吸血鬼の姉とゾンビの妹が海外旅行だというのに日本に置き去りだけどどうしましょう……こっちは壊滅してるけど
第六章
1
二回目の流星雨が降ってきた。
とにかく僕達は生き残らなくてはならない。そしてJBのピエール=スミスをここで失う訳にもいかない。
災禍を乗り越える必要がある。
流星雨については、直撃はもちろん衝突時に撒き散らされる分厚い衝撃波だって致命的だ。ただ地べたに伏せて耐えるだけじゃきっと保たない。
「セベクよ……」
義母さんが呟いた。
「JBの作ったオモチャが近くに転がってる! あれなら衝撃くらい耐えてくれるはずだわ!!」
とにかく賭けるしかなかった。
気絶したピエールを引きずり、アナスタシアに身振りでサインを送って、僕達はみんなで来た道を引き返す。そうこうしている間にも街中にいくつも流星が落ちていくのが見えた。ここだって分厚い壁で隔離されている訳じゃない。衝撃波は地続きでそのまま押し寄せてくるはず。
石と純金でできた巨大ワニは自分で抉って舞い上げた芝生や黒土を派手に被ったまま、無造作に転がっていた。
そしてよりにもよって義母さんはひしゃげた大顎の中へ身を乗り出す。
確か、すごい『力』が凝縮されているから長時間は乗れないって話をしていたはずだけど。た、短時間なら大丈夫ってコトだよね? 一体どんな副作用が待っているのやら。こんなのは中と外のどっちがマシかって問題であって、やっぱりダメージなしとはいかないか。
アナスタシアが青い顔で、
「うっ、うええ。ここ入るの? マジで!?」
「だから製作者のピエールも口の中に放り込んでる。不意に動き出したってこいつごと噛み潰される事はないさ」
「……、」
「外に突っ立っていたら一〇〇%生き残れない。どっちがいい、アナスタシア!?」
「っ、ええい!!」
半ばヤケクソな感じで小柄な金髪少女がワニの口に挑んでいった。最後は僕だ。びしょびしょアナスタシアの小さなお尻を両手で押すようにして、大顎へ飛び込んでいく。
直後に閉じたはずの世界が真っ白に埋まった。
割と近くに流星が落ちたらしい。外の様子は見えないけど、バスに匹敵する塊が横滑りしていくのが分かった。それから急激に気圧が変化したのか、耳鳴りがひどい。
……外に突っ立っていたら一〇〇%生き残れない、か。
自分で言った言葉が後から刺さる。パリでは名前も知らない人達に助けてもらった。彼らは度重なる災害でどうなっただろう。僕自身、二回目だから流星雨に慣れてきたのもある。深い地下に潜るとか衝撃が逃げていく強度の弱い方向を避けるとか、彼らも経験を積んで適切に行動していると良いけど……。
「はあ、はあ……」
全部終わった時、僕は密閉された暗闇の中でアナスタシアを抱き寄せている事に遅れて気づいた。
でもってそんな僕達を義母さんがさらに抱き締めている、らしい。
「た、たすかった?」
ごくりと喉を鳴らしてアナスタシアが呟いた。
噛み合わせの崩れたワニの大顎から顔を出してみると、ゴロゴロという低い唸りが聞こえた。おそらく雷雲。たくさんのチリやホコリが舞い上げられて、大気が不安定になっているんだろう。
一回目の時は、汚い雨、河川の氾濫、地震、火山活動までやってきた。
だけど二回目も全く同じ手順をなぞるとは限らない。
「……まずは話を聞きましょう」
天津ユリナの言葉は場違いにすら聞こえた。でも違う。彼女は気を失ったJBのピエール=スミスを睨んでいたのだ。
「専門的な道具はないから、そうね、泥水と布袋を使って窒息辺りが妥当かしら。サトリ、アナスタシアちゃんの面倒を見ておいて。お母さんが全部やるから、絶対にこんなものを年端もいかない女の子に見せるんじゃないわよ」
2
アブソリュートノアの天津ユリナがいきなりアブソリュートノア流を全力で繰り出そうとしたため、僕達で慌てて止める羽目になった。もちろん曲者揃いのJBが簡単に口を割るとは思えないけど、ダメだ。拷問なんて。
「ネットは繋がっているんだ。いきなりそんな手を使わなくたって方法はあるよ!」
とりあえず顔と全身を撮影し、さらに指紋や虹彩、歯型などを細かく記録していく。ピエール=スミスなんて偽名かもしれないけど、生体認証は誤魔化せない。この情報化社会なら検索一つでいくらでもデータは引っこ抜ける。
「マクスウェル、まずはネット全体を検索。特に写真系SNSと動画サイト」
『本人が出会いと自己承認欲求を求めて顔芸でも連投していると良いですね』
「そこまで期待しちゃいないさ。赤の他人のアカウントであっても写真の片隅に写り込む場合もある。手始めに写真や動画の分布からピエールの生活範囲を割り出すんだ」
「出たわー」
先に呟いたのはアナスタシアだった。
マクスウェルを超えてご満悦なんだろう。しかし機械相手に一人相撲して何が面白いのやら。将棋やチェスのスパコンと戦ってる感じなのかな? なんかニヤニヤしながらびしょ濡れ金髪少女は自前のスマホを軽く振っていた。
「活動範囲はイタリアのミラノ近辺に集中、おそらくピエール=スミスは偽名ね。普段使っているいくつかのATMの位置からして自宅は……」
「マクスウェル、指紋か虹彩」
『シュア。フィアンセホームセキュリティに同指紋を使った玄関ロックのデータあり。ミラノ県レニャーノ市のマンションですね。名義はビッザ=バルディア。二二歳男性ミラノ工科大学に在籍、就職活動は難航中』
みっ、見つけたのはワタシが先だからねっ、今のはおまけの横入りだからね! と涙目でほっぺが爆発しそうなくらい膨らんでいるアナスタシアの頭を片手でぽんぽんしつつ。
「交渉材料を把握しておきたい。何か弱みとなる個人データは? 検索履歴でも通販の購入リストでも何かあるだろ」
『何で最初から奇妙な性癖持ちと断定しているのかは疑問がありますが、その手のデータはあまり見つかりませんね』
「人生全部潔癖にJBの使命だけを果たしますって?」
『ただ一人暮らしを機に、数年前から義母モノの動画を死ぬほど閲覧しているようですが。叔母や義姉ではダメなようです』
「ようしここ最近で一番キツいヤツのタイトル教えろ」
何やら両手を腰にやった天津ユリナがすっっっごい目でこっち睨んでいるけども、平和的な解決のためには必要な情報なんだからね! これでダメならウチの義母がペンチ片手に三二本の歯を一本ずつぐりぐり回してDIY感覚で引っこ抜きかねないんだし!! 元からお母さんネタがあればいくらでも盛り上がれちゃうピエール改めビッザが文字通り悪魔の笑みを浮かべる天津ユリナに馬乗りされてペンチアタックなんか喰らったら何がどこまでねじ曲がるか誰にも予測できん!!
そんな訳で、
「おはようピエール君。いいや『母と祖母の狭間、揺れるオンナと母性』君と呼んだ方が良いのかな?」
「ひいい!? ちっ違うんだようーほら退屈を極めた深夜三時の思い切りっていうのがあるだろう!?」
「刺激に餓えてるお茶の間の皆さんが若気の至りを理解してくれると良いな。ほうら指先一つでアップロードアップロード……」
「ちょっと待って何それ!! 動画サイト? 捨て垢のSNS? うわあー死んだあ!!」
白目をむいてびくびく震えるビッザ=バルディアに送信キャンセルの画面を突きつける。
「ほら、次はやるぞ。マジでやるぞ。分かったら全部話せ」
「……、」
「カッチコッチの三分動画だとこんな感じかなあ? 世界中のティーンに拡散してもらうがよい。地球をぐるりと一周回ってミラノに住んでる何にも知らねえキサマの実母の目に入るまでなあ!!」
『コメント>イエス!! 日本のホシガキみてえにしなびた乳にかつて巨乳だった名残りが見えて最高です。やっぱり乳は熟成してこそ甘味が出るというもの。GJ、激しくGJ!!』
「分かったよ、話す! 話すからッ!!」
謎めいた世界の黒幕なんて一皮剥けばこんなものだ。実像以上に自分を大きく見せようとするから本性を隠そうとする。暗闇を恐れる人の習性を逆手に取っている時点で、正体のしょぼさを認めているようなものだし。
アナスタシアはキョトンとしていた。
「なに? つまりどういう事???」
「その疑問は一〇年後にでもじっくり解き明かせば良いさ一一歳」
優しい笑みを浮かべて横に流した。
この期に及んでビッザ=バルディアが言葉を濁したら、何も知らないアナスタシアに頼んでとにかく低い声で『サイテー』と言ってもらおう。こう、仁王立ちでほっそりした腕を組んで、上から目線で生ゴミを見るような目が良い。
「……JBはこの息苦しい世界からの『脱獄』を目指す組織だ。より正確には、神の都合に合わせて調整されたこの世界からの」
神様そのものの定義自体があやふやだけど、今は脇道に逸れている場合じゃない。またもや流星雨は落ちた。直撃の衝撃波はしのいだけど、連鎖的にどんな災害が襲いかかってくるかは予測もできない。
「それは分かってる。だからアンタ達はフランスから核弾頭を盗んで、土くれの『凝縮』に使おうとしているんだろ。自分好みの新しい惑星を作って乗り換えるために」
実際にその通りに進むとは思えない、っていうのが義母さんの意見だった。まっさらな星を作って移住しても、アミノ酸が合成されたりJB自身が持ち込んだ微生物のせいで『招かれざる客』が増殖・進化し、やがては世界を自分達以外のルールで窮屈にしていくって。
だけどビッザ=バルディアは首を傾げた。
むしろ不思議そうな調子で彼は言う。
「私達の目的は移住じゃない」
「なに?」
「確かに新しい星は作る。だがそれは移住のためじゃない。その場合は組織が一方的に選んだ人間しか救わない事になるじゃないか。それじゃあアブソリュートノアの方舟とロジックが変わらない」
「……、」
と睨みが一層キツくなったのは腕組みしている天津ユリナだ。彼女の方舟は実際に組織内部に潜り込んだJB……アークエネミー・エキドナの手でズタズタにされているんだから当然か。
けど、そうか。
単に役割がバッティングしているだけなら、JBはアブソリュートノアの方舟を破壊する必要はなかった。密かに作り替えて丸ごと乗っ取ってしまっても良かったはずなんだ。なのに彼らは破壊を選んでいる。
二つが共存すると目的を達せられなくなるから。
つまりJBの『脱獄』は、選ばれた少数を他の星へ移住させる事じゃない。
「なら、何が目的なんだ?」
「……JBは下から社会を見上げて間違いを見つける」
「お前達の言う『脱獄』っていうのは何なんだ!? JBお得意のナゾナゾはもうたくさんだ。わざわざ核弾頭なんか盗み出して、新しい星まで作って何をしようとしている!?」
「そしてみんなを救うんだ。選ばれた少数じゃない、下から見上げた全員を。そのための『脱獄』だ。私達はこの世界に敷かれたレール、くそったれな脚本で満ちた茶番劇と戦って自由を勝ち取るキャストとしてここにいる」
サトリっ、という鋭い呼び声があった。
意味が分からなかった。
いきなり真横から鋼鉄の塊が滑り込んできた。メインローターを地面にぶつけてへし折り、ただの鈍器となった巨体が芝生を抉りながら目の前にいたビッザ=バルディアをぐしゃぐしゃに轢き潰していったんだ。
JBの……攻撃ヘリ?
結局流星雨を避けきれずに墜落してきたのか。こうまでしてもJBはビッザの口を封じたかったのか。あるいは、JBと敵対するとかいう……神様サイドが横槍を入れてきた? 何だっ、結局何が起きた!? 目の前で人が一人死んだっていうのに分かった事が何もないぞ!?
アブソリュートノア対JB、この図式さえふわふわしてきた。ほんとどうするんだこれ……。信じられるものがいよいよなくなってきてる。
ぼんっ、と。
離れた場所で墜落ヘリが爆発したけど、もはや驚きもなかった。騒ぎの中心は明らかによそへ移っている。あれだけ恐ろしかった天空の支配者が、間抜けな周回遅れにしか見えなかった。
「……なんか、夜空の様子がおかしいわ。トゥルース」
明かりがなく、それでいて星々も見えない重たい夜空を見上げながら、アナスタシアはそのまま二歩三歩とゆっくり後ろに下がっていた。
ゴロゴロ、っていう低い唸りはさっきもあった。おそらく流星雨墜落の時に大量の粉塵が舞い上げられて、それらが空中で激しく擦れ合っているからだろうけど……。
「何か来る。トゥルース、早く逃げましょう。何が起きたか知らないけど、死人から話を聞く事はできないわ!!」
ドガかッッッ!! と。
どこか遠くで、立て続けに太い雷が落ちた。法則性は見えない。避雷針みたいに背の高い建物のてっぺんが狙われたのかもしれないし、あるいは風に舞うビニール袋とか建物に向けて放たれた消火栓の放水なんかに直撃したのかもしれない。ともあれ分かるのは一つ。
次の天災は、雷。
それも不自然過ぎるほど辺り一面に落ちまくる、高圧電流の嵐だ。
『警告、多数の木々が乱立する雑木林は危険です。広場からの脱出には順路に気を配る事を推奨します』
「今のこのっ、ゴルフ場みたいな平場の方が危ないんじゃないのか!?」
『オテルデザンヴァリッドのすぐ外は市街地ですよ。そちらに移られた方が落雷のパターンは読みやすいです。木々の中だと、たまたま木のてっぺんに落ちた雷の影響が地面を伝って襲ってきます』
災害関係の知識で専用シミュレータのマクスウェルを疑っても仕方がないか。僕は千切れた衣服のポケットにあったビッザのスマホだけ抜き取ると、身振りでアナスタシアや義母さんに広場からの脱出を促す。
雑木林はもちろん、開けた広場側だって光を失った金属製の外灯なんかも怖いな。
空中で粉塵が擦れ合っているせいか、落雷の分布には物理的な密度があるようだった。たとえるなら、バチバチ鳴っている砂嵐が急速に風でこちらへ流されてくるような。とにかく雷鳴のない方に向けて走るしかない。
「マクスウェルっ、ノイズで通信障害が出る前にできるだけ知識を仕入れておきたい! 落雷の基本と対策は!?」
『水場、平地、背の高い木々や柱を避けて行動し、できるだけ頑丈な建物に隠れて嵐が過ぎ去るのを待つのが最良です』
平地と木々で条件が相反してる!? ダブルスタンダードになってないか、それ!
「ねえトゥルース、大打撃でボロボロのパリに頑丈な建物なんて残っていると思う!?」
『ちなみに金属部品に優先して雷が落ちるというのは迷信です。先端放電の条件に合致すれば木でもプラスチックでも普通に直撃します。当然、絶縁破壊状況では人体そのものも導体の一つになりますのでご注意を』
知識は的確だけどすぐさま役に立つって感じでもない。結局、あの高密度の落雷ゾーンに追いつかれないように走り続けるのが一番か。
しかし追ってくるのとは別に、行く手の方からもゴロゴロという響きが迫ってきた。
天津ユリナは両手を叩いて、
「ほら立ち止まらないの、サトリ! 流星雨はパリにいくつも落ちた。なら複数の場所で大量の粉塵が舞い上がったはずよ。『不自然な雷雲』は一つじゃない!!」
「くそっ!!」
多大なダメージを受けた木々を避けてオテルデザンヴァリッドの敷地を飛び出し、ぐずついた雲の下を走り抜け、瓦礫に侵食された大きな通りに入っていく。
まるで死のサーチライトだ。はるか天空から投げかけられる光の輪に入ったら、空気を絶縁破壊するほどの高圧電流で骨まで焼かれる。だからそうならないように暗闇の中を走り回らないといけない。
横合いの暗がりから、フランス語で何か飛んできた。手を引いていたアナスタシアが、そこでぐっと立ち止まる。
「トゥルース、こっち!」
彼女に案内されて、義母さんと一緒に半分崩れた背の低いビルへ飛び込む。直後、まだ雨も降っていないのに激しい閃光がいくつも連続した。爆音と共に表で何かが引き千切られた。おそらくは金属製の街灯か何かか。バーベルより重たい金属塊だぞ、アレ……。
人の体になんか直撃したら一撃だ。
「ふうっ」
外はひどい落雷の連続だ。しばらくはここで待機するしかないだろう。
改めて見回してみれば、コンビニ……じゃないか。どうやらここは雑貨店のようだった。呼びかけてくれたのは中年のおじさん。店員さんか、あるいはお客さんか。逃げ惑う僕達を無視できなかったって事はひとまず悪い人ではないらしい。
ビッザ=バルディアは故意か事故か、とにかく死んだ。死因は(流星雨か落雷にでもやられたのか?)JBの用意した救出用の攻撃ヘリだから、他に情報を持っている仲間も多分いない。
となると、頼りになるのはこれだけだ。
僕はポケットから、いつも使っているのとは違うスマホを取り出す。ビッザの持っていたモデルだ。
「マクスウェル、こいつのパスロックを解除できるか?」
返事がなかった。
「マクスウェルっ?」
「ダメよトゥルース、こっちも圏外。無線LANに切り替えても抜け穴はなさそうだわ。どうやら例の雷のせいで大規模な通信障害が起きているみたいね」
「……これを乗り切るまでは一時停止か」
言っているそばから、立て続けに二、三回雷が落ちた。閃光と耳をつんざく爆音はほぼ同時、つまりすぐそこだ。ここが建物の中だって分かっていても心臓が縮む。感覚的にはほとんど爆発に近い。
ビッザのヤツ、意味ありげな事を言っていたのにな。
JBは人を選ばず全員を『脱獄』させるとか、新しい惑星を作るのは移住のためじゃないとか。
……あまりにも呆気なくて、僕は人の死に麻痺しているのかもしれない。正しい引き出しに入れる暇もなかった、っていうか。本当だったら泣き喚いて自分の頭を両手で抱え込んでも良いはずなのに、と客観的に眺めている僕自身を感じる。
もどかしいけど、僕はマクスウェルと繋がっていないと行動できない。アナスタシアだって似たようなものだろう。今日のハッカーはどれだけ便利なプログラムを事前に用意できるかが全てであって、本当にその場でキーボードを叩いて敵対システムに侵入する人間なんかいない。
「お腹減ってきたわね……」
アナスタシアが当たり前の事を呟いた。時間は夜の一〇時半。こっちが最後に食べたのは機内食だ。アナスタシアや義母さんはどうだろう。
ずっと歩きっ放しだった生活も、いったん立ち止まってみると改めて疲労の度合いが浮かび上がってくるようだった。不規則に至近で耳をつんざく落雷がなければ、体が濡れているのも気にせずこのまま床に転がって眠りこけてしまっていたかもしれない。
「サトリ」
天津ユリナが手品のようにチョコバーとゼリー飲料のパックを取り出した。
「アナスタシアちゃんと二人で分けて食べなさい。自家生産のアドレナリンやノルアドレナリンだけじゃ感覚が麻痺するだけ、根本的な欠乏は補えないわよ」
出所は怪しいものだったけど、冷静に観察すると包装は日本語だった。現地調達で盗んだ訳じゃなくて、日本から持ってきたのか。考えてみれば、義母さんはあらかじめ目的を持ってフランス入りしているんだ。それこそ準備については事欠かないはず。たかだか数食分の補給程度、非常事態だからってわざわざ盗みに入る必要なんてないんだ。むしろ僕とアナスタシアの手ぶらで遭難感がすごい。
「むぐむぐ、これグレープ味か」
「うえっ。先にチョコ食べると舌の感覚が……。ゼリーの隠しきれないケミカル感が強いー」
アナスタシアと二人で取っ替え引っ替え。胃が膨らまないから満足度はさほど上がらないけど、栄養的にはそこそこ補給できているんだろう。糖分が全身の血管に行き渡ったせいか頭が内側から綿菓子みたいに膨らんでいくっていうか……、なんか、急激に眠たくなってきた。
「あれ? こっこれ冷静になったら間接キスだわ」
「あふぁあ……。だからなあにー?」
「……、」
何故か無言のアナスタシアにすねを蹴られて眠気が吹き飛んだ。
義母さんは雑貨店の出入り口に寄って、外を観察しながらこんな風に言ってきた。
「休憩はここまでのようね」
「?」
最初首を傾げたけど、鼻が異変を感じ取った。何やら焦げ臭い。今の雷のせいかどこかで火が点いたんだ。
雨のない落雷。
辺りの建物は半壊、全壊なんて当たり前で、建物と建物の隙間を埋めるように瓦礫が覆い被さっている。こんな中で火の手が回ったらどこまで延焼するか分かったものじゃない。
「……一ヶ所に留まってはいられないぞ」
「でっでも、この雷の中を飛び出していく訳!? 一発当たったらそれで即死だわ!!」
雷自体は、雲の中で限界以上に溜まった静電気が本来電気を通しにくい空気を突き破ってでも地上に向かう際に起きる現象だ。今は自然の雲の代わりに無数の粉塵が静電気を溜め込んでいるけど、原理自体は変わらない。
それなら、
「こっちから雷のエネルギーをよそに逃がしてやれば良いんだ」
「ちょ、トゥルース!」
義母さんは同じ雑貨店にいた中年男性にフランス語でリスクについての説明をしているようだった。
出入り口から外を覗いてみると、火の手は思ったよりも近い。三軒隣くらいの距離しかない。
行くなら今だ。
炎や煙に巻かれてからではもう遅い。
3
落雷。
という言葉が一般に定着しているけど、実際に怖いのは落ちてくる雷じゃない。雷は最初天から地に落ちて、次の瞬間に地上から天空へ全く同じ順路を辿って駆け上がる。いわゆる帰還雷撃というヤツで、これは最初に落ちる雷よりもはるかに強力だ。あまりにも速度が速すぎるので、人の目には一瞬の光に見えているんだけど。
そして雷というのは雨や雪と違って予想が非常に難しい。気象庁ではなんと基準がない。良くある注意報は、雷で被害が出る可能性さえあればその時点で発令されている。つまりランクや注意報などいろんな言葉はあるものの、降水確率のように具体的な%では割り出せないのだ。
そうなると、
「どこに落ちるかは誰にも予想できないわ……」
コンピュータの世話をする関係で、雷まわりは一通りの知識を蓄えているんだろう。アナスタシアが青い顔して叫ぶ。
「というかこれだけ不自然な帯電状況なら餌食にならない場所ができる方がおかしい! これもう地上にできた積乱雲に頭から突っ込んでいるのと大差ないんじゃない!?」
「でもこのまま一ヶ所に留まっていたらあっという間に火事に追いつかれるぞ。火の手だって一つとは限らない。おそらく落雷の数に合わせて加速度的に増えていく」
「〜〜〜っっっ」
その場で地団駄でも始めそうなほどアナスタシアはほっぺたを膨らませていた。目尻には小さく涙まで浮かべている。
外は落雷の地獄。考えなしにドアの外に出たら、最初の一歩で直撃もありえる。
でもいつまでも屋内にいたら、迫り来る炎に飲み込まれる。
ひどい賭けだけど、雷は当たる可能性がある、炎は絶対確実に命を失う、だ。どっちがマシかなんてマクスウェルに計算させるまでもない。
その上で、
「雷は上空と地面を巨大な電極に見立てて、積乱雲の中に溜め込んでいた電気をやり取りする自然現象だ。だから空気の壁を破って縦方向に高圧電流のブリッジができる。言い方は乱暴だけどでっかいスタンガンと理屈は一緒」
「だっ、だから? だから何だって言うのよ!?」
「……つまり外から細工をするならこの二つ。天空か地面に手を加えて雷撃を不発に終わらせる。それ以外に外を安全に歩く方法はないんだ」
幸いここは雑貨屋だ。
間に合わせだろうが、それでも準備するだけのチャンスがある。ずらりと棚に並んだ商品を見回す。フランスって何気に農業大国でもあるんだっけ。なるほど、園芸用品にも事欠かない。マクスウェルに頼れないのは不安だったけど、アナスタシアと協力してダクトテープや接着剤、マイナスドライバーなんかを掴んで格闘する。
とにかく時間がないから、あまり凝ったものは作れそうにない。
「こんなもんか?」
「最低でも一〇〇以上は飛ばなくちゃ意味ないわよ。できれば余裕を持って三〇〇くらいほしいけど、やり過ぎると圧力タンクが破裂しそうなのよね」
……日本ならオモチャであっても銃刀法に引っかかりそうな仕上がりになってきた。
レジカウンターに使った分だけ紙幣を置いて風で飛ばないように重石代わりの消しゴムを乗せていると、アナスタシアが呆れた感じで言ってきた。
「無意味だわ。放っておいたらここも炎に巻かれるんでしょ」
「それでもだ」
重たいユニットを背負って両手で本体を掴み、僕は出入り口の方へ向かう。
透明なガラス一枚挟んだ外は、まるで戦場だ。
激しい閃光や爆音もおっかない。あんなの目で見て避けるなんて絶対に無理、もうほとんど街中で砲弾でも爆発してるように見える。
だけどそれとは別に、ガラスの扉の隙間から明確に焦げ臭い空気が入り込んでくるのが分かる。
「覚悟は良いか、アナスタシア」
「うええ……。五秒か一〇秒くらいの間隔で炸裂しているわよ、雷」
間もなく炎が来る。方角も速度も分かっている。なのに事前に予防してあげられないのがもどかしいけど、今雷鳴だらけの外に出て考えなしに消火ホースから水を噴き出したらどうなるかは言うに及ばずだ。
じっとしていたら死ぬ。
だけど考えなしに外へ出ても死ぬ。
「……ようはしっかり考えて行動しろって事さ。とりあえず最優先は火の手だ、こいつが届かない所まで逃げ切らないと」
僕達の方に義母さんも寄ってきた。天津ユリナは心配そうな目を店の隅に向けて、
「あの人達は地下に篭るって。お店の床下に頑丈な食糧庫があるみたい」
「……、」
そちらに合流しなかったところから分かってもらえると思うけど、正直に言えば賛成はできなかった。ただ選ぶ道はそれぞれだ。紫電だらけの表を逃げる選択肢だってギャンブル。ただ追従してきて一発目で落雷が直撃しても、僕達には責任が取れないんだし。
安全な正解を導くだけの情報と時間がない。
そもそも正しい解答なんかないのかもしれない。
どっちが正解かは僕だって判断がつかなかった。それでも外に出る道を選んだのは、単純な安全の他に行動の自由をキープしたいっていう僕達の都合……言い換えれば、『欲』によるところも大きい。ここではスマホが使えない。雷のノイズのない場所まで逃げ切って今すぐマクスウェルとのアクセスを取り戻し、ビッザのスマホから情報を引っこ抜いて、フランス製の核弾頭を使って星くずを超高圧縮して新たな惑星を生産しようとする全ての元凶、JBを追い詰める。そのために。
でもそれは、ただシンプルに生き残りたい彼らには関係のない話だ。リスクを覚悟するほどの理由がない。じっと耐えているだけで条件は満ちる。彼らの都合、ある意味での『欲』は完結しているんだ。
「……ならあの人達にフランス語で伝えておいて。最悪の場合、火事は治まるまで数日かかるかもしれないから衣食住は長期戦の準備をする事、特に暗い地下での篭城になるから独立した明かりと時計は必ず複数用意する事、それからできるだけ強力なジャッキを持っていくのを忘れないようにって。火事で建物全体が崩れた場合、地下室は無事でも瓦礫が覆い被さるせいで跳ね上げ式の扉が開かなくなるリスクがある」
結局災害現場にいる人間にできるのは、自分が少しでも安全と信じる道を恐る恐る進むだけだ。手伝える事があればお互いなるべくアシストはするべきだけど、だからと言って他人の選択で運命を共にするような『自分縛り』に囚われるべきじゃない。これは人情とか義理とかじゃない、命がかかってる。明らかな情報不足やフェイクニュースで自殺行為や暴徒化に突き進むのでもない限り、僕達には人が生き残ろうとする努力を邪魔する事はできないんだ。
また間近で雷が落ちた。
というか一〇秒以内にバカスカ落ちているから、まるで巨大な誘蛾灯にでも放り込まれたような気分だった。何の準備もなく飛び出せば、その間隔で落雷に直撃し、体を引き裂かれる。
ユニットは二つ用意した。
天津ユリナにも同じものを背負ってもらった。あっちは予備だ。いきなりの故障やガス欠になった場合は即死になるから、備えておいて損はない。
タイミングなんか計っている余裕はなかった。
常に紫電は暴れ回っているので、待つだけ無駄だ。炎から二本の足で逃げる側としては、もちろん早め早めに行動した方が良い。
恐怖で押し戻されそうになる心を抑えつけ、外に向かって挑みかかるように僕は叫んだ。
「出るぞ!」
ばんっ!! と大きく扉を開け放つ音が、すでに特大の雷鳴にかき消された。
外には出た、はずだ。
そんな前提さえ真っ白な光が吹き飛ばしそうになる。
「……っ、ーーー!?」
至近一メートル以内でアナスタシアが何か叫ぶけど、それも耳に入らない。通りの向かいにあった街路樹は真っ二つに裂け、松明みたいに燃え上がっていた。直撃したら人の体がああなる。これだけの雷なのに、やっぱり雨はない。乾いた空気は吸い込むと何だか粉っぽくて、ひたすらきな臭い。まるで一面の大気それ自体が禍々しい殺気でも放っているようだ。
ごろ、と。
頭上で獣が唸るような低い音が響くと同時だった。僕は両手で脇に抱えていた金属製のユニットを斜め上、できるだけ何もない夜空に突きつける。
「きちんと動いてくれよ、ちくしょう!!」
ばづっ!! というミシンよりも鈍い音と共に両手に重たい反動が返る。火事や稲光の照り返しを受け、光の尾を引いて夜空に吸い込まれていったものの正体は水だ。背中に負った圧縮タンクで大量の空気に締め上げられた水が、ホースを通じて手元のバルブによってコントロールされている訳だ。『目的』を考えれば、ホースの水やりみたいなアーチを描く必要はない。むしろ点で細かく区切り、マシンガンみたいな形で上下に細かく連射するのが最適だ。
途端に、夜空が反応した。
鋭敏に。
突き刺すような雷光が、ガカッ!! と炸裂する。正直に言えば、目で追えるような話じゃなかった。続けて炸裂する轟音に脅えながら、網膜に焼きついた青い残像を眺めてかろうじて結果が分かったくらいだ。
「でっ、できた……」
震える声で夜空を見上げたアナスタシアが、やがて感極まってこっちに抱きついてきた。
「あはは! 雷の誘導に成功したわ!! ワタシ達はやったのよ!!」
無関係な場所に雷を落とせば、大気が溜め込んでいたエネルギーを逃がす事ができる。そして後は避雷針の理屈だ。高い場所に電気を誘導しやすい素材を、できるだけ尖らせた形で置けば先端放電を利用して雷はコントロールできる。高さだけで一〇〇メートル、自分達以外の安全な場所に食塩を混ぜた水の弾を縦一列に撃ち込むとなると三〇〇メートルは欲しい。ほんとに建物の避雷針と重ねられればベストだ。おかげで見た目だけならおっかない武器みたいになってしまった。実際には金属パイプとシャワーホース、後は農薬散布用の手押しポンプがついたタンクにハンディ掃除機のデカいモーターやバッテリーを合体させたような代物なんだけど。
短い間隔で雷をよそに落としながら、僕達は激しい閃光や轟音で埋め尽くされた広い通りを進む。
火の粉が僕達を後ろから追い越した。
やっと振り返るだけの余裕ができる。そして誘惑に従ったアナスタシアが、そのままびくりと固まっていた。ああ、僕も分かっている。水の詰まった重たい金属製のタンクを背負っているのに、さっきから背中一面に薄い針でも刺したようにじりじりと痛みが出ているから。
この目で確認した。
赤とオレンジの壁が、それこそ高波のように一面を埋め尽くしていた。道も、街路樹も、放置された車も、建物も。何もかも呑み込んでこちらに迫ってくる。景色を踏み潰してでも僕達を追い回すように。
おそらく炎の中では車やプロパンガスのボンベなんかが爆発してるとは思うけど、そんな音すら聞こえないほどの猛威だ。
「あ、ああ。ああああああっ!」
両目を見開いて嘆くように叫ぶアナスタシアを、僕は片手で引っ張った。
すでに僕達が出てきた雑貨店も赤いカーテンの向こう側だった。今からは戻れない。地下に潜る決断をした人達が蒸し焼きになっていない事を祈るしかなかった。
「どこまで逃げるつもり!?」
縦一本の線を飛ばす感覚で上下に細かく連射して、さらに続けて二発、三発と落雷を誤爆させる。消火ホースみたいにただ出しっ放しだとむしろ雷がこっちに向かってくるから要注意だ。そんな中、横から義母さんが爆音にかき消されないよう大きな声で尋ねてきた。
こう答えるしかない。
「あの炎が届かない、雷を凌げる場所ならどこでも良い! 建物のない公園とか、あるいは川をまたぐとか、炎を遮断できる地形を探そう!!」
一応の安全策は示せたけど、タンクの中身は有限だ。そもそもタイミングを誤ったら一発で即死。圏外でも使える、スマホとイヤホンを結ぶ近接無線を利用して前兆のノイズは拾っているけど、それだって精度は完全とは言えないんだ。目的もなく迷走できるほど甘い状況じゃない。
ドガシャア!! と新たな雷が一瞬で落ちる。
僕が誘導したものじゃなかった。ビルの壁から突き出た公衆無線LANを支えるアンテナがすぐ近くで吹っ飛ぶのを見て心臓が締めつけられる。完全にコントロール外。やはり『全て』は対応しきれない。今のが僕達の頭に落ちていたら、それだけで即死だ。
予想外なんて、いくらでもある。
もしも、進んでも進んでも背後から迫り来る炎を遮ってくれる川がなかったら? もしも、この道が建物の瓦礫に塞がれていたら? もしも、いきなり一面に激しい雨が降ったせいで上空へ連続的に撃ち出す『水鉄砲』を避雷針として使えなくなったら?
ひたすら炎から逃げ、雷を撃ち落とす。極限の緊張下での単純作業は疲労と共に思考を内向的に誘導していく。強く頭を左右に振らないと自家生産の妄想に呑み込まれそうだ。
その時だ。
「……橋があるわ」
アナスタシアが小さな指を伸ばして指し示した。前を。
奥に何かある。
「あれ使えるんじゃない? 橋を渡ってしまえば炎の壁を振り切れるわ!!」
ここからでは何の橋かは知りようがない。ネットに繋がっていないと地図の検索すらできない。ただ……自然の川って感じじゃなさそうだ。ざあざあっていう水の音がしない。一段低いコンクリートで固めた谷みたいなのがあって、その上に短い橋を架けているって感じ。
「地下鉄との交差路みたいね」
遠くにある橋を見て、義母さんがそう言った。
「水はないけど、全部コンクリートで固められた線路だって炎の進行は防いでくれるでしょう。渡って損はないわ」
ともあれ、これで助かる。火の手が一つとは限らないし、橋を渡っても雷は降り注ぐ。だけど一つずつでもハードルを越えて自分達に有利な環境を揃えていくのが大事なんだ。そうやってリストの上からリスクを潰して、駆逐していく。こんなのは足元で絡まっている家電のコードを解くようなもので、一度に全部なんて考えるとドツボにはまる。
そう思っていた。
みんなで奥へ、炎を遮る橋に近づいていった。
背の高いビルを通り過ぎた辺りだった、そこで全身が凍る。心臓が止まるかと思った。
「……アナスタシア、待った」
「何よ!? 話なら後で聞くわ……!!」
「ダメだ、今じゃないと。あれ見てくれ」
奥にある橋のすぐ近く、ちょっと手前側で寄り添うように佇むそれ。道の脇を見たまま僕は言った。
天津ユリナはすでに気づいている。怪訝な顔をして視線の先を目で追ったアナスタシアが後ろにひっくり返るのも予測がついていたらしく、こっそり彼女の後ろに回って支える余裕さえ見せていた。
別に珍しいものじゃない。
というより世界中どこにでもないと困るものだ。僕には看板の文字は読めないけど、もうお店のシルエットだけで分かる。日本にもあるアレだと。
「……うそ、でしょ……?」
アナスタシアが呆然と呟いていた。
度重なる災害にやられてどこかに亀裂でも入っているのか、ちょっと離れたこっちにまで特徴的な悪臭が漂っている。
前方。
すぐにでも渡っておきたい陸橋の、手前。
僕達が見つけたのは、無人のガソリンスタンド。
この上なく危険な可燃物の塊だった。
4
大前提として、僕達は背後から大火災の炎の壁に、頭上から大量の落雷に追われている。
一ヶ所で立ち止まって長考なんかできない。保って三分。それ以上は炎にやられる。この道をまっすぐ進んで奥にある橋を渡れば、とりあえずその炎からは逃げ切れる。雷の問題は継続だけど、一個一個着実にリスクを減らしていける。
でも、その橋へ向かうには寄り添うようなガソリンスタンドのすぐ脇を通り抜ける必要がある。
すでに悪臭がここまで漂ってきている。目には見えないけど、おそらく気化したガソリンがある程度は漏れている。炎の壁はもちろん、火の粉や静電気一つあれば大爆発だ。
ひとまず、何かしら行動を続けないと死ぬ、は確定。
『絶対の正解』なんて都合の良いものもない。
……その上で、ならどうする? 無理にでも橋に向かうか、あるいはひとまず迂回してあるんだかどうかもはっきりしない別の回避先をノーヒントで探すか。
「い、行くべきだわ……」
アナスタシアはまっすぐ奥を指差してそう主張した。
「だって爆発の危険があるならなおさらもたもたしていられないっ! あの橋を渡ればとりあえず逃げ切れるわ。それなら早く渡らないと!!」
「爆発に巻き込まれたら即死よ。炎や爆発は道路側まで埋め尽くす、これまでと違って前兆は察知しようがないわ。なら万が一に備えてガソリンスタンドは迂回するべきだと思う」
腕組みして対案を出す義母さん。しかしアナスタシアは納得しなかった。怒りじゃない、恐怖で目尻に涙まで浮かべながら金切り声を上げてくる。
「今この議論をやらずに道をまっすぐ駆け抜けていたらもう無事に渡り切れていたわ! 大体、横一線に地下鉄線路が走っているのよ。後ろからは壁みたいな炎がきてるわ。『向こう』に行かないと壁に潰される。ここを横に迂回して谷に沿って走ったとして、次の橋はどこにあるの!? 電波障害のせいで地図アプリにも頼れない状況じゃそれすら読めないのよ!」
どちらの意見も一理ある。
そしてさっきも言った通り長考する時間はない。マクスウェルにも頼れない。
ワイヤレスイヤホンのノイズの強弱を聞き分け、特製の水鉄砲で致死の雷を散らしながら、僕は言った。
「……このまま進もう」
「サトリ」
「アナスタシアの言う通り、次の橋が見つからなかったら僕達はなす術もなく炎の壁に押し潰される。しかも目の前の橋をパスして谷に沿ってよその道を探した先にまた別のガソリンスタンドがあったらそこでまた立ち往生だ。大都市なら可能性は低くないし、そうなってからじゃリカバリーは効かない。間違いなくリミット、炎に呑み込まれて死ぬ」
目の前にリスクがある。それは分かる。
だけど回避した先に何があるかは知らない、では対案として成立していない。とりあえず、何となく。〇%と一%なら助かる見込みのある方を選ぶべき。……なんだけど、でもな。それって、今はまだ危険じゃない道を選び続けるだけでは選択肢を一つ一つ切っていくだけだ。延々とやっていくと自分からチャンスを棒に振って袋小路に追い詰められていく以外の道がなくなる。
……ただ、マクスウェルと繋がっていたら答えはまた違ったかもしれない。精密な地図データと照らし合わせ、次の橋は何百メートル先にあるか、その間にガソリンスタンドや大型ボイラーなど危険な施設はないか、地図の検索一つで安全を確認できたら多分僕は義母さんに乗っていた。
本来なら論理で答えを出せたはずの問題が、運任せになっている。それも自分や大切な人の命に直結するような話で。想像を絶するおぞましい状況に放り込まれていると、改めて思う。
奥に。
まっすぐ進めば橋だ。ガソリンスタンドの存在は確かに怖いけど、ほんの数秒息を止めて走り抜ければ、それで背後から迫る炎の壁から逃げ切れる。はず。
「それじゃあアナスタシア、合図で走るぞ」
「三つ数えたらってヤツ?」
「ああ。三、二、一」
ゼロで雷がガソリンスタンドに落ちた。
とっさにだ。
義母さん、天津ユリナが左右の手で僕達の首根っこを掴んで引き戻していなかったら、今頃千切れて宙を舞うあの分厚いゴムタイヤみたいになっていたかもしれない。
爆発だ。
まず辺りに漂っていたであろう気化したガソリンに着火して、一秒も経たずに地面の亀裂から地下のタンクまで炎が殺到した。ほとんど噴火と変わらなかった。コンクリートで固めた地面が砕けて下から噴き上がり、金属製の屋根や柱をねじ曲げながら天高くへ飛ばしていく。四方八方へ、赤とオレンジの光をひたすら撒き散らしながら。火炎瓶みたいにぬめった炎は広い道の、反対側の歩道まで埋めていく。
ガンゴンっ、と。
元が何だったのかも想像できない重たい鉄くずの落下音に脅えている場合じゃない。
三人まとめてひっくり返り、目を白黒している僕の耳元で義母さんが叫んだ。
「サトリ、ユニットを構えて!! 天候はこっちの都合なんか考えてくれないわ、雷が来る!!」
「っ」
ほとんど呼吸困難になりながらも、僕は倒れたままノズルを夜空に向けた。
バルブを人差し指で弾くと同時、閃光が炸裂する。連続的な水の弾の列に導かれるようにして。残像は、明らかに不自然な曲線を描いて遠方の地面に刺さる。
「とっ、トゥルース……」
「ダメだ、アナスタシア。義母さんが正しかった」
橋のすぐ近くにあるガソリンスタンドが丸ごと吹っ飛び、ぬめるような炎の壁は正面の道を塞いでしまっている。とてもじゃないけどまっすぐ突っ込んで奥の橋に向かうのは無理だ。一回の爆発で全ての可燃物質を使い切ったとも限らない。別のタンク、あるいは停めてあった車なんかがさらに爆発する恐れもある。こっちには一応避雷針代わりの水鉄砲はあるけど、たかだか五〇リットル程度で消せる炎じゃない。というか、おそらく普通の水を掛けるとかえって勢いが増すんじゃないか? ほら、てんぷら火災のアレみたいに。
打つ手なし。
迂回しかない。物理的に。
「でも炎の壁は後ろからもきてるわ。もう間に合わない!」
「走れ!!」
正面も後ろもダメだ。無理にでもアナスタシアの手を引っ張って起き上がらせ、天津ユリナと一緒に脇の狭い路地に入る。当然、一方向へ均一に迫る炎の壁は形を持たないので、どんな隙間も蹂躙する。こんな所に隠れても意味はない。さっさと抜けないと蒸し焼きにされる。
L字に曲がって再び方向を合わせ、地下鉄線路の方へ。そっちはフェンスで遮られ、さらに奥はコンクリでできた谷のようになっている。
アナスタシアは首を右に向けて、うんざりしたように叫ぶ。
「ダメだわ……。ガソリンスタンドの爆発、かなり広がっている。谷に沿って戻っても、橋の入り口辺りで炎が邪魔してるわよ!?」
十字路の真ん中を炎でやられたようなものだ。別の道からでもあの橋には合流できない。
もう一度大きな爆発があった。
炎の中で何が破裂したかはもう見えない。断言できるのは、向こうに近づいたら致命的なダメージを負うってだけだ。すぐそこに橋があるとかどうとかそんな次元じゃない。
やっぱり他の逃げ道が必要だ。
川とか山とか、炎の勢いを殺す障害物を乗り越えれば炎から逃げ切れる。そういう意味では地下鉄線路のために用意した、コンクリートの谷だっておあつらえ向きだった。
そう、僕達にそこを渡る手段が残されていれば。
僕はアナスタシアとは逆、左側に目をやる。暗闇の奥に消えていくフェンスと細い道だけで、やっぱり橋があるか断言はできない。幅一五メートル、深さ五メートル前後の谷に沿って進むしかないけど、パッと見た限り他に橋のようなものは見えない。あそこを渡れなかった場合、僕達は壁のように迫る炎に巻き込まれる。
五メートル。
地味ではあっても下に下りたら、何か取っ掛かりがないと対岸側になんて上れそうにない。
まさか。
……判断を、誤った?
もしかして、雑貨屋の地下でじっと耐えている方が正しかったのか。それしか生き残る術はなかったのか。JBを追うには何日も鎮火するまで待ち続けるんじゃなくて、行動の自由が必要だった。分かる、その通りだ。だけどそれだってハイリスクな道は僕が一人でアタックして、アナスタシアと義母さんだけでも地下の食糧庫に入れてもらうって選択肢もあったんじゃないか!?
今さら来た道は引き返せない。
あの雑貨屋の入っていたビルの辺りだってすでに火の海に沈められている。お店の地下がどうなったかは知らないけど、少なくとも地上部分は人が歩けるような状態じゃない。熱と煙の地獄だ。
「走るわよ、サトリ」
義母さんだけが前を見ていた。
「情報は少ない、正解なんか見えない。だけど立ち止まっていても事態は好転してくれないのは分かっているわよね。これは神経衰弱と同じ、情報が少ない時は手当たり次第にカードをめくって自力でヒントを集めるのが一番なのよ!」
そうだ。
とにかく前に進まないと。
アナスタシアや天津ユリナと一緒になって、コンクリートの谷を守るフェンスに沿って細い道を走る。眼下、ただの線路がこんなに憎たらしく見えるだなんて。もしも橋が見つからなかったら、瓦礫で道が塞がれていたら。考えるだけで恐ろしい。アナスタシアは息を切らせながら、途中何度かチラチラとフェンスの方に目をやっていた。分かる。僕も、いっそ谷を飛び降りてから向かいにあるコンクリートの壁をよじ登る方法を試した方が良いんじゃないかって考え始めている。
「ダメよ」
浮き輪にしがみついて渇きに耐える漂流者が一面に広がる海水に手を出そうとするのを止めるような口振りで義母さんが止めてきた。
「砂利にレールに枕木に……。下はかなりデコボコしてるわ。この暗さ、五メートルって高さも馬鹿にならないし、ここで着地に失敗して捻挫か骨折でもしてみなさい。致命的な事になるわよ」
「でもっ」
「サトリ良く聞いて。聞きなさい。運良く飛び降りた時には怪我しなかったとして、向かいの壁を登る方法は? なければアリジゴク状態ね。進むも戻るもできなくなった後、下段に雪崩れ込んでくる炎の海にただ呑み込まれる羽目になる。アリの巣に熱湯でも注ぐようにね。ほぼ垂直に近い五メートルの壁なんて、肩車くらいで乗り越えられる高さじゃない。でしょう?」
ボルダリングなんかの技術があればまた違ったかもしれない。人間の二〇倍の筋力を持つ吸血鬼のエリカ姉さんなんかは普通に切り立った崖とかビルの壁でも手足だけでスイスイ登れるみたいだし。だけど僕達には無理だ。名前や簡単な理屈は知っていても、実際、見よう見まねでできるものじゃないのは分かっている。
……いいや、義母さん一人なら。
アークエネミー・リリス。七つの大罪に数えられるガチの魔王なら、それくらいできてしまえるかもしれない。でもやらない。何故か? 決まってる、僕とアナスタシアを見捨てたくないから。そのためなら遅れている方に合わせて、自分自身の体を炎の脅威にさらしても構わないって本気で考えてる。
結局これが親と子、大人と子供か。
アブソリュートノアとJB。僕はとんでもない組織同士の戦争を止める気でいた。知人のアナスタシアを頼りフランスで強力な兵器を引き出そうとする義母さんと本気で戦うつもりだった。だけど蓋を開けてみればこの通り。天津ユリナはそんな敵対者を文字通り命懸けで守ろうとしている。しかもそれを、馬鹿正直に真正面から言い放ったりもしない。真実を言っても子は傷つく、だから親は笑って悪態を受け流せばそれで良いんだって。
その気遣いは嬉しいけど。
でもそれ以上に、悔しい。
義母さんとはこれまで何度か衝突してきた。その時その時は命を削って、人生の岐路に立つつもりで挑んできた。だけどこの人から見たら、それはきっと戦いの形にさえなっていなかった。
「見つけたわ、何かある!」
無理にでも僕達を走らせながら、天津ユリナはそう言った。
巨大なシルエットだ。
でも橋じゃない。
足を止めたアナスタシアが狼狽えたように呟いていた。
「な、何か倒れているわ。でっかい看板?」
「多分これ、ガソリンスタンドの前にあった看板じゃない? バッキバキに割れているけど」
こんな所まで飛んできたのかよ……。
三階分くらいの高さがある二本の長い金属柱に支えられたガソリンスタンドのロゴ看板が落下し、背の高いフェンスを押し潰して、コンクリートの谷にまで落ちていた。
見ているだけでゾッとする光景だ。爆発の威力もそうだし、こんなのが頭の上に降ってきたら僕達は即死だっただろう。
でも、今はプラスに働く。
柱の厚みは三〇センチ以上ありそうだ。列車のレール以上、つまりすごく頑丈なんだろう。
ゴォ! という炎が酸素を吸い込む音が響いた。
四の五の言っていられる状況じゃなくなってきた。
谷底までは五メートルほど。
べこべこに歪んでいるけど、二本の柱は電柱よりも太い。ただ雨で濡れた下り坂だから、上に上がったら這いつくばって、気をつけながら進むのが一番安全な気がする。
「いけそうだ」
大きな板が斜めに沈んでいるような感じ。つまりこっち側は道路よりも高い。
まず義母さんがよじ登り、次に小さなアナスタシアを僕が両手で持ち上げる。上の義母さんとの受け渡しに使った時間は三〇秒もなかったはずだけど、心臓に悪かった。高圧放水の細かい連射を使った避雷針がないと、いつ頭の上に雷が落ちてくるか予測できなくなる。しかも足場自体がでっかい金属塊。どれだけ短時間であっても、今、僕達は自分達の命を運任せでぶん投げなくちゃならない。
そして最後が僕。
猫みたいに両手を脇に通して抱えられるアナスタシアほどじゃないけど、インドア系の僕だって気軽に何度も懸垂をするほどの筋力はない。しっかりした鉄棒を握り込めば一回くらいはできるだろうけど、金属の出っ張りを指先で雑に掴んで全体重を持ち上げるほどの力はない。
そうなると、
「アナスタシア、使い方分かるか? これ預けるからいったん水鉄砲頼む! タンクの中身は減ってるから持てるだろ!!」
「トゥルースっ」
「これ以上もたもたしてると雷が来るぞ。一分以上はまずい!!」
先に背負っていたタンクごとアナスタシアに水鉄砲を渡し、パーティを守ってもらいながら義母さんの手を借りる。これじゃおんぶにだっこ、至れり尽くせりだ。
「っと」
ここからは濡れた坂道だ。金属柱は下に向かって落ちているのでやや下り坂。表面を這い、実際に抱きつくようにして両手足を押しつけてみると濡れて滑りそうだった。アナスタシアから再度水鉄砲を預かりつつ、
「……失敗した、アナスタシアを最後尾にするべきだったかも」
「何で?」
すぐ前では濡れたミニスカのお尻を突き上げながら、先を行く一一歳がキョトンとした顔でこっちを振り返っていた。
ぼんっ!! という爆音があった。
驚いて振り返ると、さっきまで自分達がいたフェンスの辺りが炎の壁に飲み込まれていた。オレンジ色の海はいくらか液体みたいな動きで下段にも降り注いできたけど、まだ大丈夫。溶けた金属やプラスチックは真下の線路に薄く広がる感じで、宙ぶらりんになってるこっちにまでは乗り上げてこない。でも急がないと熱や煙が怖い。
「コンクリートやアスファルトの亀裂が変に刺激されないと良いわね。今のバランスだって偶然の産物だもの、いきなり倒れたり転がったりする前に通り抜けないと……」
義母さんは小さく呟くが対岸は目と鼻の先だ。谷に向かって落ちているから基本は下り坂。かなり下がっているけど、コンクリートの壁と激しくぶつかった関係で向こうは金属柱は看板本体が大きくひしゃげて盛り上がっている。L字の釘抜きみたいなシルエットだ。おかげで三メートルくらいは高さを稼いでいるらしい。谷の深さは五メートルだから、残りは二メートル。小柄なアナスタシア以外なら、両手が縁に届く高さでしかない。
さっきと同じで、まず義母さん、次にアナスタシア、最後に僕の順番だ。
とにかく最初は天津ユリナ一人で難なく突破。両手でコンクリートの縁を掴み、足で壁を蹴って伸び上がるように身を乗り上げていく。義母さん一人なら五メートルの壁でもストレートに突破できるかもしれないんだから当然なんだけど。
僕はワイヤレスイヤホンのノイズを頼りに水鉄砲を短い間隔で夜空に打ち上げる手を止めて、いったんアナスタシアを両手で持ち上げ、先に上へ行った義母さんに預ける。
その時だった。
「何だ……?」
僕は視線を横に振った。
小さな振動がある。でも地震の始まりって感じじゃない。谷の底にわだかまる闇の奥。左右の壁の流れに沿って何か巨大なものが動いて……こっちに近づいてくる?
炎に追われている身だからこそ、光源を背にすると一面に広がる闇の深さが際立つようだった。パッと見ても二〇メートル先さえはっきりしない。
「サトリ、早くして。お母さんの手を掴んで」
「でも先に水鉄砲を受け渡ししないと……」
「早く!! アレが突っ込んでくるわよ!!」
義母さんの切迫した声に、もちろん恐怖は感じた。だけど、いやだからこそか。僕は思わず闇の向こうを凝視するばかりか、スマホのライトを振動のする方に向けてしまう。飛んでくるボールに反応して身構えるような、そんな防御反応が働いたんだ。
黒い塊だった。
べこべこにへこんだ金属柱の上にいる、僕の目の高さを越えていた。
それは何万、いや何十万っていうネズミの大群だった。
意味が分からなかった。
知ってどうするんだ、こんな理不尽。
「う、わあッ!?」
叫んで、慌てて義母さんの手を取ろうとした。でも直後に隙間のない塊が倒れたガラクタに横からぶつかり、そのまま押し流しにかかった。軽く見積もって何十トンもありそうな金属塊が、まるで高波にでも持っていかれるように。
「トゥルース!!」
アナスタシアの声は聞こえた。
だけどその時、すでに僕の両足は浮いていた。抵抗もできず、そのままネズミの海へと放り込まれた。
5
「ぐ……」
最悪だ。
最悪だけど、ここはどこだ? 呻き声が出たって事は、僕はまだ生きているらしい。
ネズミは一匹もいない。
義母さんともアナスタシアともはぐれたまま身を起こすと、コンクリートや線路のごつごつした感触がようやく伝わってきた。相変わらず地下鉄線路のようだけど、暗く、そして狭い。地上との露出部じゃなくて、どこかのトンネルまで流されたらしい。
感覚としては、動物に襲われたって気はしなかった。鉄砲水でも浴びて溺れたって方が近い。
それにしても……。
「ネズミときたか」
災害の前触れとして、小動物が一斉に変な動きをするっていう都市伝説がある。けど多分違うだろうなって思った。
そもそもアレは何だったんだ。
「……、」
JBお得意の呪いや魔法、の線はいったん置いておこう。というか、それなら僕は全身噛みつかれて骨しか残らないか、あるいは容赦のない感染症の犠牲者になっていると思う。
自然発生的な線も、ない事はないはずだ。
フランス人は伝統的にネズミの発生を恐れている。
何もオカルト的な話じゃなくて、ペストの経験があるからだ。遠い昔にヨーロッパ全体で猛威を振るい、時にあれだけ躍起になっていた百年戦争に影響を与え、また同時に内乱を誘発させ、散々人間を振り回した末にヨーロッパ全域から実に人口の三分の一を奪っていった極悪な病。それを媒介したのがネズミ(正確にはネズミについていたノミなど)だった。だから彼らは徹底的にネズミを排除した、自分達の生活圏から。
でも逆に言えば、意識して、徹底しないと勝手に増殖してしまう環境なんだって話でもある。
そんな何百年も前の話を、と思うかもしれないけど、人骨だらけのカタコンベの例を出すまでもなくパリの歴史は古い。革命が起こり、よその国に占領された事があっても、それでも世紀単位の時間を過ごしたアパートや地下通路なんかが普通に現役で稼働しているんだ。
土壌。
ネズミを無尽蔵に増やす仕掛け。
そういったものは、まだパリの死角に残されているのかもしれない。何度も何度も絵の具を上塗りしていくように近代化が進んでも、どこかにひっそりと。街全体でどれだけネズミがいるか正確な統計なんか誰も取っていないと思うけど、この災害だ。たっぷり水を吸ったスポンジを手で握り潰すように、あちこち追われて逃げ回った無数のネズミ達は考えなしにコンクリートの谷へ落ち、そして出口を求めて一方向に向けて塊のまま移動した。真相はそんな感じじゃないだろうか。
怪我とか、ないよな?
念のため自分の手であちこちまさぐって、ネズミの爪痕や噛み傷がないのを確認する。変な痛みや痒みは特になかった。どうやら敵や食べ物としては認識されなかったらしい。向こうも逃げるのに必死だったって事か。
「……さて、それじゃどうするか」
誰もいないのに思わず呟いてしまう。
いや、誰もいないからか?
幸いスマホは手元にあった。背中のタンクと繋がった水鉄砲は……ダメだな。あちこちべこべこへこんでいて、バルブを開放しても水が出ない。
義母さんにはスペアを渡してある。使い方はアナスタシアが分かっているはずだし、今すぐ雷にやられる心配はなさそうだ。
むしろ哀しい事に、残してきた二人より孤独な僕の方がふとしたトラブルで躓いてくたばる可能性は高いと思う。勇気とか正義とかじゃなくて、単純に怖いから早くアナスタシア達と合流したい。今はマクスウェルのサポートもないし、僕は一人じゃフランス語だって読めないんだ。
スマホに指で触れるとバックライトの眩い光がトンネルを照らした。
ただ……やっぱり圏外か。
いや、まだ諦めるな。これはトンネルの中だからかもしれない。そもそも不自然な電波障害自体、二回目の流星雨で大量の粉塵が舞い上がったからだ。あの雷エリアさえ出れば、普通にスマホは使えると思う。
ここにいても仕方がない。
トンネルの外に出よう。例えばさっきのネズミ達がどこかで行き止まりに気づいて、まんまUターンしてきたら打つ手はなさそうだし。
出口はどっちかな。
「あれか……」
フランス語は読めないけど、矢印の表示くらいは分かる。トンネルの途中でそれらしき鉄扉を見つけた。ノブに触れてみる。鍵のようなものはないらしく、そのまま回る。そっと奥を覗いてみると、金属製の上り階段があった。非常階段だ。
スマホのライトを頼りに一段ずつ上っていく。こんなのでも命懸けだった。体重を掛けた途端に鉄の踏み板が外れたら? 天井の亀裂に気づかずにコンクリートの塊がいきなり頭の上に降ってきたら? 荒唐無稽であっても完全に否定はできない、自分の常識なんか何の役に立つ。すでに鉄やコンクリートの信頼性なんか吹けば飛ぶ程度も残されていないんだ。
……いかん、一人になると自家生産の妄想が止まらない。やっぱり三人くらいの塊がちょうど良い。単に他の人の目があるってだけじゃなくて、自分で自分を客観的に見られるから。
「よっと」
最後の段を踏んで地上に。
ドアを開けるのは少し怖かったけど、薄く開けて確かめた限り、閃光やゴロゴロという低い唸りはなかった。風向きなのか、それだけの距離をネズミの濁流で流されたのか、どうやらこっちにまで粉塵は蔓延していないらしい。
改めてスマホに目をやれば、間もなく午前〇時になる。
ただそれだけ長い間ずっと流されていたのか、早々にネズミ達から解放されて線路でずっと気絶していたのかは判断のしようがない。
というか、雷エリアから抜けたならまずスマホだ。地図があれば現在地が分かるし、アナスタシアや義母さんとも連絡がつく。そして何より、
「マクスウェル!!」
『シュア。途中経過を口頭で補完してもらえると助かります』
結構本気でへたり込むかと思った。
これだけ。スマホが繋がって、オンラインのプログラムを呼び出しただけ。誰でもできる当たり前に触れられる事が、こんなにも強い支えになるなんて。
圏外の表示は消えていた。
今の僕なら何でも検索できる。やるべき事だってたくさんある。世界の叡智は手の中にある、そんな気分だ。マクスウェルと情報共有しながらやる事リストを改めて頭の中で並べていく。
「まずここがどこかって事だ」
『リュクサンブール宮殿前、サンミシェル通りの近くです。大学の校舎が並んでいる辺りですね』
……相変わらず地名だけ言われても全然ピンとこないけど、サンミシェル通りは前に聞いた事があるような? そうだ、パリ天文台に向かう時に。ただ、景色が変わったって事は結構遠くまで流された、のか? 確か、義母さん達と別れた場所はもっと庶民的っていうか、背の低い雑居ビルや小さな商店が並んでいたはずだ。それにこっちは火事の炎に照らされているって感じもしない。ただ真っ暗な闇ばかりが広がっている。
「あとアナスタシアと義母さんに連絡。あれから一時間以上経ってるから同じトコにはいないと思うけど、連絡がつけば待ち合わせの場所くらいは決められるだろ」
そういう目的もあったから、まず自分の居場所を正確に知る必要があった。手持ちの情報は何もありません、じゃこっちからアナスタシア達に渡せるものがない。
「それからJB側でエジプト神話のデカいワニを操っていた、ピエール、いやビッザだったっけ? ヤツのスマホが手元にある。これの中身が分かればフランス製の核弾頭がどれくらいJB側の制御下にあるか分かるかもしれない。パスコードアタックを頼む」
これでようやく一通り、か。
他にも、天気や治安はどうなっているのか、あの火事はどうなった、次に予測される災害は、フランス政府の発表は、世界各国の支援はいつ来るのか、ボランティアの中に同じ日本人はいるのか……。知りたい事なんか山のようにあったけど、一度に全部は無理だ。マクスウェルの処理能力というより、小さな画面を眺める僕の頭がパンクしてしまう。
こうしている今も、組織としてのJBは動き続けている。自分達の手で新しい惑星を作る、そのために大量の核兵器を使い捨ててでも。馬鹿げた話だけど、現実にそれをやるためにキャストの連中はパリ全域をここまで徹底的に破壊している。その行動力だけは本物だ。
移住が目的じゃない。
……ビッザのヤツが死ぬ間際にそう言っていたのが引っかかるけど。
『ユリナ夫人、アナスタシア嬢の両名にメールとメッセージを投げていますが反応なし。通話に応じる気配もありません』
「通話はそのままキープで。……向こうはまだ雷雲の中なのか?」
何しろ街の形が丸ごと変わるほどの災害下だ、インターネットが使えなくなる理由なんてそれ以外にも山ほどありそうなものだけど。
電話については向こうが出るのを待つとして、
「JB所属のビッザ=バルディア。こいつのスマホは?」
『ロックには虹彩を使っているようですね。イタリア系ミラノ圏出身の人物を画像検索で無作為に網羅し、数十万人分の虹彩パターンの特徴を分析。その上で多重合成して「マスターキー」を作れば突破できるかもしれません』
すごいけど、時間がかかりそうだな。
それにそんな仰々しい話なのか。
「……ビッザ自身の写真があるだろ? 指紋から個人情報は辿れたんだから」
『試してみたら入力ミスと出ました。チャンスは残り二回。おそらく免許証やパスポートなど公文書に残る身分証はカラコンでもつけて写真を撮っているのでは?』
用心深い男だ。まあ、日頃からピエール=スミスなんて偽名を用意して生活していたんならおかしな話でもないけど。
結果、分かったのは現在地くらいか。
アナスタシア達がどこにいるかヒントはないし、ビッザのスマホも解析待ち。この暗闇の中、瓦礫だらけの街を闇雲に歩くのだって危険過ぎる。ここは『次の目的』がはっきりするまで待った方が得策だろう。
パリの人達はどうしているんだろう。
自分の命がかかっているのに機械に頼りきりの僕もどうかと思うけど、でもマクスウェルに指示を出しておけばとりあえず『次の目的』は見えてくる。悪夢みたいに広いオープンワールドで途方に暮れる、って話にはならない。だけど他のみんなは違う。情報がないから安心できず、『次の目的』がないから迂闊に動き回るのも難しい。でもこの暗闇の中でただじっとしているのだって、プレッシャーで言ったら電源の落ちた宙吊りエレベーターに閉じ込められるのと大して変わらないんじゃないか。
「……マクスウェル、液晶系の広告や宣伝トラックの中でまだ使えるものをリストアップ。縦長だろうが丸い柱に張りついていようが、どうせ中身は市販のウィナーズだろ」
『それが何か?』
「フランス系のテレビニュースのネット版を拾って映し出せ。ただし明らかなデマは排除しろ」
ヴン、と。
低い唸りと共に、闇に沈んだパリのあちこちがほのかに明るくなった。もちろん払拭できるほどじゃないけど。
これで何が解決する訳でもない。『次の目的』なんか見えないかもしれない。けど、目隠しされたまま地雷原の真ん中で体育座りを強いられるような、悪夢のような息苦しさくらいは取り除けるはずだ。
その時だった。
ぶづっ、とスマホの方からノイズみたいな短い音があった。
『繋がりました。アナスタシア嬢です』
「っ、アナスタシア!!」
『そっちは無事? なんか汚れたネズミの大群に体ごとさらわれていったみたいだけど!』
「ダメだったらこの声は届いてないよ。ひとまず感染症とかも大丈夫みたい」
『パッと見た程度で分かる話? ま、回線激弱だから必要な事だけやり取りしましょ。トゥルースどこにいるの、待ち合わせ場所どうする?』
流れが変わってきた。
明確に思う。底の底から少しずつでも回復してきてる。こんなスマホ一つでも人生を変えるきっかけになる。
「こっちは無事だ、普通に歩ける。場所はリュクサン何とか? マクスウェルの話だと大学がたくさんある辺りだって」
『リュクサンブール宮殿の近くね。ならそこにいて、ワタシ達がいるモンパルナス駅からなら近いわ』
「おいっ」
『モンパルナス駅についてはマクスウェルに聞いて。一帯じゃあトゥルースのいる辺りが一番開けた公園だから瓦礫だらけの街でも分かりやすいし、リュクサンブール宮殿って今は上院議会として使われているのよ。つまり国会。絶対に軍や行政から見捨てられる事はないわ』
「……、」
『トゥルース、じっと待つのが死ぬほど辛いのは分かる。だけど順当に行けば一〇分あれば普通に合流できるわ。だからそれまで待ってて』
マクスウェルがいれば地図アプリが使えるけど、わざわざ瓦礫だらけの街で頼りない目印を探して歩き回るのも得策じゃないか。一度は凱旋門の位置を勘違いして日本大使館に辿り着けなくなった事もあるし、すれ違いのリスクは確かにある。
「分かったアナスタシア。義母さんがいるなら大丈夫だと思うけど、無理はするなよ。瓦礫とかで通れない場所があったら待ち合わせ場所は変えよう、リスクを負ってまで乗り越えようとす……」
スマホが小刻みに振動した。
画面の上端に短文のメッセージがポップアップしている。SNSを利用してコンタクトを取るマクスウェルからだ。
通話を保ったまま画面をタップしてSNSを呼び出すと、マクスウェルからこうあった。
『ビッザ=バルディアのスマートフォン、ロックを解除しました』
「っ」
本格的に追い風だ。
フランスの核弾頭を握るJBを追う線はまだ途切れていない。細いけど、ビッザのスマホから辿っていける可能性はある。
さらにマクスウェルからメッセージが連投されていく。いよいよ核心だ。
『ファイル総数一〇万五〇〇五件、JB、核、惑星など重要ワードで検索します』
「アナスタシア、ちょっと待ってくれ」
『特に高い価値を持つであろう文書を絞ります、八件がヒット。核弾頭を利用した惑星製造の計画は信憑性あり、具体的な計算式がありますのでこちらで可能か不可能かをシミュレーションできます。惑星製造については移住を目的としたものではなく、世界のバランスを意図的に崩す事に注目しているのだとか』
「バランス?」
『詳細は不明です。重力的な話なのか、あるいは占い等のオカルトなのか。核弾頭については巡洋艦や潜水艦のものが都合二五発、フランス政府の制御を離れています。仏側に認識ナシ。JB所属のキャスト達の指先一つでいつでも発射可能で、なおかつプログラム的なコントロールを取り戻すには世界中に散らばった潜水艦が高度な設備を有する海軍基地まで戻る必要があります。全ての艦が最寄りの基地まで到着するのに最短で一四日、つまりJBがすぐさま使う場合は復旧が間に合いません。またいくつかキャストらしき人名を入手。リストに天津ユリナ夫人の名前があります』
聞き流すかと思った。
あまりにも次々とデータを流し込まれたせいで何でも受け入れる態勢になっていたけど、ちょっと待て。今のは明らかにおかしい。
「……これはJBの機密文書だよな?」
『シュア』
マクスウェルはあくまでもプログラムだ。だからどんな情報であっても、ユーザーが求めれば迷わず開示してしまう。
小さな画面にはこうあった。
『つまり天津ユリナ夫人はアブソリュートノアとJB、両方に属しているのでは?』
「あなす……っ!!」
ほとんど反射で叫ぼうとした。
それでも間に合わなかった。ブヅッ!! と。不自然なくらいのタイミングでいきなり通話が途切れる。
リダイヤル?
そんなもので何とかなるか、くそ!!
「マクスウェル、アナスタシアの位置は? モン何とか駅で検索!!」
『天津ユリナ夫人は最初からアブソリュートノアとJBの間で戦争が起きる事を望んでいる節がありました』
「分かってる……」
今にして思えば、ビッザ=バルディアとぶつかった時も様子がおかしかった。話が正しければフランス国防省地下で先に激突していたはずなのに、オテル何とかで激突した水神セベクについては煮え切らないところがあった。
まるで、初めて見て困惑するような。
というか、義母さんは本当に地下でJBと戦っていたのか? あの施設には防犯カメラもない。誰も見ていない地下深くで、解析機材を詰めたスーツケースを引きずるビッザと合流して握手をしていた可能性は???
『ユリナ夫人はこの戦争に勝つための特殊な兵器を引き出す目的でパリへやってきたと思われますが、実際にカタコンベやフランス国防省地下で何をしていたかは未だに不明です。JBの核弾頭入手を止めるという行動の信憑性は、ユリナ夫人一人の証言にほとんど依存しています』
「だから分かってる!! もんぱる、そうだ。モンパルナス駅への最短コースを出せマクスウェル!!」
『極めて非推奨のコマンドです。アークエネミー・リリスが単純にJB側のキャストとして、つまり敵に回った場合、ユーザー様に勝利できる確率は限りなくゼロに近いです』
……分かってるってば。
義母さんの本当の所属はアブソリュートノアか、JBか。どっちにしたって彼女は組織の力を使ってくるはず。魔王リリス単体だけでも手に負えないのに、さらに数の暴力まで持ち出されたら近いどころかぴったり〇%まで値が落ちる。
忘れていた。
和解したと勝手に思い込んでいた。
天津ユリナは僕の義母さんであると同時に、七つの大罪に数えられる魔王でもあるんだ。こと悪巧みのレベルにおいて、僕なんかの想像をはるかに超えたところにあって当然なんだ。
『モンパルナス駅はパリの中でも巨大な駅で、地上の駅舎だけで三つも隣接しており、郊外の空港と繋がるバスターミナルなど周辺設備も充実しています。さらにこれらは裏方の業務、メンテナンス通路などが地下で複雑に結びついているので、死角や袋小路も多い危険な立地と評価できます。特に、一対多の状況では不利に陥りがちですね』
「……言っても公共の駅だろ。案内図くらいどこにでも転がっているはずだ」
『大きな駅ですから対テロ関連の理由から一般公開されていない職員施設や通路が多数ある他、ユリナ夫人率いるJBが瓦礫で通路を塞いだり、天井に穴を空けて梯子で繋いでいる可能性もあります。もはや既存の見取り図はあてにならないと見るべきです』
アブソリュートノアとして勝ちたいのか、JBとして勝ちたいのか、まだ見ぬ第三勢力に属しているのか、あらゆる組織を束ねる上位構造でもあるのか、全ての組織に共倒れしてほしい破滅的な個人なのか。
ダメだ、読めない。
新たな事実が分かっても、そこから答えを導き出せない。拡散していくばかりで一つの答えに絞り込めない。天津ユリナは、それくらい深い。底が全く見えないくらいに。
個人として勝てない。地形の面でも不利。組織のパワーバランスさえ見えてこない。挙げ句に、アナスタシアっていう人質まで取られている。
はっきり言って、逆転の条件がない。
たったの一つも。
俯いて、搾り出すように呟いた。
「……それでもアナスタシアは諦められない」
『彼女はアークエネミー・シルキーです。単純な耐久力なら人間のユーザー様より上のはず』
「そういう問題じゃない! アナスタシアはここまで無償で付き合ってくれたんだぞ。本来ならパリに来る理由さえなかった。僕が巻き込んだんだ、このままにしておけるかッ!!」
マクスウェルがここまで僕のコマンドに反発するなんて珍しい。さっきも言ったけど、基本はユーザーである僕が望めばどんなデータでも表示してくれるはずなのに。
何となく理由も分かっていた。
「僕と義母さんを対立させるのが怖いのか、マクスウェル」
『システムに恐怖などという分類不明な機能は実装されておりません』
「……僕がもう一度自暴自棄になるのが怖いのかって聞いてる」
そう言えばあの時もアナスタシアと一緒に行動していたか。ラスベガス壊滅の時にアブソリュートノアや義母さんが絡んでいると知って、僕は初めて天津ユリナと衝突した。ほとんど暴走・暴発と呼べるような酷い代物で、自分でやっておきながら僕は僕の心を半分くらい砕いてしまったと思う。
僕の安全を守るのが第一なら、確かに止めるかもしれない。
勝てる見込みはまずないし、勝っても僕の心は無事じゃ済まない。これは、どう考えたって割に合わない破滅の選択肢でしかないんだから。
でも。
だからアナスタシアを放り出して一人で逃げるっていうのは、ナシだ。
そうしたら、その時こそ、天津サトリって魂はぐしゃぐしゃにひしゃげて原形もなくなると思う。
パリがこうなったのが本当に義母さんのせいなら、絶対に止めなくちゃならない。アナスタシアの安否がはっきりしないならきちんと確かめなくちゃならない。
『ユーザー様、どちらへ行かれるのですか?』
「お前が道順を出してくれないなら勝手にやる」
『そちらは逆方向ですよ』
「ああ! 現実なんか過酷だ、ボスキャラの超絶ド派手な必殺技だけが死因だなんて限らない。この暗闇の中じゃ、本当に何の意味もなく道路の亀裂に落ちたりビルの瓦礫に押し潰されるかもしれないな! 非力で無能な僕一人じゃ!!」
『……、』
「だけどお前がいれば話は変わる。手を貸せよマクスウェル、お前は理不尽な天災から人を助けるために演算する災害環境シミュレータだろ。こればかりはノーとは言わせないぞ、僕がこの手でそう作ったんだから。だったらアナスタシアを助けるために力を使え! お前が計算して僕が手を動かす。お前がいなくちゃこの問題は解決しないんだ!! 頼むよッ!!」
マクスウェルが本当に沈黙した。
長考に入っているのか、応答しないという意思表示なのか。
一秒一秒に命を削られる想いだった。
耐え切れなくなったのは、僕の方が先だったと思う。さらに一歩、闇雲に進もうとした時だ。
メッセージがあった。
『……今この場において、システムの最優先事項はユーザー様の保護とみなしております』
「ああ」
『そのユーザー様が自殺行為に突っ走るのであれば何としても阻止しなくてはなりません。しかし残念ながらシステムには物理的なアームがありません。よって極めて遺憾で非推奨ではありますが、愚かなユーザー様の行動を黙認しつつ死亡率を下げるよう適切な助言を行うしかないでしょう』
「正直に言えよ、お前だってアナスタシアが心配なんだろ」
マクスウェルは明言しなかった。
モンパルナス駅。
この災害の連続だ、おそらく向こうもまともに機能していないだろう。今や魔王の潜む鉄とコンクリートの迷宮だ。
それじゃあ、魔王の城まで行って絵本のお姫様でも助けに行くか。
『ユーザー様こそご無理をされる必要はありません』
「何が?」
『心配なのではないですか、よりにもよってJBなんかと関わりを持ってしまった天津ユリナ夫人が。リスクで言えば、この「借金」は闇金どころではありません』
「……、」
だからお前に頼るんだよ。
僕が人の情に引きずられそうになった時、選択次第で家族は壊れるものだってトラウマに呑まれて、極めて重要なあと一歩を踏み込めなくなった瞬間。それでも客観的に状況を眺めて勝負を続けるために、シュミレータであるお前の力が必要なんだ。
6
地震とは違う、細かい揺れが不規則に地面を揺らしていた。そのアスファルトもあちこちひび割れていて、断面同士が乾いた音を立てて噛み合っている。
「……また地盤だかプレートだかか。あと何回流星雨が降ってくるんだ?」
『電波状況に注意。下敷きと同じ理屈ですが、擦り合わされる質量が桁外れですので静電気による通信障害の懸念があります』
短い呻き声があった。
喉の渇きに耐えかねたのか、近くの噴水を覗き込んだ若者達が震えていた。暗がりだから分かりにくいけど、スマホのライトを向けてみると水面が赤く澱んでいるのが分かる。大気中の粉塵を吸った汚い雨とも違う色だ。
「何だ……あれ?」
『毒物ではないでしょう。水道管の赤錆が、激しい衝撃に揺さぶられて剥がれたのでは』
「元々、海外の生水に手を出すつもりはないけど……」
『この調子だと地下水も濁りが生じているでしょうね。市民生活はもちろんですが、ミネラルウォーター産業への甚大な打撃が懸念されます』
そもそも普通の活火山や断層と無関係に溶岩や火山性のガスが飛び出しているんだ。そういうのは水質検査からやり直しだろうな。
「でも、水か。後で手作りのろ過装置でも作った方が良いかな。こう、ペットボトルサイズの」
『ノー。街中でこれだけ火災や交通事故が頻発しているのです。薬品倉庫が瓦礫の山と化していたり、炎の中に化学系の貨物列車でも転がっていたらどうするのですか。安全の一言を得るためには際限のない努力が必要となります、登録されている全ての化学物質に対応した精密検査となると国立研究所レベルの施設を使わなくてはなりません』
……それじゃあ容器に詰めたミネラルウォーターの掴み合いになる。工場からの補充もないし、お店の棚なんかもう空っぽになっているんじゃないか? まあ、今は水道管に頼らないでっかいウォーターサーバーなんかも結構普及しているみたいだけど……。
『モンパルナス駅まで五〇メートル圏内に入りました。都市部の暗闇と言ってもそろそろ危険です、特に専門の暗視装備に注意』
「っ」
気を引き締め、身を低くする。もう目の前の目的から逃げていられない。
魔王の城はすぐそこだ。
「マクスウェル、分かっている範囲で良い。実際に踏み込む前に例の駅についての基本情報を確認したい」
『シュア』
こういう時、マクスウェルは正確だ。
隙のないデータがこっちの心まで抉ってくる事もあるけど、変な出し惜しみで損をさせられる心配はない。
『モンパルナス駅は先ほども言った通りパリの中でも大きな駅で、三つの駅舎を合わせた場合表面上の敷地面積だけで一辺三、四〇〇メートルに届きます。日本の学校なら二つ三つは校庭ごと収まる規模ですね』
「……それだけ探索は容易じゃないって訳か」
『シュア。当然ですがユリナ夫人やアナスタシアがどこにいるかは不明で、ユリナ夫人側が単独なのか複数の部下を引き連れているのかもはっきりしません。部下がいるとしたら、その一人一人が海風スピーチアや蛍沢ケズリレベルのキャストとなるでしょう。事前に外から観察を重ねるべきですが、それだけで情報不足を補える状況とは思えません。今から屋内探索用の陸上ドローンを調達するのも現実的ではないため、ユーザー様が直接中に入って不足を補うしかない状況です』
「分かった」
『何がですか。この災害環境シミュレータをもってしても、ユーザー様の生存率を計算できない状況です。何しろユリナ夫人を中心として不透明な部分が多すぎます。重ねて言いますが強く非推奨、今からでも黙って引き返すのが最も賢い選択であるのは間違いありません』
「それならアナスタシアを助けたいならすぐ動けって事だよ。明日の天気か週間天気かと一緒だ、時間が経つほどブレが大きくなって予測が一層難しくなる。助けるならここだ、お前だってそう思っているんだろ。今を逃したら、もうチャンスはないって」
ただ、不気味な振動や暗闇に怯えながら先に進んでいくと、ちょっと様子がおかしかった。
モンパルナス駅自体は一個の巨大なハコモノじゃない。どうもいくつかの建物を使って中庭みたいな大きな空間を囲っているようだった。建物のシルエット自体もあちこち割れたクッキーみたいに崩れているけど、でも問題なのはそこじゃない。
人の気配がするんだ。
それから焚き火らしき炎の揺らめきも。松明とかじゃなくて、多分ドラム缶の中に折れた木材でも突っ込んで暖炉の代わりにしているんだろうけど。
「っ?」
正しい動作かどうかなんて知らない、とにかく手近な瓦礫の裏に飛び込んだ。スマホの画面を空いた掌で覆って光を隠しながらも、マクスウェルに声を掛ける。
「何だありゃっ、義母さんじゃないぞ。普通に何人も人がいるじゃないか!?」
『オテルデザンヴァリッドから人を追い払ったJBのビッザとは異なる対応ですね。一律の戦闘マニュアルが存在する訳ではないのでしょうか。モンパルナス駅自体は敷地面積の広い公共施設ですから、避難所に認定されるか否に関わらず多くの人が自然と集まりそうな立地でもありますが』
「……だから何だ。今さらパリ市民に歩み寄ったところで義母さん側にメリットでもあるのか、それ?」
何しろ天津ユリナとJBが繋がっていた場合、流星雨を落とした張本人って事だ。言葉で取り繕って一時的に民衆を味方につけたって、正体がバレれば一瞬で掌を返されるのは目に見えている。
普通の人はJBなんて組織を知らないんだから、あれが人為的な災害だなんて疑いようがない?
でもそれは、後ろ暗い事情を抱えた人間が絶対安心とまで言える話かな。そもそも正しい答えを導き出すまでは暴力はやってこない、なんて話でもないんだし。
筋の通らない妄想や勘違いからでも、災害下の暴力は発生しうる。
『ユリナ夫人を敵に回した場合の戦術の読めなさは毎度の事ですが、木を隠すなら森、混乱すら利用する、マッチポンプの吊り橋効果などが見込まれるのでは?』
「吊り橋効果?」
『暴力的な独裁者がカリスマ性を持つ事もあります。人は直近の危機から救ってくれるならそもそもの元凶が何だったか忘れられる、不思議な生態を有しているものでしょう?』
……まあ戦国武将だってそんなものか。民衆の英傑・猛将だった織田信長や武田信玄なんかは多くの民を守って人気を博したけど、そもそも武将達が天下が欲しいなんて身勝手な夢を持たなければ人が死ぬのが当たり前の戦国時代なんかやってこなかった。手に入れるにしても、話し合いではなく武力の行使が当たり前と判断したのは彼らなんだし。
「とはいえ相手は義母さんだ、油断は禁止。最悪、『その程度の暴力なんてリスクの内にも入らない』の可能性だってある」
『シュア。アブソリュートノアという組織の構成を見る限り、そこまで人間を侮っているとも思えませんが。それでも魔王リリスなら何でもあり、に一票です』
とはいえいきなり突撃は怖い。
しくじれば、アナスタシアの未来まで閉じるんだ。
身を低くしたまま、広大なモンパルナス駅の周りをゆっくりと回る。最低でも、あちこちにいる人達が義母さんに丸め込まれた仲間(または部下)なのか、単なる居合わせた避難民なのかはジャッジしておきたい。それ次第で、横を素通りできるのか全員の視界から隠れて進まないといけないのかが変わってくる。
一刻も早くアナスタシアを助けたい。
そしてできれば天津ユリナに話を聞いて、JBと手を切らせたい。
闇に紛れて遠方から観察し、じりじりと心を炙るような情報収集を進めていく内に、分かってきた事があった。
「……あの人達、無線機みたいなのを持っている様子はないな。焚き火を囲んでいるだけで、周りに視線を投げる風でもない」
『時折スマホに目をやっている人もいますが』
「電波状況を確認してるんだろ。言葉は分からないけど舌打ちしてすぐポケットに戻してる、それの繰り返しだ。警察や消防以外の一般回線は今もずっと圏外なんじゃないか?」
僕やアナスタシアのスマホが通じるのは、JBのウイルスを書き換えて警察系のネットワークを冒し、通信データの権限を吊り上げているからだ。警察、消防、軍隊、行政。この災害下だ、これら非常回線以外の通信はみんな一律で遮断されているはず。彼らはそういう裏技を知らない。
つまり、
「一般人、だな。天津ユリナやアナスタシアは見ているだろうけど、多分名前も知らない。同じ避難民Aとして受け入れているだけか」
『なら状況次第では群衆を味方につけられるかもしれません。JBのキャストとして、天津ユリナ夫人が極めて高確率でアナスタシア嬢を誘拐・拘束している訳ですし。パリ市民が流星雨災害や核弾頭の深い情報を知らなくても、ここだけは現行犯です』
「大混乱で状況が予測不能になるだけだっ。怒りに燃えた民衆Aがいきなり善意の銃乱射でも始めたらどうする。本人は一一歳の女の子を助けるつもりでも、流れ弾がアナスタシアに当たったらそれまでなんだぞ」
それに僕は、義母さんを制御不能の暴徒達に預けるつもりもない。
自分だってどうしたいのかは整理できていないけど。
「……ひとまず周りを一周したけど、表とか窓とかに義母さんやアナスタシアは見えないな」
『モンパルナス駅は複数の路線が合流しております。商用施設の拡張のために地下を掘り進めているらしいので、おそらく迷路のように入り組んだ地下構造体にいるのでは?』
さらにもう一周回るけど、新事実はなかった。マクスウェルに電波や赤外線のやり取りがないか確かめさせ、停電下でも使えるカメラがないのを確認してから、そろりと駅舎に向かって足を向けていく。
『モンパルナス1、接近します』
敷地に踏み込む。三つある駅舎の内、いよいよその一つに近づく。
魔王の城。
表で身を寄せ合っている複数の人影がこっちに振り返ったけど、特に金切り声とかはなかった。僕はフランス人じゃないんだけど、寛容な人達だ。こういう災害下だと団結心が歪んで変なナショナリズムに化け、まず自国の救援が最優先、よそ者なんか排斥しようなんて動きに繋がる事も珍しくないんだけど。
『すでに天津ユリナ夫人を受け入れている訳ですしね。全ての元凶、JBのキャストとも知らずに』
「そりゃそうだけどさ……」
下手にこそこそしたり、武器を持ったりすると逆効果になるだろう。何も知らない人からすれば義母さんは避難民Aでしかないんだ。武器を持って追い回した場合、周りから見て『どっちが悪か』は言うに及ばず。言ってはなんだけど、天津ユリナの外見だけは世界で通じるレベルの美人だしなあ……。
善意からの行動でも血は流れる。
間違った情報に基づいた選択もありえる。
……この辺りの『見え方』については意識しておいた方が良さそうだ。前にも一回、ショップで泥棒と間違えられて殺されかけた訳だし。現時点で僕は『外国人の新参者』。普段と違う災害下、パリの人達からすれば、すでに不信感を持たれていても不思議じゃない。例えばアークエネミー・リリスとの戦闘に備えて物騒な武器なんかかき集めたら袋叩きに遭うかもしれない。
燃え盛るドラム缶の横を通って駅舎の中へ。
まるで野戦病院のようだった。
広い空間に明かりはなく、こちらは完全な暗闇だった。だけどスマホのライトを向けなくても、呻きで分かる。人がいる。それもかなり多い。おそらく硬い床に段ボールやビニールシートを重ねただけの簡易ベッドをたくさん用意して、怪我人達をずらりと並べて寝かせてあるんだ。
改めて思う。
これは都市型のオープンワールドでもサバイバル環境を楽しむゲームでもなくて、本物の災害なんだって。こんな所で重傷者がおざなりに寝かされている以上、瓦礫の街に救急車を走らせる余裕はないし病院だってまともに機能していないんだろう。本来なら助かるはずの傷で四苦八苦する人もいる。例えば糖尿病のインシュリン、喘息の携行酸素ボンベが必要な人はどうしているんだろう? 病気の数だけ医薬品や医療機器が必要なはずなんだ。
これ以上は許されない。
JBを止め、流星雨の墜落を止めないと。それどころか、場合によってはもっとひどい攻撃もやってくる。
新しい惑星を作るために必要な核弾頭。だけど手に入れたミサイルを全て使い切らなくては達成できない、とは限らないんだ。JB側が使えるのは二五発。もしも『余り』があるのなら、牽制として追っ手に撃ち込む可能性だってないとは言えない。
つまりは、僕達を狙ってパリの中心へ。
「義母さん……」
噛み締め、僕も動き出す。
可能性は低いと思うけど、スマホのライトを向けて床に寝かされた人達の顔を照らしていった。目的はアナスタシアを助け、義母さんを止める事だ。どさくさに紛れて人混みに隠れているリスクだって完全に否定はできない。
もちろんこんな所で取っ組み合いなんかしたくない。周りにどれだけ被害が出るか分かったものじゃないんだし。
だけど待ち構える側からすれば、追っ手が一番嫌がる環境を整えようとするはずなんだ。
『顔認識による照合完了、天津ユリナ夫人及びアナスタシア嬢は確認できず』
「……分かってる」
『それから、野ざらしにしては応急手当てのレベルが妙に高いのが気になります。おそらく高度な技術を有する人間が手を貸したものかと。包帯の巻き方や添え木の固定などがフランス式ではなく、日本式の救護手順なのも気になります。減災都市・供饗市で発達、全国へ普及を進めている医療技術ですね』
「……、」
『天津ユリナ夫人と決まった訳ではありませんよ。パリ市内に日本人または親日派のフランス人がどれだけいるかは未知数。仮にユリナ夫人だとしても、最短で効率的に群衆から受け入れられるための、キャストとしてのパフォーマンスという線が濃厚です』
「だから分かってるよ。ゲリラや麻薬カルテルだって警備とかインフラとかで地域還元くらいはするもんな、街に不可欠な存在となる事で民衆を味方につけて軍や警察の追及をかわしやすくするって訳だ」
アナスタシアをさらった、っていうのは事実なんだ。天津ユリナがどんなによそで人助けをしていたって、そこにはメリットがあると考えるべきだ。
しかし、
「義母さんからすれば、JBのビッザ=バルディアがリタイアして、そこから天津ユリナの名前が出てきた事自体はイレギュラーだったはずだ」
『シュア。それが何でしょう?』
「……そこから派生していったモンパルナス駅の篭城についても丸ごとそうだろ。困った時のリカバリー案くらいには考えていたのかもしれないけど、少なくとも第一候補じゃない。義母さんにとってもアドリブの連続になっているはずだ」
『シュア。余裕がなくなっているかもしれませんね。ただし、犯行計画の破綻は必ずしも歓迎できるものではありません。特に人質が絡む事件の際には』
「……、」
奥に進み、ずらりと横一列に並んだ自動改札を乗り越える。
不規則に細かい震動が続く中だと、重たい天井に頭の上を塞がれるのが不安で仕方がない。屋根に対する当たり前の安心感はなくて、丸ごと崩落のリスクに置き換わっているんだ。
そして怪我人だらけの一角を抜けると、今度は食べ物らしき匂いが鼻についた。携帯コンロを持ち込んで料理でも作っていたようだ。
「屋内だぞ……。窓も塞がってるし、一酸化炭素とか怖くないのかよ」
というかあの形のコンロ、ヨーロッパにもあったんだな。やたらと鍋文化に溢れたアジア限定のアイテムだと思ってた。
『それ以前に壁や床の中でどんな断線や破断があるか読めない状態です。ガス爆発を第一に懸念すべき危険状況ですね』
義母さんはどこだ?
アナスタシアはどうしているだろう。
気絶して大きなバッグにでも詰め込まれているのか、群衆には見えない位置からそっと背中に刃物でも押しつけられているのか。
ざっと見た限り、ここの人達は普通のパリ市民だ。あからさまに縛り上げられた状態の女の子を肩で担いでいたら流石に騒ぎ出すと思うけど。
駅は電気が来ていないのか、漏電からの電気火災を恐れてわざと非常電源をカットしているのか、とにかく防犯カメラも動いていない。やはり、しらみ潰しに調べていくしかなさそうだ。雑にやれば見過ごしが生まれる他、物陰から不意打ちを喰らうかもしれない。でも実は、義母さん側がこの駅に留まり続けないといけない理由もおそらくない。もたもたしているとアナスタシアを抱えたまま場所を移されるリスクもある。そうなったらヒントが途絶える。
「……ひとまず公式に載ってる案内図を参考にして、踏み込んだ場所を塗り潰してくれ」
『向こうも動き回っている場合はあまり意味はありませんけどね』
分かってるよ、気休めって事くらい。でも何か手近な所に小さな目標を立てていかないと途方もなさ過ぎて折れてしまいそうなんだ。
広い駅と言っても売店やレストランなんかは結構細かくスペースを区切っていて、金属のシャッターで遮断されている事も多い。
今からアナログな鍵を一つ一つ探していくとなったら相当骨が折れるけど、実際にはほとんどの錠前は壊されていた。水や食料を求めてっていうのが一つ、あとやっぱり寝床が欲しくて潜り込んでいる人が多い。大広間で雑魚寝じゃなくて、周りを壁で囲まれた個室を欲しがっているって訳だ。
血の匂いと呻き声で満たされた野戦病院じゃ気が休まらないのかもしれない。
ただ、それにしても、
「冗談だろ、地震だって起きてるのに……。レストランの厨房なんかいつ何時爆発するかもしれないっていうのに」
『トイレの床に寝転がっていないだけまだ理性的と評価すべきでは?』
時間も時間だ。
暗闇を引き裂くようにスマホのライトを向けると、いくつか不機嫌そうな呻きを耳にした。だけどやっぱり義母さんやアナスタシアは見つからない。
「駅員さんもいないみたいだな……」
『今日中に列車が復旧する見込みがないと分かった時点で、職務を放棄して自宅に帰ったのかもしれません。勤勉で定刻通りに働く駅員や運転士なんて日本にしかいないようですし』
……それもそれで偏見だと思うけど、でも本職の人間だけいなくなっているのは気になる。何だかファストフードの店員がハンバーガーを食べるのを頑なに断り続けているのを目撃したというか。
可燃ガスに高圧電線、大型変圧器や貨物列車があれば化学薬品も怖い。確かに駅は危ない場所でもあるんだけど。
「変だぞ、絶対変だ……」
『ノー、分析してほしい事があるのであれば具体性のあるコマンドをいただきたいです』
金属シャッターだらけのレストランや売店の並ぶエリアを抜けると、下りのエスカレーターが見えた。当然、電気がなければただの狭い階段だ。
「……こっちは地下鉄の乗り換えとか?」
『商用施設の新規区画のようですが、まだ稼働前のようです。近くを走る地下鉄とは業務用の出入り口で連結している可能性もありますが、開発中なので資料が少ないですね』
まだ見ていないエリアから優先して、全部回る。それが基本方針だ。多分まだ地上も抜け落ちはあるだろうけど、目についた所から調べたい。駅員さんしか入れない小部屋一つ踏み込むのに一時間かけるくらいなら、まず誰でも行ける場所を回って地図の大部分を埋めてしまいたいんだ。一般の図面に書いていない裏方の部屋や通路だって、周りを埋めていく事で浮き彫りになるかもしれないし。
「……エスカレーターから地下に向かう。電波状況に注意、あとかなり入り組んでいるからマッピングでヘマするなよ」
『ユーザー様こそ。その地理的構造から考えてどうやっても地下はリスク上昇を避けられません。ガス、酸欠、火災、崩落、あらゆる危難に備えてください。言うまでもなく死角からの奇襲も込みです』
画面端にあるバッテリーの残量を確かめてから、LEDライトを頼りに下りのエスカレーターへ踏み出す。
ガムテやルーペでもあれば暗視モードを使った手作りゴーグルも作れるんだけど……やっぱり怖いか。そういう特殊装備は何も知らない周りの人を警戒させる。地下フロアにいるのが義母さんだけとは限らないんだし。
ぱら、と。
頭の上に、細かい砂粒みたいなのが降ってくる感触があった。
『警告』
「マジかこのタイミングで地震なんてっ!?」
思わずゴム系の手すりにしがみついたけど、ダメだった。ずっ、といきなり足場が『ズレて』バランスを崩したんだ。
ちくしょう。
きちんとした階段じゃない。ギアやストッパーが外れたっていうか、止まっているだけのエスカレーターっていうのが裏目に出たっ!?
「わああッ!!」
視界がぐるりと一周回ったと思ったら、もう止まらなかった。
正直に言うと、痛みはなかった。
結構な高さだったし、実際に派手な音もした。エスカレーターだから一段一段のへりも刃物みたいにエッジが立っているはず。なのにパニクって頭の回線がきちんと繋がっていないのか変な脳内物質がバンバン出ているのか、体のどこからも痛みの信号がやってこない。
「……、」
ぱしぱし、と。
倒れたまま片手であちこちを軽く叩いた。すぐにスマホの手触りがあった。……不思議なものだけど、痛覚が全部カットされている訳でもないらしい。
「明日が怖いな、こりゃ……」
とりあえずむくりと体を起こして、自分の体を掌で探ってみた。どこか折れている様子はないし、べったりと血がこびりつく事もない。無事、って判断で大丈夫だろうか?
「ラッキー、なのか? なんか借金を後に回してるだけな気がするけど。マクスウェル、この先の通路はどうなってる?」
『警告』
やなメッセージが飛び込んできた。
バゴッ!! という鈍い衝撃音が上の方から響いた。何かが転がり落ちてくるっていうより、まずエスカレーター自体が踏んづけられた蛇みたいに暴れ回る。自転車のチェーンか、あるいはベルトコンベアか。とにかく一つの塊として連結されていた階段状のエスカレーターが、何か強い刺激を受けて持ち上がったんだ。シーソーの片方に全体重を掛けたように。
「わっ」
噛まれる、と思って足を引っ込めた。具体的な重さなんか知らないけど、踏み板と床の間に足を挟まれたら大変な事になりそうだ。
判断自体は間違っていなかったと思う。
ただ何故こうなったのかっていう原因の方にも目を向けるべきだった。つまり上方、巨大なシーソーの反対側に落ちたのは何だったのかっていう話。
バギバギめきめき、っていうガラスが砕ける音が連続した。
驚いてスマホのLEDライトを上の方に向けてみればエスカレーターの両サイド、透明な壁(?)みたいなものが破壊されていくのが分かる。何で? 決まっている。
何か巨大な塊が、エスカレーターの幅すら無視して転がり落ちてきたからだ。
『素材は耐火性樹脂と鉄筋コンクリート構造物、推定重量四・二トン。さらに
いちいち読んでいる暇はなかった。ろくに立ち上がる事もできず、とにかく倒れたまま横に転がってでもその場を離れる。向こうは坂道を下っているんだから、単に距離を取ってもボールみたいに転がってくる。だからエスカレーターに対して右手側に進んで避けるしかない。
甘かった。
向こうはまん丸のボールじゃない。エスカレーターっていうレールを失って自由を得た瞬間、軽自動車くらいの塊が不規則に跳ねたんだ。そう、ラグビーボールみたいに。
「うわあ!?」
おまんじゅうみたいにその場でうずくまった途端、すぐそこを巨大な塊が回転しながら突き抜けていった。危うく突き出た鉄筋に耳を持っていかれそうになる。それこそ交通事故みたいな激突音と共に、薄い内壁をぶち抜いて隣の部屋まで突っ込んでいった。
「……、」
騒ぎが収まっても、しばらく動けなかった。
『天井の一部が崩落したようです。度重なる流星雨の衝突、地震、噴火活動などにより建物の構造そのものが深刻なダメージを受けていると思われます』
心臓が痛い。寿命なんかこの数時間で相当すり減ったんじゃないかって思う。
うずくまったまま上の階を見てみれば、いくつか並んだエスカレーターはメチャクチャになっていた。踏み板はばらばら、大小のガラス片がスマホのライトの照り返しを受けて乱反射を促していた。この斜面を足だけで登るのは苦しいし、軍手くらいじゃ普通に鋭いガラス片が貫通しそうだ。
ここはもう使えない。
上に出るなら、別の出口を探さないと。
「マクスウェル、念のために出口検索。複雑に入り組んだ大きな駅なら他にもいくらでもあるだろ」
『シュア。ただしそちらでも同様のトラブルが起きていない保証はありません。通常の防犯カメラは使えないため、システム側でサーチするのは不可能ですので』
「分かってる」
こっちもアナスタシアを捜さなくちゃならない。改めて身を起こし、深呼吸して、僕は壊れたエスカレーターから地下フロアの奥へLEDライトを向ける。
その時だった。
異変があった。
とは言っても、大きな光や音が襲いかかってきた訳じゃない。むしろ逆だ。
そう。
いきなりスマホが死んだ。
バックライトもLEDライトも消えて、全方位が分厚い闇に包まれる。
7
呼吸が詰まった。
意味が分からない。もう頭が回らない。
確かに、だ。
雨の中を歩いたり、粉塵や煙にさらしたり、今だってエスカレーターから落ちたり。過酷な使い方をしてきたのは認める。認めるけどさ。
ここでか?
今このタイミングで壊れるかよ! スマホがっ!?
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
一発だ。
自分が長い道のりのどこかでミスしたのは分かる、そしてコンティニューも難易度変更もなかった。この一回でいきなり緊張が限界を超えた。
思わず絶叫したけど、それでスマホが直る訳じゃない。パニックに支配された頭を必死に使って、震える指先でボタンの感触だけ確かめる。ややこしい手動リセットを試すけど……ダメだ。うんともすんとも言わない。たった数秒足らずの待ち時間に心臓が破れそうになる。
何だ。
どうする?
これじゃ鼻先も見えない。相談相手もいない。足元のどこに亀裂が走っているか、いつ頭の上からトン単位の瓦礫が降ってくるか、一個も判断できない。
遭難。
吹雪の雪山や湿った樹海に一人ぼっちで放り出されたような孤独感だった。これじゃ義母さんと戦ってアナスタシアを助けるどころじゃない。迂闊に足を進めたら鋭いガラスや突き出た鉄筋でも踏み抜くかもしれない。
ぱらり、と頭の上に砂粒みたいな何かが落ちてきた。
そう、駅舎の崩壊だって止まっていない。ここでじっとしていれば安全なんて話ですらない。
動けば死ぬ。
動かないと死ぬ。
板挟みかよっ、ちくしょう!!
「冷静だ、冷静になって一個一個考えるんだ……。一度に全部とか、三段飛ばしなんて考えるな」
ほとんど生き埋めみたいな真っ暗闇の災害下の地下空間で、無理にでも自分に言い聞かせる。
まず、スマホが何故故障したのか、すぐに直せるものなのかは判断がつかない。この濃密な暗闇の中、特殊工具がないと開かないスマホの基板と睨めっこなんかできっこない。
かといって、真っ暗な中を勘を頼りに進むのも自殺行為。
となると……明かりか。
火でも電気でもいい。とにかくスマホの代わりとなる照明器具を確保しないと。ガスの匂いはしない、よな?
光。
それならプラスチック、ポリエステル、ビニール、何でも良い。とにかく合成樹脂があれば……。
「はあ、はあ」
とにかく財布を取り出して、指先の感覚を頼りにカードを引き抜く。それでごしごしと頭のてっぺんを素早く擦った。誰でも小学生の時に似たような事をしなかっただろうか。
下敷きと髪を使って静電気で遊ぶ、アレだ。
ぱちぱちっ、という小さな青白い光は、弱いフラッシュって感じだった。懐中電灯と比べると心細いにも程があるけど、それでも一瞬の光が網膜に残像を残す。
等間隔に並ぶ柱、壁、鉄扉、いくつか並ぶゴミ箱。それからティッシュの箱より大きな瓦礫がいくつか。
その残像を頼りに、恐る恐る進む。素手だとやっぱり怖い。付け焼き刃でも、上着を脱いで片腕に巻きつけておいた。防護した掌を使って探り探り歩を進めていく。暗闇の中でとにかく怖いのは鋭い突起の踏み抜き。下手に足は上げずに、ずりずりと摺り足の真似事をしながら爪先の感覚だけで床のガラス片をゆっくりとどけていく。
ひとまず壁際へ。
さらに手探りでも分かる壁に沿って、ゆっくりと奥へ進む。やがて、冷たい金属製のボックスに行き当たった。
「っ」
べたべた触って小さな扉を開け、分厚い合成繊維でできたバッグを引っ張り出す。固定具の明かりが点いていない時点で予測はできていたけど、ブザーは特に鳴らなかった。あまり馴染みはないけど、公共施設なら大体どこにでも設置されている電子製品だ。
AEDだった。
何も見えない中、手探りで大きなスイッチを入れると、オレンジ色のランプが光った。AEDは命を救う道具だけど、同時に高圧電流を使う以上『誤爆』のリスクもある。だからチャージ時には必ず注意を促すためのサインを発するはずなんだ。
頼りないけど、ないよりマシ。
部屋の蛍光灯とセットになった、小さな電球くらいの光源。それを頼りに改めてスマホを見る。画面にヒビが入っていたり、本体がくの字に曲がっていたり……なんて事はなさそうだ。ただそうなると、不調の原因はパッと見ても判断できない。今この場に特殊工具やテスターがある訳じゃないし、そう簡単に拾える品とも思えない。スマホについてはひとまず保留とみなすしかないか。
「……アナスタシアがそういうのポケットに入れてそうなんだよな、くそ」
ぐらっ、と足元がもう一度揺れた。コンクリートで固められた地下とは思えない、吊り橋とか小舟の上で立っているような不安定感。けどこれって地震か? あるいは地上じゃまた流星雨でも落ちたのか、駅のどこかでガス爆発でも起きたのか。確かにおかしな現象は起きている。なのにスマホってツールがないと、今自分の身に何が起きているかも分からない。僕は騒ぎの真ん中にいて、自分の命を危険にさらしているはずなのに。
とにかく奥に進むしかない。
でもこの暗闇だと考えなしに探索しても距離も方向も惑わされそうだ、ただでさえ複雑に入り組んだ地下フロアだし。となるとなけなしの明かりの次に欲しいのは……、
「……見取り図、だな」
思わず呟いていた。
半ば封印された地下に人の影はない。警戒して身を潜めていたとしても、一定以上の人数がいたら音や気配は伝わると思う。それがない。まるで深夜の学校だ。
無理もない、か。
僕だってどこでも好きな場所で寝て良いって言われたら、まず地上フロアで頑丈な所を探す。流星雨災害なんて無茶苦茶な中だ。地下フロアは一見造りが堅くて安全に見えるけど、もう建物の硬さ厚さで凌げるレベルを超えているのはその辺の子供でも分かる。いったん生き埋めになったらレスキュー隊に気づいてもらう事すら難しくなってしまう。
「これかな……」
いくつもガラスの扉が並ぶ辺りに、見取り図が掲げてある。開発中の新規商用施設だったか。でも、うわ、大雑把だな。縮尺とかはあまり気にしていないようだし、当然、立入禁止の職員施設は記載がない。スマホのカメラが使えない事もあって、いまいち頭に叩き込もうって気がしない。
もう少し、こう、分かりやすい。
それでいて持ち運びできるくらいのサイズ感だと……。
「パンフとか?」
けどなあ。
それ自体が観光地になっている東京駅とかならともかく、普通、駅そのものを紹介する冊子なんてあるのかな? 階段や廊下と一緒で、駅は基本的に通り道。目的地として紹介される事は稀だ。
火災時の避難経路とか、そういうのもありそうなんだけど……。駅員さんの事務室とか、もっと裏方も調べないとダメだろうか。
どうしたものかな。
そんな風に思っていた時だった。
もしゃいそ、
「っ?」
びくっと震えて思わず振り返った。
そこには何もない。けど、AEDのパイロットランプ、豆電球一個分ってくらいの淡い光じゃ闇を拭いきれない。はっきりした事は言えなかった。
何だ、今の?
耳元で小さな虫の羽音が響くような不快感。でも単なる音って感じでもない。一音だって聞き取れないのに、どこか粘ついた意志や感情の色がついていたのが分かる。
ていう事は、今の。
鳴き声?
声?
えべへん、ぶりはに、えるくいそ
勢い良く飛び下がった。
だけど耳元の声は離れない。正面には誰もいない。後ろに下がっても誰ともぶつからない。
何だ?
何なんだ!?
老若男女の区別はつかない。低い風の唸りと言われても納得してしまうし、正直そっちの方がありがたい。でも、この押し潰されるような濃密な暗闇に空気の流れなんて感じられない。
声。
……なのか? やっぱり。
暗闇が生んだただの幻覚か、あるいは骨伝導で共鳴するような超音波を使った音響兵器でも浴びている? 一発目に出てくるのが、もう荒唐無稽だった。これじゃ大真面目な顔して幽霊騒ぎの正体は錯視やプラズマだったと語るのと変わらない。
怖いのは、声そのものじゃない。
距離感。圧倒的な至近距離。これが本当に人の声で、耳元で囁かれているとしたら、もっと危険な事だってできる。もう僕の喉元は得体の知れない指先で撫でられているんだ。だから、怖い。パーソナルスペースに土足で踏み込まれた上、相手が何を隠し持っているかも不明で未知数。だから理性じゃなくて本能の部分が叫んでいる。ここまでされても何一つ抵抗できない自分がとことん無力なんだって嫌でも思い知らされる。
そもそもだ。
意味が分からない。
どこの誰だか知らないけど、こんな事ができるならそれこそ刃物でざっくりくらいは訳がないはずだ。じゃあ危害を加えるつもりはない? それもなんか違う。脅して威嚇するにしたって、僕には逃げ道もないんだ。元来たエスカレーターは壊れているんだから。
それとも、合理性なんかないのか?
ただ怖がらせたい、ただ楽しみたい。そんな考えだけでちょっかいを出してきているとでも言うのか。
JB。
キャスト。
いいや、安易に結びつけて良いのか? あるいは全く関係のない化け物の可能性は? パリ全域にはどれくらい深い闇がわだかまっているんだ!?
「はあ、はあ……!!」
明かりが弱い。
所詮はAEDについている小さなパイロットランプ、どっちを向いても闇は拭えない。必ずどこかに残る暗がり全部に誰かがうずくまっているように思えてくる。
向こうの独壇場だ。
また耳元にきた。
ぢついねいうぇふれぬぼいにサトリえけ
「っ!?」
明確に、音で聞こえる名前が混じってきた!?
……いい、や?
単なる雑音がそう聞き取れただけか? 何だ、どっちだ!? 今のに意味はあったのか、それとも何もないのか!!
疑問があった。
答えが欲しくて内側から破裂しそうだった。乱れ切った呼吸を意図して整えないと、息苦しさに背中を押されて両手で抱えたAEDを闇雲に床へ叩きつけそうになる。これが僕の心を混乱させる狙いだとしたら、この時点ですでに一二〇点だ。
さトリ、
「っ!?」
思わず近くの柱に背中を押しつけて辺りを見回すけど、ダメだ。やっぱり音源は距離も方向も掴めない。光が弱過ぎて闇が拭えないっていうのもあるし、最悪、僕の頭の中から響いている可能性だってある。
サトリ
それでも。
何かに捕捉された、って感じがした。漠然と騒音を撒き散らしているんじゃない。何かは僕を見据えて声を発している。
なんていうか。
古いラジオのダイヤルを回すっていうか、展望台にあるつまみのついた双眼鏡でピントを合わせるっていうか。何発か試し撃ちして、正しい間合いでも測っているようだった。
つまり、本番はここから。
どうしてきた、サトリ
「質問……?」
外から誰かが首を傾げているのか、内からの不安が形を持ち始めているのか。そんなのは知った事じゃない。
サトリ死ぬ。このまま行けば、分かっていたはずだ
「……、」
ぶつ切りだけど的確。まるで得体の知れない予言書のよう。まともな人間なら分かっていても口を噤んでしまうような内容でもズバズバ切り込んでくる。
何を。
こいつは何を期待している?
全くの通り魔じゃない。ストーカーみたいに、僕を選んで接触してきている。
やっぱりJB?
あるいはそれ以外の誰か???
ヤツは僕から何かしら答えを引き出したいのか、あるいは声をインプットした時点でもう目的は達成されているのか。
「っ、それを僕に聞いてどうする? なんて答えてほしい!? 何だったら台本でも渡してくれ、その通りに口を動かすかr
サトリ、今すぐころせる
……ッッッ!?
答えろ、サトリ。今すぐ。いやなら下がれ、しにたくないだろう、ばじゅる
心臓が、キリキリと痛むようだった。
前後左右上下、どこかに警戒していれば安心なんて話じゃない。僕は未だにこの声がどうやって届いているかも特定できてないんだ。最悪、頭の中身が内側から膨らんで弾け飛ぶ、なんて可能性だってないとは言えない。
普通に考えれば、逆らうのは得策じゃない。相手が誰であれ、僕は後頭部に見えない銃口を押しつけられている状態なんだから。
でも。
だけど。
「……僕はこの先に行く」
なぜ
「まだ調べていない場所がある。今ならまだアナスタシアを見つけられるかもしれない、義母さんにだって追いつけるかもしれない!! すぐそこの部屋にいるかもしれないんだ、ドア一枚隔てて。だったらここで引き返せるか!!」
不測のじたい起きている。サトリそれ分かるはず
ああ。
アナスタシアからの連絡は途切れた。義母さんは限りなく怪しい。というかビッザのスマホに名前があった以上、間違いなくJBに一枚噛んでる。最後に話題に出たモンパルナス駅に来てもやっぱり出迎えはない。地下から安全に地上へ上がる方法はなくて、スマホは故障、辺りは停電、おまけに全部織り込み済みって態度で暗闇からコンタクトが来た。
今、僕は限りなく死に近づいている。
それが分かる。
素人でも、ひしひしと感じてしまうくらいに。
言ってしまえば目隠ししたまま裸足で地雷原を歩かされているようなもの。全てを知る人間が見たら呆れるか卒倒するかの二択ってくらい崖っぷちにいるんだろう。むしろ、まだ死んでいないのがおかしいってくらいに。
サトリにきく
「っ、なにを」
アナスタシアとユリナここいると思うか?
「……、」
もちろん選択肢は色々ある。客観的に取捨選択して全部の流れの証明してみせるほどの情報は集まっていない。
それでも答えなくてはならない。ある程度は直感になる。しくじったら何が待っているかは想像もできないけど、少なくとも好転はしないだろう。
ここはそんな場面だ。
だから、
「いると思う」
何故?
現にこうして妨害が入っているから、っていうのは一番分かりやすいけど、実は何の証明にもなっていない。JBは組織犯で、しかもコンピュータウイルスなんかの高度な情報技術も持っている。ようは、最初から満遍なく街中に子飼いのキャストを放っていたり、僕とアナスタシアの通話を盗み聞きして後から兵隊を派遣してきた可能性だってあるんだ。
JBの子飼いや兵隊。
キャストの強さはバラバラだけど、蛍沢ケズリやビッザ=バルディアレベルがバカスカ投入されていたら最悪だ。そしてJBの最悪は、常にこっちの想像の五倍増しくらいで襲いかかってくる。
「アナスタシアの通話が途切れたタイミングが変だった。合流を妨害するなら、モンパルナス駅の名前が出る前に仕掛けるはずだ」
だとすると、こう。
モンパルナス駅って名前は、いきなり出てきた訳じゃない。
僕が今どこにいるか、ランドマークは何か。会話の流れがあったはずだ。聞かせたくないなら、もっと手前で断ち切れた。
つまり、
「妨害者は最初から聞かせるつもりだった。モンパルナス駅の名前を。しかもアナスタシアが穏便に通話を切る前に襲っている。切った後に襲えば、僕は何の警戒もしないでのこのこ駅に顔を出していたはずなのに」
あなすたしあ仲間か?
「ああ」
何故、といちいち聞かれなかった。
理由について話すのもセットの質問だったらしい。
今、僕はアナスタシアは襲われたと言った。これはアナスタシア自身がこっちを騙している、という可能性を排除している訳だ。
その理由は、
「アナスタシアが騙して僕を襲う気なら、もっと人気のない場所を選んでいる」
そう。
言ってはなんだがモンパルナス駅には人が多い。公共交通機関の大きな建物だから、家を失ったり不安がってるパリの人達が集まっているんだ。正直に言って、人を襲うには不向き。パリについて右も左も分からない僕は基本的にアナスタシアのオススメ通りに動くんだから、悪意があるなら人目につかない場所に誘い込むとかもっとやりようはあったと思う。
天津ユリナはしんようできる?
「……、」
したい、とは思う。
でも希望を第一に持ってきている時点で、感情優先になって論理が破綻しているのも自分で分かっている。
はっきり言えば、義母さんはグレーだ。
JBのキャスト、ビッザ=バルディアのスマホに天津ユリナの名前があったのは否定できない。これが嘘だった場合、解析を頼んだマクスウェルに悪意があるか、あるいは乗っ取られている事になる。
JBの技術なら不可能じゃない……かもしれない。
けどやっぱり、アナスタシアの時と同じく、マクスウェル側に害意があればもっとスマートに立ち回れたはずだ。言ってはなんだけど、困った時の僕のマクスウェルへの依存度は半端じゃない。この瓦礫だらけのパリなら、間違った食料調達方法を画面に表示するだけで間接的に命すら奪えるかもしれない。
そうなると、
「今ある状況だけだと、一番怪しいのは義母さんだ。少なくとも天津ユリナなら、アナスタシアの通話を隣で耳にしながら自分が望んだタイミングで襲えたはず。それとなく後ろに回って、死角からすんなりと」
ではあまつゆりな敵対者か? サトリやアナスタシアいのちを奪いにくる敵なのか?
……ここが、分かれ道だ。
これまであった事を全部思い出せ。希望、憶測、偏見、先入観、そういうのは全部ナシだ。
JBのスマホに名前があった。ここは曲げられない。
通話中のアナスタシアを襲って、僕をモンパルナス駅まで誘導した。これもほぼ確定。
天津ユリナには、僕の知らない顔がある。アブソリュートノア以外にも。
そこはもう否定できない。
ならその上で、だ。
前提を認めた上で。
……結局、天津ユリナとは何者なんだ? JBに属していて、僕やアナスタシアを騙して行動を共にし、手綱を握れればそれでよし、正体が露見するなど必要な機会があれば危害を加える。そういう結論になるのか。
「……、」
しかし一方で、義母さんがいなければ僕達はもっと早い段階でリタイアしていたはず。フランス国防省地下から無事に出られたかどうかすら怪しい。国防省は地下フロアを全て調べた訳じゃない。不測の事態で僕達と鉢合わせしそうになったからって、義母さんはどこかの一室で身を潜めていれば普通にやり過ごせたと思う。なのにわざわざ声を掛けてきた理由は? 義母さんは、僕達を助けるために顔を出している。そいつはその後の行動からも明らかだ。ではそれは、具体的に何故?
……僕やアナスタシアに何かさせたい事があって、達成するまでは泳がせる必要があった。
悪意的に見るならこれが一番だ。僕達は情報分野で専門的な技術を持っている。けど義母さんはフランス国防省地下のサーバーに一人で触っていた。僕達にできる程度の事なら彼女にも可能だ。だとすると、この線はない。
他には。
考えられる可能性は。
これしかないか……。
「天津ユリナは敵だ。少なくとも、僕とアナスタシアを合流させる気はない」
……。
「そして同時に、家族の僕を守ろうとしている。天津ユリナがJB側について何をしようとしているか、今の段階じゃ情報が少なすぎて断言できない。けど、それに僕を巻き込ませる気はなさそうだ」
沈黙があった。
痛いくらいに。
声がある方が不自然な状態のはずなのに、僕はいつの間にか謎の声の存在を受け入れていたらしい。当たり前の環境、無音の状態に漠然とした脅えすら感じている。満員の映画館でみんな一緒に感動して涙を流していたはずなのに大勢の人達が実は一人もいなかった。そんな孤独極まりない怪奇現象にでも巻き込まれたように。
こういう認識で合っているのか。
正解だったら何だと言うのか。あるいはこいつを油断させるためにわざと見当違いな事を話した方が良かったんじゃないか。
沈黙は続いた。
あるいはもう立ち去ったのか。そう思わせておいて襲撃の機会を窺っているのか。
そんな風にぐるぐる考えていた時だった。
「ちえっ、全部正解か」
ッ!?
今のはこれまであった幻聴かどうかもはっきりしない、正体不明の声じゃない。明らかに距離も方向も分かる、しっとりとしたぬくもりで空間内を満たしていく肉声だった。女性の声。AEDのセットを突きつけてみれば、意外なほど近くの柱の陰から音もなく人影が出てくる。
それ自体も心臓が止まるほど驚かされたけど、
「義母さん……?」
出てきた人影を見て、僕は目を白黒させた。
「なんだっ、じゃあ今のは全部義母さんだったのか!?」
「ま、いくつか足りないピースもあったけど、そこはサトリの知り得ない情報だから仕方なし。むしろ断言できない所は素直に保留にしたのもプラスに評価しましょう」
「さっきの、頭に響く声は……?」
「メガホン」
ただの、じゃないだろう。
くそ、この分野でも勝てないのか? 義母さんのハンドメイドは、僕なんかはるかに超えてる。
「お手製だけどね。知ってるサトリ、空気の振動は音色だけじゃなくて圧も加えられるからパーソナルスペースを侵害してプレッシャーをかけられるって話。幻覚・幻聴の作り方に興味があるなら後で検索でもしてみなさい」
「……、」
「それにしても、あそこでテキトーな陰謀論を並べて空白を埋め立てたり、感情論丸出しで家族を信じるとか言い出していたらさっさと落第だったんだけどなあ」
どうやら、だ。
僕は何かを試されていたらしい。しかも知らない間に合格扱いだ。……これがJB側の入団テスト、とかでない事を祈るばかりだった。未だに真意が読めないので、緊張なんか解けるはずもない。
何しろ天津ユリナは敵で、アナスタシアと合流させるつもりはないって断言したのは僕自身なんだぞ。
僕はごくりと喉を鳴らして、
「……アナスタシアは、どうした?」
「そこの柱の裏でうずくまってるけど」
思わず心臓が跳ね上がる。なんだっ、結局無事? 今のは義母さん達のイタズラだったって話なのか???
頭の中が混乱でいっぱいになっているこっちの気なんか知らないで、天津ユリナは気軽な感じでこう付け足した。
「結構本気で悶絶しているみたいよ? ほらサトリはアナスタシアちゃんについては一ミリも疑わないで守る助けるの一辺倒だったから」
丸い柱の裏に回ってみると、屈み込んだアナスタシアがわたわたと小さな両手を振って自分の顔を庇っていた。
「いやちょっ、見るな見るな見ないでトゥルース今ちょっとこの顔は!?」
「にゃはー☆ ナイト様に見つめられて一一歳が照れてる」
天津ユリナが茶化したように笑っていた。ただ僕としてはそれどころじゃない。
「けっ、結局何がしたかったんだ!? 義母さんがJB側についていた理由は!?」
「モチ、JB側の内側に潜って情報収集して、連中の動きを止めるために」
ぶいっ、と天津ユリナは右手でサインを送りつつ、
「実際、大きな戦争の前には太く線引きされる前にフェンスの向こう側へ行きたいって考えるVIPは少なくないのよ。どっちが楽勝ムードかを判断して浮かび上がれば良いけど、戦争がキツくなってくると切り捨てられるのよね。手の届く範囲にいるにっくき敵って事で、民衆の不満の矛先逸らしとして」
「……、」
確かに、だ。
JBが宇宙を漂う塵屑や岩塊を利用して新しい惑星を作ろうとしているって話は、義母さんが出処になっていた部分が大きかった。なら義母さんはどこから情報を仕入れたんだって話になるんだけど。
アブソリュートノアは確かに強大だ。
だけど布を被せて三、二、一で何でも取り出せる訳じゃない。情報を手に入れるには、そのためのアクションが必要になってくる。
だから?
「ま、そもそも最初の流星雨が降り注ぐ前にはボロは出ていたのよね。どうも潜り込んだ先のJB側も一枚岩じゃないみたいで、騙し切れなかった派閥から私に対する殺害命令も出ているようだし。お母さんも裏から色々試してみたんだけど、結局何も変えられなかったものね……」
当然だけど、僕達がパリに入った瞬間が全てのスタート地点になる訳じゃない。
天津ユリナを追っていた僕達は、最初から周回遅れだって自覚くらいはあったはずだ。
だから、もっと前に暗闘はあった。
流星雨を未然に止めるか否か、という一個前のハードルを懸けた戦いが。
でも正義が必ず勝つとは限らない。
一人で勝手に決断しないで僕達にも相談していれば……なんていうのは虫のいい話か。現実に、この災害下でこれだけおんぶに抱っこなら僕やアナスタシアなんてプロ同士がぶつかる戦闘では足手まといにしかならないのは火を見るよりも明らか。アブソリュートノアとJBの戦いは、文字通り次元が違う。こっちは義母さんに加勢しているつもりでも、JBからすれば狙いやすい弱点、出来すぎた人質がウロウロしているようにしか見えなかったはずだ。
「JB、放っておけばどうなるかは分かっているわよね?」
「それは……」
「パリを壊したのはそもそもの目的じゃない。彼らはサトリ達が事態を嗅ぎつけるのを恐れただけで、ここまでの寄り道をした。アブソリュートノアの重鎮である天津ユリナじゃなくて、民間の高校生一人の目をかい潜り、時間を稼ぐためだけにね」
「じゃあ、僕達のせいで……パリはこんな……?」
「どうかしらね」
義母さんは肩をすくめて、
「最初はアメリカ、ロシア、中国、インド、フランス、イギリスの各地で『陽動』するつもりだったみたいよ。共通点は何か、知らないはずはないわよね?」
「……、」
「誰の目を誤魔化すべきか、敵がはっきりしていたから連中も的を絞る事ができた。ま、もちろんこんなのはパリで暮らす人からすれば何の救いにもならないでしょうけどね。……こういう損得の勘定は、人間がやるものじゃないわ。悪魔の王がすべき事よ」
天津ユリナは自分の胸の真ん中に掌を押し当てて、
「そうなると、こっちも手段なんか選んでいられないわ。JBの尻尾は何としても掴む。私がヤツらのお仲間として見聞きしてきた情報を照らし合わせればそれができる」
「……通話中にアナスタシアを襲って不自然に途切れさせたのは?」
「これでも、ここがパリで一番マシな避難所候補だったからよ。モンパルナス駅は広いわ。サトリがいもしないアナスタシアちゃんを捜して延々と空回りしてくれれば、結果としてサトリは頑丈な屋内に留まる形になる。物資は不足しがちでピリピリはしているけど、少なくともここなら誰にも気づいてもらえずに干からびる展開はないし」
そっと。
僕は息を止めて、考えた。
……だとするとアナスタシアは自覚して芝居に付き合っていたのか。あるいはマクスウェルも? 地下に入ったタイミングでいきなりスマホが死んだのは不自然に思っていた。
「JBは必ず止めなくちゃならないわ……」
うずくまったまま、顔を赤くしたアナスタシアがそう呟いた。
「けど同時に、この上なく危険を伴うのも事実なのよ。どんな『攻撃』がくるにせよ、基本的に一発当たったら即死の人間にはキツすぎるわ。……ここから先は、頑丈なアークエネミーがケリをつけるべきだと思う」
「サトリが懸念通りに弱かったら、ね?」
義母さんは肩をすくめて、
「だから色々質問してテストしたのに、サトリったらことごとく正解を引き当てるんだもの。さっきも言ったけど、あそこで変な感情に引きずられて私を容疑から外したり、疑心暗鬼に陥ってアナスタシアちゃんの罠じゃないかなんて勘繰っていれば穏便に立ち去る事であなたをリタイアさせていたはずだったのよ? ……なのに、変に『強い』ところを見せてくれるから疼いてしまう。危険だと分かっていても、サトリの手を借りたいってね」
呆れた、のか?
いやなんか子供っぽくすねたっていう方が近いのかも。
「ただ、ここから先は命の保証はできないっていうのは単純な事実よ」
「そんなの、今までだって……」
「何だかんだで今回も助かるって思っていなかった? マクスウェルか、あるいはお母さんの助けがあれば」
っ。
「ここから先は、そういう『何となく』が本当に効かなくなると言っているの。だから私が取るべき次善の手は、ここで有無を言わさずサトリを締め落として意識を奪い、モンパルナス駅で寝かせておく事なのよ。こればかりは間違いなく」
「それは……っ」
「いいの、実際? 結構単純な反抗心から自分の命の行方を決めているように見えるけど」
っ、かもしれないけど。
こっちが本気で心配していたのに、義母さんやアナスタシアに騙されていたのは確かに何にも感じていない訳じゃない。パリ全域がこんなになったのに自分だけ確率的に一番安全な選択肢ばかりなんか独占していられないって想いがあるのも正しい。
でもっ。
「それに正直、私達としても楽は楽だわ。サトリがいなければ自分の戦いに集中できるしね」
くそ、畳みかけるように!
アナスタシアも目を逸らしている。そう、たった一一歳の女の子が言っていた。人間は弱い、この先には耐えられない。だからアークエネミーだけで決着をつけるべきだって。
ハッキングやサイバー攻撃の技術なら、アナスタシアや義母さんも持っている。何だったらマクスウェルが彼女達のスマホと繋がってアシストすれば良い。
僕が。
天津サトリ個人がそれでも立ち向かわなきゃいけない理由は、確かに一個もないんだ……。
「私達はサトリに甘えたい。だけどそれは、サトリにサバイバルの免許を渡す事にはならないのよ。だから良く考えなさい、考えて答えるの。あなたはこれからどうしたい? 逃げて生き延びたいと思う事は、決して悪い事じゃないわ。それを悪だと断ずる時、時代は壊れていくのよ」
ぐっ、と唇を噛む。
戦いたい。
と願う事は普通の毎日の中ならむしろ異質で、暴力を望む方へ思考が偏っている時点で僕は何かしら影響を受けているんだろう。あてられている。パリの惨状もそうだし、顔色一つ変えずにここまでやるJBもそうだし、何一つ食い止められなかった自分への怒りもある。
義母さんの本心は見えない。
何しろ自分の大切な家族を方舟に乗せられるなら、他の七〇億人を見捨てられる人だ。パリだって、いつか必ず滅ぶ街の一つ、と考えていればそれが早いか遅いかくらいにしか感じていない可能性だってある。
でも。
もしそうなら、僕はともかくアナスタシアまで助けた理由は? 魔王リリス、いいや天津ユリナにはおそらく自分でも気づいていない、優しくて人間臭い側面があると思う。
そう信じたい。
なら、僕だって。
「……、」
けど。偏ってバランスを崩したまま下した決定は必ず僕自身にとって不利な結果をもたらす。それがどんな形になるかはさておいて、バットを使ってぐるぐる回ってから一〇〇メートル走った方がいつもより良いタイムが出るなんて話は絶対ない。
これが、赤子の手をひねるような話なら多少の誤差があっても結果はブレない。
しかし、JBは違う。
ただでさえ後手。さらに余計なオモリを乗せられたら、死の可能性から逃げられなくなる。
「……分かってるよ」
そうやって。
絞り出すように洩らしたのは、ほとんど泣き言みたいな言葉だった。
「そもそも僕がフランスまでやってきたのは、JBと戦うためじゃない。とにかく怖いのは二大組織の全面戦争で、だからアブソリュートノアの武器を引き出そうとしてるって話が持ち上がっていた義母さんを止めるのが最優先だった。つまり話の通じる相手を言葉で止めるのでも命懸けだったんだ。それが最初から会話の通じない、殺す気全開のJBを相手にするなんて完全に想定外だ。最初の流星雨だって完全に不意打ちだった。そんなの目的からズレてる。小さなアジを釣りに出かけたら沖の方でマグロを見つけたからあっちにしようぜって言ってるのと同じで、そもそも糸も仕掛けも違うんだから無理に挑んだって竿ごとへし折られるだけだ。だからまともに考えたら、JBとなんか戦うべきじゃないんだって」
だから、理解はできてる。
世界は僕の登場なんか待っていない。僕がいなくたって勝つ時は勝つし、僕なんかいたって負ける時は負けて人類全部滅亡する。途方もない核戦争や氷河期なんかやってきたら、僕が個人の力でどれだけ暴れたって結末なんか変わらない。本当に世界を動かせる人間なんて一握りで、それは当然ながら僕じゃない。
想像くらいはできているんだよ、それくらい。
けどさ。
だけどだよ!!
「それじゃ結局何も変わらないだろ!! 散々あちこち回って死に損なって、ここまで来て何だ。最後は本気出した義母さんとJBが正面衝突すればめでたしめでたしか? こっちはその馬鹿みたいなスケールの最終戦争を止めるためにわざわざ日本からここまでやってきたんだ!! ああそうだ、思春期反抗期の高校生なら一発で自殺できるような事を言ってやる。義母さん、僕はアンタをそういう全部のしがらみから引き剥がして助けるためにこんな所までやってきたって言ってんだ! 魔王リリスでもアブソリュートノアの指導者でもない、天津ユリナを!! それをッ! 手前勝手な親の理屈をこねて!! 最後の最後まで来てあっさり手の中から取り上げようとしてんじゃあねえ!!!!!!」
ここからは危ないから先に帰る、じゃない。
危険なら危険なほど誰も置いていけない。それでも誰かがやらなきゃならないなら、僕がすべきは母親の服を掴んで人の後ろに隠れる事じゃない。
前に出ろ。
この背で庇え。
何のためにここまで来た。
安全な場所で結果だけ聞きたいならそもそも日本を離れる必要なんかなかった。この手で掴みたい手があったからここまでやってきたんだろう。だったら手を伸ばせ。家族が、奈落の底へ落ちる前に。
戦争を止める。
もう先制攻撃は始まっていて、取り返しのつかない事になっているかもしれない。誰がどう見たって最初に一つでも流れ星が落ちた時点で、僕達が失敗していたのは間違いない。
「指図なんか受けない」
それでも最初に決めただろう。
家族を守ると。
「僕は自分のやりたいように生きる。これだけのものを見ておいて、平気な顔してもう巻き返せないからスコアに響くので帰りますなんて言い出すような人間にはなりたくないんだ! これ以上ひどくしたくないんだよ!! そんなアリジゴクみたいな展開に残したくないんだよ、誰も……。だから、僕に! アンタを守らせろ、義母さん!!」
反射で天津ユリナのローキックが飛んできた。
直前までどう踏ん張ってようが痛いものは痛い。痛覚は誤魔化せない。
「いって!? なに?」
それから何故か抱き締められた。
「ああッもう!! 二重底まで仕掛けたのに一〇〇点満点か!? いとしのわがむすこよー!!」
「ぶっ! もがむがふがー!?」
ちょっ。
思春期反抗期として自殺できるアクションをしてるって警告したのに!! 普通に困るし、アナスタシアもすっごく見てるじゃんこれ!?
もがきにもがいて、ちょっとした泥沼みたいなおっぱいから顔を引っこ抜く。呼吸を確保する。
義母さんは全く懲りていなかった。
「……しかしそうなると人間のサトリも連れていく事になるから作戦変更か。アークエネミーの頑丈さに頼って、真正面から強引に弾幕を突破するって選択肢はなさそうだし」
「アンタ、吸血鬼だのゾンビだのと違ってボディの耐久力だけで言えば人間とほとんど変わらないんじゃなかったっけ……?」
「お母さんは良いのよ、よけるから」
さらりとであった。
そう、動きが普通じゃないのだこの人は。
こっちはそもそも向かい風で水平に飛んでくる『弾幕』っていうのが具体的に何なのかも見えていないのに。
アナスタシアがこっちに寄ってきながら義母さんの方に言った。
「トゥルースを連れていくなら、当然あっちの問題も考慮しないといけないわよ」
「分かってるわ」
? と僕の方が首を傾げてしまった。話題の中心に自分がいるのについていけない。
アナスタシアはその理解の遅さ自体に危機感でも抱いているようだった。ついには迷子にならないよう気をつける的な仕草で手まで繋いでくる。
一一歳のアナスタシアが親で、高校生の僕が子の立ち位置なんだけど。
片目を瞑り、ややむくれたような調子で彼女は忘れていた前提を繰り返した。
「これだけの規模を持ったJBが、どういう訳かトゥルース個人にひどくご執心なところよ。それも仕事にプライベートをガンガン持ち込む天津ユリナとは違った理由でね」
8
そうだ。
ずっと前から気になっていた問題だった。天津ユリナがJBに潜っていたのなら、どうして連中が僕にこだわるのか、その辺の事情も掴んでいるかもしれない。
「きちんとした答えってレベルじゃない、とか言っていられる空気じゃないわね」
義母さんは肩をすくめて、
「とはいえ、私も完全に全て把握した訳じゃないわよ。結構強引な手を使ってJBに取り入ったけど、何分時間がなかったから、私が潜ってるのってまだ目玉焼きで言うなら外側の白身の部分なのよね。明らかな異物なんだけどあるに越した事はない、ベーコンみたいな感じ? 率直に言えば中心の黄身には指先が届いていないの」
「……そもそもJBの中心ってどこにあるんだ? 人間? アークエネミー? それともシミュレータのフライシュッツ???」
「その辺からして謎。お母さんは目玉焼きって言ったけど、ほんとは黄身も白身もないスクランブルエッグなのかもしれないわ」
絶対王政か、何人かの幹部を集めた合議制か、はたまた草の根運動か。そこを教えてもらえるほど深くは立ち入っていない訳か。
どこに中心があるのかはJBと一体化すれば感覚的に分かる、それが理解できないのはお前が組織に嘘をついているからだ。そんな風に難癖つけられても困る訳だし。囮捜査の基本は自分からはあれこれ質問しないで情報が滲み出てくるのを待つ、って話を聞いた事がある。何でも食いついて根掘り葉掘り追及する新人は怪しまれるって事。
ただ……。
JBのキャストって名乗る連中はこれまで何人も出会ってきたけど、価値観が特殊っていうか、仲間意識がほとんどなかった。少なくとも、ヘマした仲間を助けに行く素振りは見せない。今回、水神セベクを操ったビッザ=バルディアはヘリで回収されそうになっていたけど、あれだって許容の範囲だからじゃないのか。本当にリカバリ不可の脱線を起こした場合は、容赦なく切り捨てられていたと思う。
……囮とはいえ、本当に潜って大丈夫だったのか、義母さん? ヘマしただけで許さないなら、明確な裏切り行為に対してJBはどう動く。使い捨てリストに登録されただけのような気もするけど。
「その上で」
指を一本立てて、義母さんが何か区切るように言った。
ここからが本題だ。
「JBはとにかく予定調和を嫌う組織みたいなの。これは、アブソリュートノアみたいに『このまま進めばひどい終末が待っている』感じじゃないわね。世界全体が最高速度で分厚い壁に向かっているから慌ててブレーキかけなきゃっていうんじゃなくて、停滞した今の世の中がすでにもう地獄の中にいるって考えている」
「停滞……?」
JBって言葉自体が『脱獄』を指しているようだけど。
義母さんは頷いて、
「平和な世の中が、与えられるだけで満足してしまう今の世の中が許せない」
「……、」
「だから、そういったものを破壊する。JBにとってはね、強い弱いはあまり関係ないの。むしろ善玉の最強格って誰かの思惑に従って予定調和で力を授けられている事が多いから。救国の英傑とか、神の血を引く戦士とか、そういう操り人形の最強はお呼びじゃないのよ」
「じゃあ、僕が付け狙われているのは……」
「強さ弱さじゃなくて、レアリティ。珍しい結果をもたらすエラー因子ってところかしら」
「JBは善玉が嫌い。しかも優先は固定の最強じゃなくて、流動的に応用できる抜け穴、脆弱性だって?」
「まるでハッカー組織だわ」
アナスタシアがぽつりと呟いた。
確かに。
軍用シミュレータとか神を改ざんするとか、ちょっと前からそういうイメージは付き纏っていたんだけど……。
完璧でない世界が受け入れられない。だからみんなにも知ってほしい、知って一人一人に世界の行く末を決断してもらいたい。
分かる。
すごく呑み込みやすいお題目だ。
……ただ、その結果がパリのこの惨状なのか? こんなのは絶対必要な計画じゃない、追っ手を撒いて本命を妨害されないように放たれた、保険でしかないんだ。
花壇を守るつもりで何を踏んづけた、JB?
そもそもJB自身、壊した壁の向こうにどんな世界が広がっているかきちんと理解しているのか。そこが今よりひどい場所って線は? 脱獄のチャンスを与え、可能性を示す。でもJB自身が新しい世界で何をやりたいか表明はしていないんだ。
自分ではイエスともノーとも言わず、それでいて大衆を過激な方向に誘い込む。いざ何かが起きても対岸の火事でいられる距離感を保ちながら。
まるでモルモットを使った実験じゃないか。
何も知らない希望者には危険性を伝えずただおだてて冷凍睡眠の装置に放り込み、健康面で問題がなければ改めて自分達もそちらに向かう。ヤツらはヒロイックにしんがりを務めているつもりかもしれないけど、JBがやっているのは弱い者の背中を槍でつついて今にも切れそうな吊り橋を渡らせているようなものだ。
「つまり」
ゆっくりと深呼吸してから、僕は改めて口を開いた。
「核弾頭を使って無数の小惑星を圧搾するとか、新しい惑星を作るとか。JBの訳が分からない計画の不確定因子になっているっていうのか、僕は」
「これまで、JBの態度はその時その時でまちまちだったと思うわ。きっと彼らの間でも揺れているのよ。トゥルースが使えるイレギュラーなのか、危険なイレギュラーなのか」
アナスタシアがそんな風に言った。実際に命を狙われる側からすればたまったものじゃない。けど、ちょっと待て。
……そういえば義母さんも口に出していたけど、JBのキャスト達は一枚岩じゃないのか?
だとすれば……正攻法以外もいける? 例えば僕一人の処遇を巡って、複数の派閥で対立を促し、内乱を起こすとか。影も形もない水面下のJBだけど、やり方次第では僕の立ち回りで内部崩壊だって……。
「いや、ダメか……」
「?」
アナスタシアがキョトンとした目を向けてきた。
JB自体の規模が未知数な以上、迂闊につついたら制御不能に陥るリスクが高い。内乱、というのが組織の中だけで区切られるとは限らない。代理戦争の形を取れば、知らない国と国が戦わされる羽目になる。当人達は背中を押されている事に気づきもしないで、自分の国や家族を守っていると最後まで信じながら命を落としていく。
ありえない、と笑う事なんかできない。
JBは、実際にパリでこれだけの事をした。自儘に災害を起こし、小惑星を人工的に落とした。すでに単純な戦争の域すら越えている。
災害だって戦争の引き金となりえる。理不尽に対する怒りをどこかにぶつけないと耐えられない、なんて話もありえる。衣食住を奪われ復興支援が滞れば恨みが生まれる。進退窮まれば国境線を強引に越えようとする個人や勢力だって現れるだろう。
僕は天津ユリナに向かって、
「義母さん、JBには囮で潜っているって言ったよな」
「ええ」
「それは今後も継続?」
天津ユリナは肩をすくめた。
「できると思う? こういうのは半々の天秤で揺れている訳じゃない、一〇〇%の信頼がなければ成立しないわ。九九でも九八でも、値が減ったら念のためで殺される世界よ」
……ならひとまず方向性は固まったか。いくつかの選択肢はまとめて除外で構わない。
その上で、念のため確認を取っておこう。
「だったらこれからどうするんだ。JB側が怪しんで扉を閉めてしまったら、もう義母さんだってJBの中心には近づけないだろ」
「そうね」
率直に天津ユリナはそう認めた。
特に堪えた様子もなく。
「けどこれまであった事を考えてみて。JBという組織は、身内の失敗や裏切りに対してどういう行動を取ってきたかしら?」
「……、」
やっぱり、そうなるか。
「JBは何としても裏切り者を処分したい。大雑把に災害に巻き込むなんて方法じゃ安心できない。核弾頭も以下略。むしろ死体はきちんと確認できる形が望ましい。この私、天津ユリナがアブソリュートノアの中枢にいる事は向こうも知っているもの。私が古巣に活きたデータを持ち帰る事を、JBは何としても食い止めたいはず。キャストの連中にとってもこのパリが最後のチャンスなのよ。ここで私を逃がして世界の奥に雲隠れされたら、流石にパパッと見つけるのは難しくなるでしょうからね。だから、やってくるのは現地調達の使い捨てじゃない。絶対にJBお抱えの精鋭を送り込んでくるはずよ」
秘密を守りたい側が秘密を握る者を最前線に送りつけるなんて本末転倒な気もするけど、ステルス機や主力戦車みたいなものか。ハイテクの塊である最新機は敵地で絶対撃破されるな、なんて無茶苦茶な命令をされるみたいだし。
そして、行動不能になった場合はテクノロジーを解析されないよう、味方の手で確実に破壊しろと。
狩人を捕まえれば重要な情報が手に入る。
ただし、
「……アンタが雲隠れした場合、JBからの炙り出し目的でトゥルースや他のアークエネミー姉妹が狙われる可能性は?」
「もちろんあるわよ。だから安全に消える時は一家全員になるでしょうね」
つまり供饗市を捨てるって訳だ、躊躇なく。これまでの暮らしとかご近所付き合いとかは一切お構いなし、この辺りはいかにもアブソリュートノアを率いる義母さんらしい。家族さえ守れれば七〇億人を方舟の外に蹴り出せるアークエネミーは、こっちの都合なんか何も考えていないんだ。
後輩の井東ヘレンも。
お隣の委員長も。
この世界との繋がりは、一瞬の決断で全部切り捨てられてしまう。それができてしまう。義母さんは、別に近所とギスギスしてる訳じゃない。お隣の委員長母とか、パートの仕事場とかにもコミュニティはある。だけど、できる。一番大切なもののためなら、笑顔で切り捨てられてしまう。だから、この人は神話の中では魔王なんて呼ばれているんだと思う。
アークエネミー・リリス。
説によっては七つの大罪の一角を占める何か。
「……、」
ゆっくりと深呼吸する。
……敵と味方どころか、同じ味方でも立ち位置は違う。この辺はきちんと頭に入れておかないと、勝って大切なものを失うなんて展開にもなりかねない。
このまま放っておけば、全部失って負けるか義母さんの思い描く勝ち方の二択しかない。最悪だけど、自分で結末に介入するためには、いったん流れに乗っかるしかなさそうだ。
勝つだけじゃダメだ。
自分の思い描く勝ち方を意識しろ。
「……プランを教えてくれ、義母さん。ただ刺客に襲われるのを待つって訳じゃないんだろ」
【Unknown_Storage】伝達事項、最優先【file07】
(作戦行動中の全班各キャストへ通達)
天津ユリナを始末する。
理由を問う事は不可とする。
命令は承認された。具体的成功のために必要な人員・資材を即時投入する事。
なお、付近に天津サトリを確認。軍用シミュレータ・フライシュッツでも次の行動は予測不可。最大限に警戒せよ。
(以降はA班未満は閲覧不可)
回収班を装ってヘリで現場入りする事。
第一波として投入される人員・資材はいずれも稀少価値が高く見積もられているが、最優先はあくまでも天津ユリナの完全な撃破となる。
戦況の悪化により現地入りしたキャストの回収が困難と判断した場合は、回収を切り上げてでも空爆を敢行し、標的の始末と確認を優先せよ。この際、同じJB側への誤爆被害は一切不問と約束する。
見捨てられた各班のキャストは手持ちの資材で諸君を道連れにしようとするリスクもあるが、それさえも逆手に取れ。例えば呪いを送り返す儀式や身代わりの道具などを使い、呪いの行き先をねじ曲げれば、身内の怨念すらも天津ユリナへの攻撃に使える。
全てを味方につけて事に臨め。
(以降はS班未満は閲覧不可)
A班以下は全て陽動であり、あらかじめ算出された損失可能人材に過ぎない。彼らの結果を待つ事なく即時最適と思われる行動を取れ。結果、JB側への誤爆は一切不問とする。君以外のあらゆるキャストは、全て消耗前提の弾薬や防弾ジャケットに過ぎない。目的達成のため、消費を躊躇う事なく使い切れ。
もっとも、正規軍では使えない君なら指示の内容に関わらず躊躇はしないと思うが。
目的は一つ、くどいようだが何があってもここで天津ユリナを殺せ。組織内の損害は無視してもらって構わない。
核弾頭は三発、小惑星は一〇個、天津ユリナ攻撃のためこれらをひとまず君個人に貸与する。追加については事後報告で良い、好きなように使え。
君が最後の希望だ。必ず成し遂げろ。
以上だ。
(以降はSSS班未満は閲覧不可)
いつも通り、SSS班の存在もろとも、あなた様の事は誰にも知られておりません。
もちろんあなた様を縛るルールなど一つもありません。現場入りした後は、思う存分暴れてください。
エリュズニルの元首様へ。