八隅楓の初恋
この特典SSには、本編で明かされていない情報が含まれています。
〝冷めている〟と、よく言われる。
私の表情筋は、鉄でできた仮面のようにかちかちで、なにがあっても動かないから。
たとえいますぐここで大地震が起こっても、たとえ隕石が目の前に落ちたって。
私の表情は変わらないと思う。
別に、驚いていないわけではないのだけど。
そうは見えないらしい。
ロボットみたいだ。
八隅楓という名前で、女性で、十五歳で、埼玉県の高校に入学したばかりで。
年の離れた姉と、双子の兄がいて。
そんな設定が付与された、ひとがたロボット。
恋なんて、とうてい望むべくもない。
……どうしてこうなったのだろう?
幼い頃。表情豊かに笑う双子の兄と〝似ているね〟と言われるたび――
『いいえ、ちっとも似てません』
すん、と、すまし顔で強がってばかりいたのが、悪かったのだろうか?
私はそんな自分のことがあまり好きではなく、昨夜ひそかに誓いを立てた。
〝もっと素直になりたい〟
〝感情を表に出せるようになりたい〟
――だからって。
「……これはないでしょう」
早朝、目覚めた私は、自身の身に起きた異常事態に、頭を抱えてしまう。
私の口から説明するつもりはない。
ただただ……異常事態と、だけ。
私とそっくり同じ顔をした誰かさんなら大絶叫して狼狽えただろうそれも、私の表情を動かすまでにはいたらない。
「…………」
ひとまず身支度を整えて、制服を着て、学校に――は、行けそうにないけれど。
椅子に座って足を組み、考える。
どうしたものか、と。
その程度の感覚だった。
人生有数の異常事態ではあるけれど、大地震や隕石と比べて大事かというと……命の危険がなさそうなぶん、些事かもしれない。
だから本当に、誓って真実を言うが。
この時点での私は、まったく狼狽えていなかったのだ。
八隅楓という名のひとがたロボットが、まるで人間のように動揺したのは――
「おはよう、楓!」
この瞬間。
私の部屋の扉を開けて、息を吞むような美少女が現れた、この瞬間だ。
――は?
世界中の時間が止まっていた。
一瞬が永遠に引き延ばされる感覚があった。
――か。
――かわ。
――かわっ……。
頬が火照り、体温が上昇していく。
冷え冷えとした真冬に、熱いシャワーを浴びたような高揚。
氷の心臓が解凍されて、勢いよく全身に血が流れていく快感。
――可愛いぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ♡
それらを数万倍に増幅したような何かが、私の思考力を奪い去っていた。
皮肉にも、忌まわしい仮面が、辛うじて私の尊厳を守っていた。
あまりにも……あまりにも好みだったから!
顔も声も体格も表情も香りも、おそらくは性格も――何もかもが至高の極み!
人生初の体験に舞い上がる私の前で、麗しの姫は可憐な笑顔で、
「見てっ、お兄ちゃん超美少女になっちゃった♡」
はあああああああああああああああああああああああああああああああああああ?
お――お兄ちゃんだと!?
こっ、この……理想のお姫様が?
外見以外私とまっったく似ていない、二度と名前で呼びたくもない愚か者と――
――どっ、どどど、同一人物?
聞き捨てならない新情報に、私は無表情のまま脳を沸騰させる。
「そうですか」
平然と、無感情な声を出す。
すると彼女は、嬉しそうに頬を緩めて近寄ってくる。
……よくよく見れば、男ものの……ぶかぶかのパジャマを着ていて……。
素肌や、肩や、鎖骨が、あちこち露出していて……。
「いま取り込み中なので――」
一切なにも言いたくないけれど、私は人生最大の窮地に陥っていた。
双子の兄だと名乗られてなお、私の胸はばくばくと脈打ち、血が全身に巡って。
異常事態が急速に悪化しつつあった。
椅子に座ったまま、うかつに立てない状況にあった。
「私の部屋から、出ていってください」
恥ずかしすぎて誰にも言えない私の戦いが、始まろうとしていた。