第1話 二番と一番④
俺がずっと黙っているものだから、気を使ってくれたらしい。そして彼女の兄はこの高校の卒業生で、ミス研のOBなのだという。
「今ならその初恋の女の子も口説けるんじゃない?」
「なんで?」
「だって、ミス研にはあるんでしょ? 恋のマニュアル」
「ああ、恋愛ノートのことか」
ミス研にはかつて恋愛をテーマにミステリー小説を書こうとしたOBがいた。
彼はまず、ミステリーの三つの構成要素、ハウ、フー、ホワイに注目した。
どうやって、誰が、なぜ、その犯行をおこなったか。
これを恋愛にあてはめる。
ハウ。どうやって好きにさせるか。
フー。誰を好きか。
ホワイ。なぜ好きか。
彼は恋愛ミステリーを書きたかったわけだが、思春期のなせるわざか、ただ恋愛について研究しただけの奥義書を完成させた。それがミス研に代々伝わる恋愛ノートだ。
「女の子の口説き方も書いてあるんでしょ?」
恋愛ノートの『ハウ』の項目だ。単純接触効果もそこに書かれていた。
「っていうか、うちの兄貴の話だとそれつくった人、IQ180の天才らしいよ」
「にわかには信じられないな」
心理学や行動科学にもとづいた研究もあるが、アホみたいな内容も多い。
「え、なになに? 恋愛のマニュアル本なんてあんの?」
俺たちの話をきいていた別の男子が会話に入ってくる。
「桐島、それ読んでんの? ウケるんだけど」
俺と恋愛の組み合わせが面白いらしい。ひとしきり話が盛り上がる。
「マニュアル本読むとか、さすがにがんばりすぎだろ」
「ていうか研究してるなら、もうちょいイケメンになってもいいんじゃない?」
「いや、本読んでも顔は変わらんだろ」
けっこういじられる。俺も普段から自分でひょろひょろメガネボーイをネタにしてるから、こうなるのはお約束だ。みんなに悪気はない。
でも、俺をかっこわるいキャラとして扱うこの流れを気に入らない女の子が一人いた。
「…………そんなことない」
もちろん、早坂さんだ。どうやら俺のメッセージはまったく伝わってないらしい。
小さくつぶやいたと思った次の瞬間、普段からは考えられないほどの強い口調でいう。
「桐島くんはかっこわるくなんかない!」
スカートのすそをギュッと握りしめている。
しかし、部屋が静まり返ったことに気づき、あわてて取り繕う。
「いや、そうじゃなくて、その、ほら、そこまでいわなくていいっていうか、恋愛について真剣なのって真面目な感じがしていいし、それに桐島くんの外見だって別に普通だし……」
早坂さんはそこで言葉がでてこなくなり、もじもじしたあと、
「私、桐島くんのそういうところ好きだし……」
といった。これは本当によくない。早坂さん、テンパりすぎだ。
当然、部屋中が騒然となる。
「え、今、桐島のこと好きっていった?」
「マジ? 噓だよね?」
早坂さんが誰を好きかというのは男子たちの最大の関心ごとだ。
『早く否定して』
スマホを使うのももどかしく、俺は目で訴える。早坂さんは勢いよく首を縦にふる。
「えっと、ちがうの。桐島くんを好きっていうのは、キャラ的に好きって意味で……」
早坂さんの言葉に、女子が反応する。
「もう、男子どもほんと群がりすぎ! 好きっていったって恋愛感情ないやつに決まってんでしょ。女優が芸人を好きっていう感じのやつだよね?」
女子のひとりがきいて、早坂さんは
「あ、うん。そんな感じ……」
とうなずく。
「だよね。桐島って真面目そうなのにノリよくて、芸人っぽいもんね」
「……そうだね……面白いと思う」
「なんかやってもらう?」
「え?」
「あかねちゃん、桐島にやってほしい芸ある?」
「……なにそれ」
早坂さんが真顔になる。うつむいて、目元が暗くて、小声でつぶやきはじめる。
「みんな桐島くんのことさあ、そういう扱いするけどさあ……ホントは私、みんなのことなんてどうでもいいし、桐島くんのほうが……桐島くんだけが……」
なんだか危ない雰囲気で、大変なことをいいだしそうだった。
みんなもいつもとちがう早坂さんの空気を察し、どうしていいかわからないという顔になる。
この場を収拾できるのはもはや俺しかいない。だから──。
「早坂、くれ!」
俺はテンションをぶちあげていう。
「なにかフリをくれ! 俺は今、猛烈にみんなを笑わせたいんだ!」
「え、ええ~?」
早坂さんが戸惑いの声をあげる。
「き、桐島くん、そんなキャラだっけ?」
「ああ!」
早坂さんはちょっと感情をかけちがえてしまったのだ。俺がいじられてるのをみて、それはただのコミュニケーションなんだけど、早坂さんはイメージを押しつけてくるみんなに不満がたまっていたから、それで俺のためもあって怒ってしまったのだ。
いずれにせよ、俺はこの場を盛り上げてすべてをごまかしてしまおうと思う。
「だから今すぐ最高のフリをくれ!」
「そ、そんなこといわれても──」
早坂さんが目をグルグルまわしはじめる。でも俺のテンションに引っ張られて、表情が明るくなっていて、それでいいと思う。
「なんだっていい! でも、少しだけ手加減してくれたっていいぞ!」
こっちが本音だ。ちょっとスベるくらいならいいが、無茶振りは困る。
「う~ん、う~ん」と、うなる早坂さん。
俺の意図は伝わっているはずだが、早坂さん、想像以上にポンコツだった。
「えっと……じゃあ、ラップ?」
すごいのきたな。
俺からヒップホップの要素感じたこと一度でもあった?
早坂さんは、『え、なにかまずかった? え? え?』、とでもいうように、なにもわかっていない顔でおろおろしている。いや、絶対もっと無難なのあったろ。
でも、こうなったらやるしかない。腹はくくった。
「音楽なくてもいいよな!」
空気の悪さを感じていたのだろう、牧が絶妙にアシストしてくる。
フリースタイルラップか。わかった、それもいいだろう。
俺はみずからマイクを手に取っていう。
「男一匹アカペラ勝負、桐島やります歌います」
ツー、ツー、マイクチェック、マイクチェック、Ah、Ah。
「あの子が好きなのスダマサキ、みたいになれない俺はむだ話、ばかりしてつまらない、男なんて思われるかも胸騒ぎ。そんな恋の苦悶、あの子は無言、笑わせるため手に取ったこのマイクロフォン!」
みんなもそこに乗っかってくる。
「メガネラップ!」
「ノリノリかよ~」
「無駄に上手い!」
部屋全体に楽しい空気が生まれる。
みんな早坂さんが俺のことを好きといったことや、かばったことを気にしなくなる。
早坂さんの一番の恋のためにも、これでいい。
俺はダメ押しに、難しい曲をカラオケで入れ、とりあえず下手な歌を歌う。
歌い終わったあとで、みんながきれいにいじってくれればすべて元どおりだ。
すべて自分でやったこと。
でも、歌っているとき、橘さんが視界に入って少し悲しい気持ちになる。
一番好きな女の子の前で、ずっとおどけているのは、ちょっときつい。
橘さんはいつもどおりの無表情でこちらをみている。感情は読み取れないけど、かっこいいと思うはずがない。そろそろ誰か止めてくれないかな。そう、思った。
せめて笑ってくれないだろうか。
いや、そうじゃない。
俺が橘さんから向けられたいのはそういう感情じゃない。
俺が橘さんを想うように、橘さんにも俺のことを想ってほしい。
駅で後ろ姿を探してしまったり、学校の渡り廊下で思わず目で追ってしまったり、夜寝る前に胸が苦しくなったりしてほしい。今いる場所はそういうところからはあまりに遠い。
でもまあ、どうせ橘さん彼氏いるし、なんなら今、その彼氏がとなりにいるし。それにこんな状況で、今さらかっこいいもわるいもあるもんか。
そう割り切って、盛り上げ役に徹しようとしたそのときだった。
誰かが演奏停止ボタンを押した。
早坂さん、またやったな──。
そう思って、新たなフォローの仕方を考えようとする。
でも、演奏停止ボタンを押したのは早坂さんじゃなかった。もっと意外な人物だった。
会話にくわわることもなく、なにごとにも無関心な顔をしていたはずの──。
橘ひかりだった。



