そうしなきゃという使命感と、『かかり』が少人数であることと、共通の、というよりもそうせざるをえない話題があること。そういった要因の助けで、完璧とは言えないが、かろうじて最低限、みんなとは話せるようになった。
そんな恵里耶に、華菜はわだかまりなしに言う。
「そういうのも、人それぞれじゃん? 別にいいと思うけどな」
「……でも!」
恵里耶の声が、思わず大きくなった。
「でも! それだけじゃなくて、もっと! 私がしっかりしてたら……!」
大きくなって、すぐに風船がしぼむように小さくなって、肩も縮めて、下を向いた。
「最初から私がうまくできたら、きっと最初の子は、あんなことになってない……」
「恵里耶ちゃん……」
最初の子。『ほうかご』の学校から逃げ出そうとして、首が落ちて死んだ男の子。学年も名前も知らない子。今は正門の前の亡霊として、ただ立ち続けている男の子。
後悔があった。悔恨があった。
それを吐き出すように、恵里耶は言った。
「ちゃんとやらなきゃ、って、思って────私だけは経験者だから、みんなと、ちゃんと話さなきゃって、頑張ってた……」
吐露する。
「私が去年のことを伝えて、みんなの安全を守る役目だったのに、それなのに、最初から失敗しちゃってた。私、みんなしか話せる人がいないから、みんなだけは守らなきゃ、って思ってたのに、全然できてない。私には、『かかり』のみんなしかいない。友達が欲しいのに、でも人と上手く話せなくて、失敗ばっかりして、どんどん苦手になっていって。人がたくさんいるのが怖くなって、教室にも行けなくなって────そんなだから私には、『かかり』のみんなだけなの。
それに、五十嵐さんがいなかったら、みんなも今みたいに私の話を聞いてくれてなかったと思う。私も、今みたいに話せてなかったと思う。私、経験者で六年生なのに、『かかり』が初めてで年下の五十嵐さんに、頼りっぱなしになってる。私、情けなくて、恥ずかしくて、でも怖くて、どうにもできない」
弱音を吐く。
「それに、こんな話も、五十嵐さんにしかできない……」
弱々しい声で。
これは秘密だった。華菜だけに吐いている弱音だった。
万事ひかえめな恵里耶だが、あれでも恵里耶は、全力で強がっている。そして元より対人の不安が非常に強い恵里耶は、怖くて人に弱音を吐くことも、相談することもできないタイプの人間だった。
否定されたり、不快に思われたり、迷惑に思われたり、軽んじられたりするのが怖い。相手の反応も内心も怖い。特に霊感とか、『ほうかご』とか、普通の人の理解が及ばない事情を背景にした悩みは、とても人には相談できなかった。
親にも先生にもカウンセラーにも、本当の悩みを告白することができずにいる。
華菜だけだった。恵里耶と同じ『かかり』で、全ての事情を知っていて、それを受け入れている、華菜だけ。
唯一、頼っている存在。
それを申し訳ないと自己嫌悪しつつも、全てを知っていて、しかも弱さを否定しない華菜だけに、ずっと心の中に隠し続けていた弱音を、初めて話した。
二人だけの秘密。
ようやく話すことができて、そして恵里耶は少しずつ前に進んでいる。
そんな恵里耶を、華菜は支えている。こんなに頑張っている子を、突き放すことができる性格の華菜ではない。
だが────今日は。
今日は残念ながら、悪い話も伝えなければならなかった。
全体的には、今の状況を打開する可能性がある、良い知らせだ。だがそれは、今までの自分たちの失敗も直視しなければいけないことに、華菜は昨日、気がついてしまった。
「……恵里耶ちゃん」
華菜は言った。
「見てほしいものがあるの。ちょっとショックが強いかもしれないけど」
「……え、なあに?」
日傘の下で、少し不安そうに首をかしげる恵里耶。華菜は背負っていたミニリュックサックを肩から外しながら、空いているベンチへと歩き出し、恵里耶に向かって手招きした。
そしてベンチにリュックサックを置いて、中から『しおり』を一冊出す。
目の前に差し出された冊子を、目を見開いて、恵里耶は見る。
「これ」
「これって……?」
不思議そうに訊く。華菜は言った。
「頑張って見つけたの。元『かかり』で、協力してくれる人」
「えっ」
恵里耶は驚いて、華菜を見て固まる。
「これ、読んでみて」
「……!」
「わたしたちが欲しかったものが、ほとんど書いてある。これのために、今日はみんなを呼んだの。読んでみて」
華菜は言う。
恵里耶は、事態が飲みこめない様子でしばし華菜の顔を見ていたが、おそるおそる華菜の差し出した『しおり』を受け取ると、日傘の中棒を肩に乗せて支え、それから冊子のページをめくって開いた。
†
「これって……!」
「うん」
押し殺したように言う恵里耶に、華菜はうなずく。
恵里耶も『しおり』を読んで、気がついた。華菜も昨日読んで気がついた。後悔と共に、華菜はそれを口にする。
「志場くんがあんなことになった原因は、わたしらだった」
「……!」
「わたしらが、志場くんにあんなこと言ったから────越智くんの『記録』をしたらいいなんて言ったから、志場くんを巻きこんじゃったんだ。だから、あんなに連続で、あんなことになっちゃったんだ」
冊子にあった、『注意』の項目。
昨日、それを読んで、華菜は衝撃を受けた。
こう書かれていた。
・自分の担当以外の『無名不思議』には近寄らない。
と。
それから。
・自分の担当以外の『無名不思議』は『記録』しない。
自分の担当以外のものでも、『記録』するとその危害も引き受ける。
と。
思いもしなかった。湧汰のためと思って考えた自分たちの案が、よりにもよって湧汰を最悪の状況に突き落としていたのだ。
ショックを受けた。しばらく息をするのを忘れたほど。
自分の罪。失敗。それによって湧汰にあたえてしまった被害の大きさ。その被害の、取り返しのつかなさ。
気づいた時、華菜は、
「どうしよ……」
と激しく落ちこんだ。冊子を読んでいたベッドの上で、呆然となった。
どう謝ればいいんだろう。
いや、どうすればいいんだろう。
それに、この罪は、自分だけのものにしておけない。化け物からの生き残りのためには、この『しおり』をみんなに開示しなければならないが、そうなるとこの事実は恵里耶にも知れるし、そして事実を知ったみんなから非難されたとしても仕方がない。
自分はいい。仕方ない。
たったいま覚悟した。でも恵里耶は? 恵里耶はそれに耐えられるだろうか?
だから先に待ち合わせた。知らせておこうと。そしていま恵里耶は、血の気の引いた白い顔で、華菜の渡した『しおり』を見ている。
「………………」
公園のベンチの前で、日傘を差し、冊子を手に、立ちつくす恵里耶。
その様子を、隣に立ってじっと見ている、華菜。
「これ……信用していいの? 信用できるの?」
そして、悩みに悩んだ様子の恵里耶が、やがて口にしたのは、まずその疑問だった。当然の疑問。顔色を失うほどのショックを受けつつも、考えている。そんな恵里耶に、華菜は自分の考えを告げる。
「わたしは、信用できると思ってる」
「……本当に?」
「これ、わたしらが今までやってて、困ってたこととか、自信がなかったことに、ほとんど答えが書いてあるもん。みんなに見せなきゃ、って思う。わたしらにはもう間に合わないかもしれないけど、でも残しといたら、来年の子はもっと楽になるし、安全になる。だから『ほうかご』には絶対、持ってかないと駄目だと思う」