撮影前夜
――『紅蓮の剣姫』撮影前夜。
自室で机に向かいながら、せつ菜は一人考えを巡らせていた。
「いよいよ明日から撮影、か……」
同好会で制作することになった『紅蓮の剣姫』のミニフィルム。
十二月に開催されるお台場の文化交流会で上映をすることになったその作品の撮影が、とうとう本格始動するのだった。
「明日から私は、紅姫になる……」
机の上の台本に目を落とし、そう口にする。
せつ菜が演じるのは、主役である紅姫。
異世界から来た人を喰らう怪物である〝レーテ〟を討滅するために、炎をまとい人知れず戦う、同じく異世界からこちらの世界へとやって来た来訪者。
主役であるのだから出番や台詞が多いのは当然として、その人物像をどうとらえるのかも難しい役どころだった。
「紅姫をできるだけ忠実に再現しないといけません。ええ、それは絶対です」
台本を手にぐっと気持ちを入れ直す。
作品を預かる身として、また原作の大ファンとして、そこだけは譲れない一線だ。
そんな状況に少なからずプレッシャーは感じてはいたけれど、だけどそれ以上にせつ菜の中にあったのはワクワクだった。
クローゼットの奥の、トランクの中に大切にしまわれた『紅蓮の剣姫』の原作小説を取り出しながら、思う。
『紅蓮の剣姫』は、紅姫は、様々な場面でせつ菜の支えになってくれた。
生徒会の仕事がうまくいかなくて悩んでいた時。
模試の点が振るわずに落ちこんでいた時。
ライブでのダンスの振り付けがなかなか決まらずに焦っていた時。
誰にも内緒でスクールアイドルを始めた時。
心細い時に、『紅蓮の剣姫』はいつだって元気づけてくれた。
人に頼るのが苦手で一人で抱えこんでしまうことが多かったせつ菜にとって、たくさんの大切な人たちの想いを受け止めて、燃え上がる炎のような意思の力をもって、どんな困難にも立ち向かう紅姫の姿は、どこまでもまぶしくて勇気をくれる存在だった。
(紅姫は私の憧れです……)
そんなせつ菜の〝大好き〟な作品を……同好会のみんなといっしょにかたちにすることができる。
自分を通して、紅姫をこの世界に映し出すことができる。
(そんなの最高じゃないですか……!)
それはまさに〝大好き〟を叫ぶ行為そのもののと言ってもいいかもしれない。
もちろん不安がないわけじゃない。
せつ菜にはこれまでちゃんとした演技の経験はなかったし、ミニフィルムを作るというのも同好会としてはほとんど初めての経験だ。
それに『紅蓮の剣姫』には、以前からせつ菜が気になっているシーンがあって……
と、その時だった。
「?」
机の上に置かれていたスマホが振動していた。
見てみると通知はメッセージが届いたことを示している。
ディスプレイに表示されていたのは……
『せつ菜ちゃん、いよいよ明日から撮影だね! せつ菜ちゃんの紅姫、絶対ときめいちゃうと思う! いい作品にするために、いっしょにがんばろうね!』
そんな彼女からの〝ときめき〟がこもったメッセージだった。
「侑さん……」
侑はいつだってこうだ。
せつ菜が何か不安に感じることがあると、それを見透かしたかのように笑顔で寄り添ってきてくれる。
その時にせつ菜が一番欲しい言葉をかけてきてくれる。
その真っ直ぐな気持ちに触れる度に、本当に自分のことをよく見ていてくれているのだと……うれしくなってしまう。
「ありがとうございます、侑さん……」
スマホをぎゅっと握りしめて感謝の言葉を口にする。
けれどそれは侑だけに限ったことじゃなかったみたいだ。
腕の中のスマホが、再度振動する。
それも一度や二度じゃなく、何度も。
「あ……」
ディスプレイに目をやると、そこには次々とメッセージが表示されていって……
『まだ起きてたかな? えっと、特に何かってわけじゃないんだけど……明日からの撮影、がんばろうね、せつ菜ちゃん』
『とうとう明日からですね~! 準備はおっけーですか? かすみん、せつ菜先輩に似合う衣装をたっくさん考えて ますからね!』
『お休み前にすみません。台本、わからないところとかありませんでしたか? せつ菜さんの素敵な演技が見られるのを楽しみにしています』
『明日を控えて気持ちが高ぶってるいるだろうけれど、今日はちゃんと寝るのよ、せつ菜。放っておくといつまでも台本を読みこんでいて夜更かししそうだから』
『まだ起きてる、せっつー? 明日からはげんきいっぱい でいこうね! 剣姫だけに! あははっ!』
『明日楽しみだね~。せつ菜ちゃんはすやぴできてる~? 彼方ちゃん、ドキドキして夜しか眠れそうにないぜ~』
『撮影してたらきっとみんなお腹空くよね? わたし、差し入れにメレンゲクッキー作っていくからね』
『せつ菜さんといっしょに〝紅蓮の剣姫〟をやれるの、うれしい。私、がんばるね』
『夜分遅くに失礼します。撮影が明日に迫っていたので、つい連絡をしてしまいました。私にできることがありましたら、何でも仰ってくださいね』
『明日からの撮影、子犬ちゃんとかははしゃいでウキウキだろうけど、まあ落ち着いてやれたらいいよね。何かあったらセンパイのボクに頼ってくれていいから』
『ランジュ、明日からが待ち遠しくて仕方ないわ! せつ菜の演技も楽しみだけど、ランジュもそれに負けないくらいのパフォーマンスをしてみせるわ! 見てなさい!』
ディスプレイ越しでも伝わってくる、メンバーたちそれぞれのやさしい気持ち。
温かくて、心の柔らかいところにじんわりと染みこんでくるかのような、思いのこもった言葉。
「みなさん……」
スマホに目を落としながら、思わず声を詰まらせてしまう。
胸がいっぱいだった。
うれしさがあふれて、油断すると決壊してしまいそうだった。
あの頃とはもう違う。
何かに迷ったり悩んだりしても、だれにも頼ることができなくて……いや頼ろうともしないで、自分一人で全てを抱えこんでしまっていたあの頃とは。
今のせつ菜はもう一人じゃなくて……紅姫のように仲間がいる。
それぞれ個性的だけどとびきり温かくて仲間思いで、気持ちをわかり合いたいと思う、色鮮やかに輝く虹のような十二人の仲間たちが。
彼女たちといっしょなら……きっと、いや絶対に、最高の『紅蓮の剣姫』を作り上げることができるはずだ。
その確信が、せつ菜にはあった。
「燃えてきました……!」
立ち上がりながらぐっと手を握りしめる。
気づいたら不安なんてどこかに消え去っていた。
せつ菜の胸の中にあるのは、燃え上がるような情熱と紅姫への思いだけ。
紅姫を演じることができるのが、〝大好き〟を叫ぶことができるのが楽しみでしかない。
そんなせつ菜の決意に呼応するかのように、小説表紙の紅姫もまたどこか楽しげな笑みを浮かべているのだった。