一話 ⑧

 勝った喜びは微塵もなく、ただ、彼が死んでしまったという事実が、悲しくてたまらない。


「シラヌイさん! シラヌイさん! シラヌイさん……っ!」


 アウラが泣きじゃくりながらシラヌイの亡骸にすがろうとしたその時、シラヌイの亡骸が突如として燃え上がった。


「な、なに……?」


 刺さっていた氷の刃が瞬時に溶けて消える。炎は彼の全身を包み込み、さらに火勢を増した。

 そして、逆巻く炎の上に、それが現れた。

 炎によってその身を成す鳥――朱雀。

 朱雀の民の名の由来となった火の上位精霊。炎の顕現。

 大きな翼を広げ、甲高い声を響かせて、朱雀は飛翔する。

 火の粉を雨のように降らせながら天へと昇っていく朱雀を、アウラは呆けた表情で見送る。


不死鳥輪廻フェニックス・リバイブ


 不意に聞こえたその声に、アウラは息を呑みつつ正面を見た。

 目が合った。シラヌイの緋色の瞳が、アウラを見ていた。


「え……?」


 シラヌイが動いた。立ち上がりながら地面を蹴って、迫ってくる。

 アウラは驚く以外に反応できず、組み敷かれてしまう。


「シ、シラヌイさん……?」


 両手をつかまれ、両足も巧みに押さえつけられて、身動きを封じられたアウラは、まばたきを忘れて目の前にあるシラヌイの顔をただ見つめる。


「この体勢では貴女はもう抵抗できない。私の勝ちです」


 シラヌイが言った。

 アウラは口をぱくぱくさせながらシラヌイの首を見た。血の跡はあるが、傷は見えない。


「予め、蘇生の術を自分に施していたのです」


 アウラの視線に気づいたシラヌイがそう教えてくれたが、頭に入ってこない。

 アウラには、シラヌイが生き返った、生きているという事実だけが重要だった。

 決闘の勝ち負けさえも、思考から飛んでいた。


「負けを認めていただきたい」

「よかった……」


 アウラの目から再び涙があふれた。今度は、悲しみではなく、喜びの涙が。


「あなたが生きていてくれて、よかった……」


 アウラが泣いている。


「あなたが生きていてくれて、よかった……」


 しかも、どうやら自分が生きていることを喜んでいるらしいという事態に、シラヌイは困惑した。

 アウラが、まったく抵抗しないことにも。


(わ、私の勝ちということでいいのだろうか)


 シラヌイはアウラの先の攻撃で死ななかったわけではなく、たしかに一度死んでいる。その意味ではアウラの勝ちともいえなくないのだが、アウラからそういった反論はない。

 今日の決闘のために、シラヌイは二つの新術を完成させた。一つは紅炎天焦クリムゾン・フレア(クリムゾン・フレア)。もう一つが不死鳥輪廻フェニックス・リバイブだ。

 蘇生魔術は魔術の極点。古今東西の魔術師たちが目指しつつも実現には至らなかった、不可能魔術の領域にある。

 その不可能魔術の実現に、シラヌイは限定的ではあるが成功したのだ。

 火の上位精霊である朱雀は、二つの概念と結びついている。燃焼と再生。シラヌイはこの再生の概念を最大限に抽出した。それは、緋眼を持つシラヌイにしか成し得ない業だった。さらにシラヌイは、蘇生の対象を他人ではなく自身にすることで術の難度を下げた。他人の生命よりは自分の生命のほうが干渉しやすい、という理屈だ。それでもまだ、不可能魔術を実現するには足りない。そこで、シラヌイは、生涯ただ一度しか使えないという重大な制約を加えることで、蘇生魔術という奇跡を実現させたのだった。

 ……という話を、アウラに聞いてほしかった。シラヌイと同等の魔術師である彼女なら、シラヌイが蘇生魔術を如何にして実現させたか興味を持つはずだし、説明すれば理解してくれると思っていた。

 しかし、アウラは、泣くばかりで不死鳥輪廻フェニックス・リバイブの理論どころか、決闘の勝ち負けにさえ興味がないように見える。

 これは、全くの予想外だった。


「あ、あの……」


 シラヌイは恐る恐る問いかけた。


「私が生きていて、何故、貴女が泣くのですか」


 アウラはしゃくり上げつつ答える。


「あ、あなたが、わたしの人生の、全部だからです……っ」

「わ、私が……?」

「あなたがいない世界なんて、考えられません……っ!」

「……!」


 アウラの言葉と泣き顔に、シラヌイの胸は締めつけられた。

 苦しい。胸が苦しい。熱い。熱い何かが、胸の奥から込み上げてくる。

 これは、この感情はなんだ?

 目の前の女性に対して感じる、この狂おしいほどの、熱い気持ちは。


「ア、アウラ殿……っ!」


 待て! と理性が叫ぶ。


(私は何を口走ろうとしているんだ……!)


 だが、理性が叫んだその声は、遠く遠くかき消えていく。

 そして、シラヌイは、涙に濡れたアウラの冰眼を真っ直ぐに見つめて、言い放っていた。


「私の妻になっていただきたい……っ!」


 今、この場で求婚しようとは考えていなかった。

 決闘に勝利した後、朱雀の民と白虎の民、双方の重鎮を集め、世界塔の巫女から賜った予言を伝え、理解を得て……という、手順を踏むはずだった。

 なのに、シラヌイは自分を抑えられなかった。

 二十二年の人生に於いて初めて、感情が理性を凌駕した。


「私と、結婚してください……っ!」


 アウラが動いた。両手を拘束していたシラヌイの手が、振り解かれてしまった。それも、軽く。


(しまった……!)


 シラヌイは狼狽する。油断した。

 アウラの白い手が、シラヌイの顔に迫る。


(やられる……!)


 シラヌイは身を強張らせる。

 アウラの手がシラヌイの頬を通り越して後頭部へ回る。

 シラヌイは、そして、抱き寄せられた。


(……⁉)


 アウラは豊かな胸にシラヌイの頭を抱きしめて、言った。


「します、結婚……! してください……! わたしを、あなたの妻に……っ!」


 アウラの返答に、シラヌイは混乱する。

 自分で求婚しておきながら、その求婚が受け入れられた――それも嬉々として――という事実に、頭がついていかない。

 アウラの胸に顔を埋めた格好のまま、シラヌイはただただ目を回した。


 月が沈み、夜が明けた。

 朝陽が決闘の荒野を白く染めていく。


「わたし、生みます! シラヌイさんの子供なら、一人でも十人でも……!」

「は、はあ」


 何故か求婚に応じてくれたアウラに、シラヌイは世界塔の巫女の予言を伝えた。

 十年後に起きるという大災厄。シラヌイとアウラの間に生まれた子供が、大災厄に対抗しうる七曜の賢者の要になることを。

 シラヌイの言葉を、アウラは疑わなかった。少なくとも表面上は疑っていないように見える。


「あ、あの、けっこう突拍子もない話をしていると思うのですが、信じていただけているのでしょうか……?」

「信じます! わたし、シラヌイさんの言葉なら、信じられます!」

「何故、そこまで私を信じていただけるのか。貴女にとって、私は長年戦ってきた怨敵のはず」

「長年戦ってきたから、ですよ」


 シラヌイの問いかけに、アウラはやわらかく微笑んだ。


「戦う度に、わたしはシラヌイさんの魔力を強く感じてきました。あなたの純粋で、まっすぐな人柄を、魔力は言葉以上に雄弁に伝えてくれましたから」

「……それは、たしかに」


 熟練の剣士同士は、剣を交えることで相互理解に至るという。同様に、熟練の魔術師は互いの魔力をぶつけ合うことで、互いを知る。知る、というよりは、漠然と感じる、といった具合ではあるが。

 シラヌイが感じたアウラの魔力は、純粋で穏やかだが、同時に嵐のように激しくもあった。


「信じていただけることに、感謝します」