そんな静かで沈静した怖れに満ちていたはずの廊下が、今はガリガリと活性化していた。

 雑音が、皮膚を、神経を、正気を、引っかく。

 それが、自分の存在を探ろうとする見えない指先のように思えて、焦燥に襲われた。

 逃れようと、さらに強く身が縮む。

 息が詰まる。

 緊張が張り詰める。

 これでも少しは見慣れつつあった、異様に薄暗い廊下が、ざりざりと威嚇の音を立てる化け物の口となって、イルマを追い詰め、おびやかした。

 そして――――


 ジジッ、


 と廊下の薄暗い照明が、一瞬だけ、消える。


「!?」


 スピーカーの雑音をともなった、一瞬だけのわずかな瞬き。だがその、たった一瞬のちらつきを境にして、廊下の空気が、明らかに


 無音。


 音が、なくなったのだ。

 あれほどイルマを脅かしていたスピーカーの音が、ふっつりと途絶えて消えた。それは煩い羽虫が蝋燭の火に飛び込んで諸共に燃えて尽きたかのように、一瞬の瞬きを世界に残し、その後に広大な死の静寂を出現させた。


 


 と無音が、空間に広がった。

 自分のかすかな、身じろぎの音が聞こえるほどの無音。そんな無音に満たされた空っぽの学校の廊下が、突然目の前に現れて、ずっと彼方まで続いていた。

 こんなに学校の廊下は長かっただろうか? まず、そんなことを思った。塗りつぶしたように黒い、外と教室の、それぞれの窓に挟まれた無人の通路が、ずっとずっと続いていて、自分が思っていたよりも、ひどく遠くで曲がっている。

 そして、そんな廊下に。


 ぽつん、

 ぽつん、


 と、赤い光が数個、等間隔に灯っていた。

 廊下の壁に取り付けられた、火災報知器の赤いランプ。今の今まで、設置されている数など意識したことのなかった報知器のランプが、ぽつん、ぽつん、と等距離に、この虚ろな空間の中ではひどく鮮烈に光って、対面の窓ガラスに色つきの光を反射させていた。

こんなに非常ベルは多かっただろうか?

 いや、。気がつくと、イルマの見ていた学校の廊下は、合わせ鏡の中にできた無限に繰り返す回廊のように、異常にたくさんの赤いボタンとランプが、異常な等間隔で並ぶ無限回廊と化していた。

 そして無限に続く窓ガラスに、無限の数の赤いランプが反射していた。

 黒い窓ガラスの表面に、じわ、と。

 ずらり、と。 そして、ガラスに映った赤い光は。

 背景の黒を透かせて、紫色を帯びていた。


 染みのように――――

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ほうかごがかり2の書影
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