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吸血鬼の姉とゾンビの妹が海外旅行だというのに日本に置き去りだけどどうしましょう……こっちは壊滅してるけど
第二章

 

  1

 起き上がれない。
 呼吸がおかしい。
 体が何か……外からのしかかられるっていうより内側でつっかえている。カラクリ仕掛けの人形が外から踏まれて、中にぎっしり詰まった歯車ごとくしゃっと潰されてしまったような。
 僕は。
 僕は一体どうなったんだ……?
「……ーす……」
 どこかから声が聞こえた。
 近いのか遠いのかもはっきりしない。
「痛いけど我慢だわ、トゥルース!!」
 ごぐぎん!! という鈍い感触が体内で響き渡り、そして忘れていた激痛が一気に頭蓋骨の中へと殺到してきた。
 カンフル剤って呼ぶには荒療治過ぎる。
「あっ、が、は、ははァ!!!???」
「生きてる? 外れた肩は今のでハマったみたいだけど」
 倒れたまま呻くだけで、まともに答えられなかった。
 ここは灯台みたいな……いいや思い出してきたぞ……確か、高速道路のジャンクションを支える柱の中だ。数十の流星雨が降ってくるから慌てて逃げ込んだんだけど、ロックを掛けたはずの鉄扉が千切れて飛んできて、まともに直撃したんだっけ。
 まるで交通事故だった。
 骨がどうこうじゃない。生きていただけでもラッキーと思わなくちゃならないくらいのダメージ。
 だけど自分の幸運なんかに喜んでいる場合じゃない。
 外は。
 パリは。
 フランスの首都は、一体どうなった?
「……、」
 確かめるのが怖かった。
 だけどここでじっとしてる訳にもいかない。義母さんだって同じ街にいるはずなんだ。
 息を吸う。
 幼いアナスタシアにすがる。
 何とかして起き上がる。
 まだ右肩の辺りがずきずきするけど、一歩。よろめき、躓いて、床にスマホが落ちているのに気づく。身を屈めて拾い上げて、やっと自分の体が自分の頭で動かせるのを思い出す。
 もう一歩。
 さらに一歩。
 元々灯台の内部みたいな狭い空間だ。大股で四、五歩も歩けば千切れた鉄扉の枠に差し掛かる。
 さっきみたいな不自然な明るさはもうなかった。むしろ暗い。ここは高速道路のジャンクションなんだから、上の道路を照らす街灯の恩恵くらいありそうなものなのに。
 手をついて、首を出す。
 確認する。

 ここは、どこだ?
 僕達は得体の知れない世紀末にでも迷い込んだのか???

「……、」
 しばらく。
 呼吸すら忘れて、灰色の風景を眺めていた。何だか粉っぽい膜で覆われた向こう側に、斜めに傾いたビルの群れが見える。それだけじゃない。一段低い所で山を作っているのは……まさか、耐え切れずに全部崩れたのか?
「……マクスウェル」
 とにかく情報が欲しかった。
 本当に?
 いつものサービスに触れて、ここはイカれた並行世界なんかじゃないって実感が欲しかっただけじゃなくて?
「マクスウェル! 返事をしろ!!」
 繋がっていなかった。
 圏外。
 ケータイ電波を無線LANに切り替えても状況は変わらない。マクスウェルはもちろん、天津ユリナの動向も、デフォルトで入っている地図や天気予報のアプリも、最低限の通話やメールさえ機能してない。
 胃袋が冷える。
 また一つ、孤独の中で当たり前が死に絶えていく。
 そういえばここ最近の心霊現象は手始めにスマホを動作不良にするらしい。怪談を語る側も心得ている訳だ、真っ暗な夜道や廃墟で何が起きたら一番嫌かを。
 パリは……どうなった?
 まさか、本当の本当に、今のでこの街は死んd
「トゥルース!!」
 間近で叫び声があった。
 ミシミシって鈍い音が響いたのもほとんど同時だった。しかも真上から。何か、細かい砂みたいなのが頭の上に降ってくる。
 いいや。
 嘘だろ、
「走って!! 高架が崩れるわ!!」
 上を見上げる余裕すらなかった。見たら絶対に足がすくんでへたり込む、そう分かってしまったから。だから前だけ見て、逆にこっちからアナスタシアの手首を掴んで勢い良く駆け出す。一〇歩はなかった。五歩もあれば良い方だった。
 真後ろで爆発が起きた。
 いいや、何十トンっていうコンクリートの塊が落下してきて、地面とぶつかって大量の砂利や土砂を舞い上げたんだ。下敷きで机の天板を叩いた時に小さな風が生まれる、あの理屈で。暴風に煽られた小石の雨に背中一面を叩かれるようにして、二人一緒に転ぶ。もう移動も何もない。幼いアナスタシアを抱え込んで胎児みたいに体を丸めるくらいしかできる事がなかった。
 音はしばらく連続した。
 幸いだったのが、最初の一発で前のめりに倒れて転がされた事か。あちこちすり傷だらけだったけど、おかげで知らない間に何メートル分か距離を稼げたらしい。ブロック化された高架道路が次々破断して落ちていく危険エリアの、ギリギリ外までは逃げられたんだ。
「無事かっ、アナスタシア?」
「え、ええ。うえっ、げほ!!」
 まるで得体の知れない催涙ガスだ。倒れ込んだまま互いの安否を確認し合う僕達を、体に悪そうな灰色の粉塵が追い抜いていった。
「こ、これでもマシな方だわ……」
 ギザギザの地面に転がり、同じ空気を吸って大空を見上げながら、アナスタシアがスカートや肩紐も気に留めず、信じられない事を言ってきた。
 思わず二度見する僕に、しかし一一歳の少女は首を横に振って、そのまま続ける。
「粉塵は舞い上がっているけどいきなり気温がぐんと下がったりはしない、パリ一帯が地均しされて巨大なクレーターに変わっているって感じでもない。デカいのが一つじゃなくて、小さな塊がたくさん降り注いだんだわ。さっきまであったマクスウェルの話だと、空中で砕けたんじゃなくて最初から複数独立した流星雨のようだけど」
「……、」
「だからパリの全滅だけは避けられた……。街はまだ原形は留めてるわ。ひとまず、地球全体が氷河期って展開にもならないようだわ」
 冷たい人、とは思えなかった。スケールを急に大きくしたのはきっと、目の前の現実から逃げたいからなんだろう。何でも良い、『せめて』良かったが一つくらいないと。耐えられないんだ、この小さな少女の心では。
 僕だってそうだ。この惨状を素直に認めたら、そのタイミングで心が折れてしまいそうだった。
 後ろを確認するのが怖かった。
 直近。
 高速道路は、僕達がいた金属の橋げたはどうなった?
 二人して、完全に音が止まってからゆっくりと身を起こし、恐る恐る振り返ってみる。もうジャンクション特有のぐるりと回る巨大な陸橋は跡形もない。まるで放置された積み木みたいにコンクリートの塊が山積みにされているだけだった。金属の柱? あちこちでぐにゃぐにゃ折れ曲がったり破けて内側からギザギザの破片が飛び出しているアレがそうなんだろうか。
 あと一分、柱の中で呆然としていたら。
 あと五秒、走り出すのが遅れていたら。
 ……僕達は今、どうなっていたんだ?
「これからの事を考えましょう。トゥルース、いくら旅行ビギナーでもパスポートくらい常に持ち歩いているわよね? ワタシは大使館に助けを求めるべきだと思う」
「待ったアナスタシア。上は高速道路だったんだぞ、車だって走ってたはずだ。あの中に生き埋めにされた人だっているかも

 バガッッッ!!!!!!
 いきなりの爆発と突き刺すような熱風に、僕の言葉が断ち切られた。

 まだ完全に立ち上がってもいなかった。
 なのに無理矢理地面を転がされる。何度も何度も。信じられなかった。何だ今の? ガソリン、車の? 答えがほしくても、スマホはうんともすんとも言わない。いつの間にか、僕は自分の目で見たものが何なのか判断がつかなくなるほど退化していたっていうのか!?
 僕の服を小さな手で掴んだまま、アナスタシアは絶句していた。
 パリはまだ残っている。世界全体も氷河期にはならない。
 そんな無理矢理なポジティブ探しじゃ覆い隠せなくなったんだ。助けを求める事もできない人々を前にして、人としての感性がじわりと戻ってきているんだろう。
 それでもアナスタシアは沈痛な様子で首を横に振って、
「……素人判断で救助の真似事なんかやったって、巻き込まれるだけだわ。どこに可燃物があるかなんて誰にも読めないっ、瓦礫の山だって何かの拍子でこっちへ崩れてくるかも」
「でもっ」
「助けないなんて言ってない! トゥルース、背丈の何倍もあるあの火柱をアンタに消せる? 瓦礫の一つ一つが何十トンもあるけどどうやって持ち上げるの? ……無理なものは無理よ。それよりも、本当に一人でも助けたかったら、無謀な挑戦じゃなくてプロの人間と設備をきちんとここまで呼ぶべきだわ。スマホは使えないのよ? 情報が伝わらなければ助けは来ないんだから!」
 正しい。
 アナスタシアは圧倒的に正しい。
 マクスウェルのサポートがない今、僕にあるのは運動のできない高校生程度の筋力。しかもスポーツ成分を犠牲にしてガリ勉になった訳でもない。命にかかわる現場なんかに耐火服や酸素ボンベどころか手袋もしないで首を突っ込んだらどうなるか。そりゃあミイラ取りがミイラになる。分かってる。というかマクスウェルと正常に繋がっていたとしても、多分こう言うはずだ。最善の助言は危ないから今すぐ逃げろだって。分かりきっている。
 でも。
 けどさ。
 それでもだよ!!
「……消してみせるさ」
「トゥルース!!」
「今すぐ全員瓦礫の中から引きずり出すのは無理かもしれない! だけどあの炎くらいは消しておかないと助かるものも助からないだろッ!! せめて、救助を待てる状況くらい作っておかないと!!」
 もう全員は救えない。
 事故車から漏れたガソリンが出火原因だとしたら、火元の潰れた車に閉じ込められていた人は一番最初に焼け死んでる。そもそも火事に関係なく、高架が崩れてコースアウトした段階で車の中で命を落としている人だっているだろう。
 だけど、まだ助かるはずの人だって残ってるかもしれないんだ。乗用車一台で一人から四人くらい? 大型のバスがあったら一台で何十人? 全部で一体何人瓦礫の下に埋まってるかも判断できない中で、その全員をいっしょくたのカゴに入れて一括で諦められるほど僕の心は強くない!!
 探せ。
 考えろ。
 ガソリンの炎は普通の火事とは勝手が違う。闇雲に水をかけると油が飛び散って余計に火の勢いを高めてしまうかもしれない。なら使えるのは何だ? トン単位の化学消火剤? そんなものどこにもない。だけど考え方は間違っていないはずだ。そうだ、大昔にナパーム弾の延焼を食い止めるために使っていたものは、
「……砂だ」
 気がつけば、そう呟いていた。
 賭けるならここだ。
「砂や土を被せるんだ!! 酸素の供給さえ断ち切ってしまえば炎は消える!!」
「どうやって? ここにはスコップ一つないっていうのに!」
「なら他に今あるものを使うしかないだろ!」
 幸か不幸か、だ。
 今のところ火元は一ヶ所。漏れたガソリンの流れ次第じゃ他の車への飛び火もありえるけど、ここさえ消せば誘爆は食い止められる。
 そして高速道路にはいろんな車が走っていたらしい。火元の近くに大型のダンプカーが半分埋まっている。後ろのバケットに山積みされているのは山盛りの黒土だ。
 レバーは運転席で操作する、と思う。
 マクスウェルがいないから勝手が分からない。だけど運転席に乗り込んでレバーにしがみつけば。闇雲にでもレバーを動かして、あのバケットを斜めにせり出して大量の土を被せたら、きっと乗用車一台分くらいの火は消えるはず!
 今ならやれる。
 逆にこれ以上炎が広範囲に広がったら手に負えなくなる。次に餌食になるのは当のダンプだ。ガソリンだか軽油だかは知らないけど、デカい分だけ積んでる燃料だって多いだろう。
 初めて自分から目的を作った。
 だから一歩を踏み出せた。
「くっ……」
 近づくだけでも肌全体に薄く突き刺すような痛みを感じる。煙は口や鼻ってよりも両目に襲いかかってくる感じだ。足場も鋭いガラスや鉄筋が飛び出してるから油断ならない。何より、あちこちにある瓦礫と瓦礫の隙間は巨大な顎みたいだった。ついうっかりで手や足を入れたら、きっと噛み千切られる。だから痛くても、涙が滲んでも、両目は開いているしかない。目を閉じて手探りで進む訳にはいかないんだ。
 タマネギを微塵切りにするのとは似て非なるけど、とにかくボロボロと泣きながらゆっくりダンプに近づいていく。
 運転席は……くそっ、ロックがかかっているのかフレームが歪んでしまったのか、ドアが開かない! 人の気配があるから下手にガラスを割ると至近から破片の雨を浴びせそうだ。いったんダンプの前から助手席側のドアに回り込む。フロントガラスは細かいヒビだらけで、運転席に誰がいるのかは見えなかった。
「……、」
 途中で視線を感じた。
 足元を見てみれば、自分が今踏んづけている灰色の瓦礫にも隙間がある。その奥で、誰かが閉じ込められているようだった。感じからして……小さな子供? ちくしょう、このまま炎が広がれば蒸し焼き確定じゃないか!!
 そして助手席側のドアにも拒絶される。やはり開かない。
 炎の熱も限界だ。
 僕は足元にあったソフトボール大の塊を手に取る。運転席側からよりは遠ざかっているはず。一度だけ手の甲でノックして警告だけしておくと、覚悟を決めて、小ぶりなコンクリ片をガラスに叩き込む。おっかなびっくり内鍵を外すと、今度は開いた。
 乗り込むと、運転席にいるのは金髪のおじさんだった。呻き声が聞こえるけど……うわ、潰れた車体のせいで両足が噛みつかれてる。これこそ、プロのレスキューでもない限り助けられそうにない。
 そして普通の車よりゴチャゴチャしていた。ハンドルの他にいくつかレバーがある。どれだ、どこから始めたら良い? とにかく片っ端から動かすくらいの気持ちでレバーに手を伸ばしたら、運転席のおじさんから手首を掴まれた。
 じっとこっちを凝視してる。
 だけど僕にはフランス語で交渉するだけの能力がない。スマホも圏外だから通訳アプリなんかも使えそうにない。だからもう正面から見返すしかなかった。それから自分で言えるのはこれだけだ。

「ヘルプっ!!」

 裏声で最低にダサかった。
 フランス人は英語で話しかけても答えてくれないって話もテレビで観た事がある。そもそもイントネーションは思い切り日本語で、イギリス人やアメリカ人が聞いたって首を傾げただろう。
 それでも必死さは伝わったのか。
 あるいは単純にポカンとしたのか。
 とにかく手首を掴む力が弱まった途端、僕はいくつかあるレバーを端から順に倒していった。
 火元になった車のドライバーは間違いなく亡くなっている。けどそこに大量の土を被せるのは、褒められる話じゃない。それでも覚悟を決めてやるしかない。
 バックを知らせるのと変わらない警告ブザーが規則的に鳴り響き、重たい振動と共に後部のバケットが持ち上がる。やってみて気づいたけど、傾斜のついたバケット自体が盾になってしまって振り返っても後ろの様子は確認できない。
 いけるか?
 消えるか?
 成功しろよちくしょう!! これでダメなら打つ手なしだぞっ!!
「トゥルース!」
 外からアナスタシアの声が飛んできた。
「火が消えていくわ! 一応は成功みたい!!」
 力が。
 抜ける。
 やった? ほんとに? 重たい瓦礫や潰れた車体に挟まれた人達を本当の意味で助けるには時間がかかりそうだけど、ひとまず炎と煙の脅威は取り除いた。じっと待って救助のプロへチャンスを繋げる事には、成功した?
 そう思った時だった。
 頭がぐらりと揺れた。
 疲労のせいじゃない。ごごんっ! っていう特有の地響きがあった。
「これは……」
 思わずクセで天井を見上げて、ぎくりと体が凍りついた。
 いや。
 まさか。
 待ってくれ!! ここでアレがやってくるか? あっちもこっちも不安定な瓦礫だらけで、いつ何のタイミングで崩れてしまうか全く読めないっていうのに。砕けたコンクリやアスファルトでできた瓦礫の下にはどれだけの人が閉じ込められているのかも数えられないのに!!
 だけどそれは人の都合だ。
 自然は待たなかった。

 地震。
 泣きたくなるくらいの無慈悲が、世界を全部揺さぶった。

 何で?
 何でこうなる。
 もう呆気に取られるしかない僕に、小さなアナスタシアが車の外から叫ぶ。
「流星雨の直撃で地盤のプレートに打撃が加わったからだわ! 普通じゃ地震が起きない場所でも今は違う。不自然過ぎるエネルギーを急激に受け取ったプレートが、バネみたいに反発したのよッ!!」
 そんな事を聞いているんじゃない。
 だってもう喰らっただろうが、大自然の猛威なら。まだ流星雨の混乱すら受け止めてないのに、もうか? もう来るのか次の災害が!! こんな、ここまで無慈悲なのか。一応この世界にはヴァルキリーみたいな神様がいるんじゃないのかよ!?
「くっ……!!」
 とっさに運転席のおじさんに両手を伸ばした。けど、ダメだ。潰れた車体ががっちりと両足の太股を挟み込んでいて、抜けない! ここだって瓦礫の山が崩れたら危ないのに!!
 その時だった。
 予想外の力が加わった。

 とんっ、と。
 むしろおじさんが僕の体を押したんだ。助手席のさらに先、開いたドアの向こうへと。

 笑っていた。
 言葉も通じない、裏声の日本語イントネーションでへるぷとしか言えなかった最低にダサい僕に向けて、そのおじさんは確かに笑っていた。
 直後に灰色の土砂崩れがダンプカーに襲いかかった。運転席は、跡形もなく潰れてしまった。
 絶叫した。
 泣き喚いても揺れは止まらず、そのままたっぷり二分は世界を攪拌していた。
 その二分で。
 どれだけの人がすり潰された?
 火事が終わって、一応は救ったんじゃないのかよ。それじゃあダメだったのよ。なあ、JB!? インテリぶってテクノロジーを振りかざして好き放題流れ星の雨を降らせてさ、これが本当に賢い選択か? この人達が一体アンタらに何をしたって言うんだ!!
 もう倒れたまま動けない。
 気がつけば、僕は横倒しでただただ胎児みたいに丸まっていた。
「……トゥルース」
 アナスタシアが、ようやく揺れの収まった瓦礫を渡ってやってきた。
 けどそれは、慰めのためじゃない。
「手を貸して! 今崩れたので、いくつか隙間が広がっているわ。引っ張り出せる人もいるみたい!!」
「……、」
 じわじわと。脳に染み込むまでに時間のかかる言葉だった。
 助けられる人が、まだいる?
 アナスタシアは両手を細い腰にやり、上から目線で汚れた地面に転がった僕を睨みつけて、
「何のために人様のありがたい助言を蹴ってまで危険を冒したの!? 余震が来たらせっかくのチャンスをまた失うわよ。今度こそ永遠に。トゥルースが自分の命を賭けて繋いだチャンスでしょ、アンタはそれでも良いの!? 一人も助けられないまま諦めても!!」
「ッ!!」
 運転席側から助手席側に回り込む時に見かけた、あの視線の主を思い出す。
 もう無我夢中だった。
 アナスタシアと二人で、鉄錆とガソリン臭い瓦礫の隙間から生存者を引っ張り出す。何をやっても死と隣り合わせの作業だった。割になんか合わなかった。それでも僕達は、一人一人引きずり上げるごとに、擦り傷だらけの見知らぬ誰かと抱き合って一緒に泣いた。その中にはあの小さな子もいた。横穴から引っ張り出せなければどうなっていた事か。
 ああ。
 生きている。
 彼らもそうだけど、僕やアナスタシアも。まだ真っ当に生きていられる。
 再びの余震が襲いかかってきたタイミングで、僕達はいったん瓦礫の山から離れる事にした。今日は一日中細かい地震が続くかもしれない。素人目には、助けを求める声はもうなかったと思う。か細い声に笛の音、何か金属を叩く音。そういったサインは取りこぼしていない、はず。大丈夫だと思うけど、後は専門の機材なり犬なりを連れたレスキュー隊に調べてもらうしかなさそうだ。
「……義母さんはどうしてるかな」
「さあね。何とも言えないわ」
 魔王とまで呼ばれるアークエネミー・リリス。でもやっぱり僕にとっては大切な家族なんだ。どこかでこんな目に遭っていないと良いけど。
 ……捜し出せるか?
 もちろん単純に安否も気になるけど、それとは別に結局戦争準備はどうなった。まさかまだ続行って訳じゃないだろうな。ダメだ、今のままじゃイエスもノーも断言できない。あの義母さんなら、アブソリュートノアなら、何でもありって気もしてきた。
 JBがここまで派手に先手を打ったんだ。むしろ、今のでアブソリュートノア側のタガが外れたら? 義母さん達が組織的な報復なんて考えに取りつかれたら本当にまずい。
 ぽつりと冷たい感触が頭に当たった。
 まるで砂鉄でも混ざっているかのような、汚れてざらついた雨粒だった。
 夜空を見上げた頃には、夕立みたいな勢いで降り注いでくる。
 アナスタシアはうんざりした顔で、
「さっきの流星雨で大量の空気が攪拌されて急激に気圧が変わったせいだわ。舌で舐めたりはしない方が良いわよ、色が濁っているのは舞い上げられた粉塵を吸ったからね」
「……黄砂混じりの雨とか酸性雨とかのもっとひどいヤツって事?」
 まだまだ災害は続く。
 たった一個のドミノを倒した所から、連鎖的に。対して今の僕達は、傘の一本さえ持っていない。そんな日用品も用意できない。
「大使館に行きましょう。ひとまず日本大使館で良いわ、旅慣れてないトゥルースが優先。まあ、あの国の職員ならアメリカ国籍のワタシにも甘い顔してくれそうだし。一一歳っていう武器も最大限に活用させてもらうわ」
「……、」
 通信が回復しない以上、義母さんの足取りは掴めない。
 この混乱下で闇雲に歩いた程度で見つけられるとも思えない。
「パスポートはこういう時のための頼れる道具よ。今度の今度こそ、トゥルースが助けを求める番になっても良い頃だわ」