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リーを乗せた救急車の回転灯が、極夜の底へと遠ざかっていく。雪原を舐める青い光を眺めながら、エチカは電子煙草の煙を吐いた。気温は一層下がり、もはや寒いというより痛い。
救急隊員が持参した簡易診断AIの見立てでは、リーは低体温症が悪化して意識を消失し、運転を誤ったようだった。その際に頭部を強打しており、脳挫傷の可能性もあるらしい。幸い命に関わるほど重篤な状態ではないようだが、感染者である彼女は、ユア・フォルマを通じて治療をおこなえない。だが、どうにか回復すると信じたい。
何よりもようやく、収穫があった。
「感染源の共通項は、リグシティの見学ツアーかも知れない」エチカは白い息とともに言い、「パリのオジェは理系の学生で、テクノロジー企業に関心を持っていたところで何ら不思議じゃなかった。でもリーはバレリーナ志望だ、この共通点が偶然だとは思えない」
「ええ」ハロルドがやるせなさそうに答える。「ワシントン支局と連絡を取って、最初の事件の感染源が見学ツアーに参加していたかどうかを確認すべきでしょうね」
彼は先ほどから姿勢を崩し、気落ちした様子でジープにもたれている。その腕にかかったコートとマフラーは、リーの血で濡れていた──このアミクスにとっては捜査の進展よりも、人間の負傷のほうが重要らしい。絵に描いたように倫理的な態度だ。何となく苛つく。
それにしても。
「きみはどうして、見れば分かるんだ?」
エチカが問いかけると、彼は沈んだ眼差しをこちらに向けた。
「過去に、優秀な刑事から指導を受けました。それだけです」
指導を受けただけでそこまでの観察眼が身につくのなら、世の中のアミクスは全員天才だ。トトキはハロルドを特別だと言っていた、恐らくそこに起因するのだろう。
「まるで現代のシャーロック・ホームズだね」
「『君は見ているが観察していない。その違いは明らかだ』」ハロルドはにこりともせずに引用し、ジープから体を離す。「ヒエダ電索官、読書がお好きですか?」
「最初、きみのことをR・ダニールだと思ったくらいには」
「アシモフですね。私は彼のように、宇宙市から来たわけではありませんが」
「まだわたしと話す気があるらしい」どうにも、言わずにはいられなかった。「さっきのことで身に染みたでしょう、きみとわたしが仲良くやっていくのは無理だ。でも、不仲なほうがむしろ上手くいくこともある。きっとそのうち分かる」
ハロルドは納得すると思ったのに、どういうわけかため息を吐き出しただけだった。意味が分からない。しかもこちらが煙草を消すのを見計らって、ジープのドアを開けてくれる。むかつくほど紳士的な態度だ。まさか、この期に及んでまだ懲りていないのか?
「補助官、だからそういう余計な気を回すなと……」
「あなたは何故、自分を冷たい人間に見せようとするのです?」
彼の視線が、刺すように食い込む。
エチカはつい、睨み返してしまって。
「何の話?」
「分かっていますよ」ハロルドは無表情だった。「あなたはどうにかリーに繫ごうと必死だった。でも、自分が罪悪感で泣き出しそうな顔をしていたことには気付いていない。どうしてそうまでして、感情を押し隠そうとするのです?」
「寒さで視覚デバイスがいかれたの?」エチカは言い捨てて、ジープへと歩き出す。「ビガのところへ戻ろう。わたしが運転する」
「いいえ、今のあなたにステアリングを握らせたくない」
何なんだ──見透かされているかのようで腹が立つ。何も知らないくせに。
「いい? わたしは何とも思っていない、全部きみの勘違いだ」
ハロルドの親切を無視して、無理矢理ジープの運転席へと体をねじ込む。彼は物言いたげだったが、結局は大人しく助手席に乗り込んできた。二人きりの車内は、外よりもずっと寒い。
別に、冷たく見せようとしているわけじゃない。自分はただ、やるべき仕事をしただけだ。
こんな機械に、心に入り込まれたくない。