第四章



 全ては地続きだった。

 そもそも僕が光十字を壊滅させたのが引き金だったんだ。

 ゾンビのアユミは定期的に防腐措置をしないと全身が腐り始めてしまう。それを行っていたのが光十字の中でも『まだまともな方だった部署』って訳。

 困ったアユミは同じ技術を持つ---というか、社内の技術を光十字に貸与していた---米国の製薬会社に頼ったらしい。もちろん僕には内緒で。彼女一人では危険なので、エリカ姉さんもついていったようだった。

 それでも、予定日を過ぎても帰国してこなかった。

「……後はマクスウェルに頼ってエキストラの公募の抽選に割り込みをかけた。僕みたいな日本の学生が平日真っ昼間から子供だけで海外旅行に出かけるなんて、よっぽどの理由がなくちゃ通らないからね」

 不幸中の幸いなのは、二人の姉妹はまだ元気だって事。どこかに閉じ込められているんだけど、隙を見てああいう動画チャットなんかでコンタクトを取ってくれる。

 何とかラスベガスまで潜り込んで、さあ製薬会社を調べようって矢先だった。まるで先手でも打つみたいにジェルが街中で荒れ狂ったのは。

 ひとまず見た目の体積のかさ増しを覚えたジェルから逃げ切って、すっかり日没。透明な分厚いアクリル板で覆われた屋根付きの四角い喫煙スペースに僕達は退避していた。ジェルは目より肌で獲物を追う。アクリル板自体が振動してしまったら元も子もないけど、間に一枚挟んだ方が『発見』されにくくなるのは事実だろう。

「何でそういう、大事な事を先に言わないのよトゥルース!」

「そうやって自分から危険な道へ突っ走りそうだったからだっ。元々大企業の不正なんてクラッカーの大好物だろうし、そこに変な正義感を足してみろ。絶対アクセル全開でチキンレースを始めてしまうだろ」

「ハッカーよっ! ……まったく」

 赤いキャミソールにテニスみたいなミニスカート、生意気にも上から下まで総シルクなアナスタシアは唇を尖らせて、

「で、具体的にその悪党の名前は? 製薬会社って言っても色々あるでしょ。そんなにヤバイ連中なの」

「……ラスベガスで製薬会社って言ったら?」

「ああくそ」

 それだけで通じたらしい。アナスタシアは片手で目元を覆って天を仰いだ。

「ハーバルサイエンスね。元は煙草を売りさばいてたけどネガキャンに負けて製薬に転向した会社だったわよね。自分で煙草を売って自分でニコチン治療薬を売って、で二重にボロ儲けしていたはずだわ」

 そこからさらに派生した黒い噂として、煙草の範囲を超えた薬品でも似たような事をしているという話がある。つまり、治療薬を売るために枯れ草や氷砂糖を裏でばら撒いているって事。どっちが売れてもハーバルサイエンスは儲かる仕組みだ。

「どうなのよ、トゥルース?」

「尻尾は掴めない。だけどクリーンだったら逆にあそこまで厳重じゃない。金庫の中に腐乱死体でも隠しているのかってくらい挙動不審だ」

 僕は息を吐いて、

「アークエネミーにまで手を伸ばした理由は不明だけど、連中のロジックを考えれば自ずと予測はつくんじゃないか?」

 光十字はまだ歪んだ哲学を基に、みんなのためにアークエネミーを管理しようとした。

 だけどハーバルサイエンスは違う。

 いっそ清々しいほど完全な拝金主義。自分以外の誰の事も考えちゃいない。

「人間を汚染させて……治療薬で儲ける? で、でも待ってよっ、吸血鬼やゾンビの治療法なんて確立できていないでしょ! ノーベル賞をいくつもらえるのよ!?」

「ああ」

 だからこそ。

 だからこそ、大きな問題なんだ。

「ヤツらは、姉さん達をナメてる」

「……、」

「ちょっと防腐措置ができる程度で、アークエネミー全部を克服した気になってる。あんな考えで汚染が広がれば制御不能になるぞ。真っ先にハーバルサイエンスから全滅して、後には僕達世界全体でツケを払わされる羽目になるんだ」

 うーん、と呻いたのは委員長だった。

 そろそろ時差ボケから復帰してきたらしい。

「でも、今回のジェル騒動って結局何なのかしら。これもハーバルサイエンスの仕業で良いの?」

「……、」

「決まりでしょ、だってこうして喉元まで迫ったトゥルースを邪魔してるもの!」

「いや」

 僕は否定的だった。

「こんな日本の学生一人のためにここまでするもんか。これがハーバルサイエンスの攻撃ならホワイトハウスを敵に回す羽目になる。大体、自前でジェルっていうアークエネミーを確保していたんなら、姉さんやアユミを追加で確保する必要はないんだ。そのままジェルをばら撒けば良い」

「そうか……。まあ、そうなるわよね」

「ジェルは熱に弱い。分かりやすい弱点があるから、『克服法』も売り出しやすい。なのにそれを蹴って制御不能な吸血鬼やゾンビになんか鞍替えするとは思えない」

 もちろん、バリエーション確保のために色んなアークエネミーを手中に収めたかったのかもしれないから、断言まではできないけど。

「だとするとサトリ君。……不謹慎だけど、これってチャンスなんじゃない?」

 委員長の物言いに、思わず片手で顔を覆った。


 だよ。


 ハーバルサイエンスが製薬会社らしからぬラスベガスに拠点を置いているのは、さっきアナスタシアが言った通り、前進がかつての嗜好品の王様、煙草会社だったのも大きい。製薬会社に転向した後もカウンタービジネスに焦点を置いていて、つまり二日酔いの薬や脂肪肝の薬など、この街の特徴に合った新薬の開発で再浮上していった経緯がある。

 そんな風に考えながら僕達がやってきたのはダウンタウン。とは言ってもやっぱりラスベガスだから、あっちもこっちもネオンやスクリーン状のLED電飾ばっかりの街だ。場所によっては水族館の通路みたいに、全面トンネル状になった場所まである。

 カジノや劇場に挟まれたそのインテリジェントビルは、風景に馴染んでいるからこそ強烈な邪悪を感じた。たとえるならパチンコ屋や競馬場の隣に質屋や消費者金融のディスペンサーが溶け込んでいるのを見るのに近い。それ自体に善悪は語れなくても、食べ合わせが悪すぎる。

「ねえトゥルース」

 小柄なアナスタシアが尋ねてきた。

 本当はこんな薄着じゃなくて手足までしっかり守れる格好にしてやりたかったけど、ここは基本的に賭場と酒場ばっかりのラスベガス。ショッピングセンターがあれば潜水用のウェットスーツくらい探しただろうが……まあ砂漠の街には無粋な品か。ジェルが生物捕食にこだわるなら、分厚いゴムが多少は役に立つかもしれなかったんだけどね。

 ……そういう意味でも、砂漠の半袖制服の警官や軍隊よりも、どこでも常に分厚い耐火服なレスキューの方が心強かったのに。

「アークエネミーみたいな極悪な感染源をわざわざ大都市の本社ビルに押し込むかしら? ちょっと街の外に出れば人里離れた砂漠なんかいくらでも転がっているっていうのに」

「なあメイデン、ほんとに完全な監獄を作っていたら、姉さん達が頻繁に動画チャットで世間話なんかできると思うか?」

「あ」

「馬鹿なんだ、想像以上に。自分が完璧だと思っているだけで実際には穴だらけ。だから預けてられないんだよ、余計にさ」

 ……さて。

「どう思う、マクスウェル」

『シュア。まともな神経を持った人間なら、ユーザー様がラスベガスで目撃された時点で何かしらの手を講じるでしょう』

「それってつまり、サトリ君をやっつけちゃうって事?」

『ノー。銃で脅せば簡単に連れ去れるのですから、生け捕りにしてエリカ嬢やアユミ嬢を縛る首輪にしてしまった方がはるかに有益です。そういう手に出てこないという事は、よほど自分達の技術に自信があるのでしょう』

 まったく馬鹿ばっかりだ。

 この分だとハーバルサイエンスがどうなったのか、正面ゲートからアポなし訪問しなくても簡単に予想ができる。

 大元のジェルを、どこの誰がどんな目的で放ったものかはさておいて。


「ああ。やっぱりこうなってやがる」


 順当に清掃バイトのIDでも偽造して社内に逃げ込むふりでもしようと思っていたのに、その必要さえなかった。

 正面には誰もいない。

 受付カウンターにも誰もいない。

 エントランスゲートに入ってぐるりと見回しても、誰一人見当たらない。

 床にあるのは夜間警備と思しき化学繊維でできた衣服が何着かと、

「ジェルか、くそっ!!」

 これじゃIDを偽装して清掃バイトになりすます意味もない。

 僕達の手足の振りや衣擦れによる空気の動きに反応したのか、天井からぼたぼたと赤い塊が落ちてきた。すでに無用の長物かと思っていた金属探知機のゲートを越えた途端に激しいブザー音が鳴り響く。ジェルは空気の攪拌に反応するのであって、音それ自体は関係ない。……と思いたい。僕は身振りで委員長とアナスタシアを奥へ促す。エレベーターホール脇の非常階段が狙い目だ。

 ……こっちのジェルは膨らまないな。

 アナスタシアは体の使い方を学習しているって仮説を並べていたっけ。知識に差があるのかもしれない。あるいは花びらやペチコートみたいに見た目の体積をかさ増しして空気を取り込むと、その分だけ機敏じゃなくなる事まで学び始めたのか。

「さ、サトリ君。勝手に入っちゃって大丈夫なの!?」

「非常時だから助けを求めに来た事にすれば良いよ!」

 精査されて困るのはハーバルサイエンスの方なんだし。こっちはむしろ司法が介入してくるような事態を作ってやりたいくらいの気分だ。

 わずかな風も立てずにゆっくりと、なんて言っていられない。とにかく走ってフロアを横断していくと、奥まった所にある職員用の自販機コーナーからもぞりと何かが蠢いた。

 誰かと目が合った。

 黒光りする金属を手にしているのを見て、僕も遠慮するのをやめた。

「マクスウェル、ヤツの携帯のバッテリーを起爆しろ!!」

 派手な炸裂音と共に複数のジェルが迷い、自販機コーナーへと矛先を変えた。ハーバルサイエンス関係者が片足を引きずりながら、慌てて引っ込んでいくのが分かる。

 ……どこもかしこも危険だらけだ。人間もアークエネミーも。

「はあ、はあ! トゥルース、このビルだって迷宮だわ。死角に気をつけないと!」

 ようやっと非常階段に辿り着く。ここからが本番だ。全てのジェルが自販機コーナーに向かった訳じゃないし、この先でも待ち伏せされているかもしれない。屋内は狭く、死角が多いし回避もしにくい。今まで以上に注意が必要だ。

 ただ、ハーバルサイエンス側はおそらく組織としては壊滅している。ジェルの侵攻を食い止められなかったんだ。非常階段にだって防犯カメラくらいついているけど、武装した人間が大挙して押し寄せてくる気配はない。誰もが息を潜め、個人個人で生き残る事に目標を下方修正しているのかもしれない。

「(っ。トゥルース、上の踊り場にジェルがいるわっ)」

 どんな小さな個体でも強行突破はできない。生物捕食だけなら濃硫酸より危険な相手なんだ。直接触れたらそのまま喰われる。僕達は慌てて近くの鉄扉を開けて途中階のフロアに飛び込むしかなかった。

 総務なのか経理なのか、製薬会社のイメージには似合わないデスクと椅子ばかりが並ぶオフィスが広がっていた。いや大都市にある本社ビルならむしろこっちが正しいのか。

 とにかくルートの限られた屋内で鬼ごっこは得策じゃない。適当な机の下に隠れて三人まとめてぎゅうぎゅう詰めになりながらマクスウェルに指示を出す。

「僕達と出口から離れた場所のパソコンを操って適当なファンを回せ。テーブル上にあるものを精査して、放ったらかしのパンやお菓子を動かすんだ。できればハムとか卵とかが混ぜ込んであるのが良い。生物捕食ベースならタンパク質や炭水化物は囮に使える」

『シュア』

「例えばあの、何だ、何なんだありゃあ? どうしてポップコーンが真っ青になってんだ???」

「ブルーハワイ味だからに決まってんでしょトゥルース」

 ……だから結局何味なんだよそれ。良くもまああんな毒々しいのが口に入るなアメリカ人。

「こほん。マクスウェル、スプリンクラーもチェック。僕達が移動するタイミングで作動させろ。予想が正しければ微粒子を消化して空気の攪拌状況を把握しているはずだ。散水で塵や埃を落としてしまえば精度が落ちるんじゃないか」

「げえっ。頭から水を被るの!?」

 ……こんな風に計算していたって結局役に立たないかもしれない。予想を裏切られてあっさり丸呑みされるリスクもある。心臓の鼓動が嫌でも高鳴る。委員長の体温に救われていた。一人なら押し潰されて訳もなく絶叫していたかも。

「ね、ねえっ、トゥルース。そんなに甘えないでよ。まったく仕方のないヤツだわ」

「チッ」

「今の舌打ちは忘れないわよトゥルース」

 べちょりという湿った音が囁きさえ遮った。全神経を耳に集中させていく。

 ジェルは近づいてきている? それとも遠ざかっている? 身を守るために隠れているのに、そのせいで周囲の様子が分からない。まるで何かのパラドクスだ。

 その時だった。

 ザッ!! と頭上から一斉に土砂降りの雨が降り注いできた。

『緊急! 走ってください!!』

 訳も分からず従うしかない。スプリンクラーのせいで滑る床を踏んで顔を上げると、意外なほど近くにジェルが蠢いていた。囮が効いてない!? 喉が干上がるが、絶叫しても意味はない。幸い、スプリンクラーの水の壁がわずかながらの遮蔽となっている。ヤツが迷っている間に僕達は出口に向かって走る。

『元の非常階段は信用できません。フロアを横切って反対側にある、もう一つの階段を目指してください』

 勇み足で元来た道へ戻ろうとしていた委員長の腕を掴んで引っ張り、僕達はずぶ濡れのフロアを横断していく。

 アナスタシアが途中でデスクの上からカボチャの置物を掴み取っていた。

「何だそれっ、投げて振動で注意を引くのか?」

「悪趣味なライターよこれ。ジェルは火に弱いのよね」

 姉さんやアユミを助ける前からビルに火を放っては元も子もないけど、牽制くらいにはなるか。オイルライターみたいに一度点火すれば指を離しても消えないようだ。カボチャの頭から指先大の火を点けると、どこかに引火しないように気をつけながら非常階段の鉄扉の前に置いて、僕達はフロアを去る。

 並のドアを閉めても、ヤツらは隙間からすり抜けてくる。

 ……はずなんだけど、階段を駆け上がる僕達に追っ手はかからなかった。やっぱりライターレベルでも、火があるのとないのじゃ大違いらしい。

「くそ、こんな事なら松明でも自作しておくべきだったな」

「敵はジェルだけじゃないのよ。鉄砲持ってる人達に見つかったら蜂の巣にされちゃうよ」

 委員長の言う通りか。

 ともあれ、しばし無音の世界が広がっていた。いつまた襲われるか分かったものじゃないから安心はできないが、かと言って非常階段じゃめぼしい戦力の調達もできない。仕方がないので踊り場にあった消火器を掴む。

「トゥルース、斧とかにしないの。きっとどこかにドア破りがあるわよ」

「落っことして自分の足の指を落とすとか絶対に嫌だぞ僕は」

 大体、こんな狭い階段でぎゅうぎゅう詰めになって移動しているんだ。そんな大味な武器なんか振り回せるか。

 と、

『扉の向こうで音声検知』

「っ」

 今度はジェルじゃない。

 でもハーバルサイエンスならそれはそれで問題だ。銃弾への正しい対処法なんて流石に分からないぞ。

「何人いる? どうすれば良い?」

『ノー。規則性からして日本語、若い女性のものです。声紋を検出中……』

 ん?

 それってまさか……?

 僕達は頷いて、それからゆっくりと金属のドアを開けていった。

 その先に広がっていたのは、


「あり? お兄ちゃん?」

「あらまあ。わざわざ迎えに来ちゃったんですか?」


 あまりにも。

 あっけらかんとした。

 黒のゴスロリドレスに豪快な金髪縦ロールの姉と、スポーツウェアに黒髪をツインテールにして先端を丸めた妹。彼女達が分厚い強化ガラスで何重にも遮られた広間の真ん中でくすくす笑っていたんだ。

 僕は思わず消火器を取り落とし、腰にひっついていたアナスタシアが慌てて足を遠ざけていた。

「ていうか、なに、ここ……?」

 雑に置かれた試験管。脱ぎっ放しのビニール手袋。半開きのガラスドア。素人目に見ても分かる、ここは滅法杜撰だ。そんな滅法杜撰な連中が本気で大陸沈没レベルの感染源、アークエネミーに手を出しやがった。

「秘密の研究室だそうで」

「これみよがしな山奥や絶海の孤島にしなかったのは、裏の裏でもかいているつもりなんだろうね。まあ一応ラスベガス自体も砂漠に囲まれている訳だし」

「ちょ」

 思わず口を挟んだのは優しい委員長だ。

「エリカさんに、アユミちゃんも! 他にもっと言う事があるんじゃないですか! サトリ君、相当無理をしてアメリカまで飛んできたのに!!」

「「やだ……胸キュン」」

「そういう反応じゃないですよ! しょげろ!!」

 ちなみに僕が恐れていたのは姉さん達が変態科学者に良いようにされるっていうより、途中でブチ切れて北米大陸が吸血鬼とゾンビで埋め尽くされる可能性だったけどこれは絶対に内緒だ。多分ほんとにぶたれる。

 なおも真面目な委員長は、

「あ、でもアユミちゃんの防腐剤って結局どうなったんですか? その、ここのブラックな会社に頼らなくちゃいけなかったんじゃあ」

「マクスウェル」

『シュア。どうせネットセキュリティの保守点検要員もいないようですし、サーバーに溜め込んでいた機密データを片っ端から漏洩しましょう。世界中に広まればアユミ嬢も自分の手で相手を選べるはず。レッツジェネリック』

「あっ! それなら錠前破りは勝負にするわよトゥルース。ワタシだって相当速く仕上げるようになったんだから!」

 委員長が今度こそ頭を抱えた。

 何となく流れるハッピーエンドの匂い。

 ただし、だ。

「ち、ちなみに姉さん。あとアユミも。一つだけ不安があるんだけど」

「うふ。お姉ちゃんの大切な所には指一本触れさせちゃいないから安心なさい坊や」

「そういう風にさっきからまぜっ返すから余計に気になるんでしょ、核心がだ!!」

 あとそういうジョーク飛ばされるととばっちりで僕まで委員長から冷たい目で見られるんだよ勘弁してよう! それとも間接ダメージでも狙ってんのか!?

「ね、姉さん?」

「何故にあたしには問わないお兄ちゃん。ふぐう」

 アユミはなんだかんだで優しいからシミュレータ上ならともかくリアル世界では一歩腰が引けるって信じてるからだよ。

 この場合、実は一番危ないのは見た目おっとり中身超ドSの姉さんだ。

「ここの社員達がどうなったのかは大体分かってる。ジェルに食われたトコも自業自得っていうか、かみさまはみてるんだなーくらいにしか考えてない。だから気にしてるのはそこじゃないんだ」

「うーん、つまり本題は?」

「……あのう。ハーバルサイエンスを丸呑みしたそのジェル達、その後一体どうしたの? 廊下やフロアにいるのが全部じゃないでしょ。いくら何でも全棟壊滅させるには数が足りないと思うし」

 ポイントは一つ。

 どうなったの、じゃなくて、どうしたの、という点だ。


 くす。


「そりゃあせっかく人の可愛い妹をダシにしてくれたんですものさて一体どんな大掛かりな舞台装置を用意して大仰な計画を立ててくれているのかと思ったら意外とさっぱり系でお姉ちゃんはがっかり系っていうか顔中ボコボコにしてから杭刺し公よろしくケツに木の杭でも突き刺してその辺引きずり回してやろうかと思った矢先に得体の知れないジェルなんぞに横取りされてもう怒髪天って言いますかこうなったらクソ社員を喰って取り込んだクソジェルもろとも外から叩いてストレス発散するしかないのでそういえばサトリ君知っていましたかこの本社ビルの地下三階には生物汚染対策の大規模な焼却炉があって基本プロパン式ですから仮に停電しても燃焼は続きますしまったく死ねない体というのも大変ですねうふふそれにしても悲鳴の一つも上げないものですからファラリスの雄牛みたいに実感が持てない部分も含めて大減点ですねさあてオーブンに詰めてからそろそろ何時間になるかしら」

「わあ! わああ!! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 鳩時計みたいに出てきちゃった黒い姉さんを全力の叫びで豊かな胸の奥に引っ込め直した。ああもう、ああもう、あーもーォォォ!! にっこり笑顔で所々に世界名作処刑シリーズが混じってるううううううううう!!

「あら?」

「とっ、とにきゃく! とにひゃふこの姉さん達は無事だっていうのは分かったぞう!! それ以上はちょっと聞きたくないぞう!!」

 ぶっちゃけ当のジェルからすればいい迷惑だろうが、あんまり同情心が湧かないのはやっぱりこれまでの行いがあるからか。……あまり感覚が麻痺すると、光十字みたいな懲罰感情最優先で本質が見えなくなりそうで怖くもあるけど。

「ただ、このフロアがクリーンならバリケードで固めて救助のヘリを待つっていうのもありかもしれないな。あの砂嵐でも窓が割れた様子もないし」

「バリケードっていうよりシールって方が正しいだろうけど。建物自体には入り込んでいるんだし、安全ってのは言い過ぎだわ」

「でもアナスタシア、外の様子は知ってるだろ。一面埋め尽くすジェルの群れに比べたら、こっちのは見た目のかさ増しをしない。個体個体を認識できるビル内部の攻防に集中して時間を稼いだ方がマシなんじゃないのか? 正直、外を蠢いてる連中にロックオンされたら助かるビジョンを考えられない。壁は壊すわ歪んだドアの隙間から潜り込むわじゃ隙がなさすぎる」

「それはまあ……確かに、そうだわ。だとすると、ジェルってゴムとかプラスチックは食べないんでしょ? やっぱり基本はパテとかゴム系接着剤で隙間埋めかしら」

 まさしくグンタイアリに対する籠城戦のイメージになってきた。

 馬鹿が勝手に盛り上がって自滅した挙げ句に秘密基地だけ残ったような有様。これは使わない手はない。

 そのはずだったんだけど……。

「おっ?」

『警告、ユーザー様』

 なんかハーバルサイエンスのストレージを漁っていた連中から軽い驚きの声があった。

『同社会長宛にメールが届いています。通信制限も行われている中で、わざわざ緊急回線枠を使った通信です』

「具体的にどこから?」

 何しろ間抜けな拝金集団とはいえ、あの光十字に技術情報を売っていた連中だ。どこと繋がりがあるかは未知数。このビルを取り戻すために大変アメリカンなPMCが動き出しましたー、とかって話なら結構危ない。

 だけど、そんな話でもないようだった。

「英語が読めない。マクスウェル、翻訳」

『シュア。……もしやこれも分かってなかったとかではないですよね?』

 僕よりもパツキンの姉さんの方がぎょっとしていた。

「ええっ!? そんなになの! 今同じ家族だっていうの一瞬本気で忘れたでしょ姉さん!!」

「い、いえそういう訳ではなくて……」

「震え声で気まずそうに目を逸らす感じとかマジのヤツじゃねえかよ! うわあーん!!」

 だがそこで上着をくいくい引っ張られた。

 アナスタシアその人であった。

「違うわトゥルース。この画面よ、ここにいっぱい表示されているメールがそれだけヤバいのよ」

「?」

 首を傾げた時、ポン、と小さな電子音が鳴った。スマホをかざすとパソコン画面と重なって、日本語の文章がずらずら並んでいく。

 そこにはこうあった。

『ハーバルサイエンス会長様へ。

 約束の期限は過ぎました。始めから我々に任せておいてくれれば良かったものを、あなた方が無理に入れた横車のために席を譲ったのに、実際にはこの体たらく。残念ですが、主導権はこちらで握らせていただきます。

 退避するならご自由に。

 ただし、こちらはスケジュールを遅延させません。現時刻をもって市内全域への熱処理を開始しますので、あしからず』

 ……何だ、これ?

 ハーバルサイエンスとの間で対等以上に取引していた誰かがいる。また、そいつはハーバルサイエンスが音信不通になった途端、主導権を奪い返した。

 市内全域への、熱処理。

 あまりに不穏な言葉を残して、だ。

 そして最後まで文章をスクロールさせて、そこで凍りついた。


『追伸。あなた方如きにどうこうできる娘達とは思えないけど、こちらにも感情というものがあるわ。身をもって思い知りなさい。天津ユリナより直筆の呪いを込めて』


 何で。

 ここに。

 この名前が。

「……ヤバい」

 アユミのヤツはパソコン画面じゃなくてどこか別の場所に目をやっていた。分厚い強化ガラスの壁の外にあるスペース。おそらく研究者の私物だったタブレット端末だ。

 一つの部屋にこもりきりだから、外の情報を定期的に仕入れるためのものなんだろう。このビルから外に向けた警備のカメラの映像が映し出されている。

「夜空になんかデカいのが浮かんでる。これヤバいって絶対! 戦争映画とかに出てくるヤツだ!!」

『ノー。いくら銃大国のアメリカとはいえ、国内の事件解決に軍の、それも戦略ステルス爆撃機の手を借りるなどとは考えにくく……』

「でも現に来てる!」

「国内の事件の解決には、です」

 エリカ姉さんが訂正を促すように言った。

「感染率、死亡率が共に高い疫病の蔓延を防ぐ、巨大ハリケーンの針路を大都市から逸らす。……そういう人間以外の事例なら各種のハードルは下がるのでは?」

「マクスウェル、その戦略ナントカが頭の上を飛び回ると何が起きる!?」

『これは最悪のケースですが、つい最近改良された中型核投下爆弾なら二〇発搭載可能です。何しろ頭に戦略ついてますし』

 さらっと言われて逆に思考が追い着かなかった。

 絶叫は……したと思う。

 でも自分がなんて叫んだのかも聞き取れなかった。


 直後に目と耳が吹っ飛び、天地の概念すらも消えてなくなった。