ほうかごがかり 2

五話 ⑭

 気づいた。

 それは暗闇の裏打ちによって、一面の鏡となった窓に、てん、てん、と浮かんだ、赤黒い液体が満たされた水槽に懐中電灯を当てているのにも似た、染みのように広がっている、複数のだった。


「!」


 気付いてしまった。

 息を呑んだ。

 その瞬間、


 


 とにじんだ紫鏡の中を、何かが動く。

 そして、光を当てた水槽の中の魚のように動いたそれは、次の瞬間、そのまま、ゆっくりと廊下に顔を覗かせた。


「ひっ……!?」


 息を呑んだ。それは、赤紫色の皮膚をしただった。

 赤紫色をして、ふやけた肉でできた頭部。それは濡れそぼり、生まれたばかりの赤子の顔面を思わせるものだったが、頭に重く濡れた長い黒髪を垂れ下がらせていて――――そしてその顔にあたる部分には、

 のっぺりとした顔面を、真横に生えて、こちらへと向けていた。

 窓ガラスから、生えていた。

 窓ガラスの一斉に。

 てん、てん、と、そしてと生えて、じっ、と一斉に、まるで廊下が合わせ鏡に映された無限回廊であるかのようにいくつも並んで、こちらを見た。


「…………………………!!」


 見た瞬間、ぶわ、と鳥肌が立った。

 悲鳴を上げかけて、口を押さえ、喉の奥に押し殺した。

 等間隔に、一直線に、ガラスからせり出した複数の無貌の女の頭部。目のない『それら』に自分のいる場所を一言の声もなく〝凝視〟されながら、必死になって柱の陰に、押し込むようにして強く強く身を縮めた。

 怖れで身体の芯が冷たく凍りつき、心臓が早鐘を打つ。

 目を見開いて、この異様な無限回廊から目を離せないまま、窓ガラスから生えた赤紫色の頭たちに、自分がまだ見つかっていないことを、心の底から強く強く祈る。

 その目の前で。

 頭が動く。

 一斉に。


 


 とガラス面から赤紫色の頭が、こぼれ落ちるようにして大きくせり出し、そしてその重みが重力に従って、がくん、と落ちると同時に、異様に長い首によって支えられ、蛇の頭のように空中に静止した。

 それから頭は、ゆっくりと重たい鎌首をもたげる。

 そしてそこから目の存在しない貌で、廊下のこちら側を、さらに強く睥睨した。



 



 と。

 全ての頭部が、長く伸びた首の先で。

 こちらを〝視〟た。廊下が、凄まじい〝凝視〟の圧力に満たされた。

 空間に満ちた強烈な視線が圧力となって、心が、世界がきしむほどの重圧が、あまねく全てを全てを圧しつぶした。


「………………………………………………っ!!」


 そんな〝凝視〟に、曝される。

 すぐに耐えられなくなった。震えながら、ぎゅっ、と強く目を閉じた。

 怖い。怖い。目を開けていられなかった。見えなくなることで、もっと危険で恐ろしいことになるだろうと、頭では理解していても、この異常な恐ろしい光景を見続けることは、到底できなかった。


 


 と目を瞑った暗闇の中で、自分のいる場所に、視線が突き刺さる。

 やだ!

 やだ! 助けて!

 目を固く閉じ、身を縮め、息を殺し、ただ心の中で悲鳴を上げる。

 真っ暗で、虚ろな空間が、ただその視線の存在によって、張り詰める。がちがちと鳴りそうになる歯を必死で噛み締め、独り、悪夢のように、非現実的なまでに張り詰めた緊張に、耐える。耐え続ける。


「………………………………………………っ!!」


 早鐘を打つ心臓。耐える。ただ耐える。

 だが。視線は。気配は。だんだんと、だんだんと、だんだんとこちらに焦点を合わせ、そして――――――


 !!

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