終 章 禁書目録の少女の結末 Index-Librorum-Prohibitorum. ②
あのう? という、不安そうな、否、心配そうな少年の声。
インデックスは
少年は自分のために傷ついた。なのに、少年が自分の事を心配するなんて、そんなのずるい。
インデックスは胸に込み上げる何かを飲み込むように息を吸う。
笑う事は、できたと思う。
少年はどこまでも透明で、インデックスの事なんて少しも覚えていなかった。
「あの、大丈夫ですか? なんか君、ものすごく
なのに、透明な少年は一発で
「ううん、大丈夫だよ?」インデックスは、息を吐きながら、「大丈夫に、決まってるよ」
透明な少年はしばらくインデックスの顔を眺めていたが、
「……。あの、ひょっとして。
その質問こそが、インデックスには一番辛い。
それはつまり、透明な少年は自分の事など何も分かっていないという証拠なのだから。
何も。本当に、何も。
うん……、と。インデックスは、ポツンと病室の真ん中に立ったまま、答えた。まるでマンガに出てくる小学生が宿題を忘れて廊下に立たされるような、そんな仕草だった。
「とうま、覚えてない? 私達、学生寮のベランダで出会ったんだよ?」
「──
「……とうま、覚えてない? とうまの右手で私の『歩く教会』が壊れちゃったんだよ?」
「──あるくきょうかいって、なに? 『歩く協会』……散歩クラブ?」
「…………とうま、覚えてない? とうまは私のために魔術師と戦ってくれたんだよ?」
「──とうまって、
インデックスの口は、あと少しで止まってしまいそうだった。
「とうま、覚えてない?」
それでも、これだけは聞いておきたかった。
「インデックスは、とうまの事が大好きだったんだよ?」
ごめん、と透明な少年は言った。
「インデックスって、何? 人の名前じゃないだろうから、俺、犬か猫でも飼ってるの?」
ぅぇ……、と。インデックスは『泣き』の衝動が胸の辺りまでせり上がってくる。
けれど、インデックスは
飲み込んだまま、笑う。
「なんつってな、引ーっかかったぁ! あっはっはーのはーっ!!」
はえ……? とインデックスの動きが止まった。
透明な少年の不安そうな顔が消えている。まるでぐるんと入れ替わったように犬歯
「犬猫言われてナニ感極まってんだマゾ。お前はあれですか、首輪趣味ですか。ヲイヲイ
透明な少年には、いつの間にか色がついていた。
インデックスには訳が分からない。幻覚かと思って両目をごしごし
「あれ? え? とうま? あれ? 脳細胞が吹っ飛んで全部忘れたって言ってたのに……」
「……なんか忘れてた方が良かったみてーな言い方だなオイ」
「はず、だった?」
「おうよ。だってさ、その『ダメージ』ってのも魔術の力なんだろ?」
あ、とインデックスは思わず声に出してしまった。
「そういう事さ。そういう事です、そういう事なの三段活用。だったら話は簡単だ、
ああ、とインデックスはへなへなと床の上に座り込んでしまった。
「ようは、体の中に走るダメージが脳に届く前に、その『魔術的なダメージ』を打ち消しちまえば良いってだけだろ? ま、ステイルの炎みてーな『物理現象』っぽかったらアウトだろうけど、『光の羽』なんて『良く分からない異能の力のまま』なら問題あるまい」
例えば火の
上条は
ムチャクチャすぎる。
ムチャクチャすぎるけど、そう言えばこの
「ぷっぷくぷー。それにしたってお前の顔ったらねーよなー。普段さんざん
……、インデックスは何も答えない。
「────って、あれ? ……あのー」
インデックスの顔がゆっくりと
女の子座りで肩が小刻みにぷるぷる震えている。何だか知らないけど歯を食いしばってる。
果てしなく嫌なトーンに、上条は思わず探りを入れてみた。
「えっと、一つお尋ねしたいんですが、よろしいでございますか姫?」
なに? とインデックスは答える。
「あの、もしかして……本気で怒って、ます?」
ナースコールがぷーぷー鳴る。
頭のてっぺんを思いっきり丸かじりされた少年の絶叫が病棟中に響き渡る。
ぷんぷん、という
おっと? という声が入口の辺りで聞こえる。どうやら入れ替わりに入ってこようとしたカエル顔の医者が飛び出してきたインデックスとぶつかりそうになったらしい。
「ナースコールがあったからやってきたけど……あー、これはひどいね?」
少年はベッドから上半身だけずり落ちて、頭のてっぺんを両手で押さえて泣いていた。死ぬ、これはホントに死ぬ、という独り言がなんかリアルで
医者はもう一度だけ開いたドアから廊下を見たが、首を戻して病室にいる上条を見た。
「けど、あれで良かったのかい?」
何がですか、と少年は答える。
「君、本当は何も覚えていないんだろう?」
透明な少年は黙り込む。
一人の少女に話して聞かせたほど、神様の作った
魔術の結果、アパートの中で倒れた少年とインデックスを病院に運んだのは魔術師を名乗る二人の男女だった。彼らは医者にこれまでの
そんなものは、他人の日記を読んでいるのと何も変わらない。
他人の日記の中で、顔と名前の一致しない女の子がどう活躍しようが知った事ではない。
今の話は、他人の日記を元に思い描いた単なる作り話にすぎなかった。
この包帯だらけの右手に神様の
信じられるはずがなかった。
「けど、あれで良かったんじゃないんですか」
透明な少年はそう言った。
他人の日記のくせに、それはとても楽しくて、とても
失われた思い出はもう帰ってこないのに、
「
透明な少年は、本当に何の色もなく笑っていた。
「先生こそ、どうしてあんな話を信じたんです? 魔術師とか魔法とか、お医者さんには一番遠い存在じゃないですか?」
「そうでもないんだね?」医者はカエル顔に得意そうな色を浮かべ、「病院とオカルトは割と密接な関係なのさ? ……別に病院に幽霊が出るとか、そんな話じゃないよ? 宗教によっては輸血もダメ、手術もダメ、命を助けても裁判
医者は笑っていた。
自分が何で笑っているのか分からない。笑みを浮かべる少年を見ると、まるで鏡のように自分も笑ってしまうのだった。
いや、一体どちらが『鏡』なのか。
それぐらい、少年の笑みには何もない。
少年は、どこまでも透明だった。
「案外、俺はまだ覚えてるのかもしれないですね」
カエル顔の医者は、少しびっくりしたように透明な少年を見た。
「君の『思い出』は、脳細胞ごと『死んで』いるはずだけどね?」
我ながらつまらない事を言ってるな、と医者は思う。
けれど、医者は言った。
「パソコンで言うならハードディスクを丸ごと焼き切ったって状態なのに。脳に情報が残ってないなら、一体人間のどこに思い出が残ってるって言うんだい?」
なんとなく、この少年の答えは。
そんなつまらない理屈など、一発で吹き飛ばしてくれるかも、と思ったから。
「どこって、そりゃあ決まってますよ」
透明な少年は答える。
「────心に、じゃないですか?」