僧の仮面をかなぐり捨てたその眼は鋭く。爛々と緑色に光る両の瞳が、岩を通すような意志を漲らせている。燃えるような赤い髪は、男の苛烈さを示すように逆立ち、砂漠の風に煽られてばさばさと揺れている。
銃に怯む様も見せず、不敵に腕で顔を拭えば、汗でぬめる肌化粧が剝げ、右目を囲む赤い刺青が、ぎらりと露わになった。
「ひ、人喰い……」髭面と太田、二人の役人が口をあんぐりと開けて、赤髪の男に慄く。
「人喰い、赤星!!」
「誰が、人喰いだァッ」
ビスコが背中の短弓をずらりと抜き放つと、エメラルド色のそれが陽光を照り返して、眩しく輝いた。懐の矢筒から抜いたドス赤い矢を素早く引き絞り、窓口に向けて撃ち放つ。
「おわぁっ!」と悲鳴を上げて屈みこむ髭面の頭を掠め、矢は水着グラビアのカレンダーを貫いて関所の壁に突き立ち、壁一面に、びしり! と、凄まじい亀裂を走らせた。
「な、なんつー弓だ!?」
「イノシゲさんっ! あ、あれ、あれっ!」
太田が指差す方向を見れば、壁に走った亀裂を中心として、関所小屋のあちこちから、ふつふつと真っ赤な──何か丸いものが芽吹き、膨れてくる。
そのゆるゆると回る赤いものはほどなく、ぼん! と音をたてて勢いよく伸び上がり、関所小屋の壁をへし割ってしまう。赤い傘をふわりと広げ、茎をなおも豊かに伸び上がらせる姿は、素人目にも容易に、それが何であるか知らしめた。
「こ、これって……うわあっ! き、キノコだあっ!」
「バカ野郎! 逃げろ太田ァ」
髭面は、私物の望遠カメラを必死に回収する太田を引っ摑んで、慌てて小屋から飛び出す。その戸をまたがぬうち、凄まじい勢いで膨れ上がった真っ赤なキノコの群れが、ばがん! ばがん! と轟音を立てて発芽し、関所小屋を粉々に打ち砕いた。
爆裂する関所小屋を振り返りもせず、ビスコは跳ね飛ぶように自分の犬車に駆け寄り、車を覆う麻布に向かって、大声で怒鳴った。
「ジャビ! 失敗だッ。壁沿いに逃げる! アクタガワを起こしてくれッ」
途端、麻布がぶわりと舞い上がり、宙を跳ぶ。布の中から姿を現したのは、巨大な蟹であった。高さにして、人の背丈の二倍はあるかというところ。大蟹はそのままくるりと回転して砂の上にどすんと着地すると、誇らしげに大バサミを上げ、橙色の甲殻を陽光に光らせた。
ビスコがひらりと背中の鞍に飛び乗れば、大蟹は勢い込んで走り出す。
「だーから言ったんじゃい」ビスコの隣で大蟹の手綱を取るのは、豊かな白髭を蓄え、幅広の三角帽を被った老爺である。「勧進帳の真似事するなら、経のひとつふたつ覚えんと。わしゃ言えるよ。ジャモンキンナラ、ホスヤクシャイ」
「関東なら纏火党は顔パスだって、てめえが言ったんだろ!」走る大蟹の上でビスコが老爺に怒鳴る、その声をかき消すように、砲弾が数発、走る大蟹の横へ着弾して砂を巻き上げた。
「……あの野郎、カバを出してきやがった!」
砂埃に目を細め、嚙み付くようにビスコが背後を睨むと、機銃やら大砲やらを背中に括り付けた軍用のスナカバの群れが、砂煙を上げて走り寄ってきていた。大小様々なスナカバの、速いものは大蟹まで並走し、背中の機銃をビスコへ向けてくる。
「邪魔だァッ」
ビスコの短弓から瞬速の矢が閃いて、スナカバに突き刺さる。「グモォッ」と悲鳴を上げるスナカバは、鞠のように転がりながら体表にふつふつと赤い傘を浮かせ、ぼぐん! とその場に巨大なキノコを咲かせる。追いついてきた後続のカバがまとめて吹き飛ぶ中、ビスコの二弓、三弓がそれこそ矢継ぎ早に飛び、ぼぐん、ぼぐん! と、続けざまに炸裂するキノコでカバ達を蹴散らしてゆく。
ただ、ビスコのキノコ矢がいかに強力であるとはいえ、なにしろ凄まじい数のカバ兵である。とうとう一匹のスナカバが大蟹に食らいつき、背中の機銃を足に撃ち込む。歴戦のテツガザミの甲殻はこともなげに弾を撥ねのけ、まとめて数匹を薙ぎ払ったが、着実に迫るカバの海を目の前にして、ビスコの額には玉の汗が浮いている。
「ジリ貧だ」
ごくり、と唾を飲み、決心したように老爺を見つめ、風の音に負けぬように叫んだ。
「エリンギで跳ぶ。ジャビ。十秒くれ」
「また、あれか」老爺はややうんざりしたように言ったが、ビスコの顔を見て、ぱちりと片目をつむってみせた。「ま、砂漠なら、腰にも優しかろ」
そこで老爺は手綱を取り、「ホイ、撃てい、アクタガワ!」言って大蟹に鞭をくれる。大蟹は反転しながらその大バサミをいきいきと掲げ、迫るカバの群れに大槌のごとく叩きつけた。
巻き上がるスナカバの身体と砂埃の中で、ビスコはエリンギ矢を番え、舞い上がった一匹に撃ち込む。落ちてきたスナカバの身体に耳を当てれば、ぶつ、ぶつ、と菌の発芽する音が快くビスコの耳に伝わってくる。
「ジャビ!」
「ほいさ」
そこでビスコは、大人五人がかりでようやく持ち上がるようなスナカバの身体を引っつかんで、まるでそいつがぬいぐるみでもあるかのように、軽々と振りかぶった。
「げええッ!? バケモンか、あのガキ!」
役人の驚愕の叫びをバックに、さながらスサノオのごとき豪烈さで、ビスコはエリンギ毒を潜ませたスナカバの死骸を、腰を低く屈める大蟹の足元に、思い切り叩きつける。
ぼっぐん!
おびただしい砂塵を巻き上げて、巨大なエリンギがとてつもない勢いで膨れ、30mほどもある城壁と同じほどに高く咲き誇った。ビスコ達二人と一匹はその勢いに乗って、撥ね上げられたテニスボールみたいにして舞い上がり、そのまま壁の向こうへくるくると落ちていく。
ビスコは空中で姿勢をなんとか整え、帽子を押さえるのに必死な老爺の身体を脚で摑むと、そのまま番えたアンカー矢を大蟹へ向けて撃っぱなす。大蟹はそのハサミでアンカー矢を器用にくるくると巻き取り、空中で二人を八本の足で抱え込むように抱きとめると、球のように丸くなり、そのまま壁の向こうへ着地してごろごろと砂漠の上を転がっていった。
「で、でっけえ……」
太田が呆然と呟くのを、やはり呆然と聞いていた髭面の役人は、眼前にそびえる巨大な一本のエリンギを目の前にして、絶句するしかなかった。
やや、壁側に弧を描いて、白い柱のようにそそり立ったエリンギは、傘に積もった砂を滝のように零しながら、なおも伸びあがろうとして緩慢にその白い肌をくねらせている。
砂と錆だけの死の大地に、生命が力強く芽吹く、荘厳な光景であった。
「キノコ守りは、死んだ土にも、キノコ生やしちゃうって。本当だったんですねえ……」
多種多様のキノコを操り、それとともに生きる『キノコ守り』の一族。
胞子をばらまくことによって錆を広げるとの噂から、現代人はキノコを極端に忌避しており、それに伴う迫害によって、キノコ守り達は世間からすっかり姿を隠している。
その謎に満ちたキノコの技を、一般人がこうして目の当たりにすることは、稀であった。
首から下げたカメラでエリンギを撮る太田に、口を開けたまま頷きかけて……慌てて頭を振ると、髭面は太田の頭を引っ叩き、耳元で怒鳴った。
「バーカヤロウッ! 何感心してやがる、キノコの胞子はサビのもとって、常識だろうが! あんなバカでかいキノコほっといたら、ここら一帯、すぐサビまみれになっちまうわッ」
「お───い、ヒゲブタ───ッ!」
壁の向こうから響く声を聞いて二人の役人は顔を見合わせ、慌てて管理エレベータから高台へ登り、声の主を見下ろした。
「エリンギには、週に一回、カバの糞を撒いてやれ! 砂だけじゃ、育ちが遅い!」
真っ赤な髪に、猫目ゴーグルの賞金首が、蟹の上から高台に呼びかけた。隣には、三角帽の老爺が手綱をとりながら、ぷかぷかとパイプを吹かしている。
「き、キノコに、肥料を撒けだとぉ!?」
「いいから聞け、ブタ野郎っ! キノコは、錆を食って育つんだ!」ビスコはムキになって叫び返す。「ちゃんと育てれば、ここらもじきに、砂漠じゃ……」
ばぎゅん! と、ビスコの必死の説得を遮るようにして髭面の銃弾が飛び、ビスコの肩口を掠めた。ビスコは、やや呆気に取られた表情を徐々に修羅のそれへと変えてゆき、赤髪をゆらめかせて両目をぎらりと見開いた。
「人の親切を……。どいつも、こいつも! どうして、聞きやがらねえんだァッ!」
怒りのあまり弓に手をかけるビスコを見て、さて潮時と思ったか、老爺が笑いながら大蟹に鞭を入れる。大蟹は鞭を待ちわびたように元気いっぱいに走り出し、群馬の南壁関所から砂の向こうへみるみる遠くなっていく。
「面ァ、覚えたぞォ、赤星ィーッ! 次はその舌、引ッこ抜いてやッからなァーッ」
風が大きく、叩きつけるように吹いて、砂を巻き上げた。蟹の上のビスコは砂嵐の中で瞬きもせず、ゆっくりとその声に振り返り……
『びッ』と中指を立て、その翡翠色の眼光で、思い切り睨み返した。
そのビスコの顔を、太田の望遠レンズが捉えた。吐き出された写真には、意志の匂い立つような、羅刹の形相。
「……目線だけで、ハエぐらい、落ちそうだな……」
この写真が群馬県庁に採用されて新しい手配書になり、太田が本気でカメラマンを目指す切っ掛けにもなるのだが、それはとりあえず、砂塵を巻き上げて砂漠を駆け抜ける、赤星ビスコのこれからとは、あまり関係がないのだった。