ほうかごがかり4 あかね小学校

二話 ①


 四時四四分四四秒のチャイムが『ほうかご』の学校にひびいて。

 それと同時に、『ほうかご』の世界と意識が、急速に白く、遠くなり────


 がば、


 と目を覚ましてベッドの上で身を起こしたゆうは、深い悪夢の底からいきなり引き上げられて、最悪の気分におそわれた。


「………………っ!!」


 げられた魚は、こんな気分なのだろうか?

 胸が、呼吸が苦しい。心臓が、こわれたようにばくばくと鳴っている。

 自分の胸を押さえて、シャツの胸をつかんで、あえぐように息をする。『ほうかご』から目を覚ます時はいつも、深いねむりから無理やり起こされた時のように気分が悪くなるが、しかしここまでひどいことは、今までなかった。

 先週も、目覚めはひどかった。

 そのときは、こんなにひどい目覚めは、もうこの先ずっとないだろうと本気で思っていたのに、今日はそれを上回った。最悪の最悪だった。

 ただ、目覚めが物理的にひどくなったわけでは、たぶんない。

 少しはあるかもしれないが、最大の理由は、精神的なものだ。確信があった。

 たぶんゆうは、のだ。

 前からなんとなく感じていた。『ほうかご』が終わり、自分の部屋で目を覚ますまでの、ほんの短い間、自分はねむっているのではないかと。

 あの目を開くまでの、ほんの短い時間、ゆうは、『かかり』は、みんなねむっているのだ。そんな気がする。そして、その間に夢を見るのだ。思い出せないくらいの夢を。うたたの時に見るような、短い夢を。

 そして、きっと、

 たぶん、そうだ。うたたの夢が、その寸前の現実と地続きになっていて境目が分からないことがあるように────ゆうはたったいま、最悪の現実から地続きになった、最悪の悪夢を見ていたにちがいないのだ。

 友達が、はるが、死んでしまった。

 それだけでも最悪の出来事なのに、それだけではなく、最悪の最悪なことに、そんな友達が気味の悪い化け物になって『ほうかご』のろうにいたのだ。

 最悪だ。最悪の出来事。

 こんなもの、夢に見ないわけがない。奈落のような、ごくのような悪夢になるはずだ。そしてそんな夢から目を覚ましたとするならば、その目覚めがいいはずがない。たとえどんなに短くても。たとえ思い出すことができなかったとしても。


「………………っ!!」


 胸の中がくるっていた。

 心臓が、心が、乱れに乱れていた。

 あのとき見た、あの光景。

 こわい。おそろしい。ひどい。気持ち悪い。だがそれよりも、何よりもあのときゆうが思ったのは、ということだった。あの化け物が許せなかった。あの『ほうかご』が許せなかった。そしてもしも、こんなことをするげんきようの存在がいるのなら、そんなものが、許されていいはずがなかった。

 はるは友達だった。友達だったのだ。

 その友達が、になった。

 それがこわくて、悲しくて。そして、あまりにも、くやしい。

 何もできなかった。

 何もできない。

 無力な自分。


「くそっ……!!」


 ゆうは、自分のむなもとを引きちぎらんばかりに強くつかんで。

 じゆのようないかりと悲しみをして、かたわらの金属バットをにぎって、ベッドのとんに思いきりたたきつけた。



 ゆうの家は、学区のはしのほうの住宅地、同じデザインの建売が並んでいるエリアにある、そのあたりでは最もありふれた家の一つだ。

 近くに数キロ四方の大きな公園があり、そういったかんきようのせいか、子供のいる家庭がかくてき多い。ゆうの一家もやはり、そのうちの一つだった。

 二階建ての、白くて四角くて奥に長い家で、一階に大きくちゆうしやスペースが作られている。正面から見ると、父親のミニワゴンとげんかんのドアがきゆうくつに並んでいて、その上に二階の物干しのベランダがぎゅっと乗っている、そんな小さくまとまった構えをしていた。

 同じ形の家が、この通りには並んでいる。

 同じ形の家が、それぞれちがう使われ方をして、それぞれちがう人が住んでいる。


「……じゃあ、いってきまーす」


 月曜日。朝。そんな自宅で、ゆうは黒いランドセルを背負いながら、リビングダイニングに向けて声をかけた。

 部屋には両親がいて、テーブルでテレビのスポーツニュースを見ているお父さんと、さっきゆうが食べた朝ご飯の食器をいそがしそうに片付けているお母さんが、それぞれゆうの方を向いて応えた。


「はーい、いってらっしゃい」


 後ろでかみを結び、動きやすいパンツルックにエプロンをつけたお母さんが、作業の手を止めずに言う。


「日焼け止めはちゃんとった?」

った」


 太陽の下で運動をすることが多いゆうに、お母さんはこういうところをうるさく言う。

 シャツにネクタイをして、すでに会社に行く準備を終えているお父さんも、テレビから目をはなし、体ごとかえって言う。


「おし、じゃあいってこい」

「うん」

「土日の練習、また身が入ってなかったからな。今週こそ元気よくいこうぜ」

「……うス」


 答えるゆう。「よし」とせいかんに笑うお父さん。日に焼けてかみを短くったお父さんは、週末に小学生に野球の指導をしていて、ゆうもそんな野球チームの一員だ。


「……学校で何かあったのかしら?」

「かもな。でも小六なんて、色々あるだろ」

「……」


 両親が話す声を背中に聞きながら、げんかんに行き、くつをはく。

 あまり広くはないげんかんには、はちえの木が一本だけ置いてある。

 細いが、ゆうよりも背が高い。ゆうが生まれるよりも前から家にあるはちえだ。

 別に特別な木ではないし、熱心に世話をしているわけでもないし、だんはぞんざいなあつかいだが、このはちえはお父さんの大事なものだ。

 正確には、大事なのは木ではなく、土の方。

 このはちには、お父さんが若いころ、高校野球で決勝に行ったときに、ポケットにめて持ち帰ったフィールドの土が入っている。


「父さんが死んだらかんおけにこの土を入れてくれ」


 そう何度かじようだんめかして言ったことがある、お父さんの宝物。


「お、そうだ、おまえも決勝まで行って、お前の土もいっしょに入れてくれよ。なんならアメリカのスタジアムの土でもいいぞ」


 そんな時には決まって、こうも言って笑う。とにかく野球が好きなのだ。野球が人生。ゆうもその血を、はっきりと引いていた。

 ゆうは野球が好きだ。

 好きなだけでなく、いプレーヤーになって、強いチーム、野球の強い学校に行って、いずれはプロ野球選手になりたいという夢がある。


「父さんの夢を、おまえがかなえてくれよ」


 そうしたいと思っている。

 その夢のため、ゆうは野球に打ちこんでいる。そうする自分に疑問はない。

 だが。

 だが今は。

 今だけは、そうはできなかった。

 先週と先々週。今だけは、身が入らないことを許してほしかった。

 理由をお父さんに説明することはできないが、ごめん、今だけは許してほしいと、心の中で謝りながら、届くはずのない許しを願った。


「────やっぱ、引きずらないのも、何もないふりするのも、俺には無理だ」


 その理由をせる、ゆいいつの場所。

 月曜の朝にいつも集まっている、朝のホールのかたすみで、ゆうは『かかり』の仲間に、深刻な顔でそうらした。

 毎週、『かかり』が明けたあとの月曜日は、あらためて話をするため、必ずここに集まることにしている。はるせいになり、その結果、自分以外が女子ばかりになって、そのせいで少しごこの悪くなった場所。


「やっぱ、全然なつとくできねえよ。どうしても思い出す。考えちまう」


 ゆうは、そんな場所で開口一番に、この週末の思いをした。


「あの時は、がんってなつとくしようとしたけど……あれからなにしてても、くんがあんなことになったのに、って考えちまうんだよ。野球してても、てても、飯食ってても……くんがあんなことになったのに、俺はなにしてるんだ? って。今こうやって、手や足を動かしてるのも、息をしてるのも、もうくんはできないんだよな、って思っちまって……それなのに、こんなことしてる自分がうそに思えてきて……つらくなるんだ」



刊行シリーズ

ほうかごがかり5 あかね小学校の書影
断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影
ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
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