2 侵入者

 西日本、まるでクレーターのような山間の、そこそこ広い盆地に、伴添町はあった。

 周囲を低い外輪山に囲まれ、東西の峠道で辛うじて外界と繫がっている。必要な役場や施設は揃っているが、商店に関しては十分とは言い難い。国道沿いは山肌と田畑ばかり、単線の駅前から延びる短い商店街には閉まったままのシャッターが目立ち、モールが進出するほどに近隣との交通の便も良くない。ローカルチェーンのコンビニも、夜には閉まってしまう。

 要するに典型的な田舎町だったが、町としての人口はそれなりの規模がある。これは、隔離された場所ゆえに多く残った古い町並みが、辛うじての観光資源となっているためで、幾らかの旅館とその周囲だけには、僅かながら繁華の彩りがあった。計画的に整備されたわけでもない、不便な田舎にある『知る人ぞ知る鄙びた観光地』というのが実際のところである。

 伴添高校はそんな町の中心に位置し、隣り合った小中学校と共に、町の少年少女らを代わり映えしない登校に日々駆り立てている。

 高校生という、精神的にも肉体的にも爆発的な成長を遂げる年頃は、閉塞感や刺激に乏しい生活を忌避する傾向にある。彼らにとって古びた町の風景は無価値で、そこで繰り返し過ごす日々は退屈だった。価値あるものは新鮮さであり、好ましいものは変化だった。

 ゆえに彼らは今、二つの新鮮な変化に夢中になっている。

 一つは昨晩、近隣で起きたハイウェイの大規模崩落事故である。


「なあなあ、ニュースの映像見た?」

「ああ、すげーな。何キロも道路がぶっ壊れたんだろ。連鎖ナントカ……なんだっけ」

「どんだけ手抜き工事してんだっつーの」


 昼休み、校舎から春先の中庭へと溢れ出した彼らは、日常を文字通り破壊した出来事を口々に、突発的なイベントよろしく語り合う。


「テロじゃないか、ってコメンテーターの人が言ってたけど」

「こんなド田舎の道路ぶっ壊してなんのテロになるんだよ」

「そりゃそーか。あんだけ壊れたのに一台も巻き込まれてないからねー」


 犠牲者が出ていないこともあり、多少の不便――彼らへの影響と言えば、コンビニの品揃えが少し減る程度である――も絶妙のスパイスとして味わうことができた。


「現場が山ン中だから、こっちまでテレビのインタビューとかも来ないんだよな」

「聞かれたって答えられることなんかないくせに」

「俺たちに分かるのは、山向こうでヘリが飛んでるー、くらいか」


 大人なら、ここに観光の客足への影響や町外に出る不便さ、公的なクレームをどこにねじ込むか等々、頭の痛い現実問題を処理しなければならなかったが、彼らはその点、未だ社会的には子供で、市外との関わりも殆どない。気楽なものだった。

 その気楽な興奮を、彼らは話しかける起爆剤とする。

 もう一つの変化である、転校生の少女に。


「こっちに来て早々、あんな事件とかビックリだよねー」

「通ったとき崩落しなくてホント良かった」

「うん」


 少女は、幼さを残しつつも凜とした容貌をコクリと頷かせた。体格は小柄ながら、落ち着いた雰囲気と不思議な貫禄を漂わせ、なおかつ近付き難さを感じさせず、朗らかで愛らしい。こんな転校生が、人気者にならないわけがなかった。


「ホント、騒がしくて御免ねー」

「おまえだって騒がしくしてる一人だろ」

「構わない」


 かける言葉は端的で短いが、拒絶の風はない。男女を問わない人の輪の中心に立って、微笑を共有する。転校から数日で、級友らは物珍しさから親しさへと態度を変えていた。


「それにしても好きだねえ、メロンパン」

「毎日食べてて飽きないの?」

「うん、大好きだから」


 手にした袋を掲げて微笑む、その柔らかさが、周りに伝播する。中庭の芝生(というより校内に残された野原)に皆で腰を下ろして、今日も昼休みの他愛ない雑談が始まった。


「ホント、良い匂いだな」

「パン屋のパンって、そんないいもんなの?」

「店にもよるけど、昨日見つけたここのは美味しいよ」


 言いながら、少女は袋を開ける。中から広がった、香ばしいバターの匂いに皆が鼻をひくつかせる中、その端を千切って、尋ねた女子生徒にひょいと渡す。


「あげる」

「あ、ありがとう」


 どぎまぎする彼女に、羨望の視線が集まった。一口で食べ、


「ホントだ。これ、美味しい」


 工夫のない言葉で喜ぶ様に、いいないいな、と周りの声が飛ぶ。


「一つまでなら、皆で分けて良いよ」


 少女が笑って言うと、今度は歓声が湧いた。

 そうして、取り留めのない話題が、取り留めのない繫がりで、どこまでも転がってゆく。

 流行りの映画やドラマを見た見ないから始まって、ニュースで町のあそこが映った、教師への事細かな不平にテスト範囲の広さ、果ては入れ込んだスポーツの勝敗、迷子の犬を探偵に捜して貰った、今やっているゲームの出来が酷い等々……ごちゃ混ぜに支離滅裂に、自分の言いたいことを言って、同意されて得意になったり、文句で返されて膨れたり。

 少女も、それらを興味深く聞いて、たまに質問し、あるいは説明や体験を付け加える。

 皆で、当たり前に、短い昼休みを楽しく過ごす、

 そんな、往く時を忘れる活気の端に、何気なく入って来た。

 私服の首元に季節はずれな黒いマフラーを巻いた、明らかな部外者が。

 不意な到来にも警戒心を抱かせない、どこか大人びた佇まいの、優しげな少年が。

 ふと、目を合わせた少年と少女は、


「シャナ」

「悠二」


 まったく自然に、名を呼び合った。

 その、親しさとは違う、まるで呼び合うこと自体が喜びであるかのような声に、級友らまで陶然となった。数秒の後、ハッと我に返ってから、皆して色めき立つ。


「えっ、だ、誰この人」

「まさかシャナちゃんの彼氏、だったり?」

「そんな、噓ー!?」


 転校生の少女・シャナは、訊いた面々に軽く目線を舞わせた。自慢することの予告として、疑義も異議も差し挟む余地のない、実に可愛らしい笑顔で。


「うん、大好きな人」


 一斉に上がる絶望と落胆の大絶叫を受けて、少年・悠二は照れ臭そうに頰を搔いた。


「はは――まあ、そうだね」

「まあ、じゃない」


 逆にシャナは、ムッと膨れる。

 不意に、その膨れ方とはまた違う、どこか腹立たしげな男の声が、


「それで、どうした」


 遠雷のような低さで響いた。

 誰が喋ったのか、互いを見回す級友らを置いて、


「うん」


 悠二は表情を引き締め、頷く。


「予定通り、最後尾の連中を片付けてきたよ。封絶を張らなかったから、当然こっちにいる連中も気付いたはずだけど、昨晩の内に動きはあった?」

「ううん。なにも」


 シャナは小さく首を振った。級友たちに見せていた柔らかな笑みは消え、静かな厳しさが表れている。しかしなぜか、それこそが彼女には相応しいように思われた。


「こういう仕掛けだらけの場所だもの。元々、真正直に挑んでくるとは考えてなかった」

「僕も色々と準備してから、誘いをかけるつもりでノンビリ町に入ってみたけど、リアクションがなくてさ。それならってことで、シャナがどう過ごしてるのか見に来たんだ」


 悠二は軽く肩をすくめて見せ、


「なのに、今さら来るとはね……最後尾の粗雑さといい、どうにも不徹底な連中だよ。せっかく新しい友達と過ごしてた楽しい時間を、邪魔しちゃったかな」

「うん、悠二が悪い。楽しんでたのを邪魔された」


 シャナが悪戯っぽい糾弾で返した。

 わけの分からない会話に視線を右往左往させる級友の一人が、口を開こうとする。

 その機先を制して、不思議な転校生は、今までと全く別種の強い笑みを輝かせ、言った。


「大丈夫」


 瞬間、

 地面から紅蓮の炎が湧き上がり、頭上へと通り抜けた。高校の敷地を遙かに超えた広範囲に火線の紋章が燃え立ち、その円形へと被さる巨大な陽炎のドームが形成される。

 世界の流れから内部を切り離し、外部から隠蔽する自在法――『封絶』の発現だった。

 同時に、シャナも変わっている。

 制服の上に、コートとも見える自在の黒衣『夜笠よがさ』を纏い、

 腰までの髪を、火の粉舞い咲く炎髪として靡かせ、

 両の眼は、煌めく灼眼へと変眸していた。

 身の内に〝紅世の王〟を宿し、世界の安寧を密かに守る、異能者『フレイムヘイズ』。

 中でも、格別の意味を持って語られる称号――『炎髪えんぱつ灼眼しゃくがんの討ち手』。

 それがシャナという少女の、真の姿だった。

 悠二は何千と面してきた彼女の姿に、やはりまた今も、


「……」


 現実の煌めきだけではない、眩さを感じ、目を細める。

 激しく燃える灼眼は、しかし優しい視線を、彫像のように固まった級友らに向けていた。


「待ってて。手早く片付けるから」


 その胸元にある黒い宝石に金の輪を意匠したペンダント型の神器〝コキュートス〟から、彼女と契約した〝紅世ぐぜ〟真正の天罰神、〝天壌てんじょう劫火ごうか〟アラストールが続ける。


「どれほど来た」

「僕の後を付けてきたのは五人、だったけど」


 悠二に頷くと、シャナは後背に紅蓮の眼『審判しんぱん』を開き、全てを看破する。


「うん、いる。学校のすぐ外に、その五人。慌てて封絶の中に入ってきた増援が南と東から八人、遠巻きに監視してる奴が北に一人」

「報告のため離脱しそうな奴は?」

「いない」

「この紅蓮の封絶を見て、それでも戦うつもりなのか……やっぱり不徹底だな。陰謀を厳重に隠してる一団、のはずなんだけど」


 呆れた様子の悠二は、自身を漆黒の炎に包み、姿を変じた。

 半端に伸びたぶつ切りの髪に、緋色の衣を引く古めかしい凱甲。

 右の手にはいつしか、片手持ちの大剣『吸血鬼ブルートザオガー』を軽く提げている。


「北にいる監視役は引き受けた。封絶外の警戒も、ついでにやっておくよ。他には?」


 助勢は最初から問いの内には含まれていない。

 果たしてシャナは首を振り、


「ううん――あっ」


 気が付いて、付け加える。


「皆を無駄に傷つけないよう、守って」


 封絶の中では、どれだけ破壊されようと修復が可能である。人を〝存在の力〟に変換して吸収する『人喰い』も、新世界『無何有鏡ザナドゥ』では行えなくなった。が、それでも。

 悠二は笑わず、しっかり頷く。


「分かった」


 頷き返すと、シャナは『夜笠よがさ』の内から大太刀『贄殿遮那にえとののしゃな』を抜き、構える。

 そうして、誰一人逃さない戦いが始まり、すぐに終わった。

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