吸血鬼の姉とゾンビの妹が東京観光に来たようです。
……外はすごい事になってるけど
第六章

   第六章

 何千メートルか、何万メートルか。
 雲の高さを越えてしまった辺りで、もうそんなのいちいち数えている暇もなかった。おかげで雨なんか降っていない。分かっているのは肌寒い訳でもなければ息苦しい訳でもないって事。こんな、街並みが豆粒みたいに見える高さで地べたとおんなじ環境を整えるなんて普通じゃない。いっそ夢かバーチャルにでも飛び込んでいるんじゃあ、なんて可能性まで頭に浮かぶ。
 もうこれくらいの高さになると、スマホの電波は地上の基地局まで届かないものらしい。東京のど真ん中にいるはずなのに表示は圏外だ。
 表を曝露していて良い高さじゃない。
 しかも、だ。
「っ?」
 わたわたと手を振る自衛隊員がいた。
 でも違う。
 いきなり、すっと真下へ落ちたんだ。見えない糸でも切るように。
「なあっ!?」
 驚いて手を伸ばすけど、届くはずもなかった。どうしようもない悲鳴がドップラー効果で地上へ流れていく。
 見えなく……なった。
 今の、何がどう、なった?
 真下は水没した東京だけど、この高さだぞ。そんなの何の気休めにもなるか!!
 でも、ちょっと待て。
 なんだ。
 これは、何だ。
 気休めにならなかったら何がどうなる!? くそっ、どこの誰だか知らないが、理屈も分からない方法持ち出して自分から勝手に宙吊りにしておいて……!!
「おっ、お兄ちゃ……!」
 近くでは、青い顔したアユミが手足を振り回していた。白いタンクトップやジャージ、黒髪から宝石みたいな水滴が浮かび上がる。
 そのすぐ横を、黒い影が上から下へと突っ切った。今のは、自転車? それから球体みたいになった泥水や、自衛隊のヘルメットやアサルトライフルも。
「……ただの事故ではないのかもしれません」
「まさか……ふるいに、かけているっていうのか? ひとまずざっくり掴み取りしてから!?」
 どういう基準かは分からなかった。
 とにかく次々と雄叫びがあった。彼らは、自衛隊は、どうやら化け物のお眼鏡には適わなかったらしい。潮干狩りで死んだ貝を放り捨てるような気軽さで謎の浮力を断ち切られ、戦闘のプロ集団が何もできずに回転しながらただ落ちていく。
 あまりにもあっけなくて、豆粒みたいな街に消えてしまうのも手伝って、人が死んでいくという事実に自分の中のリアリティが追い着かない。
 ただ、漠然とした震えがあった。
 情けないけど、もはや他人の心配なんてしている場合じゃなかった。僕は、アユミやエリカ姉さんはどうなる? 何かの気紛れ一つであんな風になるっていうのか!!
 その時だった。
 がぱりと金属の蓋を開けるような重たい音が頭上から響いた。
 雲の上まで出たのに月は見えなかった。
 深夜の夜空を覆い尽くすほどの巨大な宇宙船、その底の部分が大きな口みたいに開いていったんだ。
 ……僕達は、招待客なのか?
 吸血鬼の姉さんは家主の許可がないと家屋に入れないって話があったけど。
 一縷の望み、と考えて良いんだろうか。宇宙人の目撃談なんてどれもこれもマユツバも良いところだけど、会ってハッピーな一日になったって話はあまり聞かない。というか、相手が本当に本物の宇宙人かどうかは脇に置いても良い。少なくともヤツは条件に合わなかったって理由だけで何十人もの人間を大空から投げ捨てるような心の持ち主だ。一体どんな歓迎会になるか、もはや想像もつかない。
「姉さん……」
 我ながら、馬鹿げた質問だと思った。
「宇宙人ってアークエネミーはいるの?」
「聞き及んだ事はありません。ショゴスという登録はあったようですけど、正体不明なモノにとりあえずつけたという感じでしたし」
 だろうよ。
 僕はバニーガールな女神様やパートのレジ打ち魔王な義母さんとは話をした事あるけど、これはあまりにベクトルが違い過ぎる。こんなのが許されたら合体ロボも巨大怪獣もみんな学術的に認められたアークエネミーって事になってしまう。
 どうする事もできず、最後に残った僕達三人は巨大な宇宙船に取り込まれた。デカい、あまりにも大きな倉庫のような場所だった。宇宙船のくせして二重扉みたいなものは必要ないのか。そして真下の大口が閉じたと思ったら、体が重力を思い出した。二本足で立つのがこんなに懐かしく思える日がやってくるなんて考えてもいなかった。
 いきなり四方八方の壁が複雑に動いた。
 ……いや、倉庫とかコックピットとか、間取りを意識した造りになっていないのか?
 学校の校舎くらいある『部屋』が次々スライドしていき、玄関口があっという間に大広間に変わっていく。全体で大きなハコモノになっていて、用途を選ぶたびに中を組み替えていく仕組みなのか。
 そう、大広間。
 果てなんてなかった。
 曲がりなりにも屋内空間なのに、だ。
 普段地べたで地平線や水平線が見えるのは、言うまでもなく地球が丸いからだ。でもこの宇宙船はそうじゃない。だとすると、深い水の底を覗き込むのと一緒か。空気も一〇〇・〇%完全に光を通す訳じゃないから、視程には限りがあるって話を聞いた事がある。けど、あれ、具体的な限界はいくつくらいだったっけ。二〇キロか三〇キロか。月や太陽はひとまず例外扱いとして、でも、東京からでも富士山は見えるらしいし、富嶽三十六景、あれって一番遠くから見た富士山はどこからだった? 何にしても、このUFO、実際にはどれだけ馬鹿デカいサイズのモノを浮かばせているんだ!?
 若干の肌寒さがあった。
 エアコンの冷房が強い、のか?
 むしろこの高さでずぶ濡れの全身が凍りついていないだけ、ここはまだまだ温かいのかもしれないけど。
「ふぐ、お兄ちゃん……」
 流石のアユミも不安げな顔で僕の上着をちょこんと掴んでいた。
 宇宙人。
 枯草色のデロデロ。
 だけど親玉らしき影はなかった。広間の中央でヤツらは何十何百と集まって小さな山を作り、ガラスでできた円筒形のポッドを王の棺のように恭しく掲げているだけだ。どろりとした液体が詰まっていた。その中には、紐で縛る形の紙の下着を纏う半裸の少女が仰向けに寝かされていた。
 いいや……?
『奉仕種族からの勧めもあり、多少なりとも会話のできる相手を選んだつもりだったのだがな。こんなガキか。まあよい、わらわの暇を潰してみせよ現地人。無理だと言うなら今すぐ放り出す』
 やはり広い天井。そこから軽く見積もって三〇〇インチ以上はありそうな巨大モニタがあった。しかも一つじゃない、四面に。大きなボックスでも形作るみたいに。まるで格闘技の試合やポーカーの国際大会を彩る大画面のようだった。
 そこに、だ。
 小柄な少女の顔が大写しにされる。いいや、こちらは本物ではないのか。寝かされている本体と違い、しっかりと両目は開かれ、勝ち誇った表情でこちらを見下していた。
 とりあえず、同じ言葉が通じるのが驚きだった。
 たった今到着したって訳でもないのか?
「アンタがデロデロの親玉だったっていうのか? あまりにカラダが違い過ぎるだろう!!」
『おいおい、こんな不気味なモノといっしょくたにしてくれるなよ。辺りにいるのは子飼いの奉仕種族に過ぎん。前の前の前……まあ正確にいつだったか忘れたが、惑星一つ潰した際の拾い物だよ』
 ……ダメだ。
 スケールが違い過ぎて、どこまでブラフか全く読めない。これじゃほとんどクトゥルフ神話の世界だ。もしくは香辛料ドバドバ入れて真っ赤になったカレーから隠し味を探せと言われるようなもんだ。しかも白い下着をつけた本体の少女はポッドで昏睡、モニタの顔は良くできた作り物。質問をぶつけても、表情や息遣いから狼狽を探る事もできない。顔を合わせての麻雀とネット対戦じゃ勝手が違うのと一緒。これじゃ会話で何かを引き出すのは至難だぞ!
「僕達を、どうするつもりだ?」
『いきなり結論を急ぐのか。平和だな、わらわが答えを言ったらそこでジ・エンドとなる可能性を考えなかったのかね?』
 っ。
『そうだ、試練の中にある者よ。貴様の命はわらわが握っている。後ろの二人もな。言葉は武器だよ、だから切り札の扱いには気をつけよ。しくじれば大空に、おっと今では宇宙へ投げ捨てられるぞ』
 宇宙。
 窓の外は見えないし、足元には自分の重さがのしかかっているけれど。実際の高度なんてどうでも良かった。少なくとも、ものは試しで放り投げられたら無事では済まない高さにいるってくらいは骨身に沁みている。
 冷房の寒さが、死体安置所のような不気味さを滲ませてきた。
 ……それにしても、こっちの心臓の軋みを楽しむような声色だった。相手が地球人であれ宇宙人であれ、誘拐犯は誘拐犯か。こういう犯罪をするヤツが捕まえた人質に対して下手に出るって話は聞いた事がない。
 人工重力だか何だかで床に足をつけたまま、僕は嫌でも考えさせられた。
 波風を立てるな。
 それでいて思考を捨てるな。
 頭を使って切り抜けるつもりで意志薄弱な操り人形にされちゃ意味がない。
「……そっちも災難だったな。何もこんな大嵐の日に攻め込んでくる事もなかっただろうに」
『はっは、よりにもよって天気の話か! 男女経験が浅いのか? ナンパの導入としては下の下だよ』
 それに、とモニタの顔は含みを持たせた笑みを作ってから、
『災難も何もない。あの爆弾低気圧は、わらわが作った気象兵器だ』
「なっ……」
『そこまで驚く事かね? 人工的に落雷やハリケーンを作るくらいなら、そちらの未熟なテクノロジーでも手が届くと思うが』
 ……確かに。
 僕だってラスベガスでの一件では災害環境シミュレータの力を逆手に取って、自分から人工ハリケーンを作った事がある。
 ネット通販大手ワイルド@ハントが大量のドローンを暴走させた一件では、活路を開くために人工衛星を落として隕石の空中分解に似た大爆発を起こした。
 でも。
 まさか、それにしたって……。
「スカイツールが突風で倒れたのも、東京が水浸しになったのも計画通りだった? 何のために!?」
『その電波塔だよ』
 天井からぶら下がる四面モニタはあっさりとしたものだった。
 罪悪感なんてないんだろう。
『使用可能帯域と言っても良い。ラジオ、テレビ、携帯電話、電波時計、レーダー、GPS、ドローン……。この星はたかだか七〇億人「しか」いないくせに、無秩序に電波を占有し過ぎる。いいや、自前の星の外にまで原子力電池を積んだ探査機を飛ばしたら飛ばしっ放し。思いつく限り、あらん限りの帯域を片っ端から垂れ流してな。こちらはただでさえ星系間航行において恒星のフレアだクェーサーだ重力レンズだ超新星爆発だでラジオビーコンを狂わせる阻害要因に苦しめられてきたのに、ここにきて人為的なミスまで許容していられるか。貴様達が邪魔をするなら、わらわ達も安全な航路保全のため阻害要因を物理的に排除する。自衛権はわらわ達が持つ正当な権利だ。電波の形で航路妨害する侵略者は断じて許さない』
 侵略者……。
 ……インベーダー。
 ???僕達の方が???
 地球の人間に悪意なんかない。こっちは宇宙人がこんな近くにいるって事さえ知らなかったのに!?
『無知を棚に上げるなよ』
 顔色でも読まれたのか。口に出すより早く先回りでもするように四面モニタの少女は言葉で覆い被さってくる。
『十分に学ばぬ内から不用意に手を出したそちらが悪い』
「ほ、本当に地球の外まで飛び出す電波なんて微々たるもののはずだろ!?」
『貴様達の稚拙な学問ではな。やはり星一つ管理のできん未熟な文明か。宇宙原子炉を積んだ事故機の回収作業もままならず、デブリは撒き散らす、カビや性病の菌を星の外まで持ち出す、おまけに電波まで……。公衆の面前でクソを撒き散らしてゲラゲラ笑う生き方はその辺にしておけよ、こちらはいい加減にそのマナーの悪さにはイラついてきてる』
「……、」
『貴様にも分かる物言いで良ければ、無免で人を轢き殺すようなものかね。貴様の思惑など知らん。結果として現実にわらわ達は遭難、死亡のリスクを負わされた。報復と是正を求めて何が悪い?』
 つまり。
 航空機にレーザーペンの光を浴びせて針路妨害するクソガキでも見るような感覚なんだろうか。そんなもので? 東京スカイツールは国内最大どころか世界でも指折りの電波塔だったのに……!!
『ただあの鉄の棒切れは少々しぶとくてな。難儀した。爆弾低気圧くらいでは折れる様子もなかったので、試しに奉仕種族を一万体ほど投入してみる羽目になったのだし。電波塔のガワにびっしり貼り付けるだけで随分変わってくれたよ。くつくつ。重心も、風の受け止め方もな』
「……その人達は、どうなったんですか? ここにいるのは私達だけ、自衛隊も切り捨てられました。奉仕種族とやらが回収された様子はありませんが」
『何故その必要が? 奉仕種族は役立てるためにこれまで数を増やしてきた。使い潰したら捨ててしまうのが世の習いだろう』
 憎悪も見下しもなかった。
 むしろ、キョトンとするような。
 その『当たり前』の顔に内臓が冷える。なんていうか、友達が笑顔で話す家族ルールがとんでもない虐待の見本市だった、といったような。
 ダメだ。
 迎合なんて無理。こいつは特別何かが憎いからレールを脱線してしまうんじゃない。異常な快楽に溺れている訳でもない。常日頃からおかしい。世間話に付き合う感覚で何が飛び出してくるか分かったものじゃない。
 自衛隊だって、必ず死ななきゃいけないほど切迫した理由はなかった。これだけ広い宇宙船なら、数十人くらい腹に入れても問題はなかったはずだ。
 理由がないから。
 必要な場面じゃないから。
 これだけで、ポッドに入った女帝は命を踏み潰す。あのブーメラン状のデロデロ、奉仕種族とかいうのもきっと、究極の選択を迫られた僕達の末路なんだ。
 死の恐怖に押し潰されて形を失いたくなければ、自分を保て。
 冷房の利き過ぎた広大だけど無機質な宇宙船で、改めて仕切り直す。
「東京スカイツールは確かに国内最大の電波塔だった。でも、アンタの言い分じゃあれ一つ薙ぎ倒したって事態は変わらないだろ!?」
『だな。正直辟易している。必要に迫られて始めてみたが……フロリダ航空宇宙局、アマゾン熱帯雨林保全気象台、EU広域放送フランクフルト基地局。多過ぎる。人間よ、よくぞここまで無駄を極めて乱立させたものだな。電波に胸を潰されないのか』
「……、ちょっと待て」
『ギブソン砂漠広域無線ネットワーク基幹塔、多目的宇宙ステーション、ああ、ビートバズのヒット曲とやらを宇宙に放出するなんて近所迷惑甚だしい電波基地もあったな。貴様らの美的感覚など知らん、興味もないものを一日中延々叩きつけられる側の身にもなってほしかったが』
「僕達がエレベーターに閉じ込められている間、一体外の世界じゃ何が起きていたっていうんだ!?」
 天井からぶら下がる巨大な四面モニタ、そこに映る顔が、わずかに首を傾げた。
 そのまま答えた。
『必要な事を、必要なだけ。驚く事か?』
 ……冗談じゃない……。
 確かに地球はいっぱいいっぱいだった。極限モラルハザードのカラミティがいつ噴き出すかは分からず、終末論に抵抗するための秘密組織アブソリュートノアだって暴走の果てに自壊した。
 でも。
 だけど。
 こんなの予測できたか? 一体地球の誰がっ! これで準備不足の平和ボケと罵られるのはいくら何でもあまりに理不尽じゃあないか!?
『しかしこれ以上惑星大気を掻き回してもラチが明かないのでな、そろそろ派手にやろうと思う』
「まだ、何か……」
『主要基地局だけでもうんざりしているのに、貴様達は小型機器も山のように抱え込んでいるのだろう。何がIoTだ馬鹿馬鹿しい、切手サイズのSDカードさえ無線LANを実装する愚物ぶりではないか。これをいちいち一つ一つ潰していったのではいつまで経っても終わらない』
 小型機器……。
 暴風で電波塔をへし折るだけじゃない。東京の広範囲を水没させたのは、それこそノアの大洪水でも気取っていたっていうのか。あのデロデロに調査させていたのかもしれないけど、こいつ、どこまで僕達の技術や文化を吸収しているんだ?
『なので、ひとまず地磁気でも歪めてみようと思う。貴様達の未熟な文明の清算は、貴様達の未熟な星の力で行うとよいだろう』
「……、」
『できないとでも思うのか。このサイズの母艦がどのような方式で航行していると考えている。イオンエンジンを、そうだな、ざっとシフト3辺りまで噴かせば、それだけで大量の荷電粒子が惑星の磁気圏を押し潰すぞ。莫大な磁気異常は速やかに地べたの半導体や電子回路をくまなく破壊していく事だろう。これは、一つの星に依存する限り逃れられん』
「……冗談じゃ……もう無線送信なんて関係ナシじゃないか! 研究所、コンビナート、旅客機、原発、心臓ペースメーカーに生命維持装置、どれだけ潰すと思っているんだ!?」
『だから、このタイミングまで待った。気象兵器だけで目標達成できていれば、このような選択は不要だったのだがな』
 ……それに、まずい。
 地球上の電子機器が壊滅するような事態になったら、マクスウェルはどうなる。海の上でも地下深くのシェルターでも助からない、惑星全体の地磁気を狂わされたらどこにも逃げ場なんかなくなるぞ!!
 顔の皮膚を一枚挟んで、体の中の熱と外の冷房が迎合できずにせめぎ合う。
 考えろ。
 考えるんだ。
 言葉は武器で、切り札だ。この女帝自身がそう言った。引き伸ばしでも先送りでも良い。ヤツが弄んでいる破滅のスイッチから指を遠ざけるにはどうしたら良い? 液中で紙の下着だけの女帝は、やろうと思えば無言でトドメを刺せたはず。それに、自衛隊は呼ばなかった。選定理由があるんだ。僕やエリカ姉さん、妹のアユミをわざわざ選んで母艦の中まで連れ込んだ理由は何なんだ。もちろん気紛れだの酔狂だのだったらここで終わり。その可能性だってゼロじゃない。でも、もしもヤツにとっても必要な事だとしたら、そこを逆手に取れば交渉に使えるかもしれない……!!
『策を弄しているな、人間』
「っ」
『よい。スケールの違いに自らの思考を捨て、大して考えもせず帰依してくる輩にはもう飽きた。わらわの腹を使うなら、それくらいの気骨のある因子が好ましい』
 ……?
 なん、だ。
 いきなり話がよそへ飛んだ? 帰依に、腹、それに因子。航路妨害だの電子機器の破壊だの話とは系統が違うような……。
『おいおい、そもそもこちらが本題だよ。わらわはいくつもの星系間を行き来しているが、目的もなく漫然と移動を繰り返すはずもないだろう。航路妨害や電波障害は、その道筋を邪魔するから潰すだけだ。リアクションであってオブジェクティブではない』
「これ以上、まだ何かあるって言うのか……」
『その遺伝子を提供しろ』
 一瞬。
 言われている事の意味が分からなかった。

『わらわとの子を成せと言っている』

「「はァっっっ!?」」
 僕よりも、むしろこれまで様子見していた姉さんやアユミの方が素早く叫んでいた。
『どうした。新たな命が熟すのを待たねばならん女の身と違って、男の側は出すだけだ。負担らしい負担などさしてあるまい』
「ふざっばあふざけるなよふぐう! いっいいいいきなりお兄ちゃんに何言ってんの痴女か欲求不満なのかふぐふぐう!?」
『貴様達は三つの階層に分かれる』
 天井からぶら下がる巨大な四面モニタの中の顔はけろりとしていた。一万ものデロデロ、奉仕種族とやらを地球に送り出すだけ送り出して見捨てた時と同じ。自他の貴賎なんてない。必要な事のために使う。こいつはこういうヤツなのか?
『わらわとの子を成す近似種族、子を成せないが労働力となる奉仕種族、後は存在の定義を見出せない根絶種族だ。……何の意味もなく貴様達をここまで連れてくると思ったか? 貴様は今試されているのだぞ。三つの内のどれに当てはまるかを』
 あまりにも荒唐無稽。
 でも、こいつ、まさか、お見合いでもしているつもりなのか? この状況でっ!? 星を一つ攻め滅ぼすつもりでか!!
「……その、話が本当だとして……」
『うん?』
「姉さんと、アユ……妹は」
『いらないのなら外へ投げるが?』
 心臓が縮む。
 画面の中の顔は楽しげだった。
『実際にはそこまでせん。これでも因子提供者にはある程度の便宜も図る。上から観察していたが、貴様は他の現地人よりは面白そうだ。AGCTの配列を見てみたい。遺伝子をわらわに寄越せ』
「……まさか、あなた……?」
 眉をひそめる姉さんは、天井近くの巨大画面ではなくカエルみたいな肌のデロデロ達が掲げている円筒形のポッドに目をやっていた。液中に、清潔な白い紙の下着だけ。
 そう。
 体感的な時間を止めて、無理矢理現状を保存しているかのような。
『わらわは繁殖力が低い。それも極めてだ』
 躊躇はなかった。
『というより、すでにわらわの対となる性別は存在しない。絶滅した。なまじ個として優れ過ぎていたのが災いしたな。群れを作る作業を後回しにしたツケがやってきたのだ』
「……、」
 世界にただ一人取り残された誰か。
 未だに宇宙人なんてものにリアリティは感じられないけど、冗談にしたって茶化せない。致命的な地雷を踏んでしまいそうで、迂闊に返事や相槌もできなかった。
『よって、今では遺伝子の配列が近い近似種族を探すしかない。貴様にとっては荒唐無稽でも、こちらにとっては最優先の急務だよ』
 僕の生まれた国でも少子高齢化が叫ばれているけど、それとも違う。
 こいつの語る内容は、もっと腹の底からぞっと冷たいものが込み上げる、そんな話だった。
『選べ』
 シビアで。
 どうしようもない生存競争を生きる命があった。
 純粋に。
 本当に一切の不純物を持たない水は特殊な振る舞いを見せるように。
『わらわとの合成を試すか、諦めて労働力を提供するか、それすら拒否して根絶されるか。全星系の生命は三つの種族に分けられる。この歴史上不可欠な急務に対し何人も無関係でいる事は許されない。自らがどの階層を目指すべきか、その手で選択するがよい』
 ……逆の立場だったら、僕はどうしていただろう?
 地球最後の一人。ゾンビや吸血鬼なんていう元人間もいない、本当におしまいの一人。そうなったら、どうする? どんな手を使ってでも子孫を残そうとするか、日記やデータの形で何かを伝えようとするか、AIやバーチャルで寂しさを紛らわそうとするか、いっそ全ての痕跡を消して回ってキレイさっぱり消滅するか。
 答えなんか出なかった。
 生存か絶滅か。
 今までカラミティやアブソリュートノアの件で論じられてきたのは、その辺りだった。どん詰まりの最後の一人にされるなんて展開は想定されてこなかった。むしろ、当たり前にそんな状況を回避するため、自然と方舟はあんな風に肥大化していったんじゃないだろうか。
 死よりも。
 あっけない絶滅よりも逃げ場のない。
 惑星自体が巨大な監獄となる、逃げ場のない滅亡に押し潰されるのはごめんだと、無意識の内にでも忌み嫌って。
 その上で、だ。
 僕は顔を上げ、天井からぶら下がる巨大な四面モニタに目をやった。

「断る」

 突き放す。
 彼女の檻を破る可能性を、取り上げる。
 確かに男の体と女の体じゃ負担は違う。協力したって僕の命が危険にさらされる訳じゃない。遺伝子? ようは黙っていても数週間もあれば勝手に吐き出される粘液だ。
 だけど、だからってハイそうですかで渡せるか。
「正しい事? 種族を救うため?」
 こいつにはこいつのロジックがあるように、僕達の側にだって自分で守る一線がある。リトマス試験紙を使った実験みたいな感覚でやらかしたら、僕はきっとその後の人生をずっと後悔しながら生きていく羽目になる。
「ふざけるなよ絶滅ボッチ。こっちはそんなロジックで人と人とがくっつく訳じゃないんだ! くだらなくても、恥ずかしい事でも、それでもこれと決めた好きな人と結ばれたいんだ、誰だって!! そんな道を正当化だの理論武装だの、お前の勝手な都合で取り上げられてたまるか!!」
 命だ。
 たかが高校生の僕に、そんな大それたものと向き合う覚悟なんかあるか。
 一度根付いてしまったら、そこには責任が発生するんだ。どんな思惑があったとしたってここは曲げられない。
 いいや。
 誰だって、大人だってきっとそうなんだ。
 命を背負うのは怖いんだ。
 それでもとびきり好きな人と結びついた結果だから、恐る恐るでも仮免みたいな状態でも、とにかく漕ぎ出していくんだ。全部が全部順風満帆って訳じゃない。現に僕の母さんは二人いる。だけどそれだって半端な想いじゃなかったはずだ。精一杯頑張って、それでも破綻を抑えられなくて、自分の胸を引き裂くようにしながら前の母さんは家を出て行ったはずなんだ。
 それを。
「ふざけんな……」
 ああ。
 ああ、ああ! こんなのっ、顔を思い浮かべるだけで恥ずかしくなるけどさ!!
 おでこを出した黒髪ロングにフレームのないメガネ。いつだって僕を支えてくれた幼馴染みの委員長がいる。それを効率だ配分だでとっかえひっかえなんか絶対にごめんだ。もしも委員長をそんな目に遭わせようとするヤツが現れたら、僕は世界中のあらゆる文明を破壊してでもそいつを見つけ出して殺す。月の裏側まで逃げても許さない。僕達は実験動物じゃない。誰にもそんな目には遭わせない!
「ふざけるんじゃあない!! 世界はお前のためになんか回ってない! 自分の問題は自分で片付けろ。今まで恋をしなかったのは、好きな人を見つけられなかったのは、そういう努力を怠って孤独に満足してきたのは全部お前の責任だろう!? 僕達がお前一人の借金を背負わされるいわれなんかどこにもないんだ!!」
『……それは』
 モニタの声は、むしろ平坦だった。
 作り物の顔に睨まれているはずなのに、キリキリキリキリキリ、と目の前で見えない弓の弦を引かれていくような不気味な圧が僕の眉間の辺りを炙っていく。
『合成を断念し、奉仕種族として労働力を提供したいという意味か?』
「いいや」
『ならばわざわざ根絶の道を歩むと? わらわにできないとでも思ったか』
「アンタが一方的に決めた道は進まない。そういう話をしているんだ、女帝」
『……今は試練の時と言ったはずだぞ、愚かなる現地人。己が人生を決定づける試験を放棄して席を外せばどのような評価を受けるか、少しはその未熟な頭で考えてから行動に移すべきだったな』
 ざわりと。
 蠢いたのは殺気じゃない。
「これは、多い……っ!?」
「お兄ちゃん下がって!」
 兄弟姉妹で背中を預け合い、辺りをぐるりと見回す。
 カエルみたいな質感の、枯草色のデロデロ。どこかの星が滅びる時に服従を誓わされた奉仕種族。円筒形のポッドを担いでいる山だけじゃなかったんだ。山脈。それこそ四方八方ぐるりと囲むように。ズレているのは僕達の認識であって宇宙人の体を光が透過する訳じゃないって姉さんは言っていたけど、マジか? ヤツらがざわつくたびに、砂糖水を通して風景を見るように景色が揺らめく。多数のミステリーサークルが繋がってプラネタリウム一面を星座が埋め尽くしていくようなビジョンがちらついた。全部で千か、万か、いいやそれ以上……!? 天井にまでびっしりと……!!
 始まってしまうのか。
 結局女帝のアキレス腱はまだ分からない。
 強いて挙げるなら僕の体そのものになるかもしれないけど……。
『死体も射精するという話は聞いた事あるかね? 主に絞首刑や電気椅子で語られる伝説だよ。ギロチンで落とされた首が瞬きする、という話と似たり寄ったりで語られているが、こちらはもう少し信憑性のある話だぞ。死後五分以内であれば活動サンプルは採取可能だ。つまり、ここで貴様が死んでも合成実験は行える』
「……っ!!」
『生の快楽に搾られるか、死の痙攣で吐き出すかだ。わらわはどちらでもよいぞ。どの道こちらの目的は果たされるのだしな』
 考えろ。
 推測でも良い。
 一から十まで適切に証拠を並べている時間はない。今から切り込むとしたら、どこだ? これまであった会話を思い出せ。いいや、そもそもこの会話は何のためのものだった。こんな所では投げ出せない。吸血鬼の姉さんにゾンビの妹、足元に広がる地球だってこのままにはしておけない。四面モニタの顔、ポッドの少女、ブーメラン状のデロデロ、巨大な母艦。注目すべきはどこだ。何もかもメチャクチャなスケールの話だったけど、焦点は『会話』だ。思い出せ、何が引っかかっていた?

 ……。
 いや。
 まさか、でも。
 そういう可能性も、アリなのか???

「……画面だ」
 思わずそう呟いていた。
「アユミ、姉さんも! 高い所にあるけど、あのデカいモニタを壊せるか!?」
「ふぐ?」
「良いから頼むっ!!」
 首を傾げるアユミよりも早く姉さんが動いた。僕が放り投げたスマホ充電ケーブルを袖の破れた右手で掴み取ると、プラグ部分を錘にしてぐるりと回し、勢いをつけて天井から下がった大型モニタを撃ち抜いたんだ。
 甲高い破砕音があった。
 そう。
 そうだ。
 用途に合わせて常に内装がガチャガチャ組み変わっていく宇宙船の中で、じゃあそもそもあの大仰なモニタは何なんだ。どんな役割があった。奉仕種族とやらに話しかけるのにいちいち三〇〇インチ以上の大画面を使って語りかけなきゃコンタクトは取れないのか? いいや、ポッドの少女は上から僕達を見ていたと言っていた。ギロチンだの絞首刑だの、地球の文化にも詳しそうだった。つまり通信手段はあるはずなんだ、地球に降りた奉仕種族との。それなら艦内だって同じ仕組みを使えば良い。わざわざ大仰に語りかける意味がない。
 天井近く。巨大なモニタを四つ組み合わせて、大きな箱を作るようだった。
 格闘技やポーカーの国際大会にあるような。
 でもブラウン管を使っている訳でもないんだから、中まで全部ぎっしりとは限らない。液晶の壁に囲まれたあの中は空洞……というか、この広々とした大広間で唯一、外からは見えない密室になっていたんだ。
『きひっ』
 そもそも。
 ポッドの少女にそっくりな作り物の顔と声を使って話しかけてきてたけど。ポッドとモニタ、この二つは本当にイコールだったのか。ポッドの中の少女は紐で縛る薄い紙の下着だけなのに身じろぎ一つしないし、僕達はまだ直接肉声を聞いた訳じゃない。
『きひひひひひ』
 腹を使う。
 男の側は負担が少ない。
 ……どうにも自分の体を大切にしないっていうか、傍観者臭かったよな、あの言い回し。
『きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!!』
 砕け散った液晶画面の向こうから、何か大きなカタマリがぼとりと落ちてきた。床で蠢くのは……何だ? 黄色っぽい節くれ立った『脚』が六本ついた、ガリガリに痩せ細った何か。手と足の区別はいまいちはっきりしないし、本当に二足で直立する生き物なのかも確証を持てない。
 人間にしてはデカい、くらいのサイズか。
 床でもぞもぞと蠢く不気味な塊は、ギラギラ光る複眼でこちらを見上げ、喉というより退化して小さく縮まった背中の薄い羽根を鳴らして肉声をこぼしていた。
『いひいひいひひ。ああバレてしまったか。ガラス容器に詰めてあるのは地球で拾った代理母だよ。確かスキュラとか言ったかな、様々な生物が混ざり合った性質を有するので、母体として振り幅が大きそうだと思ったのだが』
「……こいつ、何か変だと思ったらジガバチ辺りの仲間なのか……!?」
 宇宙人。
 いいや、人というよりもはや虫の方がイメージは近い。
 頭の触覚をあちこちに向け、どうしようもない侵略者は語る。
『それに全部が全部嘘でもないぞ。子を成すのは女帝にとって最優先の急務だ。貴様が首を縦に振ってそこの腹に因子をぶち込んでいれば、後で体内から試験管へ遺伝子を移すのも容易だったのになあ?』
 捕らえた獲物を巣穴に持ち帰り、卵を植え付けて、生きたまま幼虫の養分とする特殊なハチ。人がサルから進化しなければ、ある種の虫から出発していれば、こんな道筋もあったかもしれない……惑星単位の環境によって枝分かれした可能性。
 女帝。
 繁殖に役立つか、兵隊となるか、それ以外か。その三つで他の全ての生命体を評価する存在。元からあった生態系や自然環境を荒らし回る危険極まりない外来種。
 人と同じように生きる、生きたいと願うアークエネミーとは、決定的に何かが違う。
 こいつ。
 こんな野郎は野放しにしておけない。
 話し合えば何とかなる領域を超えている。善も悪もなく、ただ当然のものとして他者を踏みにじり利用する生き物なんてこれ以上この星に留めちゃダメだ!
「この野郎!!」
『ぎきいひひ。これでは腹として不満か。リクエストでもあるのか。一応スペアとしての部品も揃えておいたのだ。後ろの二人、要望があれば好きな方をポッドに詰めてやるぞ?』
 頭が。
 ダメだ、空白で埋まる。
 ……この一言だけでもう殺してやりたい……!!
「っ、ダメですサトリ君、気を抜かないで!!」
 姉さんの叫びが遠かった。
 そこまで頭に血が上っているのかと、そんな風に思った。
 でも違う。
「あ」
 ……針……?
 いつ、やられた???
 驚くべき事に、僕の親指より太い、針っていうより杭に近い何かが右の脇腹に刺さっていたんだ。肘まで袖のある黒い上着ごと貫いて。しかも一番恐ろしいのは、そうまでされても、痛くないってところ。全く痛みを感じない。
 針の逆側と連結したチューブのようなものは女帝の腰の後ろまで伸びていた。
 体内にどこまで針が潜り込んでいるか全く感覚はないけど、この太さなら一センチ二センチって話じゃないだろう。
 ……ああ、確か蚊とかヒルとかは麻酔成分のある体液を使って、標的が血を流している事実に気づかせない仕組みがあったんだっけか。ハチの毒っていうと焼けつくような痛みばっかりイメージしていたから盲点だった。そうだよ、ジガバチの針を痛みを与える攻撃用じゃない。麻痺させて、手元に置くための針。
「ぐっ、ぶご」
「お兄ちゃん!?」
 ききいひききき、という薄い羽根を擦り合わせる哄笑だけが全てを埋め尽くしていく。風邪を引いたっていう自覚が追いついていく感覚が近いかも。いったん意識した途端、一気に額の辺りで熱が膨らんでいくのが分かった。足元のバランス感覚を失い、体が斜めに傾ぐ。痛みの信号を散らすため、相当無茶な化学物質をぶち込んでいるらしい。
 でも。
 だけど。
 冷房の利き過ぎた寒々しい宇宙船の中で思う。
 ……女帝だろうが恐ろしい外来種だろうが、やっぱり生まれは選べないって訳か。こいつは最適な進化の道筋を選んだつもりかもしれないが、すでに露呈しているんじゃないのか。弱点が。まあ、人間だって自家生産のストレスだの活性酸素だので寿命を縮めているんだ、偉そうに言えた義理じゃないけど。
 僕は、どうあってもこんなヤツに姉さんやアユミの身柄を預ける訳にはいかない。
 そしてアンタがハチなら。
 ハチのやり方で潰させてもらう。
 とは言っても、大それたスーパーアクションをお披露目した訳じゃない。熱病じみた症状を引き出す猛毒にやられているかどうかは関係ない。そもそもただの高校生にできる事なんて限られている。

 ただ、両腕を広げてばたりと前のめりに倒れていった。
 六本の脚を床に押しつける巨大な虫、女帝の上へ。

『ぎびいばざ!?』
 背中側、透き通った羽根が押し潰されたせいか、女帝の肉声がノイズまみれに歪んだ。
 でもこれで良い。
 殴るでも蹴るでもない。覆い被さる事に意味がある。
 ギィンギィンみいん!! と薄い羽根が甲高い音を発した。これが、本来のヤツらの言語なのか? 途端に四方八方の景色を歪めていた奉仕種族、枯草色のデロデロが洪水みたいに殺到してきた。大勢で僕を引き剥がすつもりかな。でも逆効果だ。アンタ、術中にハマってるよ。
「知ってるか、女帝……」
 熱で頭が朦朧とする。
 でも。
 これだって使い方次第では家族を守る武器になる。
「ミツバチは獰猛なスズメバチが巣を襲ってきた時には、幼虫を守るために集団で決死の防衛戦を始める。体格や毒の強さで劣るミツバチは真正面から一対一じゃ戦わない。それこそ大勢でまとわりついて、でっかいお団子を作るんだ。刺されようが噛み付かれようが、お構いなしに」
『……っ!?』
 次から次へと、のしかかるような圧があった。
 くの字のブーメランに似たデロデロが立て続けに覆い被さってくる。
 今さらのようにびくりと体を硬直させる女帝だけど、もう遅い。コンタクトの窓口は上に向いたその薄い羽根だ。両手両足で女帝の体にしがみついて、腹で押し潰すようにして動きを止める。
「そう、体温だよ。ハチは熱に強くない。大量のミツバチが密集して温室状態を作ると、中のスズメバチを熱で殺すチャンスが生まれるほどだ」
 この寒々しい冷房だって、本来はそういう話だったんだろ。
 今まで悠々自適の生活だったか?
 不満も衝突も一切存在しない人生。でも裏を返せばミスを指摘してくれる人には恵まれなかった。
「……この熱病みたいな毒はおあつらえ向きだったな。ちょっと不安だったけど、アンタなら何か問題があればすぐ奉仕種族とやらを総動員すると思っていた。ああ、しゃべらなくて良いぞ羽根は押さえ込む。絶対に、一言たりとも、奉仕種族に言葉なんか与えるか。命令には絶対服従。それってつまり、取り消し命令が出ない限りヤツらは手を緩めないって事だろ?」
 絶対王政も良し悪しだ。
 誰もが疑問を持っていたって、権力が怖くて異を唱えようとも思わない。結果、誰が見ても明らかなミスがそのまんま流れていく。
 くそ。
 ……熱殺蜂球。つまりこのミツバチ団子。唯一の欠点は、基本的に決死隊でスズメバチと戦うミツバチ側も助からないって辺りかな……。
 重いし、熱い。
 今ちょうど痛みの感覚消されているからアレだけど、メキメキと体の中で変な音がしてきた。まあ、こっちはひとまず女帝を蹴散らして、姉さんとアユミが無事ならひとまず及第点。高校生にしては良くやったって言ってくれ。流石に宇宙は辛い。マクスウェルと繋がっていられたら、もうちょいまともな作戦を立てられたのかなあ?

 く、そ……。
      いい    加減に
   意識            保たな    。

 どれくらい。
 時間が経ったんだろう。
 五分くらいのものかもしれないし、一時間以上だったかもしれない。
 とにかく僕が体を起こすと、もう女帝もカエルみたいな肌のデロデロもいなかった。僕は広い宇宙船に取り残された、円筒形のポッドの近くで寝かされていたらしい。
「ふぐ」
 アユミが僕に気づいて声を上げた。こいつ……相変わらず白いタンクトップも短パンもとんでもない事になってるな。肌の縫い痕まで見えそうだ。
「無事じゃないから静かに。よっぽどハードな麻酔効果だったんだね。脇腹の辺り見ない方が良いよ、お姉ちゃんが半狂乱になるくらいヤバい事になってるから」
「ここは、まだ……宇宙船なのか?」
「降り方分かんないしね」
 そりゃそうだ。
 例のスポットライトみたいな光に導かれてゆっくりと地上に降りていくビジョンは全く浮かばない。しくじったら真っ逆さまだ。今すぐ宇宙船自体が傾いて墜落するでもなし、確信を持てるまで触れない方が良いだろう。
「姉さんは……?」
「半狂乱って言ったでしょ。何で、この場にデロデロ奉仕種族がいないのかちょっと考えてみて」
 ……おっかない。とはいえくの字のブーメランみたいな連中からすれば全力で戦ったとかじゃなくて、命令者が意識を失った時点で目的意識を見失って立ち往生していたんだろうけど。
 単調な電子音が鳴り響いたのはその時だった。僕やアユミのケータイじゃない。そもそも地上基地局からの電波はこんな所まで届かない。はずだ。例の女帝の口振りは違ったけど。母艦、艦内のどこかから響いているものらしい。
「ふぐ、床になんか埋めてあ……」
 ジャコンと伸縮式の警棒みたいに支柱が伸びて僕の腰くらいの高さまでせり上がった。やっぱりアユミは運動神経が良い、顎を打たれる前に避けていた。
 そして真っ赤な画面にはこうあった。

 error report>>This problem is high-risk case.Please check your system back up & all reboot.

 翻訳して、じゃない。
 最初から液晶に、そうあった。
 正直に言えば僕はさほど英語に強くない。ラスベガスに行った時もデコメガネ委員長やアナスタシアにほとんど頼りきりだった。でも、そんな僕でもこの一文は見覚えがあった。
「……エラーメッセージ?」
「ふぐ?」
「ちょっと待て、これは宇宙人の船なんだろ。何でこんなトコに普通のパソコンOS、どこにでもあるウィナーズの定型文が出てくるんだ!?」
 この文章。妙なカタコト英語がバグなのか仕様なのかで、掲示板やSNSなんかでちょっと話題になったのを覚えている。スマホの辞書に登録した覚えのない単語が埋め込まれている有名なバグと似たような感覚で。
 対応待ちらしき画面を指で触れて、恐る恐るアルファベットを並べていくと、ああくそっ、やっぱり動く!? 一般OS用のコマンドがそのまま走ってしまう。
 まさか、ここに来て三〇億人が利用している基幹OSウィナーズが得体の知れない宇宙人との密約によって作り出されたなんて大胆過ぎる仮説は打ち立てない。
 それよりも。
 もっとシンプルな論法で良ければ……。
「このUFOは、地球で作られたモノだった?」
 いったん、だ。
 そんな疑問が出てからは早かった。
 異変に気づいたのか、こちらへ姉さんがやってくる中、
「ジガバチから進化した女帝。……でも、そもそもジガバチは地球にいる生き物だ。こいつが僕達の言葉に合わせてきたのも、ギロチンだの電気椅子だの地球の文化に詳しそうだったのも……みんな、そういう事だったのか? 外から観察して調べたんじゃない。元から地球の中で生まれた存在だったから!?」
 これも女帝の計算の内。
 なのか?
 本当に???
 ……不要な電波障害で航路を邪魔された。子を成す事は急務。ヤツが口走っていた内容それ自体は、悪意のある演技じゃなかったように思う。本当の本当にそれが当たり前の事として口から出てきたからこそ、僕達は圧倒されてきた訳だし。
「女帝も、騙されていた? というより、そう信じ込まされてきたのか?」
 例えば、そう。
 生まれた時からずっと窓のない地下深くや宇宙船の中にいて、地球の空気を吸っている事を教えられないまま育ってきた、とかで。
 だとすれば。
 実際には荒唐無稽な単語なんて何もなくて。
 ただ、この状況を演出した地球の事件があったってだけだ。
「そもそも巨大UFOだの宇宙人だの、こいつらを用意したのは一体どこの誰なんだ!?」

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