• 夕張セツナ

    夕張セツナ
    アークエネミー【妖精】のセコンド?


第四章



   1


 始まる。

 アークエネミーとアークエネミーを殺し合わせる、僕達と何も変わらず泣いたり笑ったりする少女達を『人間じゃないから』ってだけで血の海に沈める、その第二幕が。

「ぐっ、うう……!」

 歯を食いしばって、たっぷり水を吸った掛け布団でも背負っているように重たい体を引きずるようにして、僕はビルの壁に手をつきながら、どうにかこうにか夜の街を進んでいた。折り畳み自転車なんて市民図書館の敷地に置き去りだ。ペダルを強く踏んで最初の勢いをつけるのも無理っぽかったから。

 ……僕は馬鹿だ。

 おそらく井東ヘレンも似たような疲労感に襲われているはずだ。僕の口を経由して、セコンド役の、リャナンシー陣営のインスピレーションを得るたびに。そして今夜、実際に命を賭けるのは彼女だ。

 椅子に座って端で見ているだけで意識が飛びそうなこんな状況で、一瞬の判断ミスが全てを瓦解させる『コロシアム』に挑まなくちゃならないんだ。

 何をやっているんだ。

 彼女を支えるどころか、足を引っ張って背中を刺しているようなものじゃないか。

「……はあ、はあ!」

『警告、ヘルスチェックの値が許容を振り切っています。ユーザー様、速やかに医療機関への受診を強く推奨します』

「そんな暇が、あるか……」

 セコンドの僕がいようがいまいが『コロシアム』は始まる。光十字の目的はアークエネミーを共食いさせて数を減らす事。井東ヘレンと羽裂ミノリがかち合うなら、後は何だって構わないはず。

 ここまで失態を演じた僕に、今さら何ができるかは分からない。

 だけど、このまま井東ヘレンを一人ぼっちにはさせられない。迷惑を掛けっ放しでは終わらせられない。

 挽回のチャンスをくれ。

 そのために命を削る必要があるんだったら、差し出す。

 だから。

「……、」

 ようやっと、特設会場のある建物の前までやってきた。供饗第一放送じゃない。光十字は一戦ごとに拠点を変えて、横槍が入るのを防いでいるからだ。

 きらびやかな夜景で埋め尽くされた中央金融区ビジネス街。その一等地に建つ五〇階建ての超高層リゾートホテル。周囲を海や山に囲まれた風光明媚な観光資源を活用するために造られた、この辺りの地方では最大の宿泊施設。

 供饗バカンスゲートホテル。

 柔らかい明かりに照らされた正面ロータリーには、タクシーやハイヤーどころか胴の長い白塗りのリムジンまで行き交っていた。

 あの地下を失った光十字は、どうやって街中のアークエネミー達を襲い、どこを通って運搬し、どのようにして監禁状態を維持しているのか。疑問ではあった。

『色々ありますよ』

 まだ黒山ヒノキに化けたリャナンシー陣営に振り回されていた頃、話を聞いてくれた姉さん達はそんな風に言っていた。

『別に地下を使わなくても、街中で堂々と人をさらいながら絶対に「見えない」「目撃されない」仕組みは作れます。そうですね、サトリくん。例えば大型の観光バスなんてどうでしょう?』

『バス? 確かに大きいけど、でも窓のカーテンを全部閉めたくらいで安全なのかな。だって人をさらっているんだよ』

『違うよお兄ちゃん。観光バスは下半分が丸ごと貨物スペースになっているの。つまり大きな鉄の檻がそのまま道路を走り回っているって訳。上半分には観光客を装った兵隊を山ほど積んでおけるし一石二鳥だね』

『もちろんアークエネミーの膂力を考えると放り込んでおしまい、とはいきません。だけど、ジェラルミンのスーツケースに標的を詰め込んでから内部を液体窒素で固め、氷点下一九五度の魔法瓶を観光バスの貨物スペースに並べれば、安全確実無抵抗で運搬できるとは思えません?』

 彼女達が悪魔のような思考の持ち主って訳じゃない。姉さんもアユミもその被害者だから分かるっていうだけなんだ。

『観光バスの場合は、当然、バスがたくさん行き来していてもおかしくない場所を拠点のターミナルにしているはずだよ。観光名所のお寺とか神社とか、そうでなければ逆に、宿泊先の大きなホテルとかね』

『ホテルは一般企業だけど行政や司法との繋がりが強いんです。逃亡犯が偽名を使ってチェックインしていないか、カメラのない客室で怪しい取引をしていないか、警察関係とは必ずホットラインを持っているから。後は、政治資金パーティーなんかのお得意様がいるなら、センセイ達とのパイプもあるでしょう。……つまり、光十字みたいなのが水面下で動くにはうってつけって訳です』

『空を飛べないアークエネミーなら、最上階辺りに閉じ込めるだけで効果はある。塔に幽閉されたお姫様ってね』

 それが、この高級ホテル。

 豪華極まりない、きらびやかな処刑の牢獄。

 建物を見上げる僕の横を、ツアー客をたくさん載せた大きなバスが通り過ぎていった。ロータリーに吸い込まれ、へとへとになった老若男女を吐き出している。小さな旗を持ったバスガイドが呑気に点呼を始めていた。

 ホテルのドアボーイ達が手押しのワゴンに次々とスーツケースを積んでいく。

 ずしりと重たそうな、体を丸めれば人間だって収まりそうなスーツケースを。

 あれは、白か、黒か。

 ゆっくりと息を吐いて、少しでも体力の回復に努め、そして言った。

「行くぞ、戦場に。マクスウェル、サポート頼む」

『シュア』

 ぐらつく視界が完全に途切れないように気を張りながら、何とかして正面ロータリーに踏み込む。入口に立つドアボーイ達は笑顔でガラスの自動ドアに手をやり、開いて、僕を迎え入れてくれた。

「いらっしゃいませ。本日はチェックインですか?」

「……いえ、催し物の方で」

 冷たい汗でびっしょりになったまま僕は言う。

 彼らは笑顔のままだった。

 受付の広大なフロントロビーに、ゆったりとした室内音楽と間接照明で浮かび上がるコーヒーラウンジ。

 辺りを見回すと、スマホに連絡があった。

『はいはーい、カレンちゃんです。一般エレベーターではなく左手側のスタッフオンリーの扉に向かってください。業務用エレベーターの他に、VIP専用エレベーターがありますから』

「……、」

 どこかから見ている?

 いいや、防犯カメラも含むホテルの全権を光十字が掌握しているのか。ホテルの一室を鉄の扉で頑丈に改造しているっていうより、まるで監獄の空き部屋に片手間で宿泊客を泊めているようなものじゃないか。

 ひとまず指示に従いながら、小声で言う。

「マクスウェル」

『シュア。供饗第一放送とこのホテルの周辺情報を取得、分析するタスクを設定しました。両施設共通の資金の流れや出入りする人物の有無などをピックアップ。上手くいけば裏に潜む勢力、人物等を割り出せます』

「任せた」

 そんなに簡単に尻尾を出すとは限らないけど、やれる事は全部試さないと。

 スタッフオンリーの扉を潜る。

 表とは打って変わって、白塗りの冷たい壁が青白い水銀灯に照らし出された無機質な通路を少し歩くと、問題のエレベーターがあった。

 黒い礼服の係員がにこやかに話しかけてくる。

 笑顔だが、見えない圧のある顔面で。

「いかがなさいましたか、お客様」

 答えたのはスマホだった。

 青いバニーガールの声が囁く。

『学術フォーラムの会場はこちらですか。珍しい青い蝶の標本が見られると耳にしたのですが』

 合言葉らしい。

 一字一句そのままなぞるように口を開くと、屈強な係員の圧が引っ込む。

 彼はエレベーターのボタンを押して、

「そちらのパーティーのご招待客でしたか。これは失礼を致しました」

 そちらの。

 他には一体どんな秘密の『パーティー』が開かれているのやら。

 エレベーターのドアが開くと、わざわざ専用のエレベーターガールがついていた。逆に表で一〇〇倍以上稼働している一般エレベーターじゃ絶滅しているだろうに。

 乗り込み、ドアが閉まると、エレベーターガールは特に行き先を聞かずにボタンを押してしまう。

 動き出す、という感覚は曖昧だった。いつの間にか緩やかな加速感に全身を包まれている。直通だからだろう、回数表示のカウントはなかった。立っているのがやっとの僕は、エレベーターガールがいる操作パネルとは対角線の角に体を預け、すっぽり収まる。

 ……正直、どこまでやれる?

 ただでさえ僕も、そしておそらく井東ヘレンも、リャナンシーの力で精気を奪われている。ダメージが同じなら、井東ヘレンだって軽く押したらそのまま倒れてしまいそうなくらい衰弱しているはず。

 これ以上はまずい。

 衰弱を通り越して殺されかねない。いいや、そうでなくとも『コロシアム』の中で気を失えば、後は頭なり心臓なり好き放題攻撃されておしまいだ。基本的にギブアップもレフェリーストップもないんだから。

 ただし、『衰弱』はリャナンシー陣営から受け取ったインスピレーションに具体的な形を与えた途端に上乗せされる。

 妖精は鉄に弱いとか、リャナンシーは普段は目に見えないかもしれないから気をつけろとかいう敵方の情報はもちろん。

 粉薬を小袋に詰めたり、塗り薬を小瓶に詰めて投げれば良いとか、麻酔銃の針に魔女の薬を組み合わせてはどうかとか、こちらを有利にする戦法も。

 使わなければ良いと思う。

 除外すれば問題ないと。

 でも、あらかじめ知らされているからこそ、どうしても意識してしまう。今迂回している自分はすでにリャナンシー側の掌の上なんじゃないか。そんな自縄自縛に苛まれ続ける。

 見つけないと。

 何としても、突破口を。

「お待たせ致しました。こちらは目的階、多目的ホール『天城(てんじょう)』となります」

「……どうも」

 エレベーターガールの機械的に丁寧な言葉と共に、処刑場の扉が左右に開いていく。

 青いバニーガールが待っていた。

 彼女は胸元の宝石飾りを細い指先で弄びながら、

「さあさ。魔女のセコンドさん、こちらですよー?」

「何しに来たんだ……」

「ノー案内でその辺うろうろしていると観覧客の皆さんとかち合っちゃいますよ? アークエネミーほどじゃありませんけど、あなたもあなたで揉みくちゃにされるのは嫌でしょう。というか大金が絡んでいる一大ギャンブルの関係者なんですから、自分を有利にするためにどこの誰がちょっかい出してくるか分からないじゃないですかーもおー」

「……、」

 暗に、してやられた僕を嘲笑っているような口振りだった。

 けらけらと笑いながら、青いバニーガールはふらふらの僕の手を掴んで歩き出す。

 くそ、こんなヤツでも女の子の掌の感触だった。ちゃんとしっとりしている。

 エレベーターガールは『天城』と呼んでいた。おそらく最低限のクロークか化粧室以外、丸々ワンフロアの全面積が一つのパーティーホールになっているんだろう。いくつかの内壁を用意して、スタッフ、観覧客、そして選手達の流れを切り分けているみたいだった。通路の幅に反して天井がやたらと高い。本来は三、四階分のスペースを丸ごと確保しているのか。

 これなら、あの透明で巨大なサイコロ、虫かごみたいな檻も、雛壇みたいに周囲をぐるりと取り囲む観覧席もまとめて収まりそうだ。

 途中で、太いケーブルの束を抱えた放送スタッフとも通り過ぎる。

「魔女・井東ヘレン選手の控室はあちら」

 バニーガールは青く輝く長い髪をたなびかせ、弾むような動きでお尻の丸い尻尾を揺らし、ドアの一つを指し示す。

 それから反対側に丁寧に青いマニキュアを塗った手を振って、

「そして妖精・羽裂ミノリ選手の控室はそちらになります」

「……、」

 すぐ近くだった。こちらも即席みたいだけど、まるで巨大な鋼の箱だ。

 言ってやりたい事なら山ほどある。こっちだって騙し討ちには騙し討ちを返してやりたいくらいだ。

 でも。

 ……これ見よがし過ぎる。まるで場外乱闘を望んでいるような、無防備な部屋の近さだった。アークエネミーの数を減らす、確実な深手を負わせられればそれで良し。光十字の思惑が透けて見えるようだ。

「やめてくださいね? くれぐれもトラブルなんか起こさないでくださいね? カレンちゃんとの約束ですからね?」

 くりくりに邪悪な瞳で青いバニーガールは何度も何度も繰り返している。

 自分で調べて見つけた気になって、リャナンシー側のセコンドに踊らされていた時も、傍から見ればこんな感じに露骨だったんだろうか。

「ではでは私はこの辺で。……ほんとのほんとに乱入騒ぎなんてやらかしちゃダメですからねっ?」

「……、」

 片目を瞑って投げキッス、そのままスタッフ用の通路へ流れていく青いバニーガールを、しばし見送る。

 それからもう一度、妖精・羽裂ミノリの控室へちらりと目をやった。

 得体のしれない誘惑を振り切って、僕は別のドアを目指す。

 魔女・井東ヘレンの控室に。

 やけに分厚い金属のドアをノックすると、向こうからか細い声が返ってきた。

「……、……」

 流石に聞き取りにくい。僕は怪訝に思いながらもノブを掴んで回す。

「あっ、ちょ、待ってくださ……」

 ドア越しにはくぐもっていて良く分からなかったが、うろたえたような声だった。

 そして井東ヘレンは着替えている最中だったようだ。例の魔女の衣装、足元近くまであるマントを外し、黒いワンピースの背中のファスナーが大きく開き、眩い肌が見えている。おおう、ブラ紐がないって事はデフォルトでノーブラなのかあの衣装。

 いや、注目すべきはそこだけじゃない。

「んんっ……」

 きゅっと肩を縮めて胸の前に両手を当て、何か、くすぐったいのを我慢しているような吐息を漏らす小さな後輩。

 ファスナーの奥の地肌から、何か薄い薄い膜のようなものがぺりぺりと剥がれていくのが分かる。

 ……あれは、皮?

 でも出血みたいな痛々しさはない。なんていうか、垢すりだっけ。あんな風に、下からピカピカの柔肌が覗けている。

 何だろう、あれ。

 日焼け痕をめくるようなものに似ているけど、でもどこか違う。

 脱、皮……?

「待ってください……。す、すぐに終わりますから」

 呆気に取られる僕の前で、井東ヘレンは体の後ろに手を回す。ブラのホックを外すっていうか、背中を掻くっていうか。とにかく少女には不釣り合いな赤いマニキュアに彩られた爪が柔肌に食い込むと、そこから乾かした糊を剥がすように、一気に薄膜が剥がれ落ちていく。

「元々、ヘビさんの特徴を借りていたんです」

 ウェーブがかった金髪に鷹の羽根飾りのついた魔女帽子の少女はそんな風に言った。

「人魚の、黒山ヒノキさんから受けた怪我をいつまでも引きずっているのはまずいなって。どうにか怪我から回復する事はできないかなって……。そ、それで、ヘビさんの脱皮を借りたら、ここのところ頻繁にぺりぺりめくれて、止まらなくなっちゃって……」

 つまり、こうしている今も井東ヘレンは『回復』を繰り返している?

 ただ衰弱するだけの僕とは違って。

 ……すごい。

 それが正直な感想だった。想像以上に彼女は使いこなしている。自分の体に動植物の機能を付け足し、相手を獣に変えて自由を奪って、しかも体の傷まで短時間で治せる……? そこまで応用が効くなら、あるいは吸血鬼の姉さんやゾンビの妹と肩を並べるかもしれない。

 僕がリャナンシーに精気を吸われてボロボロになっている間も、井東ヘレンは何度も何度も脱皮を繰り返して乗り越えようとしていた。蛇の脱皮は一定サイクルで若返る不老不死の象徴みたいに扱われる事もあるみたいだし、ひょっとしたらほんとに奪われた目に見えない精気もチャラにしているかもしれない。

 だとすれば、戦える。

 ふらふらの僕と違って、井東ヘレンは二本の足で大地を踏みしめる力を残している。

 何を僕は一人で勝手に諦めムードに浸っていたんだ。

 華奢でか弱いように見えるけど、彼女だって立派なアークエネミーなんだ。やられっ放しの僕なんかとは違ったんだ。これなら逆転の目だってまだまだ……!

「……だ……」

 と、そこで黒いワンピースの背中を大きく開いた後輩の方から小さな声が洩れた。

 いいや、


「もうやだ……何で私一人だけ平気なの。こんなのじゃ本当に化け物みたい、自分で自分を庇えない……」


 唇を噛んで。

 何かを堪えて。

 それでも端からこぼれてしまった嗚咽のような、そんな『弱さ』だった。

 勝手に落ち込んで勝手にはしゃいで。一喜一憂するだけしかできなかった僕には、小さな後輩を諭す資格なんかなかった。

 だから、せめて。

 井東ヘレンの背中を支えられないか、それくらいはできないか。僕はセコンドとして、そっちに集中する覚悟を決めた。

「井東さん」

「?」

「何にしてももう時間がない。今回は完全に僕のミスだ、それも悪いと思っている。冗談抜きに、試合が終わったらアークエネミーの力をフル稼働にしてぶん殴ってもらって構わない」

 膝を折って目と目の高さを合わせ、僕はゆっくりと提案した。

「……だから、この一戦を生き残る事を考えよう。次に繋げる可能性を残そう。そのためなら何だって試そう。協力してくれるかな、こんな僕に」

 彼女は何度も何度も頷いてくれた。

 良かった、ひとまず絆は分断されずに済んだみたいだ。失態を演じた側としては、挽回のチャンスもなく切り離されてしまうのが一番怖かった。

 さて。

 これからどうするか。

「色々、考えたんです」

 井東ヘレンの方からそう切り出してくれた。

「私達の敵は光十字であって、檻の中のアークエネミーじゃない。そこは曲げたくないんです、それで……」

「うん、僕だってそうしたい。でも、何にしても今から『コロシアム』は中止できない。ならレールに乗っかって妖精の羽裂ミノリをダウンさせるまでは確定。まずはそこをクリアしないと、小細工を弄するチャンスがない」

「ぐ、具体的にどうしましょう……?」

「それは……」

 聞かれて、僕の頭がぐらついた。

 壁に手をついて転ぶのだけは避け、ゆっくりと深呼吸して意識を繋ぎ止める。

 妖精の正体はリャナンシー。それさえも誘導されて得た答えだ。そこから次に繋げると、衰弱が加速するって訳か。

 構わない。

 井東ヘレンにはある程度の回復法がある。なら、僕は歯を食いしばって耐えれば済む話だ。自ら地雷を踏み付けるように、大きく一歩。状況を動かす。

「……リャナンシーは撃退法が明確に決まった妖精だ。彼女の恋人役にされた人間は、自分が死ぬより早く別の人間にリャナンシーを押し付ければ助かる。でも今の僕達にできるかどうかはかなり怪しい。殺し合いの現場で興奮しきった相手がこっちの言葉に耳を傾けるとは思えないし、大体、代わりがいたとしても嫌だろう、そんなの」

 こくこく、と金髪の後輩は二回頷いた。

 彼女の中ではとても大切な事らしい。

「そうなると、こっちで切れる手札は限られてくる」

「?」

「発想を転換さえれば良いんだ。リャナンシーのルールの中でリャナンシーを倒そうとするから齟齬が生まれて矛盾をクリアできなくなる。こっちだって魔女って種族を丸ごと背負っているんだから、相手の土俵に上がる必要なんかない。つまりだな……」

 少ない体力を振り絞って、冷たい汗を流しながら作戦会議を進めていると、控室の壁に取り付けられたスピーカーからもはや聞き慣れた青いバニーガールの声が飛んできた。

『ぴんぽんぱんぽーん! 時間になりました、選手及びセコンドの皆様は特設会場までお越しください。まあ自分の足で来るか引っ立てられるかの違いしかありませんけど。手錠やケージがヤミツキになってしまった玄人さんはどうぞそのままお待ちくださーい。あっはは!!』

「……始めるか」

 ゆっくりと息を吐いて、スピーカーを睨み付ける。それから僕達はドアに向かった。ファスナーを上げてマントも装着し直した井東ヘレンの差し出してきた小さなグーに、こっちも軽く拳を合わせて。

 生き残る。

 ここを何としても切り抜ける。

 廊下を歩き、あるいは好奇心丸出しの目で、あるいは無責任な憐憫の目で、道を譲りながらこっちをじろじろ見るスタッフ達なんてどうでも良い。

 特設会場、『コロシアム』へ続く扉は、真鍮の大きなノブがついた両開きのものだった。

 まるで再婚した父さんと母さんの結婚式の会場みたいな出入口。

 井東ヘレンと並んで立つと、両サイドにいた黒い礼服の男達が耳元のインカムに集中する素振りを見せた。合図を受けたのだろう、タイミングを合わせて両開きの大扉を勢い良く開け放つ。

 大量の光と音が五感をくまなく埋め尽くした。


『さあさあ今宵も始まりました、空前絶後のエンターテイメント! 格闘技の奇跡の復活!! 消費拡大、地方活性、新たな生き甲斐に老後の楽しみ、とにかく何でもありの「コロシアム」のお時間でーっす!!!!!!』


 猛烈なスポットライトの光と大型スピーカーの音は、それだけでふらふらの僕の意識をまとめて押し潰しかねなかった。

 くらりと揺れる体を、横から井東ヘレンが支えてくれた。

 情けない。

 でも格好つけるつもりもない。

 どれだけみっともなくても良い。僕はできる事を積み上げる。ハナから実現不能な理想論や奇麗ごとに逃げたりしない。だって、そうしなければ誰も助からない。落ちたら死ぬ高さの谷を越える石橋を造っている最中に、見栄えが良いからって発泡スチロールのブロックを混ぜる訳にはいかないんだ。

 閃光に目が慣れると、そこはいっそデジャブさえ感じてしまうほどテレビ局とそっくりな、あの透明な虫かごと周囲を取り囲む雛壇状の観覧席。おそらくこれだけで数千人のギャラリーをかき集めた死と享楽の『コロシアム』。

 巨大な虫かごの上では、マイク片手に青いバニーガールが相変わらずのリップサービスを連発している。耳元にある小さなウサギインカムに時折意識を集中し、スタッフの意見も取り入れているようで、

『片や人魚を打ち倒し第一戦を制した魔女の井東ヘレン選手! 前回に続いての第二戦にエントリーです。さあて手に入れた一千万を勝って二倍に増やせるのか、はたまた負けて命を支払うのか!? 乞うご期待でございます!!』

 スポットライトの集中が僕達から外れる。

 サイコロ状の虫かごの対角線の向こうへ。ドカカッ!! と大量の光を浴びて、やはり太陽を仰ぎ見るように片手で額に庇を造る少女達が二人。

 青いバニーガールはこう紹介した。

『片やそんな魔女に挑む初陣の妖精・羽裂ミノリ選手! うふ、女の子のハジメテって聞いてドキドキしている殿方もいらっしゃるかにゃ? 彼女は彼女でベースとなる一千万をもぎ取れるか! つーかこの世界はやっぱりお金か!? どちらが栄冠と札束を掴み、どちらが天罰を受けるのか!! 張り切って参りましょう!!』

 問題の妖精・リャナンシー。

 羽裂ミノリ。

「……何だ、あれ?」

 服装自体も、学校の制服の要所を裁断し、上からコルセットや薄手のエプロンを足している。文化祭の喫茶店の制服をあり合わせで作ったような『舞台衣装』だった。だけど驚いたのはそこじゃない。

 最初は間に透明な強化ガラスの虫かごを挟んでいたり、あちこちから強烈なスポットライトの光が投げかけられているので、そのせいかと思った。夕暮れ時に対向車線のヘッドライトのせいで道路を横断している歩行者が消えてしまうような。

 でも違った。

 二人並んでいる少女達の内、片方が明らかに薄い。透けている。まるでベタな怪談に出てくる幽霊のように、うっすらとしか見えない。

 ……あるいはいっそ標的である僕達にしか見えないのか。

 そんな風にも思ったけど、雛壇のギャラリー達も普通に注目して騒ぎ立てている。つまり誰の目から見ても半透明が正しい、のか?

「マクスウェル。カメラ越しにはどう見えている」

『シュア。可視光、赤外線・紫外線領域共に羽裂ミノリを確認。詳細不明ですが、まるで一定量の光を透過しているように映っています』

 人間だけじゃない。機械の目で見ても同じ。

 まあ、完全に透明人間で向こうの一方的有利、なんて展開じゃなかっただけマシか。

 リャナンシーは肩くらいまである二本の三つ編みにメガネの女の子だった。男子女子先輩後輩先生にまでビシバシものを言うお隣のデコメガネ委員長とはどうやらタイプの違うメガネみたいだ。そして恋多き少女、というイメージはやっぱりない。顔は整っていても、日々遊んでいるような華がないのだ。

 ……ひょっとすると、彼女は言い寄られる側だったのかもしれない。引っ込み思案で強く押せば何でも言う事を聞いてくれそうな、日陰の美少女。嫌な感じしかしないけど、ある意味では確かに注目を集めそうだ。

 そして。

「……、」

「……。」

 向こうのセコンドの少女。ついさっきまで人魚・黒山ヒノキに扮して僕達にヒントを与え続けてきたスタジャンにズボンの誰かと静かに睨み合う。

 憎いか憎くないかなら、憎いに決まっている。

 でも、窮地に立って分かった事もある。僕は本気じゃなかった。いいや、覚悟が足りなかった。できる事は全部試すとか口では言いながら、きっちり線を引いてたった一歩も外に踏み出そうとしなかった。もがき苦しむアークエネミー達を、安全な外から眺めて可哀想可哀想って言っているのと同じだった。

 だからある意味では尊敬する。

 彼女はもう、その一線を自分で越えて泥まみれになる覚悟を先に決めていたんだから。そこまで親身になってアークエネミー達を助けようとしたんだから。

 でもさ。

 異常に合わせて平凡を捨てるのは、ミイラ取りがミイラになるのと変わらない。光十字みたいに訳知り顔で自分から『人間』を捨てたらおしまいだ。リャナンシーの誘導に直接関係のない台詞を繰り返し言っていたのはアンタだったんじゃないのか。

『ではでは両陣営は選手・セコンド共に配置へ着いてください。今回は水没などの地形エフェクトはありません。存分に大地を踏みしめて全力を出してくださいねっ☆』

 コーヒーサイフォンを複雑化して縦に大きく引き延ばしたようなガラスの杖を手に、魔女の少女が虫かごに向かって一歩踏み出した。

「先輩、それじゃあ……」

「ああ、インカム越しに指示を出す。調べて欲しい事があったら何でも言ってくれ。僕とマクスウェルで何とかする。良いか、君は一人じゃない」

「ん」

 生意気に親指なんか立てて、マントの端を揺らす井東ヘレンは殺しの檻へ歩いていく。係員が開け放った出入口を潜って中へ。銀色のワゴンの上にあるカラフルな薬瓶を手に取り、魔女の衣装のあちこちに差し込んでいく。

『ち・な・み・に。井東ヘレン選手、いいやセコンドさんに説明しておいた方が良いのかな?』

「……?」

『競技ルールがアップデートされました。今後は対戦相手の遺体を預ける前に、首を落として死亡確認を取らせていただきます。なあに、作業が済みましたら頭も体も差し上げますので、あまり深く考えないでくださいね?』

 ちくしょう……!!

 分かっていたとはいえ、実際に突き付けられると胸に衝撃が来る。

 僕はスマホを握り直し、井東ヘレンのインカムに告げる。

「逆に条件が分かっている分対抗策を練りやすいと考えるしかない。首を切り落とされてもやり過ごせる方法を調達すれば良いんだ」

 自分でも無茶な事を言っているのは分かるけど、まずは条件を並べてから屁理屈の突破口を探した方が良い。本来リャナンシーは恋人にしか目に見えない。例えば幻覚か何かを使えば、首落としの確認作業はやり過ごせるチャンスも出てくる。

 何にしても勝つんだ。

 そこはブレない。一度のミスで後輩が命を落とすかもしれないリスクを常に考えろ。その上で、アークエネミー同士で戦いたくないという井東ヘレンの気持ちも汲んでやれ。

「大丈夫。必ず用意する、悪魔の計算を超えた馬鹿馬鹿しい抜け道を。だから気にせず存分に戦ってくれ」

『ん。先輩を、信じます』

 そうこうしている間にも状況は進む。

 巨大な虫かごの上に立つ青いバニーガールはしっかり小指を立てて太いマイクを握り直し、空いた手で頬にかかる髪を払いながら、声高に宣言する。

『それでは参りましょう、札束舞い飛ぶ「コロシアム」の第二戦を! 勝つのは魔女か、妖精か。今夜雌雄を決します!! 試合開始の鐘の音をどうぞーっ!!!!!!』

 刑務所の房の扉が開くような、太くて低いブザー音が延々響き渡る。

 そしてついに始まった。

 最低最悪の『コロシアム』が。


   2


 第一撃は、意外な事に小動物系の後輩、井東ヘレンの方からだった。

 マントを大きくはためかせ、例のガラスの杖にいくつもの薬瓶が刺さる。透明な管の中にカラフルな液体が走り回り、途中にある瘤のようなフラスコ部分に溜まる。加熱、冷却、蒸留、凝固。様々な化学反応を経て、それらは化学式や物理法則を超えた現象を引き起こす。

 ッッッド!! と。

 勢い良く空間を薙いだのは、金髪の後輩の背丈よりも大きな氷の槍。それも都合七本。一発でもクリーンヒットすれば体がバラバラになりかねない質量と速度でもって、様々な方向から羽裂ミノリを狙って襲いかかる。

 だが学校の制服を改造して肩出しウェイトレスの像を作った妖精は回避もしなかった。

 無視する。無視して歩く。それだけで七本の槍は素通りだった。得体のしれない古武術で捌いた訳じゃない。超人的な脚力で避けた訳でもない。

 ただただ透過したのだ。

 空気の中を槍が進んだように、すり抜けた。

「……っ、あれじゃダメージを与えられない!」

『シュア。リャナンシーは恋人にしか見えず、一般人には触れる事も叶いません。標的以外素通りは、あらかじめ想定してしかるべき事態です』

「だとしても、リャナンシー側にも攻撃手段はないはずだ。恋人の精気を奪って死なせてしまう、回避するには別の男をあてがうしかない。でも別に鉄板を引き裂く爪とか口から炎を吐き出すとか、そんな話はなかったはずだ!」

『シュア。ただし、二本の手がある以上は人間と同様の暴力なら行使可能なはずです。例えば井東ヘレンからの攻撃を全て無視した上で押し倒して首を絞めれば、十分に殺傷は可能ではないでしょうか』

「っ」

『リャナンシーとターゲット当人だけは相互干渉可能。だとすると井東ヘレンも両手を振り回す反撃はできるはずですが』

「彼女が? 素手で? 冗談だろう」

 僕だってインドア派で体力に自信なんかない。そんな僕でも抱き寄せたら折れてしまいそう、って思うくらい華奢なんだ。具体的なデータがある訳じゃないけど、でも断言できる。同じ女同士だろうが何だろうが、井東ヘレンは押し倒されたらおしまいだ。ろくにリカバリーできずに首を絞められたまま抜け出せなくなる。

 くそ。

 すり抜け効果で現代兵器一切無効とか、見た目は地味だけど吸血鬼の姉さんやゾンビの妹よりも立派に不死者、アークエネミーをやっているんじゃないか? それこそ十字架だの聖水だのの伝説にすがらないと倒せる気がしない!!

『っ』

 インカムから緊張の吐息が響く。

 真正面からずんずん近づいてくる学祭ウェイトレスの羽裂ミノリに、井東ヘレンは押され気味に後ろへ下がるしかない。あっという間にコーナーへ追い詰められていく。

 もはやスマホ越しというより、直接ガラスの向こうの小さな背中にぶつける感覚で声を放つ。

「井東さん、自分の体に猛獣を取り入れる薬はどこまでやれる? 君の手足で直ならヤツに触れるはずだ。獣で武装して迎撃に備えた方が良い!」

『っ、でも……』

「死なせてしまうリスクは考えるな! 君が死んだら羽裂ミノリを助けるチャンスもなくなる。『五戦の絶壁』とかいうのにやられていつかどこかで必ず死ぬだけだ。檻から見捨てる気がないなら全力で戦うしかない!!」

 我ながらひどい言葉だと思う。

 リャナンシーに普通に触れるとしたら、その耐久度は人間の少女と大差ないかもしれない。クマだのライオンだのの性質を取り込んでいた場合、ついうっかりでバラバラにしてしまうリスクもある。

 でも言った。

 根拠もなく、でもこれが『一番の結果』に最も近づく道だと信じて。

「戦え。立ち向かうしかない。限界まで追い詰めて仮死状態にしなくちゃ助けられないなら、拳を振り上げる事に躊躇うな! 正常なレールに乗ったままなら羽裂ミノリも一〇〇%死ぬコースから逃げられない。それを九九%でも九八%でも、ほんの少しでも死亡率を下げられるのは君だけなんだ。だから手を離すな、本気で向き合え!! 頼む、彼女を助ける道を繋いでくれ!!」

 卑怯な言葉に純粋な少女が応じてくれた。

 ガラスの杖の薬瓶を付け直し、マニキュアで彩られた指先が高速で動き、血管みたいにカラフルな液体を走らせる透明な管の色彩を変えていく。

 メキメキメキメキ! と。

 小柄な少女の骨や筋肉が内側から軋む音が、分厚い強化ガラス越しにもはっきりと分かる。

 外から見た感じ『だけ』だと、そう違いはないかもしれない。だけど確実に内部の構造は別物になっているはずだ。

 そして目で見て分かる変化の筆頭はこれだった。

 爪、とは違う。

 井東ヘレンの右手の五指、その一本一本の先から黒くて長い針のようなものが音もなく飛び出したんだ。

「何だあれ、毒針?」

『シュア。画像照合の結果、ジガバチに良く似ていると判断できます。もちろん太さ長さは桁違いではありますが』

 ジガバチ。

 群れで集まって分かりやすい『蜂の巣』を作るんじゃなくて、一匹狼だったはずだ。地中の虫を狙って長い針を突き刺し、全身を麻痺させてから、自分達の幼虫のエサに加工する、とかいうものだったはず。

 スズメバチと違って殺人蜂として恐れられる訳じゃない。

 でもそれは昆虫サイズでの話。人間大に拡大して遠目に見ても分かるナイフサイズの毒針なら、一度に薬液を注ぎ込める量も違う。おそらく人体丸ごと麻痺させて標本化してしまう事だろう。

 前のクラゲといい、毒を持つ生き物と相性が良いのは、やっぱりキルケの魔女の関係で薬品の取り扱いに長けているせいか。

 ともあれ、これなら問題なくいける。

 元が華奢かどうかなんて関係ない。軽く撫でただけで、いいや触れただけで確実に標的をスタンさせる右の魔手。リャナンシーは恋人役に指定された井東ヘレン自身の手足であれば何事もなく触れる。だから羽裂ミノリ側に打つ手はないはず!

 そう思っていた。

 その矢先だった。


 パパン! という何かが弾けるような軽い音と共に。

 突き出した魔女の右手が勢い良く外側へ叩き落とされた。


「……っ」

 傍で見ていても、何をどうやったのか完全にはついていけなかった。

 間近でもらった井東ヘレン本人はもっと混乱しているだろう。

 学祭のウェイトレスの短いスカートの中から出てきたのは、二本の棒?

 伸縮式の警棒か何かか!?

 その間にも半透明に透けた大人しそうな少女は、状況は、構わず動く。

 小さな魔女の胸の真ん中と、下腹部。

 最低でもその二点へ正確な打撃が叩き込まれる。井東ヘレンの小さな体が宙を飛び、すぐ近くの透明な壁に背中をぶつける。

『高解像度映像分析完了。ユーザー様、羽裂ミノリの動きには何かしら格闘技を習得したであろうモーションが見受けられます。ただし剣道ではないようです。掴みありで足技を組み合わせてくるところを見るに、おそらくは東南アジア系の棒術かその亜種をベースにしているのではないでしょうか』

「羽裂ミノリの周辺情報は? ジム通いなら事前に分からなかったのか!?」

『ノー。羽裂ミノリ当人にそのような経歴はありません。いや、ただし、待ってください。セコンドの夕張セツナにキックボクシングのジム通いの支払記録があります。出入りしている外国人にまで検索範囲を広げると、東南アジア系の料理人や語学教師などバリエーションが膨らみます。棒の文化、技術の持ち主もいるかもしれません』

「……検索範囲の問題か、くそ」

 こっちがバニーガールから教えられたのは選手の名前だけで、セコンドについては伏せられてきた。向こうのセコンド、黒山ヒノキに化けていた夕張セツナがジムに顔を出す外国人経由で羽裂ミノリに教え込んだ。

 もちろん一朝一夕で何とかなるものじゃない。光十字にさらわれて、僕達と戦うのを想定してから訓練したんじゃ間に合わない。

 ただし、

「羽裂ミノリは恋多き少女なんて噂が立っていたけど、実際には『言い寄られる側』として有名だった線がある。そういうのを突き飛ばすために、護身術みたいな感覚で夕張セツナが日頃から教え続けてきたとしたら……」

 つまり。

 羽裂ミノリに透過のハードルなんか必要ない。

 彼女は種族としてのポテンシャルだけでなく、技術の面でも強い。

 しかも半透明に透けた体は高速で動き回ると細かい距離感が掴めなくなる。

 そしてようやく思い出した。

 井東ヘレンと黒山ヒノキが戦った時はお互いの条件を合わせるため、魔女には薬品を、人魚には大量の水を与えた。

 なら今回は?

 あの光十字が完全な無償で薬瓶を貸与するとは思えない。何故ならお互いギリギリのデッドヒートをすればするほど両者共に深手を負うんだから。パーフェクト勝ちを作らない事こそが『五戦の絶壁』の要なんだ。

 なら、あの薬瓶の群れに匹敵する何かを羽裂ミノリは最初から隠し持っていた?

「ちょっと待て、これはアークエネミー同士の戦いだろ!? 警棒なんて、人間の武器なんて持ち込んで良いのか!」

『はにゃーん?』

 女でなければぶん殴っている声で青いバニーガールが首を傾げた。

『あのう、というか、なら井東ヘレン選手が使っているガラスの杖は何なんですかね。バケモノ同士の殺し合いにフェアプレイ精神なんてある訳ないじゃないですかーもおー』

 ちくしょう!

 井東ヘレンは魔女だ。道具を使わない限り戦えない。でもこれを盾に取られたら、今後僕達の対戦相手は鉄砲だろうが爆弾だろうが何でも持ち込みオーケーになるっていうのか!? 素のままでアークエネミーの力を使える連中にとっては、手札のストックが丸々一つ増えたようなものじゃないか!

『おおっとう! 俯きがちな図書委員、羽裂ミノリ選手、意外と根っこはアクティブだったか!? できる子の反撃が始まっちゃうのかあ!!』

 まずい。

 魔女がいくらハチやサソリの毒針を自在に振るえるとして、学祭ウェイトレスの羽裂ミノリが直接触れずに打撃を与える武器を持ち込んでいたら状況が変わる。棒を振り回して毒虫を潰すように。『同士討ちで向こうが先に倒れる』展開はもう使えない。

 慌ててスマホに向かって、少女の耳のインカムにメッセージを投げ込む。

「井東さん、こっちが力を底上げするだけじゃダメだ。向こうの力を削ぐように薬を投げ込むしか……!」

 言いかけた言葉が詰まる。

 心臓を馬に蹴飛ばされたような衝撃に襲われる。

「がはっ、げほごほ!!」

 リャナンシーのペナルティー。

 くそ、このレベルでもうダメか。小袋や小瓶に詰めて『投げ込む』のはアウト。他にも夕張セツナのヤツは色々言っていたな。解毒剤があるなら一面をガスで満たせば良いとか、麻酔銃を使って薬液を叩き込めば良いとか。

 おかげで先手を封じられた。

 それ以外の方法で、触れるのも難しいリャナンシー・羽裂ミノリへ確実に魔女の薬を与える方法。ああもう、こっちもこっちで『必殺技』は一つあるけど、他の選択が一切ないのが辛い。チョキしか出せない状況で一〇人連続ジャンケンを勝ち進めろって言われているようなものだ。理論上はできるけど、でも実際にモノにするのはほぼ絶望的。

 そうこうしている内に、強化ガラスの壁に背中を押し付けた井東ヘレンへ、真正面からリャナンシーが近づいていく。

 その懐に入った途端、二本の棍による猛烈なラッシュが始まる。

「井東さん!!」

 見るも無残、とはこの事だ。

 必死に倒れるのだけは避けて、顔やお腹を両手で庇っているけど、そんなのじゃ凌ぎきれない。脇腹に膝が喰い込み、激痛と酸素不足で両手が浮いたところへ顎や胸の真ん中などに容赦なく合金製の棍が振るわれる。真正面というか一八〇度から集中砲火を浴びるのに近く、左右へ転がって間合いを測り直すのさえ難しい。

 青いバニーガールが太いマイクに熱い唇を寄せ、意図して焦燥を加速させてくる。

『これはハマッてしまったか? まずいまずいですよ井東ヘレン選手、やっぱり賞金倍々を狙ったごうつくばりには天罰が落ちるのかー!?』

 うるさい黙れ。

 どの道こっちに取れる選択肢は一つしかない。後はそのカードをどこで切るかしかないんだ。

『ちょっと、これ、先輩……』

「井東さん!」

『おかしい、です。だって』

 確かにおかしい事だらけだ。『コロシアム』の中に武器を持ち込んで、真正面から滅多打ちなんて誰も想像しない。

 だけど。

 直後に聞こえた井東ヘレンの言葉は、そんなものじゃなかった。


『……だってこの人、今にも泣きそうな顔してる……!!』


 あ、と。

 思わず意味のない一語が洩れた。

 根本的な思い違いをしていた。騙し絵の見方も分かっていなかった。

 体にのしかかるペナルティーの重さも無視して、答えを得る。

 リャナンシーは恋人にしか見えない。

 そしてその恋人に才能やインスピレーションを与える代わりに、精気や寿命を奪って殺してしまう。

 だとしたら。

「何故なんだ……?」

 言葉が、ようやく意味を取り戻す。

「どうして羽裂ミノリは、僕達の目にも見えるんだ」

 セコンドの夕張セツナは分かる。元々信頼関係があったんだろう。

 虫かごの中の井東ヘレンも分かる。標的として、わざと間違った愛情を注いでいるはずだから。

 でも、僕は?

 それに、青いバニーガールや観覧席の有象無象のギャラリー達は? 彼女の『愛』はそこまで無秩序なのか。あるいはそこに何かがあるのか。ちょっと考えてみれば良い。羽裂ミノリが本当にリャナンシーなら。

 彼女の『恋人』は必ず死ぬんだ。

 そしてそれは、今こうして一緒に戦っている、矢面についてきてくれる、セコンドの夕張セツナだって可能性が高いんだ。

 リャナンシーの呪いから逃れるには、他の人間を恋人にあてがうしかない。

 一番大切な夕張セツナを助けるには、彼女を捨てて乗り換えるしかない。

 全部そこにあったんだ。

 自分の弱点をわざとさらしたのだって、夕張セツナには気づかせないように、別の意図を隠していたんだ。これは作戦なんだよって言って、カムフラージュする必要があった。そうしないと自由に動ける夕張セツナが指示通りに動いてくれないと考えたから。

 つまり。

 羽裂ミノリは一番近くの夕張セツナをリャナンシーの呪いから助けたかった。

 そのために邪悪な外の世界に信頼を寄せた。

 対戦相手の僕達にわざと自分の弱点を渡し、お前達ならできると任せてくれた。

 だとすると。


 そうか。羽裂ミノリは、僕達の手で殺されたがっていたのか。


 そう考えると、辻褄が合ってしまう。

 単なる妨害にしては穴があったんだ。セコンド経由でリャナンシーの力が及ぶかどうかも未知数だったんだ。例えばもっと直接的に僕の父さん母さんを人質にして、試合の時は井東ヘレンに間違ったサインを出せ、なんて迫る事もできたはずだ。

 皮を被っていた。

 夕張セツナを助けるため、夕張セツナをも騙していた。

 ……これが『コロシアム』の救いなのか。

 大切な人を守りたくて、悪意の塊みたいな世界にも絶望しないで、健気に立ち向かって、そして誰よりも一番優しい『人間』だった彼女が一人で死ねばめでたしめでたし。夕張セツナは狙い通り助かって、僕達も最悪の夜を乗り切って、まさにハッピーエンド。

 それで良いのか。

 悪い空気にあてられてんじゃねえぞ、くそ!!

「井東さん」

 息を吸って、吐く。

 やるべき事は山積みだ。リャナンシーの呪い、合金製の棍を使った肉弾戦の壁、そして仮に勝ったとしても青いバニーガール達は敗者の首を落として生死を確認するって言っている。

 それでも挑む。

 この最悪に。

「……羽裂ミノリを助けたい。使える手は一つだけだ。タイミングはこっちで測る。協力してくれるか?」

『ん。具体的に何をすれば』

「マクスウェル。羽裂ミノリの肉弾戦はあくまで人としての技術で、アークエネミーの超常現象は使っていないはずだ。つまり物理法則だけでシミュレーションできる。行動パターンの分析にどれだけかかる?」

『シュア。六〇秒もあれば確実に。ただしリングの上の一分間は密度が違います』

「井東さん、一分間何としても耐えろ! それでタイミングを見抜ける!」

 壮絶な打撃音が続く。

 ただでさえ華奢な体つきの井東ヘレンは今にも折れてしまいそうだ。

 効率が悪いのは分かっている。

 こういう無駄の積み重ねが統計の悪魔の牙を研ぎ、『五戦の絶壁』なんて絶対的なジンクスを生んでしまうのも。

 だけど僕達は見捨てないぞ。

 羽裂ミノリ。誰よりも『人間』のアンタを、誰にも化け物なんて呼ばせないぞ。

 じりじりと画面の中で進むバーに目をやる。心臓がおかしい、頭なんてパンク寸前で、空気の中なのに溺れそうになる。

 メキメキメキィ!! と凄まじい音が響いたのはその時だった。

 妖精の棍が、魔女の脇腹に食い込む。でもこれまでとは何かが違う。地面に叩きつけられたオモチャの人形から歯車が外れたような。井東ヘレンの動きがおかしい……!

『おおっとう! こいつはクリーンに入ったかあ!? 魔女の肋骨がイッてしまったのかー!!』

 ……っ。

 奥歯が砕けそうなほど強く歯噛みする。

 でも。

 だけど。

『タスク完了、二本の棍を軸にした羽裂ミノリの格闘パターン分析が出ました。ユーザー様、スマホを妖精にかざしてください。矢印を重ねて未来予測を表示します』

「井東さん!! 今だ!!」

 ほとんど絶叫気味に指示を飛ばす。

 短いスカートかエプロンをたなびかせ、二本の棍を合わせてバットのように水平に振り回された羽裂ミノリの一撃を、マントをなびかせた小柄な金髪少女は身を屈めて真上にやり過ごす。

 初めてできた隙。

 あるいは負ければ殺される妖精こそが、一番求めていたかもしれない瞬間。

 すでに至近で睨み合う状況で、さらに羽裂ミノリの腕の中へ体をねじ込むようにして、井東ヘレンはその懐深くへと潜り込む。

 逆に密着し過ぎて打撃を活かせないほどの接近。

 だけど僕達の強みは格闘じゃない。

 あくまでも薬を使う魔女、得意とするのも毒だ。

「っ!?」

 妖精が最も意識するのは、五指からジガバチの毒針を伸ばした魔女の右手か。棍を握り込んだまま、井東ヘレンの手の甲を巻き込む形で掴み取り、そのまま圧搾している。これだけの至近でも羽裂ミノリは後輩の手首の自由を封じる。

 左手も同じように。これで両手は使えない。

 だけど関係ない。どうでも良い。

 次の瞬間。


 真正面から、頭突きでもするように。

 井東ヘレンは羽裂ミノリに唇を寄せる。


『そ、そんなに上手く、いくんですか……?』

 試合前、控室で黒いワンピースの井東ヘレンは小動物みたいに体を縮ませて聞いてきたものだった。

 ああ、と僕は頷いた上で、

『リャナンシーが恐ろしいなら、羽裂ミノリをリャナンシー以外のアークエネミーに作り替えてしまえば良いんだ。そして井東さん、君が本当にキルケの魔女なら、それができるはずなんだよ』

 そもそもキルケの一番の特徴は、人間を動物に作り替えてしまう、神様の天罰を人間の技術として実現させた、その魔法薬にこそある。

 そしてキルケの犠牲となった美少女は三つの犬の頭に一二の脚を持つ海の魔物・スキュラとなって、神様さえ一目置いていた英雄達を六人も殺す化け物になった。

 つまり、牛や馬なんて既存の動物に留まらない。キルケの『変化』はアークエネミーにまで及ぶと見るべきなんだ。

『確かにこれは反則の中の反則だ』

 僕はそう言った。

『人間とアークエネミーは全く別物で相容れない。人間側への感染拡大を防ぐため適切に管理し、できなければ速やかに殺して処分しろ。それが光十字の基礎理念のはず。でもキルケの薬はその根底を覆す。例えば……アークエネミーを人間という動物に作り替える薬を作れたとしたら?』

『あ』

『光十字はアークエネミーを迫害する建前を失う。しかも脅威も去っていない。一度人間になったら永遠にそれっきり、ならともかく、「薬を使うたびに自由にオンオフできる」だったら人混みに紛れた昼間の狼男と何も変わっていない。しかも人間である間は非の打ちどころがないから、どんな検査をしてもすり抜けられる。……君が光十字から敵視される訳だ。連中はそうなる前に、何としてもキルケの薬の完成を封殺しようとしていたんだ』

 そして。

 羽裂ミノリからアークエネミーの性質を奪えたら、リャナンシーのペナルティーでキャップをされた『弱点を突く方法』も使い放題になる。大きく自由を得た僕達が負ける事もなくなる。それが僕達の作戦だった。

 実際には羽裂ミノリは素のままでも十分強かったけど、問題は同じなんだ。

 魔女の薬を与えて羽裂ミノリの肉体を再デザインできれば全て解決する。リャナンシーとしての力はもちろん、ろくに手足を動かせない体にしてしまえば肉弾戦も一緒に封じられる。

 だから、その一撃。

 たった一撃さえ入れば……!


   3


 粉薬の散布も、刃物に塗り薬を擦り込むのも、小瓶に液体を詰めて投げつけるのも、麻酔銃で薬液の針を飛ばすのも、みんな封殺された。

 だから薬はあっても、どう与えるかが問題だった。

 そして、言われてみれば一つ穴があったのを思い出す。

 そう、黒山ヒノキに化けていた夕張セツナのアイデアは全部、道具を使ったものだった。

 井東ヘレン自身の体を使って薬を送り込む方法についてはノータッチだったんだ。

 だから。

「っ、ぐ……!?」

 少女の呻き声だった。

 でもそれは学祭ウェイトレスの羽裂ミノリの方からじゃない。

「ばはあっ!!」

 井東ヘレンだった。口づけの直前で動きが固まる。見れば、羽裂ミノリは掴んだ手首を絡め取った棍ごとねじっていた。突然の激痛で調子が狂ったのか、井東ヘレンは虎の子の薬液を口の中から吐き出してしまう。

 いくらか妖精の顔にもかかったが、僕達の必殺技は飲み薬だった。皮膚に触れた程度では効果は出ない。

 そして羽裂ミノリからの反撃が始まる。

 井東ヘレンの両手を押さえたまま、二本三つ編みが暴れて、猛烈なヘッドバットが飛んだ。額を強打された金髪の後輩がぐらつくが、小動物系の金髪少女はむしろ自分から天敵に密着していく。頭突きだけでは足りないと感じたのか、羽裂ミノリは場当たり的に距離を縮めて打撃のラッシュが来ない位置をキープしようとする井東ヘレンに壊滅的なダメージを与えるため、襟付きマントの隙間から覗くその首筋に顔を埋める。

 いいや。

 噛み付く!?

「かはあ!?」

 焼きついた喉を無理矢理剥がして叫んだような声色だった。

 そしてくらりと少女の体が揺れる。

 そう。


 羽裂ミノリの体が。


   4


 一口に薬と言っても色々ある。

 麻酔銃とか小袋とかガス散布とか、与える方法だっていくつもある。

 だけど。

『一番確実な投与方法は、向こうから進んで口の中に入れてくれる条件を整える事だ』

『?』

『君の体の中に、血管の中に飲み薬を注入しておく。後は向こうが噛み付いてくる環境を整えれば、自分から体の中に取り込んでくれるはずだ』


   5


 ボコン! と。

 その『変化』は、まるで少女の全身から巨大な泡が湧き立つようだった。

 口移しは本命じゃない。わざと阻止させて相手を調子づかせるための罠。というか、女の子の唇なんか作戦に使い捨てさせるもんか。

 妖精・羽裂ミノリのシルエットが大きく崩れる。控え目で大人しいけど魅力的な顔つきが、壊れる。あるいはとてつもなく凶暴な犬の顔が飛び出し、あるいはタコやイカの触腕のようなものが伸び放題になって。

 二本の棍棒が、いいやそれを掴む細い手さえ、どこに埋まっているかもう判断がつかない。

 あっという間にヒトの名残りを失っていく。

 正真正銘の怪物へと変じていく。

 メチャクチャに形を変えていく羽裂ミノリはもう自分の体を自分で支えられないようだった。いいや、あるいは自力での呼吸さえ。ただただ血と肉でできた一つの山へと変じ、巨大なサイコロ状の虫かごいっぱいにまで膨らんでいく。

 これがキルケの薬。

 神様の天罰を、不遜にも人間の技術で再現した異形化の薬。

 しん、と会場全体が静まり返った。

 束の間、あの冒涜的な青いバニーガールやギャラリー達でさえ、どう反応して良いのか分からなかったのかもしれない。

 そして数秒遅れて。

 怖気を招く大震動となって、高層ホテル全体を揺さぶる黒い歓声が一帯を埋め尽くした。

『恐るべき! まさに恐るべき破壊力です!! 井東ヘレン選手は一体何をやらかしたのか。少なくとも放射線や遺伝子組み換えなんて次元じゃ説明できません! まさに怪物、まさにアークエネミー!! これぞ一撃必殺、絶対あんな死に方だけはしたくない議論のトップを塗り替えかねない大惨事だー!!』

 悪意満点のマイクパフォーマンスや大歓声を一身に浴びて、グロテスクな山を見上げる井東ヘレンの背中は、どこまでも小さく、今にも折れてしまいそうだった。

 ひとごろし、という叫びがあった。

 サイコロ状の虫かごの対角線上で崩れ落ちた、ボロボロの夕張セツナからだった。

「……、」

 安全な人間の位置からのうのうと観察している僕にできる事なんか少ない。

 だからせめて、井東ヘレン一人には背負わせない。

 僕は虫かごの上でマイクを手にして興奮気味にまくし立てる青いバニーガールと向かい合う。

「約束通り、遺体はもらうぞ」

『どうぞどうぞ! それにしてもニッチにお盛んですなあ。ただし今回からはこちらも死亡確認作業を挟ませていただきますのでお忘れな……』

 言いかけて、ようやく悪魔は気づいたようだった。

 そう、今の羽裂ミノリは五体満足の人型じゃない。まるで山のような異形。巨大な犬の頭をいくつも湧き立たせ、タコやイカのような触腕で森を作る、自然界には決して存在しないバケモノだ。

 つまり、

「首が欲しいなら、どれでも好きなのを落としていけよ」

 神話に出てくるスキュラだって、犬の頭を一つ落とされた程度じゃ死なない。あんなのは怪物を彩る装飾の一つに過ぎないんだ。

 なら、あの山をかき分けて美しい少女の顔でも探すか。でもほんとにそれが『彼女』の急所か。それが分かるのは、実際に再デザインの薬を作った井東ヘレンだけ。言ってしまえば自前の大事なファイルを第三者が勝手に暗号化してしまったようなものだ。

 だから挑め、光十字に。

 井東ヘレンが命懸けで手に入れてくれたチャンスを武器に、最悪の国際組織に立ち向かえ!


「首を一つ落としたら、後の遺体はこっちで引き取る。……それで文句はないはずだよな?」