序 幕

 暖かい季節の雨は、少しだけあまい。ほおを伝うしずくめて、そう思った。

 用事を言いつけられて出かけたら、帰り道の途中で雨に降られてしまった。この地方はどこまでも広がる草原にふさわしく、雨ものっぺりと降る。見えないほど小さいあまつぶが、ふくのない草原をただよい、わたす限りに真っ白いもやおおわれる。足元の道しか見えず、自分のどうしか聞こえない、せいじやくの世界だ。立ち止まれば、永遠にその景色にめられそうな気がする。

 静かで穏やかで、昼寝をするには最適だろうが、どうせめられるのなら、もう少し別の場所がいい。そう思って、足を速めた。

 水を吸って重くなったスカートにどろねるだろうけれど、知ったことではない。走って走って、走り続けた。

 そういう悪い夢を見ているような気にもなってきたころ、ようやくもやの中に木の建物が見えた。

 ずいぶんと古いせいで少し傾いているのだが、その間抜けさが好きだった。初めて訪れた時はおよそ人が住める状況ではなかったそこを、頑張って修理したので愛着もある。ここにめられて永遠に出られなくなるのなら、悪くないと思う。最後はその傾いた屋根に抱かれるように潰されたら、ちょっと素敵だとさえ思う。

 そんな様子を想像して、小さく笑った。

 そして、この静かな雨の日にはよほど足音が響いていたのか、建物のとびらが開いて中から白い服を着た人が出てきた。一緒にこの建物を修理し、最後の釘を互いに手を添えたかなづちで打った人だ。

 その姿を見た瞬間、嬉しくてあごが上がり、はばもさらに広がった。またしずくが口の中に入り、やっぱりあまい。そのあまさに釣られるかのように、そのままのきしたに飛び込んだ。

 目を閉じてそうしたってこわくない。絶対に受け止めてくれると信じている。

 相手の胸に飛び込んで、息をととのえるのももどかしく、ただいま、と言った。

 あらい呼吸と痛いくらいの心臓の音で、返事なんか聞こえない。

 けれど、それでも構わない。きっと言葉は返ってくる。

 そう思うことがしんこうなのだと、つい最近理解した。

 他に誰もいないきりさめの中。

 目を閉じたままもう一度、ただいま、と言ったのだった。

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