『ほうかごがかり』「次にくるライトノベル大賞2024」《文庫部門》9位ランクイン&『断章のグリム 完全版』3ヶ月連続刊行記念

クロスオーバー書き下ろし小説「ほうかごグリム」

 昔、神名小学校の『かかり』に太郎という少年がいた。

 五年生を生き延び、六年生になり、『卒業』を目の前にした当日。『あかずの間』の壁の隙間から生えた手に足をつかまれて、『ほうかご』にとらわれたまま、二度と帰ることができなくなった。

 足をつかまれた彼を置き去りにして逃げ出した、その年の『かかり』最後の生き残りだった仲間の二人が、どうなったかは知らない。ただ、そのうち片方の五年生だった少女は、翌年度の『ほうかご』に現れなかったので、きっと逃げ出した後に死んだのだろう。

 もう一人の六年生がどうなったのかは分からない。

 その『ほうかご』が明けたあと、現実の世界がどうなったのかも分からない。

 自分が帰れなくなった現実がどうなったのか、自分が帰れなくなったということが現実にどのように消化されたのか、ついぞ知ることはできなかった。ただ、化け物に捕まって帰れなくなった少年は、『ほうかご』の化け物になった。

 ずっと『あかずの間』に閉じこめられている少年。

 何十年もずっと閉じこめられて出られない、もうそろそろ『三角』という自分の苗字も忘れてしまいそうな――――小学校の七不思議『太郎さん』に。


         †


 足をつかんだ手はどうやっても離れず、もう家に帰れない、閉じ込められてしまった恐怖と絶望に、最初は泣き叫んだが、涙も感情も一ヶ月経たずに尽きた。空腹も渇きも感じない、代わりに動くこともできない、何もすることがない、気を紛らわすものさえない日々は、長すぎるのだ。

 次の年度の『かかり』がやって来た時には、少年は『太郎さん』になっていた。

 心がすり切れた、助けを求めるだけの化け物だ。最初は『かかり』の誰もが、怖れて『開かずの間』に入らなかったが、化け物に追われて仕方なく逃げ込んだそこが安全であることに気がついて、部屋は安全地帯として使われることになった。

 元々『太郎さん』たちもそうしていたように。

 元々『太郎さん』たちが『かかり』だった時にも、すでにここは安全地帯だった。

 なので『太郎さん』は、ここにいた前任者の後を引き継いで、『かかり』への案内役をすることにした。前にここにいた少女の後を引き継いで。突然狂乱し、『太郎さん』と同じ足をつかんだ手によって、細い壁の隙間に引きずりこまれて消えてしまった、病んだように無口で髪が真っ白で老婆のような顔をした、『花子』と名乗った少女の後を引き継いで。

 だから。

 この部屋が完全な安全地帯ではないことを、『太郎さん』だけが知っている。


         †


 こうして太郎は『太郎さん』になった。

 あり余っている時間は、すでにこの部屋に大量に保管されている、何十年分にもなる『かかりの日誌』を読むことに使った。

 動けない『太郎さん』には手の届かない棚がほとんどだったが、その時々の『かかり』に頼んで、そのつど近くに取り置いてもらった。何十年分もの『記録』を読み解くのには、何年もかかった。そしてこの『記録』の棚には、いくつか怪談や都市伝説の本が置かれていて、それが必要な知識だと気がついたので、時にはそういった本を『かかり』に持ってきてもらうこともした。

 そうやって『太郎さん』は、何年も過ごした。

 説明役として知識をつけた。『かかり』との出会いと別れと、『無名不思議』についての勉強と思索を、何年も、何年も、何度も、何度も、繰り返した。

 帰れなくなってしまった恐怖と絶望と悲しみは、一年も二年もすればすり切れて、時々は思い出して大声で泣き叫んだが、それもだんだんと減っていった。しかし完全に消えることはなく、その後も長く長く続いた。それを思い出させる夢を、いつまで経っても、何度も何度も見続けたからだ。

 断続的に見続けた夢。それは、『太郎さん』が『かかり』を卒業し、小学校を卒業し、その後の人生を歩んでゆく夢だった。

 経過を一度に夢に見るような、夢らしい夢ではない。その時々、自分の実際の時間の経過に合わせて、こんな風に『ほうかご』に捕えられてさえいなければ、ちょうどそうなっていただろう自分のワンシーンを、夢の中で垣間見るのだ。

 小学校を卒業した自分が、中学校に上がって生活する夢を見た。

 自分が行く予定だった、見学にも行った中学校に進学して、中学生になった自分が、家族と友達、それから新しく知り合った人々と、過ごしている夢だった。

 自分は暗闇の中にいるのに。出られないのに。

 夢を見て目を覚ますたびに、帰れない現実を思い出して、元の生活を思い出して、叫んで泣いた。いるのが当たり前だったお父さんお母さん。もう二度と会うことができない。その現実を突きつけられて、自分が失ったものを見せられて、胸を、喉をかきむしり、誰もいない『あかずの間』で慟哭した。

 それでも夢は見続けた。自分が暗い『ほうかご』で一年を過ごせば、夢の中の自分は一年進級した。やがて受験をし、高校に行き、大学に行った。夢の中の自分は成長し、だんだんと大人になっていった。ここにいる自分は、子供の姿のまま。

 何十年も経った今では、笑えることに夢の自分は小学校の先生になっていた。よりによって小学生だった自分が馬鹿にしてやまなかった、子供たちから嫌われている、口うるさい小学校の先生にだ。

 その頃にはもう望郷の念も尽き果てて、それに従うようにして、夢を見る頻度もだんだんと減っていった。

 だが――――それと入れ替わりに、奇妙な夢を見るようになった。

 それは、自分ではない自分の夢だった。今までのような、成長してゆく自分ではない。国籍も人種も年齢も、生きている時代も、もしかすると世界さえも何もかも違う、それなのに間違いなく自分だという確信がある、そんな自分の夢を見るのだ。

 みんな、ここに『太郎さん』として閉じ込められている自分と同じような、超自然的で悲惨な運命をたどっていた。

 夢に見る全ての自分が、世界に潜む恐ろしい〝何か〟に気づいて正気を失い、あるいは襲われて命を失い、さもなくば自らがその〝何か〟になるか、その〝何か〟を生み出す者となって果てていた。

 想像もしていない、そんな知識すらない不思議で緻密な夢を見て、目を覚ますと、『太郎さん』の自分がいる。

 とうとう自分も頭がおかしくなってきたのかもしれない。

 そう思って皮肉に笑い、かつて『かかり』からもらった半纏の裾をあおいで、服の中にこもった空気と夢の残滓を追い出して、もう何十年と繰り返してきた、過去の記録を知識としてまとめてゆく作業に戻る。


 ………………


         †


 ずっと『太郎さん』はノートを作っている。

 過去の『かかり』が残した『記録』の内容を、一つづりの知識とするための、自分にとっての辞書のようなものだ。

 類似する『無名不思議』を整理して、現実の怪談や都市伝説の関連とも組み合わせて、網羅してゆく。民俗学などとの接続も記録してゆく。そうすることで『かかり』がする『記録』への助言を、より素早く詳細にすることができる。

 それから、各年度の『かかり』に何があったかを記録した、まとめのノート。

 どんな『かかり』の面々で、何が起こって、何人死んだかの記録。『太郎さん』自らが顔を合わせた代だけでなく、もっと過去の『かかり』の記録を読んで、記録の断片を集めて、何があったかを推測したものまで。

 それらは何度か改訂し、最初は一冊だったノートが、今は五十音の行ごとに一冊以上と、三冊のまとめのノートで、十冊以上ある有様になっていた。。びっしりと書きこみをし、大量の見出しシールを貼って、何度も何度も読み返してめくったせいで、どれもページの紙がよれよれになっていて、重石を乗せなければぴったりと閉じなくなっている状態のノートだ。

 タイトルはない。傷んだ表紙に、ただ『あ行』とか『か行』とか、何年から何年、といった分類だけが書いてある。

 どうせ自分だけしか見ないものだし、常に自分の傍に置いているので、何かに紛れることもなかったし、他のものと間違えようもなかったからだ。

 ただ、あるときふと思った。もし、自分がいなくなったら?

 いつか自分の精神が完全にすり切れて、あるいはどうしようもない何かがあって、ここの前任者である『花子さん』がそうなったように、壁の隙間に引きずりこまれてしまった時、このノートを次の誰かに引き継がなければならないのではないか?

 だとしたら、タイトルをつけた方がいいのではないか?

 次代のために。

 ふと、そう考えた。


「タイトルか……」


 誰もいない部屋の中で、『太郎さん』は独りごちる。

 これも以前の『かかり』にもらった万年筆の先を、ノートの表紙に向けて。

 つけるとしたら、どんな? こんな、異常と悲劇しか書いていないノートに。異常と悲劇ばかりが数えきれないほど書きこまれ、こんなにも分厚くなった、はっきり言って何らかの悪意があるとしか思えないノートに、何というタイトルをつければいい?

 悪意。

 ふと、思いついた単語があった。

 夢で見た単語だ。夢の中で自分が、イギリスの作家だった時。気がついてしまった世界の異常な真実に耐えきれずに、それを書き記した原稿につけたタイトル。


「『悪意ある物語――――マリシャス・テイル』」


 つぶやいた。

 そして直後、ふん、と鼻で笑って、万年筆を机に置いた。

「ないな。ないない」

 そしてそう言うと、馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに目の前に積んだノートを脇に寄せ。いつしか伸びて白髪になった頭をかきむしって、大きくあくびをしながら、椅子の上で背中を反らせた。


         †


         †


 十二万二千七百八十一の〝私〟を私は見ていて。

 十二万二千七百八十一の〝私〟が私を見ている。


   (欠損)


 閉じ込められ

 人ではなく


   (欠損)

 生贄


   (欠損)


                      私家訳版『マリシャス・テイル』第十二章



(註)十二章は原本から破り取られ暖炉から発見された。ほぼ全文が欠損している。

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太郎さんが夢の中で見た〝何か〟についての物語のひとつ『断章のグリム 完全版』。

2025年2月25日(火)よりメディアワークス文庫から、3ヶ月連続刊行がスタートしました。

初収録となる私家訳版『マリシャス・テイル』は、〝何か〟の起源に迫る重要文書です。

ぜひ、お手に取って御覧ください。

刊行シリーズ

断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影
ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
ほうかごがかり3の書影
ほうかごがかり2の書影
ほうかごがかりの書影