<style> .santen{ margin: 0; padding: 0; word-wrap: break-word; white-space: normal; display: block; } .head00{ margin: 2rem 0; padding: 1em; background-color:#000000; } .head00_text{ padding-bottom: 0.3rem; border-bottom: solid 1px #ffffff; font-family: "Yu Mincho", "YuMincho", serif; font-weight: 600; font-style: normal;
font-size: 1.5rem; color: #ffffff; text-align: center; } .head00_link{ margin: 1rem 0 0 0; color: #ffffff; text-align: center; } </style>

吸血鬼の姉とゾンビの妹が雪にやられて立ち往生しているようだけどどうしましょう……イミテーションだけど
第二章

   1

 時間は夜の八時前。
 ……これくらいだとまだ店員さんが残っているかもな。いっそ真夜中とかの方がリスクは小さかったろうに。
「意外と静かね……」
 スコップを両手で抱き締めるようにした委員長が恐る恐るといった感じで呟いていた。冷静さを取り戻して、自分の装備のおかしさに気が回ったのかもしれない。まあ、今この雪だらけの状況ならスコップを持ってても不自然じゃないし、そもそも呼び止める警察側がまともに機能していない状態なんだけど。
「委員長、マスクを確認して」
「?」
 ……もうすぐ例の繁華街だ。委員長はメガネもあるから一層素顔はバレにくいだろうけど、こんな所で顔を見られるリスクは一ミリでも減らしたい。
 ずんっ……というさざ波のような振動があった。
 決して大きなものではない。地震とも違う、と思う。それでも不規則で、断続的に。雪に埋もれたはずのマンホールや側溝の蓋がカタカタと自己主張を放っていた。
「な、なに?」
 委員長がぐっとスコップの柄を握る手に力を入れ直していた。
「怪獣でも歩いているみたい……」
「大きなモンスターって意味なら多分間違ってないよ」
 そこの角だ。
 一つ曲がれば、大通りに出る。
 僕は片手で委員長を制し、先に角から顔を出した。

 ドォッッッ!!!!!! と。

 この振動は。
 全身を貫く衝撃は。
 なんて表現したら良いんだろう?
 たとえるなら……スタジアムの歓声に近いか。
 だけど根っこにこびりついている感情は一八〇度違う。怒り、恨み、不快、不満、とにかくごった煮。ありとあらゆる攻撃的な負の感情が混ざり合って熱に炙られ、どろりとした粘液にでも化けたようだ。
 言葉?
 一つ一つ分解したくもない。この片側三車線の大通りを埋め尽くす満員電車みたいな人の塊が、思い思いに好き勝手な恨み言を投げ放っているなんて考えたくなかった。
「なに……これ……?」
 おざなりにスコップを手にしたまま委員長が呆然と呟いていた。
「浄水器、家電量販店が危ないって話なんでしょ。これ、何百メートル先まで続いているのよ……。でっかい神社の初詣みたいになってない?」
 名前も知らない国のニュースじゃない。
 自分が生まれ育った街で、普段は道端で挨拶したり洋服をオススメされたり、当たり前に言葉を交わしている人達なんだ。ゲームの世界のゾンビじゃない、何かに感染して正気を失っている訳じゃない。ただの人が、同じ街の人間が、こうまで沸騰している。こんな顔を持っている。受ける衝撃は半端なものじゃない。
『人の出入りもありますので正確にカウントはできませんが、およそ五〇〇〇人強といったところですね。市の人口比からすればまだまだ少ない方です』
「……それでも学校二ケタ分くらいはあるぞ」
『ネットで騒いでいる総数を見たら絶句しますよ』
 学校生活を社会の中心に置いている身としては、全校生徒のキャパを超えた時点で実感が消えていくんだけどな。いっぱい、たくさん、そんな塊でしか人を見れなくなっている。
 こんな集団が爆発したら、物理的に何が起きるか分からない。無計画に歩き回るだけで街を踏み潰していく、怪獣そのものだ。
 ……真正面に立って全部相手にしようとすれば、一瞬で踏み潰される。
 急所を見据えろ。何が目的かは知らないが、フェイクニュースを撒いて暴動を起こしたい側は現場で最後のイグニッションを放つはず。そいつまたはそいつらは単身か極少数でしかないんだ。
 マイクロプラスチックの雪は、燃える。
 こんな消防も機能しない中で、街を焼き尽くすような大火災を起こさせる訳にはいかない。
「マクスウェル、イグニッション役の特定は?」
『ノー。催涙スプレーや刺激物を手にした人物は見つからず。街頭カメラレベルの機材では、カバンや衣服の中まで透視できる訳ではありません』
「赤外線に振り幅を集中しても?」
『防犯カメラに白い水着を透過するような下世話機能はありません』
 不安そうな委員長が横から覗き込もうとしたので、慌ててスマホの画面を隠しつつ。
「ならヘルメットや仮面なんかで顔を隠している人物をピックアップ。特に目線」
『多すぎます』
「顔認識阻害用の専門装備を使っているのは? それから、左右で靴のサイズや靴底の高さがおかしい人物で絞れ。立ち方、歩き方でも個人識別はできるから、本気で分析を拒みたい人間は体重の掛け方が変わるよう物理的に細工しているはずだ」
『シュア。顔を隠し、不自然に傾いている人物は九名。内、五名は酒ビン片手、二名はケンカで負傷、一名は今マスクを外して嘔吐しました、一名は不明です』
「最後のヤツ、位置情報を表示」
 写真を見ると……赤毛をポニーテールにした色黒の少女。歳は僕達と同じか、ちょっと上かな。タンクトップにハーフパンツ、上着は左右の袖を結んで腰の後ろから垂らしている。何だかバスケ選手な雰囲気。ダボっとしたトップスの隙間から、日焼けから免れたっぽい白い肌が覗けている。
 それにしたってマフラーはさておいて、こんな夜にサングラスは不自然過ぎる。おまけに肩にはスポーツバッグを提げていた。
「ひとまず確定」
『潜伏しているのは一人とは限りません』
「こいつ倒したらモバイル奪ってSNSやアドレス帳をチェック。同じエリアにいる人間を全部ピックアップした上で、催涙スプレーか刺激物を隠し持っている疑いのあるヤツを絞り込めば良い。侵入方法は任せた」
『シュア』
 倒す、か。
 僕は何語で話しているんだ、何ともふわふわした言葉が出てきたものだ。
 一応の対策は並べてみたけど、実は複数犯説は早々に捨てていた。顔を隠して体重の掛け方もおかしいヤツ、だとさっき特定した九人に戻るのだ。彼らが再浮上する可能性は低いし、片方がきちんと身元を隠しているのにもう片方が丸見えなんてのは筋が通らない。同じグループなら同じ技術や危機感を共有するはず。
 敵は高確率で個人。
 あいつがバッグから催涙スプレーを取り出して辺り一面にばら撒いたら、その瞬間に場が沸騰する。
 破れかぶれで良ければ、それは今すぐだって起こせるかもしれないんだ。猶予はない。
「ざっと二〇〇メートルか。推奨コースは?」
『地図アプリ通りでよろしいですか? 直進二〇〇メートルになります』
「見つからないならそう言えよ、まったく。ならこっちで考える」
 こっちだって、まさか女の子連れでこんな人混みに体を押し込むつもりはない。
 片側三車線の大通りを埋め尽くす人の山。
 ただし、
「委員長、こっちだ」
「えっ?」
「シャッターを下ろした個人経営のお店と違って、チェーン経営のストアやデパートはまだやってる。マクスウェル、裏口の電子ロックやホームセキュリティをチェック。可能なら外してくれ」
『システムに対処不能な案件については?』
「僕がこじ開ける」
 ガラスの割れる音や悲鳴はないからこれで当たりだと思う。表通りが埋まっていたとしても、お店の中を通ってビルからビルへ移っていけば人混みに呑まれずに済む。
 おかしな話かもしれないが、『沸騰前なら』意外とこういう線引きはしっかりしている。連中の頭の中はこうだ。暴れて良いのは大義名分があるから。ヒュージカメラが浄水器を隠しているってデマを信じてここまで来たのに、全然違う店を襲ったら連中も自分に言い訳できなくなる。
 ……ただしもちろん、この方法は複数の方式の扉のロックを片っ端から開錠する技術があればこそ、なんだけど。
 裏口から裏口、非常口から非常口へ。
 表のフロアからは見えないバックヤードを進み、店員さんとも鉢合わせにならないのがベストだけど……。
『開きました』
「行くぞ委員長」
 ノブを掴んで回すが、引っ掛かりを覚える事もなければド派手な警報が鳴り響く事もない。
 暗くて狭い廊下。
 どこが倉庫や事務室かは分からないけど、とにかく僕達は中を突っ切って隣のビルへ向かえば良い。
 ここは、スポーツ用品店かな。適当に積まれた段ボールのメーカーが大体そんな感じ。インドア系の僕にはあんまり縁はないけど、妹のウェア選びに付き合わされた事があったような……。
 外から中に入るのは大変だけど、中から外なら内鍵を回すだけだ。苦労はしない。
「うわ……」
 委員長が呻き声を出していた。
 ずんっ……ずずんっ……、という低い振動のせいだ。決して耳をつんざく大音響じゃないけれど、確実に大地を揺さぶるエフェクト。これが全部人の起こしているものだと考えると確かに身震いする。まるで列車でも通り抜けているみたいだ。風向き次第では、あれがこちらにぶつかってくるときた。
 ともあれ、すでに死地の中。ここから足がすくんでももう遅い。生き残るためには前へ、助走がなければ崖は飛べないのだ。僕は委員長を伴って狭い通路を歩く。
「……お店の裏側って防犯カメラついてないのね」
「店員が金庫の中身をくすねたりしない限りはね」
 スマホのカメラレンズなら二ミリの穴があればどこからでも覗けるから油断はならないけど、マクスウェルからの警告は特にない。そもそもカメラがあるよと周知しない場合、使っているテクノロジーは同じでも盗撮機材とみなされてしまう。
「……あった。扉だ」
 外に出るだけなら内鍵を開ければ良いけど、非常口の場合は開けただけで警報が鳴るものもある。念のため細いコードの有無を確かめてからノブを回した。
 さっきとは別の路地。
 ほんの数メートル先に、隣のビルの裏口が待っている。
「後は同じ事の繰り返し?」
「二〇〇メートルくらいなら、三つか四つ先だ。マクスウェル、標的は移動しているか?」
『シュア。全体の人の流れに押されて家電量販店側へ向かっていますが、誤差の範囲です。そもそも対象は最初からヒュージカメラに近い位置に潜んでいますしね』
 人混みに隠れて小細工したい側からすれば、現場近くにはいたいけど最前線に放り出されても困る訳だ。森から飛び出た木は目立つ。
 洋服店やデパートの裏手を潜り抜けつつ、目的の人物までの距離を詰めていく。
『距離的にはここです。店の表に出て、人混みに突っ込むしかありません』
「誰がそんな危ない真似するか。マクスウェル、流体力学シミュレー……」
 ガガッギィン!! という甲高いハウリングが耳をつんざいた。
 拡声器かっ!?
 顔をしかめて耳に手をやる。どっちみち、安全な裏手を伝うのはおしまいだ。僕は委員長と共に表のフロアへ。ここはデパートの一階。身を縮めて恐々とウィンドウの向こうに目をやっていたアクセサリーショップやメガネ屋さんの女性店員達が僕達を見て小さな悲鳴を上げるけど、気にしている場合じゃない。
 外には出ず、ガラス扉の近くにあった飾りの柱の裏に張り付くと、だ。
 扉のすぐ外、ごった返す人混みの中から、普通の怒号や絶叫とは違った声が飛んできた。
『我々消費者の声に耳を傾けろぉ!! こちらには買う権利がある、皆の健康と安心のため浄水器の独占を今すぐやめろぉ!!』
 追従するような叫びと、地響きにも似た振動。それらが寄せては返す波のように重なり合う。
 委員長は両手でスコップ握ったまま、むしろぎゅっと身を縮めて、
「なにっ、なにあれ、あの声も黒幕とかいう人なのっ?」
『ノー。両者の間で目配せなどはありませんでした。一般に、共犯関係にある者は必要以上に互いを意識してしまうものです』
 ネットで募って参加者一人一人へ別個に指示出ししている場合は互いの顔も知らない、ってケースも浮上するけど、今はそれよりも……、
「例のバスケ女は!?」
『距離三〇、人混みの中です。スポーツバッグに片手を突っ込んでいます』
 計画にないイベントでも、使えるものなら使うタイプか!?
「マクスウェル、シミュレーション!」
『可能ですが、外は乗車率三〇〇%クラスの人混みです。いかなる計算の元に行動しても今すぐ駆けつけるのは不可能ですよ』
 そんな事は言っていない。
 ようは、赤毛に色黒のスポーツ少女のアクションを止められれば『作られた暴発』は阻止できるんだ。
「流体力学シミュレーションだ。ただし水や空気じゃなくて、好き放題動き回る分子の代わりに人間を置いて演算」
『具体的なタスクの目的は?』
「密度の変化を知りたい。もちろん死なない程度の数値だぞ。あの人混み、どこからどう押せば真ん中にいるイグニッション役を効率的に圧迫できるのかをな!」
 スマホに目をやりながら、僕は委員長を置いて一人で柱の裏から飛び出す。ガラスの扉を大きく開け放つと、群衆の何人かがこちらへ振り返った。
 もう遅い。
『そのまま真っ直ぐ』
「っ、りゃあ!!」
 肩から突っ込むようにして、全体重をかけた。おそらく一対一なら簡単に横へ避けられただろうけど、塊となった今ならそうじゃない。
 高跳びなんかで使う、やたらと分厚いマットに飛び込むような柔らかさがあった。そう、突き返されるのではなく、ぐっと沈む。奥へ力が加わっていく。
 これでも、将棋倒しにはならないだろう。相手は巨大な怪獣だ。インドア系の僕なんかが不意打ちで横から体当たりしても転びはしない。
 だけど、着ぐるみの中身はどうか。
 見渡す限りの頭、頭、頭、頭。元から満員電車クラスなんだ。その密度をさらにちょっと変えてやれば、狙った一点だけプレスもできる。
「ぎゅっ……!?」
 人混みの向こうから、変な声が聞こえた。
 冬の養鶏場でヒヨコが変死する事がある。これは寒さを凌ぐため一箇所に集まったヒヨコ達が、中央の仲間を圧迫するから、らしい。
 色んな人に睨まれたけど、これについてはスマホを自撮りっぽく構えて誤魔化した。わざわざハロウィンや初詣みたいに現場へ集まる人達だ。派手好きで目立ちたいと言えば大抵の奇行は受け入れてもらえる。
「マクスウェル!」
『目的の人物は人混みに呑まれました。上からのカメラでは頭が潜っていて視認できず』
「それじゃ成否が分からないっ。確実にダウンを取ったのか!?」
『消える寸前、スポーツバッグの肩紐が外れたのは確認が取れています。この人混みで、さらにユーザー様を起点とした押し合いへし合いです。全体的にゆっくり人混みは流れていますので、一度地面に落としたバッグを再び拾い上げるのは不可能かと』
 ……ひとまずはセーフ、か?
 ちょっと離れた所から、例の拡声器ががなり立てているけど、
『浄水器を出せぇ! 行くぞ、オラっほんとに突撃すんぞコラぁ!!』
 周りへの効果はなさそうだ。
 拡声器の持ち主も、自分から先陣を切って人柱になりたい訳ではないらしい。誰も前に出ないから、みんなで隣同士の様子を窺って、結果として牽制し合っているという不思議な状況に陥っている。緊張状態は続くけど、明確なイグニッションさえなければ少しずつガスは抜けていく。このまま尻すぼみになるのを待てば空中分解してくれそうだ。
「(……サトリ君っ)」
 声を潜めて委員長が近づいてきた。
 マスクで顔を隠してスコップ持ってきた女の子に、周りはどよめくどころかむしろちょっと好意的だった。気合の入ったヤツがいるぞ、と勘違いされている。
「(何がどうなったの、結局)」
「(現実の戦いは真正面から向かい合ってよーいドンでどつき合う訳じゃないの。無事に終わらせた。どこか安全な、そう、人混みに巻き込まれない高い場所でも陣取って、解散するまで念のため観察を……)」
 言いかけた声が、止まった。
 自分で自分の言葉に反応し、思わず目線を夜空に投げた時だった。
 何かある。
 駅前の繁華街、無数に突き出たビルの窓。そこにびっちりこびりついて固まっているのは……例の雪か。
 でも、固まっている?
 粉末状じゃなくて、窓一面に沿う格好で……それこそガラス板やギロチンの刃のように!?
『警告、突風が来ます』 
 マクスウェルからのメッセージを見た直後、僕は迷わず委員長を押し倒した。

 直後にビルの壁から引き剥がされた巨大な刃が、立て続けにいくつも地面目掛けて落ちてきた。

   2

 背の高いビルから物を落とした場合、ネジやパチンコ球一つでも凶器になるというのは有名な話だ。
 そしてギロチンにもサイズは色々あるが、三メートル以上の高さを取るものはまず見かけない。
 つまり、だ。
 天空から落下してきた分厚い刃の数は一〇、二〇……あるいはそれ以上?
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
 絶叫しかなかった。
 乗車率三〇〇%。満員電車級の人混みの中では、気づいていたとしても避けようがなかっただろう。プラスチックの板は全部が全部まっすぐ落ちる訳じゃなくて、中にはめくれ上がるように回転したものだってある。だけど逆に言えば、一定数はまんまギロチンの動きで落ちた。
 僕が委員長を押し倒したのはデパートのウィンドウ側で、ひさしのように二階部分の壁が外側に迫っている場所だった。ガラスが太陽光を反射して中が見えなくなるのを防ぐ仕掛けだったんだろうけど……おかげで助かった。
『ユーザー様、まだです!』
「……ああ。誰だって安全地帯を求める。お店の中にひさしの下、とにかく屋根のある場所に人が殺到するぞ。バーゲンセールみたいな勢いでこっちに突っ込まれたら……」
『ノー。そもそもシステムが出した警告は別のリスクに対するものです!』
「……?」
 これ以上、何が?
 疑問に思って顔を上げると、ぶわりっ、と遠くの方で景色が膨らんだ。いや違う。マクスウェルはふきだしにこう表示していたはずじゃないか。
 突風が来ます、と。
「地面の雪が、マイクロプラスチックが……舞い上げられた?」
 ばぢっ、という何かが弾ける音が後に続いた。
 静電気。
 これだけ聞けばありふれていると思うかもしれない。だけど落雷だってもくもく膨らんだ入道雲の中で、水や埃がぶつかり合って摩擦で発生するものじゃなかったか。
 あれは、その。
 帯電した雷雲をそのままぶつけられるようなものなのか!?
「うわわわわわわ!!」
 とにかく委員長の手首を掴んで起き上がらせると、元来た道を引き返した。半ば倒れ込むようにして、ガラス扉を開けてデパートの中へ飛び込んでいく。
「入れ! 中に入れっ!!」
 倒れたまま、慌てて外に向けて叫んだけど、追従してくる人はいなかった。そもそもギロチンにやられた直後で混乱しているせいもあったんだろう。
 ガラスは絶縁体、だったか。
 直後に。

 がかっ、ドォオンッッッ!!!!!! と。

 巨大風船を押し当てるように白い粉塵が一面のガラスに張り付き、そして、何だ。 何だよ。もうスタンガンとか電線とかじゃない、太い木を縦に割ったようなあの轟音は……。
 ……どう、なってるんだ?
 外は、表は!? 満員電車みたいになっていて、五〇〇〇人以上がひしめいているんじゃかったのか!!
「だい、じょうぶなんだよね?」
 身を起こしながら、恐る恐るといった感じで委員長は呟いていた。
 地響きのような振動も、拡声器からの乱暴な声もない。
 あるいは、悲鳴や泣き声さえも。
「私達だけじゃないよね、他にも大勢の人がいるんだよね。ねえ!?」
「……、」
 答えられなかった。
 流石に全滅はない。そう信じたいけど、ガラスを外から覆い尽くす白い粉塵のカーテンが、むしろ救いに思えてきた。何もかも丸見えだったら、僕達の心がどうなっていたか想像もつかない。
 結局。
 人がどんなに策を弄したところで、本物の災害には勝てないのか。これじゃネットで煽って現場で暴発させようとした赤毛に色黒の女の子もどうなったか分かったものじゃない。理由なんかも聞けそうになかった。
 しかし、だ。
 さらにスマホが小さく振動したんだ。
『警告』
「……うそだろ」
 まだあるのか。
 これで終わりじゃないっていうのか、本当に本物の災害ってヤツは!?
『突風はイレギュラーなビル風です。短期的なものなので、静電気の雲はすぐに晴れます。問題は別にあるのです』
「具体的に何が」
『シュア』
 先を促したかった訳じゃない。
 これ以上の地獄を覗くなんて真っ平だ。だけど、目を逸らしていても事態は悪化するだけだ。ここで状況に置いていかれたら、本当に命を落とす。だから嫌でも何でも、食らいついていくしかないんだ。
 そしてマクスウェルは告げた。
 最悪の状況を。

『今の静電気によって、近隣で火災が発生しました』

   3

 アメリカやオーストラリアでは一度にヘクタール単位の土地を焼き尽くす森林火災だが、意外にも火元ははっきりしていない事が多い。煙草の吸殻やキャンプでの失火、車やドローンの事故に、意図的な放火なんかも理由に挙げられるが、それとは全く別の原因でも地獄の光景は作られる。
 つまり、静電気。
 空気の乾燥した土地では、風に揺られて枯れた草葉が擦れ合うだけでも死の引き金となりうる。辺り一面に空気を溜め込んだマイクロプラスチックが撒き散らされた今の供饗市は、全域にくまなく干し草を敷き詰めているのと同じくらいには危ない環境だ。ましてその火種が、スタンガンより強烈な電圧を有していたとしたら……。
「まずいぞ……」
 ガラス扉で隔絶されているはずなのに、鼻に異変があった。焦げ臭いんだ、空気が!
「本当にまずい!! いったん燃え広がったら手に負えなくなる!!」
『一一九に通報はできますが、隊員が無事に到着して消火活動できる線は望み薄です。そもそも警察や消防が適切に機能していた場合、無届けのデモを行う事自体不可能だったでしょう』
「メリットは味わったんだからデメリットに文句も言うなって? 割り切れるかよ、外にどれだけ生き残りがいるかは知らないけど見殺しにするのは寝覚めが悪すぎる!!」
 同じ街で暮らす人達なんだ。
 顔は見てないけど、ひょっとしたらあの中にはクラスメイトだっていたかもしれないんだ!
「……マクスウェル、外の様子は?」
『ノー。今のスパークで街頭カメラもやられています。表の群衆からも通報の気配なし、軒並みモバイルを破壊されたからでしょう』
「自分で確かめた方が早いかっ」
 幸い、今は八時過ぎ。デパートそのものは営業時間内だ。僕は委員長を伴ってエスカレーターを駆け上がる。
 特に目的の階はなかった。
 書店やブティックなんかが並ぶ二階は太陽光を嫌っているのか厚手のデコレーションシートで窓が塞がれていたので諦め、そのまま三階へ。自販機が並ぶ休憩コーナーの窓に近寄って、地上の様子を覗き見る。
 マイクロプラスチックの雪が、風の煽りでよそへ逃げていく。うっすらとした白いカーテンの向こうに広がっているのは……、
「う」
 委員長が呻いた。
 ……想像以上だ。起き上がっている人はほとんどいない。大きな通りを埋めるように、バタバタと人影が倒れている。ギロチンに高圧電流。みんながみんな死んだとは思いたくないけど、すぐに動ける訳ではなさそうだ。
 通りに沿って目線を動かしてみれば、すぐ近くに見当違いな非難にさらされていた家電量販店、大きな液晶画面を壁にくっつけたヒュージカメラのビルがあった。
 そして、そういったものとは別に。
「……あれか」
 さらに奥。
 まず一筋の黒煙が見えた。そこから地上へ目線を下げると、電気の明かりとは明らかに違う、揺らめくようなオレンジ色の光があるのが分かる。
「もう私達の背丈より大きくなってない、あの炎?」
「不自然に高い。きっと道路沿いの街路樹が松明になってる」
 きっかけは雷にも似た莫大な静電気だ。先端放電、つまり避雷針みたいな役割を持つ尖った場所へ優先的に『落ちた』だろうし、妥当な線か。
 それにしても、思ったよりもヒュージカメラから近い。あれが高圧電流を浴びて身動きの取れない大通りの暴徒達まで届いたらジ・エンド。生者も死者も等しく黒焦げになるまで焼かれてしまう。
 じっとしていたら終わりだ。
 今できる事は何だ? 僕はプロの消防隊員じゃない。だけど、きちんと動く手足があるんだ。ハリウッドヒーローみたいな高望みはしなくて良い。そんな夢は見るな。素人なら素人なりに、この現実で何ができる!?
「……待てよ」
「えっ、なに?」
 メガネにおでこの委員長は両手でスコップを握ったまま、身を小さくしている。
 だけど、そうだよ。
「その方法ならやれる……。マクスウェル、新しいシミュレーションを頼みたい!」
『シュア。パラメータをどうぞ』
「まっ、待ってよサトリ君! 私達が消火器で消せる火なんて焚き火の親戚くらいまででしょ。身の丈より大きくなった炎なんて太刀打ちできないってば!」
「それがそうでもない」
 そもそも、僕達の目的は街路樹の炎を消す事じゃなくて、よそへ延焼を広げない事だ。あの木一本で済むのなら、黒焦げになるまで待っても構わない。
「とにかく動こう。時間は都合良くこっちに味方してくれないぞ。街路樹の炎が地べたのマイクロプラスチックに広がったら難易度は跳ね上がる!」
「ちょっとあの、サトリ君!?」
 戸惑ったような委員長は廊下の隅にあった消火器のボックスへ目をやったが、僕の狙いはそっちじゃない。
 ひとまず下りのエスカレーターを駆け下りて、まだおっかなびっくりなデパートの店員さん達に大声で叫ぶ。
「消火栓か、何だったら蛇口にホースを繋いで! とにかく水を撒いて!!」
「えっ、はい???」
「外で火事が起きてる、火の手が迫ってから予防策を講じても遅い!」
 やっぱりマスクで顔を覆った素人の言葉なんか誰も聞かないか。こっちとしても、知っているのに教えなくて被害が出たら後味が悪い、くらいの感覚しかなかった。動くか動かないかも含めて彼女達の選択だ。
 そのままガラス扉から表に飛び出す。
 一面で、呻き声が上がっていた。
 焦げ臭いし、別の匂いも混ざっていた。鉄錆に近いけど、そうじゃない。
「サトリ君……」
「ダメだ委員長、火事が先だ!」
 僕だって怪我人に手を貸してやりたいけど、炎を止めないと苦しむ井人達も込みで全滅コースまっしぐらだ。心を鬼にして振り切るしかない。
「でも、あんなおっきな炎は水かけたくらいじゃ消えないよ!」
「だから狙いはそっちじゃない。とにかくマイクロプラスチックが溜め込んだ空気を外に吐き出させれば、これ以上は燃え広がらないはずなんだ!」
 変に立ち止まらなかっただけでも委員長は度胸がある方だと思う。
 ここだって安全じゃない。いつビル壁からギロチンみたいに固まったマイクロプラスチックの塊が剥がれて落ちてくるか分からないし、突風一つで大通り全体に雷雲が吹きすさぶんだ。
「プラスチックはプラスチックだ。妙な条件さえ整わなければ炎を浴びせても燃えたりしない。溶けて広がるのも有毒ガスとかで問題だけど、ひとまず最悪だけは避けられる!」
「だから水を……?」
「ロードローラーで踏み固めても良い。羽毛布団をぺしゃんこにして空気を抜くってイメージで考えるんだ」
 そして広い通りを全部処理する必要はない。今燃えている街路樹を囲むように隔離してしまえば。
「江戸の火消しだな」
「?」
 ヒントは不思議そうにしている委員長が握っている雪かきスコップだった。
 炎に消火器を浴びせるだけが消火活動じゃない。火元から延焼する物質を遠ざける、破壊する、切り離す事でも火事は消せるんだ。
 燃える条件さえ崩せば、熱を浴びせてもプラスチックは溶けてチーズのように広がる。それ自体が延焼を防ぐ分断の役に立つ。
 悪い連鎖から良い連鎖に切り替えろ。
 消える理由がない限り火は燃える。だけど消える理由で三六〇度囲ってしまえば逃げ場も奪える。
『火元から一番近い消火栓は五〇メートル先、長方形のマンホールです』
「雪で埋まっていて見えない! どっちみち専用のオープナーがないから開かない!!」
『なら直前で左に入ってください。ヒュージカメラ・湾岸観光区駅前繁華街店。営業時間内なので、必要なものを揃えるのに手っ取り早いのでは』
 あそこか。
 さて、直前までの暴徒騒ぎの後で、いきなりやってきた僕達に協力してくれるかな。
「委員長、スコップは入口の所に置いておいて。刺激するとまずい」
「……良いけど、大丈夫なんだよね?」
 ごうごう燃えている街路樹はヒュージカメラの出入り口のすぐ近くだ。お店の方に歩み寄るだけで顔がピリピリと痛い。人の手で管理されていない、自分の背丈より大きな炎を見上げる機会なんかなかなかない。崖の縁から真下を覗き込むような、本能的な恐怖が両膝を刺激する。
「念のため他にも候補をピックアップ」
『シュア』
 マクスウェルとやり取りしながら、ガラス扉を潜って店内に。
 幸い、いきなり殴られる展開はなかった。
「あっ、お客様!」
「?」
 知り合いじゃない、はずだ。
 だけど頻繁に立ち寄っているせいか、若い男の店員さん側が覚えていてくれたらしい。……マクスウェル絡みで、変な部品の質問ばっかり繰り返したからかな。
 電器店自体は僕にとって馴染みの深い場所で、大体の間取りも分かっている。一階はモバイルショップやネットのプロバイダー、後は契約の待ち時間を潰すための喫茶店や書店なんかが入っていたはずだ。全体的に上へ行くほど白物家電、テレビやオーディオ、テレビゲーム、パソコンやルーターとディープになっていくんだけど、例外的に最上階だけポップなレストランフロアになっている。
 会話ができる状態なら話は早い。
 単刀直入に聞くしかない。
「水あります?」
「っ」
「浄水器じゃない! 表の火事を何とかしないと、このビルにも燃え移るっ!!」
 道路の消火栓は見つけるだけでも大変だ。雪かきして、オープナーで重たい蓋をこじ開けて、外付けの金属パイプを突き立ててホースを繋いで、なんてやっていたら間に合いそうにない。水道だってマイクロプラスチックが詰まって使えなくなるかもしれない。だけど屋内の消火栓を使わせてもらえば話は別だ。確実。特に、タンクが独立しているものなら雪の影響はない。
 とはいえ、誰だって火災報知器のボタンへ無闇に指を伸ばそうとはしないだろう。普通に暮らしている分には、小学生でも分かるトラブルの素だ。
「良いんですかね。社の規定がありまして……」
「そのマニュアル見せてくれればこちらで分析させます。マクスウェル」
『シュア。ネットの公式サイトに転がっている採用情報欄程度のものですが……第三条二項と第八条九項の記述を照らし合わせるに、従業員には店舗設備、商品、売上金、個人情報等の保守義務があります。ビルが燃えるリスクが表面化している今なら、敷地の外の火災であっても店内の備品を使って対応するのが妥当です。むしろ、実際に燃え移ってから行動するのでは目に見える被害の予防を怠ったとみなされ、社内規定による処罰の対象となる恐れがあります』
 さて。
 目を丸くしている店員さんはプログラムの手際に驚いているのか。あるいは単純に人間の秘書でも従えているように見えているのかな。
「消防署のサイトにアクセス。防災講習のレポートでも良い。消火栓の使い方を表示してくれ、頼む!」
『はいはい。気合を注入されても通信速度は変わりませんよ、非論理的な(´-`)』
「……パソコンでもスマホでも、電波が弱かったりハードディスクの調子がおかしい時に祈る事ってあるよね?」
「私に同意を求められても困るよサトリ君」
 消火栓自体は学校の廊下にもあるタイプだった。赤いランプや火災報知器とセットになっていて、下の扉に蛇腹状に畳まれた白いホースが収まっている。
 ポンプは……最初から繋がっているみたいだ。根元にドアノブより大きな蛇口があって、ホースも固定されている。
『減災都市・供饗市一帯で規格化された屋内消火設備ですとホースの長さは五〇メートル程度。外まで引っ張ると結構ギリです。各フロアの失火を個別に消す機材ですからね』
「ええいっ」
 僕の腕より太い金属筒のノズルを掴んで実際にホースを引っ張り出してみると、通路にせり出したケータイコーナーの見本台だの芸能人の等身大看板だの、あちこち出っ張った部分に引っ掛けないよう注意するだけでも大変だ。しかも、思ったより重たい。一人でやる仕事じゃない。テレビ局のADさんなんかがこんな風にスタジオの大型カメラのケーブルを手繰ったりする仕事任されるんだっけ? とにかく四苦八苦しながら最寄りのガラス扉から何とかしてホースを外へ出す。
 再び炎と向き合う時が来た。
「委員長、これ持ってて」
「えっ、えっ。使い方分かんないよ!?」
「お店の方にある根っこのハンドルを回してこないと水が出ないんだ。とにかく腰の横でしっかり押さえて。ノズルのリングを回さない限り噴射はしないはずだけど、不意打ちで暴発すると腕より太い金属ノズルの先で顎を殴られるぞ。すぐ戻る!」
 拘泥している暇はなかった。火柱となった街路樹だって、いつまでもそのままじゃない。今すぐにでも枝や幹が折れてマイクロプラスチックだらけの道路に落ちるかもしれないんだ。
 店内に引き返し、フロアを横断する。壁際、開いたままの金属扉に向かう。加減なんて考えている場合じゃない。とにかくドアノブより大きな蛇口を目一杯回す。
 ぼこぼこぼこっ!! と。
 床のホースが内側から膨らんだ。根元から外へ、爆発的に加速していく。
「あっ、ヤバい……」
 勢いが速いっ、走っても追いつかない!?
 外から悲鳴があった。
「わあーっ!?」
「委員長!!」
 慌てて外へ飛び出す。
 大蛇と戦う人がいた。ぶしゅずばー、というとんでもない効果音つきで。
「ちょ、これっ、ねえサトリ君っ、このジェットこれぇ!!」
「ノズルのリングには触るなとこいつあれほど……!!」
 これだから真面目でお堅い顔してるのにあちこち脇が甘い委員長はっ!? ずぶ濡れで涙目じゃねえか! その可愛さで悶え死にさせる気か!?
 委員長を何とかして助けてやりたいけど、大暴れしたままのホースを受け渡しなんてしようものなら、握力を緩めたタイミングで二人揃って顎を叩かれる。
 仕方がない。
 本当に仕方がない!! 受け渡しが無理なら、後ろから委員長に抱きついて二人仲良くホースを掴むしかないな! 緊急事態だし!! おおお僕は幼馴染みを助けるぞー!!
「あわわあわわわわあわわわわわ」
 よしナイス、パニクって目を回してる委員長はそれどころじゃないな。ここぞとばかりに密着だな!! もう大丈夫だびしょ濡れ少女、今温めてやる!!
「……いやあ、頑張ってきて良かった。正義っていうのはいつか必ず報われるものなんだなあ」
『システムは非論理的な事象に対し信憑性など考慮しませんが、地獄に落ちると良いですよ』
 あとこのデコメガネ、さっきから必死になって燃え盛る街路樹のてっぺんに狙いをつけようとしているようだけど、それだと間違いだ。僕達の目的は一面のマイクロプラスチックに水を浴びせる事でぺしゃんこにし、毛糸みたいに溜め込んだ空気を逃がして引火を防ぐ事。三六〇度経路を全部奪ってしまえば、街路樹の火種は勝手に消える。
 だから、こう。
 狙いは足元。上からホースを押さえつけるようにして暴走を食い止めて、至近から順番に浴びせていけば良い!! 地面を塗り潰して陣取りゲームをするように!!
「きゃあっ!!」
 路面にぶつかって跳ね返った飛沫を浴びた委員長が短い悲鳴を上げたけど、今はマイクロプラスチックの雪を何とかする方が先だ。このまま二人羽織状態でさらに矛先を前に、奥へ。レーザービームでも浴びせるくらいの感覚で燃え盛る街路樹の根元まで一気に高圧放水をお見舞いしていく。
『雪に覆われた地面が一五センチから二〇センチほど沈んでいます。効果あり。空気を溜め込んで膨らんでいたマイクロプラスチックが、水の力で潰れて見かけ状ではくっついているようです』
 ええいっ、スマホ持ちながらだと両手で金属ノズル握りにくいな。結構振動あるし、画面やレンズに傷が入らないと良いんだけど。
 燃えている街路樹を中心にぐるっと囲むように水を撒かなきゃいけないんだけど……ダメか。ホース自体は届かない。仕方がないので今いる位置から街路樹を挟んで奥に高圧放水を叩き込んでおく。
 ばぎっ、という硬い物が割れるような音があった。
「なっ、なに?」
「下がれ委員長、倒れてくる!!」
 半ば背後から線の細い体をホールドしたまま、無理矢理後ろへ引きずった。
 オレンジ色に輝く滝のようだった。
 半ばから街路樹の幹が折れ、路面に向かって倒れ込んだんだ。燃えたままの木の枝がいくつも砕ける音が重なり、叩きつけられた反動で大量の火の粉が舞い上げられる。
 けど、それだけだった。
 熱した鉄板に水をかけるような蒸発音と、プラスチックの溶ける嫌な匂い。だけど枯れ草に火を放つような、どうしようもない炎の壁には発展しない。むしろ溶けた飴みたいな塊に絡め取られるようにして、しつこく倒れた木に残っていた炎が小さくなっていく。
「……、」
「……。」
 へたり込んで抱き合ったまま、僕も委員長もしばらく動けなかった。手を離れて暴れ回るホースなんて気にしていられてない。
 ひとまず終わった、のか?
 木が折れた時に馬鹿みたいな量の火の粉が飛んだから怖かったけど、恐る恐る首だけ動かして観察してみても、どこか別の場所に飛び火している感じはしない。
「……マクスウェル」
『シュア』
「今日と同じ事が起きる可能性は?」
『地面に積もった雪の密度と風の強さによりますが、いくらでも』
「静電気以外の出火原因は?」
『リスト化もできますが不毛です。この現代において、人は火と電気を使わずに生活できません。また使用を控えたとしても、細かいマイクロプラスチックは変圧器や送電線などに絡んでショートを起こすという点もお忘れなく』
 今日を……いやこの一分を乗り越えたとして、次はどうする? たった一分後には別の場所で火の手が上がって街全体を呑み込むかもしれないんだ。その全部を事前察知して食い止めるなんて、災害環境シミュレータの力を借りても無理だ。なら予防措置を取る? いくらでも季節外れの雪が降り続ける中で、街全体にくまなく水を撒き続けろっていうのか。冗談じゃない!
「サトリ君……」
 委員長が、抱き寄せられたまま不安げに声を掛けてきた。
「ねえサトリ君。終わったのなら、大通りの人を助けに行かないと。怪我している人もたくさんいるはずよ」
「分かってる……」
 当たり前の生活。その根底にある身の安全が崩れていくのが分かる。一分後には炎に巻かれて死ぬかもしれない、自宅にこもって全部の扉や窓に鍵を掛けても除外はされない。ちょっとした風向き一つで、死は平等に街を呑み込んでいく。起きていようが、眠っていようが、容赦なく。
 今のままじゃダメだ。ダメだとして、ならどうすれば良いって言うんだよ!?

< 前へ|1|2次へ