【第六章】
「ぷはっ!!」
ぼくと委員長は二人して夜の水面に顔を出した。
分厚い水の壁のおかげで、鐘の音を耳にするのは免れたようだけど……。
でも、すでにこの時点で異変を感じ取っていた。
そう、
「何だ……水の流れ、が……?」
「シュア、何かしらの理由により水流が滞っているようです」
屋上の縁に手を着いているだけで分かる。あれだけ凄まじかった濁流がピタリと止まっていた。凪いだ水面は、川というより湖のようになっている。
「それはそうですよ」
言ったのは、未だに現在進行形でゾンビ達に喰われつつある姉さんだった。
ただし余裕の表情は決して消えていなかった。
ドSな姉さんは反対側についてもエキスパートらしかった。
「ウピオルの一度限りの働きによって、およそ半径一キロは不死者の領域に様変わりしました。獲得した吸血鬼の数はこれだけで、ざっと一万人から二万人弱。ふうむ、昼間の仕込みにしては不発だったかもしれませんけど……まあ、鐘の音の伝承は『ウピオルの享年と近い、同年代の者を呪う』とありますし、万能とはいかなかったのかもしれませんね。それでも戦力差は圧・倒・的」
「……、」
「そしてこれだけ数が揃えば、次のフェイズに移る事もできます。ねーえー、アユミちゃん。もしもお風呂に髪の毛がいっぱい浮かんだまま栓を抜いたら、それはぜーんぶ排水溝に溜まってしまうとは思いません?」
「まさか」
「吸血鬼は流れのある水は渡れない」
きっぱりと。
チェックメイトが決まったはずの盤を、丸ごとひっくり返すように。
「でも、自滅覚悟で配下の吸血鬼を一斉に飛び込ませて、水の出口を全て目詰まりさせてしまったらどうなります? 『流れのある水』は怖くても、『流れなくなれば』どうって事はありません。これって簡単な解法のはずですよね?」
「まさかっっっ!!!???」
アユミの判断は素早かった。
直前までのチャンスを全て棒に振る。自らの意思で手放す。だんっ!! と後ろへ大きく飛んでぼく達の方……暗い水面から突き出たウェザースフィアを掲げる電柱の先っぽまで下がった途端、四方八方から一斉に飛びかかる無数の影があった。
吸血鬼。
今まで流れのある水に分断されていたはずの者達。
小さな虫かごを、さらに大きな檻で囲うように。
三〇程度のゾンビが支配していた小さな屋上は、数百単位の吸血鬼の殺到によってあっさりと取り返されてしまう。女王への不敬を裁くべく、あっという間に八つ裂きが躍る。
配下の吸血鬼を排水溝の髪の毛扱いとか、見た目ほんわかしながらどんだけ女王様なんだ、この姉さんったらちくしょおおお!!
「お兄ちゃん!!」
アユミは叫んだが、水面を漂うぼくは間近にいた委員長を強く抱き締めた。だってやだ!! ここまで来てまた離れ離れはごめんだ。こんな全力全開の姉さん相手に二回も三回もとんぼ返りして奪還作戦なんて繰り返していたら体がいくつあっても足りないし!! まして変なリザルトを大学や研究所に自動送信されて、お偉いオジサマ連中にニヤニヤされて、挙げ句にリアル委員長のリアル鉄拳でリアル顔面潰されなんて絶対に嫌だ! この秘密は墓場まで持っていく!! ……その意思はゾンビの妹にも伝わったのか、突き出た電柱の先に足を乗せていた彼女は舌打ちしながらぼくの首根っこを掴む。
「っ!! お兄ちゃんのイインチョ馬鹿!!」
「本望ッッッ!!」
「ふぐうー!! ぶわぁーーーーか!!」
そのまま一本釣り。ここに乗りつけるのに使ったゴムボートまで一気に飛ぶ。
ぼすんと体が沈み込み、反動で跳ねる。
もう辺りにはアユミの味方はいない。無秩序なゾンビの群れはみんな統率を取り戻した吸血鬼の軍団にやられている。
「早く逃げて! ここで捕まったらお姉ちゃんはもう容赦しない! イインチョと一緒に吸血鬼コースまっしぐらだよ!!」
「分かってる!!」
慌ててゴムボートの電動モーターを始動させ、
「でもどこに逃げろって言うんだ、ここから!!」
「ぶっちゃけクライマックス感満載ですね」
「~~~」
アユミは行儀悪く親指の爪をガジガジ。
そうこうしている間にも……ヤバい、並走してる。いくつもの影が、吸血鬼が、水没した街から突き出したビルからビルへと次々に飛び移ってきてるよお!!
いくらモーターボートの馬力を頼ったって、『夜』の力を借りた吸血鬼の足には勝てない。追い着かれる。このままじゃ飛び乗ってくる。
「ッ!!」
とっさに、ボートに積んでいた『モノ』を投げつけた。
それ自体は、キャンプ場にあった発電機からガソリンを抜いてジュースの小瓶に注ぎ、中の空気と混ざるようにジャカジャカ振っただけ。たとえ火を点けて破裂させたって不死身の吸血鬼には大したダメージは与えられない。
だけど、吸血鬼はトネリコやセイヨウサンザシの杭で心臓を打たれると消滅する。
アウトドアマニアが小さな図鑑を持ってて助かった。ジュースの小瓶に輪ゴムを巻きつけて、焚き木となっていた細い枝をくくりつけるだけで良い。手製の爆弾にカッターの替え刃や有刺鉄線を巻きつけて破壊力を増すのと同じ、吸血鬼用の散弾に早変わりしてくれるはず!
ボッバ!! と。
派手な爆発音と共に、飛び移ろうとしていた吸血鬼の軌道が逸れて暗い水面へと落ちていった。きちんと撃破できたかどうかは分からなかった。
どこかから、くすくすという柔らかい笑みが聞こえてきた。
『ひどいです……』
エリカ姉さんのものだった。
モーターボートで全速力だっていうのに、不思議な音源はちっとも離れてくれない。
だだっ広い屋外で奇妙に反響するようなその声が、延々と追い駆けてくる。
『サトリくんったらひどいです。わたし達吸血鬼を傷つけて、倒して。お姉ちゃんは哀しいです、胸が張り裂けちゃうかもしれません……』
「うわあ!! ごめんなさい姉さんー!!」
「ここまで来てガクブルすんなお兄ちゃん!! あんなケツデカ女が何だっていうのよ!?」
『うふふ、アユミちゃんは後で家族会議な? うっぷ』
「ヤバい、コウモリか何かに化けて追尾してきているんだろうけど、行きがけの駄賃ですれ違いざまに生き残りの首をつまみ食いでもしているのか姉さん!?」
「お弁当箱超小さいお姉ちゃんのくせに生意気な! 大体致死量に達しないと吸血鬼にできないんだから半端に襲っても意味ないのに!!」
どこまで逃げても振り切れない。
そもそも安心して落ち着ける屋内がほとんど残っていない。一つの街を丸ごと水没させたんだから当然ではあるんだけどさ!
「いいや、あるよお兄ちゃん」
「?」
思わず眉をひそめると、アユミはぼくじゃなくて水着委員長の方へ視線を投げた。
「マクスウェル! ……で良いんだっけ? 水没した後じゃランドマークが潰れて分かりにくいんだけど、ヒュージ不動産のビルってこっちで良いんだったよね!?」
「ノー。あなたには一時的に上位権限が移譲されていますが、システムが認証するユーザーはあくまで天津サトリ様となります。システムはセキュリティポリシーに従い、該当以外のユーザーからのコマンドを拒否します」
「……お兄ちゃん、こいつちょっとガブッとやっちゃって良い?」
「落ち着くんだアユミ、元も子もなくなるっ! 後マクスウェルも変なトコで意地を張るな! ぼくからアユミのコマンドを承認!!」
「シュア。言及されたヒュージ不動産供饗市中央支店は四〇〇メートル直進の後、左折して五〇メートルの位置にあります。ただし一階受付は水没しているものと思われますが」
「……お兄ちゃんの言葉にはほいほい従ってお尻を振って媚び売っちゃって……やっぱりガブッと天誅喰らわしたい……」
「アユミ。そもそも不動産が何だっていうんだ!?」
「忘れたの、お兄ちゃん」
ザシャア!! と派手に三日月状の波を立てつつ、強引にカーブを切るゴムボートの上で、器用にバランスを取りながらアユミは言う。
「吸血鬼は無闇に家屋に入れない。侵入には家主の許可がいる」
「あ」
「これ、きっとカルトが徐々に街へ浸透して訪問勧誘してくる怖さから生まれた伝承なんじゃないかなあって思っているんだけど、とにかくお姉ちゃんにも有効ならそれでよし! ほら見てあそこ。ヒュージ不動産の看板がある!!」
ゴムボートでそのまま突っ込んだ。
ビルの三階部分のガラスを叩き割って、ゴムボートは直接絨毯敷きのフロアへ飛び込んでいく。ボートの動きが止まるのを待つのももどかしく、ゾンビのアユミは飛び降りてゴロゴロと転がった。
中は真っ暗だった。水没のせいかもしれない。スマホのバックライトを頼りに辺りを照らしながらぼくはアユミに叫ぶ。
「アユミ! 姉さん達はもう来てる!!」
「分かってる!! ええと、ええと、あった! このビルの所有を表す原本。こいつをちょちょいと書き換えれば……」
スチールラックいっぱい、段ボール箱に詰め込まれたファイルの群れ。アユミはアルファベット順に並ぶ棚の資料から一つを抜き取って、作業用のテーブルの上へとぶちまけた。
万年筆でいくつかの項目を潰して書き込みながら、
「このビルはあたし達のものになる! あたし達の許可がなければお姉ちゃん達は入って来られない!!」
「アユミ、格好良く叫んだのは良いけどどうして動きが止まってるの?」
「……トドメを決めたいんだけど、ハンコがない」
「ああもう!! ここ外資系だからサインでいけるんじゃないか!!」
適当に万年筆を奪うと、ザザッと筆記体で自分の名前を書き殴る。
途端に、
ばぢんっ!! と、何かが弾かれる音が響き渡った。驚いて振り返ってみると、吸血鬼らしき影が大の字になって窓際にへばりついている。でもあそこはぼく達がガラスを割って侵入した場所だから、遮るものは何もないはずなのに……。
その後も立て続けに何人もの吸血鬼が飛びかかってきたけど、結果は同じだった。ガラスは割れなかったし、元から割れている場所からも入って来られないし、他のドアから侵入される事もなかった。
ふう、とようやくぼく達は息を吐いた。
「何とかなった……かな?」
「まだ分からない。あのお姉ちゃんの事だもの、絶対転んだってただでは起きないはず。とりあえず吸血鬼達から見えない場所まで移動しよう?」
「下手に打って出るより、朝まで待って日光を味方につけた方が得策かもしれませんね」
とりあえずアユミや水着委員長と一緒に資料室みたいな部屋から出る。ゴムボートと折り畳み自転車はその場に置いておく事にした。
高校生のぼくには不動産のビルなんて縁がなさ過ぎる。が、どうやら一般的な受付は一階や二階などに集中しているようで、こちらは上得意のお客様用の商談スペースみたいだ。ぶっちゃけた話、あちこちに美術品や骨董品が置いてあったり、鍵のかかる小さな個室がいっぱい並んでいたりと、能率的なオフィスというより趣味の空間って方が印象は近い。
やっぱり水没のせいなのか、エレベーターは動かない。
階段を使って上の階へ移動すると、さらに『趣味』の領域が色濃くなっていく。
「うわあ、何だこりゃ」
「私設の博物館のようですね」
フロア一面に並べられた大小無数のガラスケース。中にあるのは古今東西の絵画や彫刻、カラクリ細工。中央には巨大な肉食恐竜の骨格標本まで飾られていた。真っ暗闇の中をバックライト頼りに進んでいるから絵画や人形が不気味に見えるが、本来通り間接照明で照らされていれば、さして芸術に詳しくないぼくだって圧倒されていたかもしれない。
これにどういう意味があるのか、不動産の取引にどんな効果があるのか、子供のぼくにはちょっと見えなかった。たまにテレビのCMなんかでも視聴者に何を買ってもらうでもなく、グループ傘下の名前を延々と羅列したり、自分の工場の優れた技術を誇示したり……なんていう『企業が作る企業に向けた宣伝』があるが、あれと同じで『大人の見栄』の話なんだろうか?
何にしても、ぼく達からすればありがたい。
ある程度入り組んでいて遮蔽も多く、何より直射日光を嫌うギャラリーには窓がない。外から観察する姉さん達からはブラックボックスになっているはずだ。……透視とか千里眼とかコウモリ超音波エコーとか、訳の分からないスキル持ちでなければ。
「ちょっと見てよお兄ちゃん。こっちのコーナー、東欧コレクションだって」
「ん?」
「ほとんど吸血鬼特集になってる。お姉ちゃんのファンなのかな」
呼ばれるままに近づいてみると、確かに吸血鬼コーナーって感じの一角があった。でっかい棺に、宝石だらけの王冠や杖。湖畔の古城を描いた絵画は……うえっ。紹介文を見る限り、本物の血液を絵具に混ぜて描かれたものらしい。
他にも中世の貴族が生き血で満たしたと言われるバスタブ、効率的に血液を搾るために使われたと思しき拷問・処刑具。果てはハンマーや古びた杭までずらずらと並べてあった。本当に吸血鬼の伝承に基づくものなのか、化け物扱いされた貴族の遊びの展示コーナーなのかいまいち見えないラインナップだ。
水着委員長は首を傾げて、
「ここにあるものを使えば、吸血鬼に対して効率的なダメージを与える事ができるのでしょうか?」
「そりゃ火縄銃があれば古武術の達人を倒せるって言ってるのと同じだ。ある程度の効果はあるかもしれないけど、わざわざ骨董品を持ち出す理由が見えない。今あるものをフル活用した方がマシじゃないか?」
ちなみに別の一角にはゾンビ関係をまとめたコーナーもあった。
こっちは主にカリブ海周辺の文化や風俗を集めた資料展の体裁になっている。
「ブードゥー、だっけ? でも飾られているのは普通のスーツとかコートだな。あんまり宗教っぽい感じがしないぞ」
「近代にできたものだから、そもそも時代がかった装束を用意する必要がなかったんだって」
「へえ、ゾンビゾンビゾンビばっかりだと思っていたけど、他にも色々あるんだな」
「そもそもオウンガン自体は行政の『しきたり』全般を管理する神官で、ゾンビはその一角、刑罰を担う技術だからね。派手なところばかりクローズアップされているけど、豊作とか雨乞いとか、フツーの願い事を叶える仕組みもあったはず」
「思いっきり十字架とか飾ってあるけど?」
「ブードゥーは他のあらゆる宗教を呑み込んで自前の伝承に組み直す特徴があるの。にしても、ここで作った薬品が病原菌と組み合わさって劇症型になるなんてねえ」
そんな風に言い合っていると、スマホに着信があった。
姉さんからだった。
開口一番、もう鼻をすすっているようだった。
『ぐす……。ひどいです、サトリくんったらひどいです。みんなでわいわい秘密基地で話し込んで、お姉ちゃんだけ仲間外れにして。一人だけ置いてきぼりにしてえ……』
「うっ」
「ダメ!! お兄ちゃん!!」
思わず胸になんか刺さったところで、アユミに尻を蹴飛ばされた。ゾンビの強靭な脚力にちょっと足が床から浮き、衝撃で腰をやられそうになる。
「変な罪悪感なんて覚えないで! そうやって手練手管で家主から許可をもらおうとするのが吸血鬼の常套手段なの!!」
「でもさあアユミ。『雨の夜、段ボールの中でお腹を空かせた子猫』とかさ、あざといって分かっていても魂を抉られる、そう、テンプレみたいなものってあるじゃん! 姉さんの言葉聞いた!? ひどい、みんなで、わいわい、お姉ちゃんだけ、仲間外れ、一人だけ、置いてきぼり。誘導するのが上手すぎるよ、もう何本も釣り針刺さっちゃってるんだけどここから突き放せるか!?」
「なら電話切れ! そもそもアクセスしなければ心も揺れない。はーやーくー乳デカ女の電話切れェェェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
と、そこで何やら電話の向こうからシュルシュルという音が聞こえてきた。
布が擦れるような?
「ええと、何してんの姉さん?」
『何って、ちょっと蒸し暑いから服を脱いでいるんですけど?』
「ぶふっ!?」
あっ、まずい!! そんなアユミの叫びが飛んできたけど、姉さんの声は止まらなかった。
『何しろわたし、奇麗好きなものでして。こう汗をかくのは耐えられないんです。ああ、でももしもサトリくんが見たいんでしたら、スマホありますよね? 一時休戦してわたしがライブでサトリくんのお手元までお届けしてあげても良いですけど。わたしがどこからウェットティッシュで拭いていくのか気になりません?』
「えっ、良いの!? 是非!!」
「ばっ」
アユミが蒼白になったまま叫んだ。
「バカァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ドガシャア!! と別のフロアから勢い良くガラスの割れる音が炸裂してきたのは直後の事だった。
えっ? ていうか、ええっ!?
『はいお疲れ様。しっかり家主の許可をいただきました、サトリくんっ☆ うふふ』
「何でっ、そんなの出してないのにっ? スマホ越しに見せてくれるって話じゃあ……」
「このドスケベお兄ちゃん!! わたしが、ライブで、サトリくんの、お手元まで、お届けする。つまり動画とも中継とも言ってない! じかに行って目の前で脱ぐって意味だったら侵入許可になっちゃうでしょうこんちくしょおー!!」
「ヴぁー!!」
嘆いたところでもう遅い。ドカドカという荒々しい足音がこっちまで近づいてくるのが良く分かる。ここは真面目な顔で言うしかない。
「アユミ、それにマクスウェルも。いったん仕切り直してみよう」
「これ終わったら家族会議な! お兄ちゃん!!」
「むしろ安定のクソ野郎でようやくホッとしました。ダム決壊からのくだりから少々イケメンの匂いが漂い始めていて、一体何のエラーだと分析を続けてきたのですが、杞憂だったようですね」
「家族会議って言えば姉さんの件だろ! あんな方法で釣りやがって。そういう約束の元で侵入してくるってんなら、後でちゃんと見せてもらいますからね!! 奇麗好きな姉さんは一体どこから洗っていくんだゴクリ……!?」
『ぶふっ!? え、ちょっと、サトリくんっ、ええっ!?』
とはいえ、せっかくの聖域も台無しだ。吸血鬼が多数入り込んでしまった以上はここで朝まで籠城する手は使えない。
「とりあえずボートの場所まで戻るしかないのか」
「だね。でもどうやって!? あちこちに吸血鬼は雪崩れ込んでいるし、こっちは生身の人間がいないからゾンビを増やせない! このままじゃ質でも量でも圧倒されちゃうよ!!」
確かに吸血鬼は棒切れで叩いたり包丁で刺したくらいじゃ死なない。
しかもゾンビと違って知性もある。向こうは連携を取って確実に退路を断って、一つ一つの部屋を順番に屋内捜索していくはずだ。机の下もゴミ箱の裏もくまなく。
ただし。
「相手に知性があるなら、ゾンビとは違った戦法が使える」
「お兄ちゃん……?」
「つまり吸血鬼は騙せる。本能剥き出しで一律に噛み付いてくるゾンビと違って、考える余裕があるからこそ付け入る隙が生まれるはずだ」