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「以前、ネットで見かけたことがあるのです。我々は一度見たことは忘れませんから
「ああ、うちの看護アミクスもそうだよ。大事なカルテのデータがバックアップごと飛んだ時も、記憶メモリから全部アウトプットして復元してくれた」
「私たちにとっては造作もないことです」ハロルドはほほみ、「ただ電索官、ブアメードの実験は論理的に少々強引では?」
「脳はもともとだまされやすい器官だ」エチカは声を低くする。「ユア・フォルマのように脳と一体化したデバイスを前提とすれば、ブアメードは十分論理的な説明として成立する」
 そうしてエチカたちが訪れた病室は、十五床ほどの大部屋だった。ベッドにはそれぞれ感染者が横たわり、鎮静剤によって静かな寝息を立てている。容態は安定しているようだ。
「おたくのご要望通り、全員を〈探索コード〉でつないでおきましたよ」
 医師が言う──電索に使われる〈探索コード〉や〈命綱〉は、いわゆるHSBケーブルだ。Human Serial Busはユア・フォルマ専用のシリアルバス規格である。プライバシー保護と悪用防止の観点から一般人の所持は禁じられており、特定の医療機関や捜査機関のみが使用を許される。
「えー、この中から感染源を見つけ出すんでしたね。そこに、犯人の手がかりが?」
「まだ分かりません。潜ってみなければ何とも言えない」
 ワシントンでもパリでも、オジェのような感染源には行き着いたものの、ウイルスの感染経路や犯人の手がかりは見つからなかった。ユア・フォルマや機憶に痕跡が残されていない上、感染源自身も、「どこでウイルスをもらったのか、全く心当たりがない」と主張しているのだ。
 だからこそ、今回は空振りでないことを祈りたい。
「しかし」医師が不安げに、室内を見渡す。「十二人を並列処理ですか。二人以上を相手にする電索官は見たことがありませんが……メンタルをやられて、自我混濁を起こすんじゃ?」
「問題ありません。多人数の並列処理ができるからこそ、わたしが呼ばれましたので」
 機憶に記録された感情は、まるで自分自身の感情であるかのように心を通過する。そのため電索官が自我混濁を起こして、メンタルケアが必要になる事故も度々起こる。しかしエチカの場合、大勢を並列処理しようと、それらの感情にみ込まれたことは一度としてなかった。
 どちらかと言えば、気がかりなのはハロルドの処理能力だ。
「それで」エチカはアミクスを見やる。「ルークラフト補助官、わたしときみの〈命綱〉は?」
「こちらを使うようにと言われました」
 ハロルドが、電索官と補助官をつなぐ〈命綱〉を取り出す。一般的な〈命綱〉とはデザインが異なり、金糸と銀糸を交互に織り込んだように色づき、うっすら光っていた。
 エチカは眉をひそめる。「特注品……ね」
「ええ。あなたをモニタリングするにあたって送り込まれる情報を、私の回路でも理解可能な形式に変換できます」
 トトキ課長は、必要な投資だと言っていた。しかしやはり、エチカにはくいくと思えない。これまでのネガティブな経験が、あまりに尾を引いている。
 エチカは気乗りしないまま、うなじに〈命綱〉を挿し込む。〈探索コード〉に比べ、〈命綱〉はさほど長くない。ハロルドが接続のために目の前へとやってくるので、とっさに顔を背けて、距離を取りたい衝動を抑える──アミクスとここまで近づくのは、本当に久しぶりだ。
 仕事でなければ、絶対にこんなことはしないのに。
「電索官、繫ぎましたよ」
「ああうん」エチカはちらとハロルドを見やり──ぎょっとした。彼は左耳をずらし、現れたUSBポートにコネクタを接続していたのだ。「その、……何か問題は?」
 こういう時、これが人間そっくりの機械なのだということを、嫌でも思い知らされる。
 はっきり言ってちょっと、いや、大分不気味だ。
「特に支障はありません。少し緊張しているくらいです」彼は言葉とは裏腹に、リラックスした笑顔だった。「あなたは平気そうだ」
「……慣れているから」
 うそだ。実際は胸がざわついていた。当たり前だが、アミクスと頭をつないだことはこれまでに一度もない。
 だが、もう後戻りはできない。大丈夫、思考を止めるのは得意じゃないか。
 トライアングル接続を完成させたところで、エチカは一度だけ、深く息を吐く。
 いつも通りにやればいいだけだ。
「始めよう」
 そうつぶやいた瞬間、ずるりと感覚が傾く──一瞬で、電子の海へと落下していく。
 まずは表層機憶から──いとしい愛犬に頰ずりする。守ってあげたい。声を荒げる友人が見える。心臓がひりつくような悲しみがはじけて。真新しいトウシューズに触れる。わくわくする、今すぐ踊り出したい気分。暇つぶしに、友人のSNS投稿を遡る。チーズが沈んだコーヒーの画像が流れ去っていく。マリインスキー劇場が映る。広告まみれなのに、美しくきらきらと輝いていた。憧れなのだ……ユア・フォルマの機憶に蓄積された十二人の日常が、感情が、ばらばらの欠片かけらとなってすさぶ。喜怒哀楽のあめあられが、でたらめにエチカの心を殴りつける。だが、いずれも自分の感情ではない。ごととして感覚を閉ざし、冷静に受け流して。
『もしも死んでいたら、あなたを許さなかった』