第〇章



 カラミティ。

 僕は世界の破滅の正体を知った。


『善なるハッカー達の祭典、テクノパレードへようこそ! 一体いつから始まったものかはもはや誰にも分からないけど、少なくとも公式に記録してからは今年で二一回目。今回の会場に選ばれたここ供饗市では連日連夜のお祭り騒ぎです!!』


 晩ご飯も終わってまったりタイム。リビングのソファでごろごろしている妹のアユミの手元からはそんな素人丸出しの声が響いていた。より正確にはノートサイズのタブレット端末に表示された動画配信のネットニュースだ。

「お兄ちゃんはこういうの参加しないの?」

「あのねアユミ、そもそも根本的に僕は映画に出てくるようなハッカーじゃないんだよ。そりゃ確かに人より機械に詳しいつもりだけど、そいつはただお隣さんたるデコメガネ委員長の水着のたゆんたゆんを追い求めていった結果自然と巨大なシミュレータマシンが組み上がっていったってだけで……」

「……ふぐう、ある意味それもすごいよね。何でそんなに間違った方向に全力で突っ走っていけるのか」

「人類の歴史を知らん小娘だな。科学技術の発展これすなわちお色気だ。ビデオテープやインターネットが何で爆発的に普及したのか分からないとは言わせないぞ。VRもな!」

「可愛い妹にドヤ顔でそれを切り出しちゃうお兄ちゃんはやっぱりどこかおかしい」

 妹に白い目で見られるくらい何だっていうんだ。これが委員長だったら衝動的に切腹してるだろうけど。

 家族はこれくらいの距離感が良い。同じ屋根の下にいて日々窮屈に取り繕うようになったら、息苦しくてどこかで破綻すると思う。

「はー、お風呂いただきましたー」

 お風呂に入ったってのに相変わらず金髪縦ロールがそのまんま維持なエリカ姉さんがほかほか肌を上気させながらこっちへやってきた。基本的に栄養計算に厳しいお弁当小さい系な姉さんだけど、ここだけは贅沢を許容しているようで冷凍庫から棒のバニラアイスを取り出している。

 が、

「……お姉ちゃんはお姉ちゃんで寝巻きがおかしい」

「あら?」

「そういうアユミの短パンタンクトップも大概なんだけどな」

 ピンクの透け透けネグリジェの姉さんといい、何にしても目の毒だ。まあ本人が自分で選んだっていうならこっちはもちろんガン見の構えだけど、これが委員長だったら爆発していたところだ。

 ちなみに姉さんは吸血鬼らしく夜間学校に通っているんだけど、今夜はのんびりムードだった。夜間コースは高校っていうより大学に近いスタイルで、必要な出席日数さえ確保していれば日々の出欠で先生からあまり目くじらを立てられるものでもないらしい。この辺りは各々事情を抱えて夜間コースにやってきた人達のニーズに応える格好になったんだろう。それを便利と受け取るか事務的と受け取るかは人それぞれだろうけど。

「何の話をしてました? お姉ちゃんも交ぜてほしいな」

「ん。ハッカー達のお祭り」

「あら。サトリ君にぴったりじゃないですか」

 姉さんまでこんな感じか。一体僕は世間様からどんな目で見られているんだろう。思春期はそういう肩書きとかステータスとかって気にするんですよ!

「しかしまあ、会場になってる多目的ホールには一日で七万人も集まっているんだって。すごいよね。この内どれくらいがハッカーなんだろ」

 アユミがそんな風に言っていた。

 世界に繋がるインターネットを利用してれば地球儀をぐるりと回してどこにいようが惑星の裏側にだって被害は出せるんだけど……まあやめとこう。こんなとこで突っかかるとますます誤解が広がる。

 僕はハッカーなんていう情報犯罪者じゃない。委員長のたゆんたゆんマニアなんだ(断言)!!

「あり? お兄ちゃんどこ行くの?」

「どこってお風呂だよ」

「うふふ。お姉ちゃんの残り香残り湯をご堪能あれー☆」

 ふぐう!! とほっぺたを膨らませたアユミに背を向けて、僕は僕で脱衣所に向かう。扉を閉めてから口の中で呟いた。

「……残り香残り湯か」

 直後にポケットのスマホから着信とは明らかに違う警告ブザーが鳴り響いて僕は飛び上がった。

『警告。ユーザー様、鏡に向かってどシリアス一二〇%の顔であまり意味深な発言はしないよう留意してください。正直誰かに聞かれたら庇いきれません』

「うわあ!?」

 画面を見て震え上がった。短文SNSのふきだしにとんでもない事が書いてある。

「まままマクスウェル違うこれは魔が差したとかそういう話ではなくでも世の中にはそういうクレイジーに脱線してしまう瞬間があると思うんだがさてどうだろう!?」

『ご安心を。この程度の事で管理者権限解除するようなシステムではありません。ユーザー様がド変態である事はとうの昔に把握しておりますので』

 一ミリも庇うつもりはない辺り、やはりこいつは災害環境シミュレータの管理プログラムだ。徹底的に真実を曲げるつもりがないらしい。

「それより何か要件か?」

『シュア、アナスタシア嬢より連絡が入っています。例の祭典についてではないかと』

 アナスタシアっていうのはネット越しに知り合った小さな友人だ。飛び級で大学に入って大暴れしているマンガみたいな経歴の持ち主で、それこそ情報犯罪者って意味での筋金入りのハッカー。おまけに何だか僕を勝手に尊敬してくる困った人格の持ち主だ。正直、無理に受け答えする必要はないというか構えば構うだけトラブルを呼び込む人なんだけど……まあ、わざわざ飛行機で一四時間も揺られてお祭りにやってきたんだしな。邪険にする事もないか。

「媒体は? 電話、チャット、メール」

『シュア。動画チャットの要請です』

「服脱ぐ前で良かった。繋いでくれ」

 だが画面の向こうが脱いでいた。お風呂モードだからか普段は背中側に流している白みの強いプラチナブロンドを頭の上でまとめ、僕より確実に頭一個以上背の低い小柄な少女が今にもずり落ちそうなバスタオルを無理矢理細い胴に巻いている。使っているカメラはいつもの小型犬ペットロボットの頭につけた携帯ゲーム機かな。

「……アナスタシア、お前そこで何やってんの?」

『ハッカーらしく安全な回線を用意してるから安心なさいよ。それにしてもこっちのお風呂は聞きしに勝る狭さだわ。欧米なら当たり前ですよって、別にワタシ達からすれば個性を潰しているようにしか見えないのに』

「旅館にすれば良かったんだよ。ビジネスホテルになんか泊まってるからだ」

『そんな風に言うなら、今からでも民泊をお願いするわよ?』

 ……この子の場合は深夜二時だろうがほんとに思い立ったら即行動しそうだから怖い。

「本題は?」

『普通にバーチャル混浴。何ならダイブデバイスつける?』

「……もう切るぞ」

『分かった分かった、分かりましたよ』

 ひらひらと画面の中のアナスタシアは掌を振って、

『例の件についての報告会をしておきたいなって』

「……、」

『情報の流れを追い駆ければ人の海に紛れた事件情報を浮き彫りにできるわ。今回のケースでは酒井イオリ、年齢九歳性別女性。エルフのアークエネミーとして役所に登録済み。家庭環境劣悪で両親からの虐待の疑いあり。しかもネット放送の普及で視聴率の低迷に喘ぐテレビの報道番組が張り付いて悲劇の瞬間を激写しようと煽りを加えている。ようは、取材活動と称してご近所に近づいて、ある事ない事吹き込んで孤立させてるって訳ね。虐待の経緯には不自然な流れが見て取れて、テレビ局からの見えない圧が引き金になっている可能性が高い。ま、この辺は「最高の恋人」と似たような感じかな。放っておけば高確率で悲惨な事件が起きて、しかも放送事故を装って大々的に電波に乗りかねない状況よ。本来なら苛立ちはあっても胸の内にしまえたはずの事件をね。さあトゥルースどうする。ワタシ達は本当に何もしてあげられないのかしら。本当に? 何一つ???』

「あのねアナスタシア」

 僕はゆっくりと息を吐いて、

「そういう長々しい話は警察に頼みなよ」

『民事不介入。彼らは悲惨な事件が起きてからでしか動けないわよ』

「だけどルールの中でならそもそも僕達は刑事も民事も介入できないよ。警察手帳や弁護士バッジを持ってる訳じゃないんだから」

『トゥルース……』

「大体、僕はハッカーじゃない。ちょっと人より機械に詳しいかもしれないけど、別に情報犯罪者として活躍したかった訳じゃない。そういうので頼られても困るよ。正直、扱う世界が違いすぎる。料理の板前に難病患者の手術をお願いしているようなものじゃないか」

 冷静に話し合いを求めたのに、傍若無人なハッカー様は聞く耳を持ってくれない。そう、こういう情報犯罪者はまず第一に自分の自由を重んじる。隣人の権利やプライバシーに配慮する人間は他人のストレージを漁ったりカメラで覗き見したりなんかしないんだから。

 だからアナスタシアは人の心を開いて奥まで覗き込むように、こう言ってきた。


『それがもう対テロ最高警備のテレビ局の一番奥から悪党どものデータ引っこ抜いてきた天才サマの言う台詞かしら? ほらほら、安全な回線を用意したって言ったでしょ。早いトコ何がどうなったのか教えてみなさいって一番乗り』


 ……ああもう。

 どうしてこうなったんだ、くそったれ。