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4

 ニーヴァを降りると、はかない雪がちらつき始めていた。
 娘の家は、古ぼけたロッジという表現がしっくりくる。三角屋根からは大量の氷柱が垂れ下がり、ビビットカラーの外壁は吹き付けた雪で凍っていた。エチカたちがサンデッキを上がり、玄関扉を何度かノックすると、ややあって先ほどの娘が姿を見せる。
「誰? 何の用です?」
 彼女は分かりやすく警戒していた──近くで見ると、思いのほかれいな子だ。化粧気のない顔と、揺るぎなく澄んだ緑の瞳。街で見かける作られた美しさではなく、誰も訪れない森の奥でひっそりと実を付ける果樹のように、りんとした匂いをまとっている。

国際刑事警察機構インターポール電子犯罪捜査局です」エチカはIDカードを見せる。「捜査の関係で、この近辺の方にお話をうかがっているのですが、お時間をいただいても?」
「……何の捜査ですか?」
「詳しくは言えませんが、電子犯罪です。関係者がこのあたりに紛れ込んでいるようでして」
 言葉を選んで説明すると、娘は迷ったのちに招き入れてくれた。ハロルドの言うようにやましいところがあれば、もう少し抵抗してもよさそうなものだが。それとも、突っぱねるほうが疑われると考えているのだろうか? 分からない。
 通されたリビングは、カントリー風の内装だった。暖炉の上には、銀糸を編み込んだブレスレットドウオツチが並び、勧められたソファにもトナカイの毛皮が敷かれている。
 エチカは腰を下ろしながらたずねる。「お名前は?」
「ビガです」娘は、運んできたトレーをテーブルに置いたところだった。「その、すみません、今はあたししかいなくて……父は山に行っていてしばらく帰らないんです。この時期は氷霧がしょっちゅう起こるせいで、トナカイの群れがばらけることが多いから」
 ハロルドの読み通り、やはりこの娘はサーミで間違いないようだ。エチカはつい、隣のアミクスを盗み見る──彼は視線に気付き、口の片端を上げてみせた。いっそ余裕すら感じられる。
「お父さんはトナカイの牧畜だけで生計を? 第一次産業の副業を持っていたりは?」
「持ちたくても持てないんです。最近は制限区域内でも、外部の業者がロボットを持って入ってくるから仕事が回ってこなくて……国の方針なので、どうしようもないんですけど」ビガはマグカップを、エチカの前へと押しやった。「どうぞ、よかったら」
 カップの中身は、至って普通のコーヒーだ。あでやかな黒と、香ばしい香り。リーのSNSで見かけたようなチーズは入っていない──客人には振る舞わない私的な飲み方なのか。なら、リーは単なる客じゃない? ビガともっと近しい間柄ということ?
「あっ」
 不意に、ビガが声を上げる。見ればハロルドにマグカップを渡そうとして、互いの手がぶつかったらしく、少量のコーヒーがこぼれたところだった。
「ごめんなさい、あたしってば……!」ビガは慌てた様子で、用意してあったタオルで彼の手を拭う。「端末にかかっていませんか? れたら壊れちゃう」
「平気です、防水仕様なので」彼は手首のウェアラブル端末をいちべつし、「それに捜査局から支給されたサブの端末ですから、故障したところでユア・フォルマを使えば済みます」
 ハロルドが遠回しに、自分はユア・フォルマを搭載した人間だと主張する──機械否定派で占められた制限区域では、確かに人のふりをしておいたほうが賢明だ。
 だがわざわざそんなをせずとも、ビガは彼がアミクスとは気付いていなかった。アミクスどころかドローンもいない町で生まれ育てば、人間と区別がつかないのも無理はない。
火傷やけどは? 本当に何ともありません?」
「ええ」ハロルドはほほみ、ビガの手をそっと握る。おい。「ありがとう、優しいのですね」
 ビガが、我に返ったように目を見開く。その頰が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「んん」エチカはせきばらいした。「ビガ、彼は大丈夫だから座って」
「あ、はい。すみません……」
 彼女が、おずおずと向かいのソファに腰を下ろす──エチカはハロルドを横目でにらんだ。アミクスときたら、素知らぬ顔でコーヒーに口をつけている。全く、何のつもりだ?
「それで」エチカは軽く眉間をむ。気を取り直そう。「幾つかおきしますが、学校は?」
「卒業しました、大学には行っていません」
「では、就職を?」
「はい。今日は休みですけど、週に何日かは郵便局で仕分けの手伝いを……」
「そう。この家には、ご家族の他に誰が出入りしています?」
「近所の人と、それから父の友人が」
「あなたの兄弟や友達は来ない?」
「兄弟はいないし、友達も来ません。皆、学校とか仕事とか、あと家の手伝いで忙しいので」
「なら、最近いじめられたこともありませんか?」
 途端に、ビガが眉をひそめた。気にしたように、手首のドゥオッチをいじり始め──しまった。エチカが質問を間違えたことは確かだ。が、もはや遅い。
 一瞬、空気が張り詰めて。
「素敵な模様ですね」
 ハロルドが唐突に言う──彼のまなしは、壁のタペストリーへと向けられていた。鮮やかな青と赤を基調に、トナカイの群れが織り込まれている。素敵なのかどうかエチカにはよく分からないが、助け船だったのは間違いない。
 ビガがなつかしそうに目を細めた。「死んだ母が作ったんです」
「とてもお上手だ。あなた方の民族衣装コルトと同じ色を使っているのですね?」