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 確かにこれは朗報だ。その一点を持ち出されれば、あらゆる反論をみ込むしかなくなる。
『それでも嫌だというのなら、一人で潜って戻れる能力を身につけることね』
「不可能です。誰にもそれができないから、パートナーシステムが採用されている」
 エチカのような電索官ダイバーは、情報処理能力に特化しているがために、一度電索を始めると制御がかない。わばスカイダイビングのようなものだ、飛び込んだら後は垂直落下するしかない。だからこそ、命綱であるにモニタリングを任せ、しかるべきタイミングで引き揚げてもらう必要がある。
『納得してくれるわね?』
 トトキに一切譲るつもりがないことは、明らかだった。もちろんエチカだって、はなから拒否できるとは思っていない。何よりも、彼女は総会から自分を守ってくれたのだ。真っ当な大人なら、ありがたいと思わなければならない。
 だがその代償が、アミクスのパートナーか。
 エチカはトトキに無礼をびて、通話を切った。前髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。分かっている、諦めるより他ない──それにどうせ、あのアミクスもすぐに壊れるだろう。トトキはこちらとアミクスの能力が釣り合うと信じているようだが、実際に試したわけじゃない。
 これまでの補助官に例外はいなかった。
 アミクスに取って代わったところで、そう簡単にくいくはずがない。


「ヒエダ電索官、随分と長電話でしたね」
 ケアセンターの入院病棟は暗く、古くさい匂いが立ちこめていた。人間の医師に先導されて、エチカはハロルドとともに廊下を歩く。時折、見舞客や看護アミクスとすれ違う。
 エチカは突っぱねた。「だから何?」
「言わずとも分かりますよ、パートナーの交代を申請したんでしょう?」
「違う」とっさに答えてしまう。しまった。「そこまでは、言っていない」
「それはよかった」ハロルドはほほんだ。「失礼ですが、アミクスがお嫌いですね?」
 気付かれていた。喉を突かれたような気分になる。先ほど取った態度を思えば無理もないが、面と向かって指摘されるとさすがにやや気まずい。
「きみには悪いけど、まあ……その通りだ」
「構いませんよ、そういったことはあまり気にしません。きっかけは何です?」
「プライベートなことは話さない。今後もそうして」
「なるほど、ストイックな方は嫌いではありませんよ。尊敬できますから」
「いや……」何なんだ、はっきり言わなきゃ分からないのか? 「つまりわたしは、きみと仲良しごっこをするつもりはないと」
「あの……すみませんが、そろそろ感染者について詳しくお話ししても?」
 はたとする。前を行く瘦せぎすな医師が、こちらの無駄口に非難がましい目を向けていた。
「失礼」ああもう頭を切り換えないと。「二日前に、最初の感染者が搬送されたんでしたね」
「そうです、今朝の段階でうちに入院しているのは十二人。バレエアカデミーの生徒さんが半数を占めていて、全員が低体温症で運び込まれました。ひどく吹雪いていると言ってね
 医師が窓を顎でしゃくる──空は薄ぼんやりとした明るさをまとい、寝ぼけ眼みたいにすっきりとしない。せわしなく配達ドローンが行き交っているが、雪は一片も舞っていなかった。
「感染者の頭の中では吹雪なんです」エチカは言い、「共通の幻覚は今回の知覚犯罪の特徴だ」
 知覚犯罪は、ユア・フォルマへの電子ウイルス感染によって引き起こされる。今回の連続事件においては、今月上旬にワシントンDCで最初の事例が確認され、以降はパリ、サンクトペテルブルクと単発的に発生していた。
 感染者に共通する症状は、いずれも吹雪の幻覚と、それに伴う低体温症だ。
「僕も患者を診て過去のニュースを読みましたが、新種の自己増殖ウイルスだそうですね」
「ええ、しかもユア・フォルマのフルスキャンを使っても検出できない。今、開発元のリグシティが分析チームを立ち上げて、調査にあたっています」
 今のところ、この新しいウイルスについて判明していることは二つだけだ。


 一、一人の感染源から、ユア・フォルマのメッセや電話などを通じて感染が広がる
 二、ウイルスには十五分ほどのごくわずかな潜伏期間があり、感染力を持つのはその間だけ



──感染力に至ってはウイルスの問題というよりも、発症後はユア・フォルマが動作不能に陥るため、必然的に広がりようがなくなるという道理だ。
 現状、ウイルスを除去する手段はまだ見つかっていない。対処法は限られており、動作抑制剤によってユア・フォルマそのものの機能を止めるか、摘出手術でユア・フォルマを取り除くかの二択だった。
「だが吹雪の幻覚はまだしも、幻の雪で体が影響を受けるというのがどうにも……」
電子犯罪捜査局うちもそこは頭を悩ませているところですが、今のところノーシーボ効果の一種ではないかと考えています。大昔のブアメードの実験が分かりやすいかと」
「というのは?」
「簡単に言えば、人が思い込みで死ぬことを証明した実験です。被験者は、目隠しをした状態でベッドに縛られます。医者は『血液のうち三分の一を失ったら死亡する』と伝えてから、被験者の足の親指にメスを入れる。ほんの少しだけ。で、血が一滴ずつ流れ出すわけですが」
「実際はメスなど入れておらず、血だと思っていたものはただの水滴だった」ハロルドが勝手に、続きを拾う。「実験では一時間ごとに、被験者ににせの出血量を知らせます。数時間後、ついに出血量が三分の一に達したことを教えると、被験者は無傷にもかかわらず死亡した」
 エチカはややしかめつらになる。「よく知ってるね」