わたし、二番目の彼女でいいから。5

プロローグ

 大学二回生の四月。


「おい、桐島、なんとかしろ!」


 ギャラリーからヤジが飛ぶ。

 道の真ん中に机と椅子を置き、マージャンを打っている。車が通ることはない。行き止まりになった、私道でのことだ。


「俺たちはモテなければ金もないし、部屋にはエアコンも洗濯機もない。あるのは授業をサボって夜な夜な磨いたマージャンの腕だけだ。なのに、そのマージャンでまで負けてしまったら、スルメイカほどの価値もない!」


 私道を挟んで、二つの建物がある。

 一つは貧乏アパート『ヤマメ荘』、もう一つは普通のマンション『北白川桜ハイツ』。

 俺はヤマメ荘の代表として、隣室の福田くんとともにマージャン勝負に参加していた。

 相手は桜ハイツ代表の男ふたり。

 伝統の京都東山頂上決戦だ。

 どのくらいの伝統があり、どのあたりが頂上なのかは誰も知らない。

 いずれにせよ、毎年四月におこなわれるこのマージャン対決で、負けたほうの建物の住人がこの私道の清掃を一年間することになっている。


「桐島、点棒がどんどん減っているぞ!」

「負けたくない!」

「なんとかしろ!」


 ギャラリーからの応援に熱が入る。

 俺は地味で異様に男子比率が高い大学に通っている。そしてそんな俺が住むヤマメ荘は同じ大学に通う学生が詰め込まれており、住人の男子比率は百パーセントに達していた。

 一方、桜ハイツに住む学生たちは、ドラマや映画の舞台になりそうな、いい感じの大学に通っており、男女比率も健全で、見た目も麗しい。ついでに部屋にはエアコンもある。

 つまりこのマージャン対決は、大学の代理戦争の様相を呈していた。

 特に貧相な大学生活を送るヤマメ荘の住人たちは、華やかなキャンパスライフを送る桜ハイツの住人たちに一方的なライバル心を燃やしており、せめてマージャンの腕くらいは負けたくないのであった。しかし──。


「もうだいたい勝負決まってるけど、まだやる?」


 対面に座る桜ハイツの男がいう。パーマをかけていてすごくオシャレだ。

 俺は仲間の福田くんをみる。福田くんは、「最後までがんばろう」というように、にっこりと笑う。ふっくらとした人のよさそうな顔つき、天然パーマで、髪の曲がり具合だけなら相手の男たちに負けていない。


「やる。まだ勝ちの目は残っている」


 俺は一発逆転に賭けて、あがる確率の低い、大きな役をつくろうと牌を引く。

 負けパターンの典型みたいな打ち筋が情けない。


「あ、そうだ」


 相手の男が自分たちの背後、桜ハイツ側の応援ギャラリーに向かっていう。


「これに勝ったら、飯一緒にいってよ」


 彼の視線の先には、わかりやすく人目を惹く、美人な女の子がいた。

 宮前しおり。

 彼と同じく、桜ハイツの住人だ。


「桜ハイツのためにがんばってるわけだしさ」

「別にいいけど」


 宮前さんは自分の腕を抱えながら、さっぱりとした口調でいう。そのとき、ギャラリーのなかの女の子の誰かが宮前さんに向かって声をあげた。


「だったら、ヤマメ荘が勝ったときはそっちの人たちともご飯いったげなよ。ご褒美ってことでさ」


 そういわれ、宮前さんは俺をみて目を細める。

 その気持ちはわかる。なぜなら俺は高下駄を履いて、着流しを着ているからだ。これが普段着で、ヤマメ荘の住人はこんなやつらであふれている。


「まあ、いいよ……かなりギリギリだけど……」


 宮前さんはそっけなく承諾する。

 あの宮前さんとデート、というような盛り上がりをみせる桜ハイツギャラリー。

 しかしそこに、「ちょっと待った!」とヤマメ荘の住人たちが異を唱えた。


「俺たちは女性と食事の席をともにしたことがほとんどない! 今、ほとんど、といったがそれも強がりで、家族を抜けばまったくない!」

「そうだ! だから、いきなり宮前さんはハードルが高すぎる!」


 宮前さんは洗練された女の子だ。髪をきれいに染めあげ、カラコンで瞳の色も変え、さらにはスタイルもいいとあって隙がない。

 いろいろな男の人に車で送ってもらっているところもよくみかける。であれば、いい感じの男たちとの出会いを数多く経験しているであろうことは容易に想像でき、となると、ヤマメ荘の野暮な男たちが食事の席をともにしたところでその輝かしき男たちと比べられ失望されることは必定、というのが、ヤマメ荘の住人たちのろくでもない頭脳が導きだした結論だった。


「ワンチャンあると思わせてくれる女の子がいい!」

「俺たちにも希望を! 女子のいる大学生活を!」

「隙のありそうな女の子をよこせ!」


 失礼極まりない住人たち。

 宮前さんはあきれながらいう。


「じゃあ誰ならいいわけ?」


 その問いかけに、ヤマメ荘の無作法者たちは声をそろえていった。


「遠野さんがいい!」


 突然の指名に、桜ハイツのギャラリーのなかから、驚きの声があがる。


「わ、わ、わ、わ、わ、私!?」


 遠野あきら。

 体育会のバレー部で、かなり背の高い女の子。長い黒髪をポニーテールにして、パーカーを羽織り、いつも哲学の道沿いをランニングしている。そしてなによりもの特徴が──。


「し、しおりちゃん、ど、ど、ど、ど、どうしよ~!」


 そういって大きな体を小さくして、宮前さんの後ろに隠れようとする。当然、隠れられない。


「いいんじゃん」


 宮前さんはあっさりいう。


「ついでに、遠野のそういうとこ直したら?」

「で、でも~」


 遠野さんは目をグルグルとさせている。中、高と女子校だったらしく、男子に耐性がないのだった。朝、アパートの前で鉢合わせになると、「お、おはようございます!」と投げ捨てるような挨拶をして、足早に去っていく。


「なるほど。男慣れしてない遠野が相手なら、なにか起きるかも、って思ってるんだ」


 宮前さんが凍てつくような視線をヤマメ荘の住人たちに送る。


「そんなに甘くないからね」


 え、そうなんですか!? という顔をする純情なヤマメ荘の住人たち。

 いずれにせよ、こうしてあれよあれよと、マージャン対決の副賞に遠野さんと宮前さん、ふたりと一緒にご飯にいく権利が付与された。

 男女混合で食事をするなんて機会、俺たちの大学ではなかなかない。


「ということで桐島、福田、必ず勝てよ。俺たちは遠野さんが好きだ。しかも、宮前さんともあわよくば、と思っている」


 そんなことをいうギャラリーたち。

 着流しを着た俺の肩に、大きな責任がのしかかる。

 かなりの劣勢で、いや、ここからどうにもならんだろう、と思うものの、ここで負けたら目の前にぶらさがった青春を取り上げられたヤマメ荘の住人たちに逆恨みされることが目にみえているので、やるしかない。

 俺は福田くんとアイコンタクトで会話する。

 二対二のマージャン対決では、ふたりのコンビネーションが大切だ。

 しかし──。


『(福田くん、君の頭脳なら、俺の欲しい牌がわかるだろう?)』

『(すごいね、桐島くん。僕たちが女の子と食事をするかもしれないんだよ?)』

『(發を待ってるんだ。持ってたら捨ててくれ)』

『(なに話したらいいかな? 線形代数学の話はやめたほうがいいよね?)』

『(福田くん、發だ!)』

『(どんな店を選んだらいいとか全然わかんないよ~、どうしよ~)』


 ダメだ、まったく勝てる気がしない。

 一方、桜ハイツ代表のふたりは、男女混合の素晴らしきキャンパスライフで培ったコミュニケーション能力をいかんなく発揮し、見事なコンビ打ちで、さらに俺たちの点棒をかっさらっていく。

 完全に敗戦濃厚となり、後ろのギャラリーたちが怨嗟のうめき声をあげはじめる。

 しかし、最後の最後、俺が親の順番のときだった。

 配られた牌を開けたときである。

 神様のイタズラか、運命の輪が回りだしたのか──。

 最初から牌がそろっていた。

 天和──役満である。実力も脈絡も関係ない、奇跡の一発逆転だった。


「やった、やったよ桐島くん!」


 ふくよかな体を跳ねさせる福田くん。

 まあ、こういうこともたまにはいいだろう、と思う。同じ貧乏アパートに住む学友たちが喜ぶ顔もわるくない。彼らの歓声のなか、余韻に浸る。そのときだった。


「あんた、桐島司郎でしょ」


 宮前さんが声をかけてくる。


「マージャン最弱って噂だったけど」

「そうだ。打ち方を覚えて以来、勝った記憶がほとんどない」

「じゃあ、なんで今日は勝ったわけ?」


 宮前さんは、どこか見透かしたような目で俺をみながらいう。


「もしかして、遠野のこと好き?」


 そのとおりだ。

 これまでのマージャンは全部わざと負けていて、遠野さんと仲良くなるために今回、本気をだした。これをきっかけに遠野さんと仲良くなって、道を挟んで別々の建物に住みながら、ロミオとジュリエットみたいに恋をする。


 なんてことは全然ない。

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