【外伝・書き下ろし】こちら、終末停滞委員会。です! ――例えばこんな、普通の日々の物語。
第4話『メルビン・グレーのありえないほど長い無人島生活』

これは、東京防衛戦の後。
様々な事後処理の内容を決めるために、アメリア・マクビール会長らが蒼の学園を訪れていた。これは、その裏で起きた物語だ。
授業が終わって帰路に着く途中、俺――言万心葉は忘れ物に気がついて校舎に戻っていた。蒼の学園は下校時間が過ぎても沢山の人々が残業で働いており、人の気配は絶えない。研究棟なんかは夜を通して煌々と明かりが灯っているほどだ。
「あれ? あなたは、確か……――」
学園の廊下を歩いていると、見慣れない制服が視界に写った。キョロキョロと辺りを見渡して、なんだか困っているようだった。その顔は、見覚えのある人の物だ。
「確か……メルビン・グレーさん。でしたっけ」
「げっ」
文学少女然とした少女はその眼鏡の奥で、露骨に顔をしかめた。
《こいつは確か、フィドラと戦った変身男》
《うわぁ、気まずいやつに話しかけられちゃったぞ》
清楚な外見とは裏腹に、グレーさんは普通に失礼なことを考えていた。まあでもそんなの慣れっこなので、別に今更気にすることではない。
「あなたは……言万心葉でしたっけ。あの変身男。正直、こちらは負けた後ですし、うちの隊長の件もありますし、気まずいですね」
すげえなこの人。全部言うんだ。そんな失礼なことを。包み隠さず? こっちには俺はちゃんと面食らった。俺は若干ビビりつつ、会話を進めることにした。
「どうしました? 何かお探しですか」
「ああ。アメリア会長の護衛……というか付き添いで来たのですがね。うちの研究開発部門の人間が、テルミベック? とかいう人の研究室に行ったきり帰ってこないので、探しているところなんです」
テル先輩を探してるんだ。幸いあの人は、俺の数少ない友人の一人である。 案内してあげるべきだろう。
「ああ、研究棟分かりづらいですよね。こっちです。案内しますよ」
「えっ」
グレーさんは一瞬、戸惑ってから。
《気安いやつ。もしかして何か、下心でもあるのかな。私、かわいいしな》
そんなことを思っていた。
「ご案内感謝します。よろしくお願いします」
とは言え困っているのは確かなようで、大人しく付いてきてくれはするようだ。
「では、行きましょっか。そうだ、フィドラは元気にしてますか?」
「ええ、まあ」
グレーは笑った。
《よかった。こいつ、多分ゲイだ》
なんか決めつけられてたけれど、気にしないことにした。
「テルせんぱーい。失礼しまーす」
テル先輩の
「あれ。居ないのかな」
「シェルディー! どこですかー?」
グレーさんはシェルディーという人を探しているようだ。ここに来るまでの道中、会話はびっくりするほど盛り上がらなかったので、そんな事さえ今知った。
「……? テル先輩の銃痕が無い」
「きゃあ!」
俺が辺りを見渡していると、背後から悲鳴。そこではグレーさんが落ちていた何か――あれはフラスコ? に触れて、びっくりしているところだった。
「どうしました!?」
「なんか! これ! 離れないんですけど! キモ!!」
「えええ!」
しかしこの人は何で他人のしかも他学園の研究室で不用意になにかに触ってるんだろうと思わないでもなかったけど、一旦は助けるしかなかった。
「動かないでください!」
俺は彼女の掌にぴったりと張り付いたフラスコを、引き剥がそうと掴んだ。
その瞬間――キン、キン、キン、と。何か、良くない音が鳴り響く。
■
ざあ――ざあ――ざあ――ざあ――。
「…………へっ?」
潮騒で目を覚ました。それだけじゃない。潮風の香り。砂浜の感触。ジリジリとした日光。
「あ、起きちゃいましたか……」
俺の隣で、メルビン・グレーが体操座りをしていた。彼女は絶望したような視線を、海の彼方に向けている。
「起き……って、え……? 何で……ここ、どこっすか!?」
「えっと、砂浜ですね。どこかの島の」
「島!? 何で!?」
「わかりません。あのフラスコは何らかのポータルだったのかも。私達、どこかの島に飛ばされてしまったみたいです」
既に『島』と確信がある。どうやら彼女の能力『
「ここは半径約50km程度の小さな島。植生から、熱帯に位置する物だとわかります」
「……まじすか」
太陽の光が、ジリジリと肌を焦がす。
「俺達――無人島に漂着しちゃった。ってコト?」
グレーが深い溜め息を吐く。それは言葉よりもずっと雄弁に、俺の質問を肯定していた。俺は余りの展開に頭がくらりとした。けれど、そんなコトしている場合ではない。
「そ、そうだ。グレーさんの能力って、ポータルを作る物ですよね? それを使って、島の脱出とかは出来ないんですか?」
「出来ません。既に試したのですが」
グレーは感情の無い瞳を空の先に向けた。
「大体、1キロ先の海に行った辺りから……作れなくなったんですよね、ポータル」
「えっ」
「片羽の使用を禁じる何かの能力があるのかもしれません。終末の仕業でしょう」
「……マジすか」
だから――と、グレーさんは俺を見つめる。
「言万心葉さん。あなたの銃痕『noapusa』なら何とか出来るんじゃないですか」
「えっ」
「星のくじらを倒した時、恋兎ひかりになってましたよね。あれと同じ要領で――」
「……すいません。俺の銃痕、壊れちゃって」
「…………へっ」
グレーさんが、目をまんまるにした。
「壊れる? ……銃痕が? なんで?」
「それが……俺、その辺りの記憶も失っていまして」
「……つまらない冗談?」
「……つまらない現実で」
グレーは、頭を抱えた。
《はぁ~っ!! 使えない~~!! noapusaないなら役立たずじゃんこの人!》
失礼なことまで考えていた。
「はぁああああ……使えなっ」
しかも口にまで出していた。マジでなんて正直な人なんだ。
「と、とりあえず行動しましょう。このままじゃまずいです」
「行動って……何を?」
「水の確保・食料の確保・住居環境の確保はマストです」
「……おお。もしかして言万さんって、詳しい? サバイバルに」
「いえ。……漫画で読んだだけですが」
「……………………」
こうして、俺達のサバイバルが始まったのだった。
■
無人島の鬱蒼とした森は熱帯の島らしく、見たこともないような植物で満ちていた。時折靴のそばを、物々しいトゲで武装した虫が横切る。
「水分の確保しなきゃですね。人間、水が無いと2~3日で死んでしまいます」
海側から森の中に向かいながら、俺が呟く。
《漫画の聞きかじりの知識の割に、ドヤ顔で話してるな》
グレーさんは失礼なことを考えていた。
「漫画の聞きかじりの知識の割に、ドヤ顔で話しますね」
しかもちゃんと口走りもした。俺はこんなに正直な人を見たことがなかった。
「無人島で水を入手するためには、海水を蒸留する装置を作る・植物や動物から確保する・湧き水などの水源を確保するの3つが思いつきますが……」
俺の言葉に、グレーは首を傾げた。
「海水を蒸留? そんな事が出来るなら、それやれば早そうだけど」
「いや、あることは知ってるけど……作り方とかはよくわかんなくないですか。道具もほとんど無いわけですし。ぶっちゃけ時間の無駄になりそう」
「まあ、それはそうか」
動植物からの水分の確保は、その場しのぎ的だ。出来るなら、水源を確保したい。
「とは言え、どうやって水辺を見つけるつもり?」
「……グレーさんの能力で、空から川を探すとか?」
「もうやった。森が鬱蒼としすぎて何もわからんかった」
「ぐぅ」
しかし、暑い。体感は30度以上だろう。歩くたびにだらだらと汗が流れる。
「はあ……終末停滞委員会に所属するからには、死ぐらいは覚悟してましたけど」
「……はい」
「最期をこんな見ず知らずの変人と過ごす事になるとは」
「……部隊に口が悪いやつがいると、全体の指揮が下がるって知ってます?」
「それも漫画か何かで読んだわけ?」
いや、こんな口喧嘩で体力を浪費しているわけにはいかない。
「絶対に……生きて帰らなければ……!!」
俺には帰る場所がある。また会いたい人たちがいる。こんなところで死んではいけない。だいたいこんな死に方をしたら、地獄でLunaさんに何されるかわからない。
「…………」
「なんすか?」
「ううん、何にも。それより、水源を探す方法は思いついた? このままじゃ私ら、先に体力が底をついて干からびENDですけど」
そんなエンドは嫌だ。
「うーん、この島、動物の気配はかなりあるんですよ。植物もかなりあるし、水自体はどこかにあるとは思うんすけど」
「動物の気配? そんなの分かる――ってなんかそういや言ってたな、フィドラが。『言万さんの能力は、多分心を読むことだ』って」
「……流石にフィドラにはバレてますよね」
しっかり手を合わせたしな、俺達。賢い人だ。看破しないほうがおかしいだろう。
「待てよ。ってことはあなた、私の心もずっと読んでたってこと? え、キモ」
「……安心してください。アンタほど、心の読みがいも無い人、いませんから」
なんせ、言ってることと思ってることが全くおんなじなんだ。ここまで正直な人間を見たことがない。ラファですら、もっと歯に絹は着せていた。
「だから食料は何とかなると思うんですよね」
「……もしかして君、動物の心も読めるってこと?」
「まあ、少しぐらい。何がしたいとか、何が嫌とか、その程度ですけど」
動物の心は、人間の心をすっごく抽象化したような感じだ。人間ほど複雑に何かを隠したり、思い詰めたりはしない。けれど、確かに心の指向性はある。
「ここ無人島なんで、人間の心のノイズが全然無いんですよね。集中したら、周囲500mぐらいの生き物の心の声は聞こえるっす」
「へえ……すごー。……え、でも、待ってよ?」
「なんすか?」
グレーさんが、俺をじっと見つめる。
「だったらさ。動物の――『喉乾いた』って気持ちも、分かるんじゃ……?」
「あっ」
「後はその動物を、追跡すれば――」
――確かにその方法なら、水源を探し出す事ができる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
俺は目を閉じて――深く集中した。体の中に空いた穴の底に深く潜るイメージだった。心の世界。そこに集中して、周囲を探る。
「……この……近くには、居ませんね」
「そっか……」
「でも、すごく良い手だと思います。この方法で行きましょう」
「おっけ!」
俺は目を閉じたまま、歩き出す。
「あぶねっ」
――と思ったら、木の根に足をひっかけて、こけかけた。
「あ、危ないなあ。ほら、手、貸してください。私が目の代わりになってあげますから。あなたは、そのまま集中してて」
「……りょ、了解です」
目を閉じた俺の手を、彼女の小さな手が握る。
お互いの汗が混じって、少し、ベタついていた。
■
「……………………」
「……………………」
――陽が落ちかけていた。深い森の中に、長い影が落ちる。俺達は、必死に息を殺した。
「……?」
グレーさんが俺を見て、軽く頷く。俺はそれに軽いジェスチャーで応えた。
必死に、音を出さないようにしながら、葉の影から、顔を出して――
「……………………ぁ」
――それは、あった。
「あ……あ……ああ……っ!!」
それは――岩から染み出す湧き水だった。
湧き水をぺろぺろと舐めるのは、一匹の大きな猿だった。
「水だぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!」
グレーさんが叫ぶのと同時に、猿は驚いて去っていく。俺達は大急ぎで湧き水に近寄る。
「
グレーさんの赤いポータルが、湧き水の真下に設置された。青いポータルは、俺達の真上。
「い、生き返るぅうううう!!!」
「うわあ……ガチで死ぬかと思ったぁぁああああ」
俺達はポータルから落ちる湧き水のシャワーを浴びながら、口を開けて数時間ぶりに喉を潤した。ふたりとも脱水症状寸前で、控えめに言って死にかけていたのだ。
「み、水うめええええええ!!」
グレーさんは半泣きになりながら、一生懸命水を飲んでいた。
本来はろ過して沸騰させてから飲むべきだったが、今は余裕がなさすぎる。
「3時間追跡したうさぎに逃げられたときは、ほんとに死ぬかと思いましたね!」
「動物って、ホント滅多に水飲まないって事がわかりましたよね!!」
自然の恵みに感謝しまくりながら、冷たい水を浴び続けた。
「はあー……きもちい……」
というか。
(グレーさん、ずっと汗だくだったから、今更なんだけど――)
沢山の水を浴びて、シャツが完全に肌に張り付いている。ジャングルに似つかわしくない、可愛らしい桃色のレースの下着が透けている。俺は必死に、視線を反らした。
「次は食料と……火ですかね。急がないと、もう日がくれちゃいます」
「……ですね。食料は、何とかなりそうですが」
「えっ」
グレーさんが、軽く指を回した。
「
彼女の赤いポータルが、高い木の上に登る大きなヘビの眼前に現れた。ヘビがポータルをくぐった瞬間に、ポータルを閉じる。首を両断されたヘビは、ぽとりと地面に落ちた。
「お、おお~~……すごっ」
「……ヘビを食べるのはかなり嫌ですが、背に腹は替えられません」
「火の方は、俺が何とかなりますよ」
ジャケットの中から、ライターを取り出した。うちのメイドさんがタバコを吸うときによくライターを探しているので、俺も常に持つことにしていたのだった。
「ナイス。さっき見つけた岩壁の洞穴をシェルターにしましょう」
「いいですね。木を集めながら、戻りますか。……でも」
俺達は、未だにビクビクと動き続ける、死んだばかりの大蛇を見つめた。
「こ、これどっちが持ちます? 普通にキモすぎて無理なんですけど」
「……お、俺が持ち……ひぃっ、めっちゃ動く!」
「ぎゃあ! 急に振り回さないでくださいよ!」
なんてバタバタしつつも、俺達は無人島を歩き続ける。
■
ぱちぱち、ぱちぱちと、焚き火が木を焼く音が響く。
「…………ふぅ」
大蛇の串焼きは、実のところかなり美味かった。小骨が多くて食べにくかったし、グレーさんは結構心的抵抗があったようだったが、味は良かった、と思う。少なくとも、昔に食べたネズミの干物よりはずっと。
「……これから……どうなるんですかねえ……」
俺達は、岩壁にある深さ2m程の小さな洞穴に、簡易のシェルターを作っていた。グレーさん の能力で手に入れた沢山の大きな葉っぱで簡単な屋根になっている。
「大丈夫です。きっと俺の仲間が助けに来てくれます」
「…………仲間、ね」
「グレーさんだってそうでしょ。心配してくれる人、沢山いるんじゃないですか」
「まあ……mALEEaとか、アレクとかは。でもあの子達、鈍感だし、馬鹿だし、来てくれる気全然しないな。フィドラなんてサイコだから、気にもかけないだろうし」
「え。フィドラってそんなすか。いい奴だと思いますけど」
「ふん、まあ、外見だけはね。見てくださいよこれ」
グレーさんは、左腕のシャツをめくった。
「東京防衛戦で、私、あいつに腕切られてるんですから。もう義手ですよ。これ手術した時、あいつ、お見舞いにすら来なかったですからね。お見舞いカードだけ! 信じられます?」
「……確かに、ちょっとは問題あるかも」
心を見た感じ、悪意が無い人だと思ったけどな。けれどそれって同時に、強い善意が無いとも言えるのかもしれない。
「グレーさんは……」
「……グレーで良いですよ。面倒くさいし。敬語とかも、良いから」
「……そう……っすか? ……えと、じゃあ、そっちも」
「私が敬語なのは癖だから気にしないで。……代わりに、心葉って呼ぶから」
「…………おっけ」
Corporationsの人たち、すぐ名前で呼んでくれるんだよな。mALEEaもそうだったけど。蒼の学園は名字で呼び合う事が多いので、ちょっと文化圏が違うんだなって思う。
「グレーは、仲間のこと好きなんだろ?」
「ぇ……なんですか急に。気持ち悪い」
「恋兎先輩から聞いたからさ。ケイトリンさんのこと」
「……」
「恋兎先輩、言ってたよ。ケイトリンさんのすごいとこ。それは何より、いい仲間を持ったことだって」
グレーは一瞬目を丸くしてから、ふんと息を吐いて、焚き火の中の木を弄りだす。
「……でも、今はそうじゃない」
「えっ」
「ケイト隊長。私達を置いて、行っちゃった」
「…………」
「きっと、あんま大切だと思ってなかったんですよ。そう思ってたの、こっちだけ」
ケイトリンという人はCorporationsに捕まった後脱獄して、その後は行方知れずだと聞く。グレーは……きっと、一緒に連れて行ってほしかったんだろうな。
「はは、拗ねてんだ」
「拗ね……は? うざ。そういうのじゃないから」
「いや、多分そうだよ。俺、人の気持ちには詳しいんだ……」
「……」
「それに……分かるよ。俺も。大切な人に置いていかれて、さびしい気持ち」
『誰に』置いていかれたのかは、わからない。もう覚えていないんだ。どうも、記録とか言うやつが消されてしまったらしいから。だけどひどく寂しい気持ちは分かる。
「さびしい? ……そうですね。さびしい、か。そうなのかな」
「……」
「私、自分の気持ちとか、他人の気持ちとか、あんま考えないから。そんなにわかんないんですけど。……寂しい、か。これが。…………そうなのかもな」
この人は文学少女然として清楚で繊細な人に見えるけれど――その実、笑ってしまうぐらいに実直な人だ。考えたことを素直に口にする。
「大丈夫さ」
「……何が?」
「少なくとも今は俺がいるから、寂しくないだろ?」
「……えぇ……なんこいつ、うざ……」
「全然頼りにしな? 結構頼りにはなる男って噂だぜ」
「くす。嘘ばっかし」
なんて冗談で笑ってくれて、ちょっとだけ、安心した。
「心葉って、キモいね」
「キモいは酷い」
「…………ごめん」
「えっ」
「……私、口悪いから。その。悪意とかは無いんだけど。初対面の人とかからは、怖がられてて。……てかすぐ嫌われちゃって」
今更かよ、と思って、俺はなんだか、笑ってしまった。
「な、なんですか」
「……俺って人の心が見えるのね。でさ、人って基本的に、心と言葉で同じこと言わないんだ。それは自分のため、相手のため、色んな理由で……。優しさだったり、見栄だったり、習慣だったり……色々さ。でもそれが当たり前なんだ」
「うん」
「だけど、グレーは最初っから。心と言葉が全く同じで……」
俺からしたらそういう人は、本当に嬉しいんだ。嘘がないってことで、素直だってことだ。俺にとって、これ以上に付き合いやすい人はそうそう居ない。
「俺は最初から、グレーのこと、好きなタイプだなーって思ってるよ」
「………………は?」
「い、いや。好きって、そういう意味でなくてね。いい意味で、付き合いやすいって」
「…………ふーん」
グレーは、少しだけ視線をそらした。
「……心葉って、やっぱ、キモ」
なんて呟いて、彼女は自分の膝を抱える。
――空は、満点の星だった。すべてを飲み込むほどに、黒く、広い夜だった。俺達は知らない虫や動物の声を聞きながら、ただ、火の温もりを浴び続けた。
「そろそろ、寝ますか。明日も朝から忙しくなるし」
「ですね。……でも、心葉」
「ン?」
「襲ってきたら、両断するから。首」
「……………………」
脅しについては、もっとオブラートに包んでくれない? とは思った。
■
無人島に漂流して、半年が経った。
(言万心葉って奴は、なんか、思ってた感じと違った)
フィドラと似てるのかなって思ってたんだ。でも、どちらかと言うと正反対。人の気持ちは分かるくせに、どうしたら良いかはわからない。不器用で、真っすぐで……いやあるいは、真っすぐになるしかなくて……。私は彼が、嫌いではなかった。
「これで……完成、だーー!!」
「うわぁ……これ結構、すごくないです?」
私達の前には、不格好なログハウスが出来ていた。動物に襲われないよう、高い木の上に作られたそれは、不格好とは言え、しっかりとしていた。
服装も昔とは随分違う。ボロボロになってしまったシャツは破れて、今は植物で作った簡単なものを着ていた。
(この格好だと、心葉がチラチラ見てきたりして――)
少し、こそばゆい。
「今日は魚が大量だったんだ。これで干物を作ろう」
「おっけ。塩も沢山用意しないとですね」
なんて。私達は、結構順応していた。このサバイバル生活に。
(運が良いのか、お互い、病気にかかったコトさえ無い)
色んな事が懐かしくなる。虫の多さには辟易するし、安定した暮らしには程遠い。
(だけど)
心葉が居てくれて良かったな、と、思う。
■
無人島に漂流して、1年が経った。
真っ暗な夜。……とは言え満月だから、いつもよりずっと明るい。俺は隣の衝立の奥にいるグレーを起こさないようにしながら、ツリーハウスのはしごに足をかけた。
「……また行くの」
彼女の声が響いて、俺は飛び跳ねかけた。
「ぐ、グレー。……起きてたのか」
「……まあね。それで。何しに行くの。こんな夜も遅くに」
俺は、必死で言い訳を探した。
「……こんなに月が綺麗だから、ちょっと散歩でもしようかなって」
「嘘。こんな月、見飽きたくせに」
グレーはメガネを手に取ると、俺を見つめた。
「心葉。正直に言いなさい。3日に1回ぐらい。夜、一人で外に行ってますよね」
「……ぅっ」
「一体、何してるの」
「そ、それは」
言えるわけがない。グレーが相手だ。軽蔑されるか、最悪縁さえ切られてしまいそうだ。
「隠し事するんだ」
「……ぃやっ」
「私達、二人で今までやってきたのに。そんな関係だったんですね。はあ、ホント、最悪。見損ないました。……結局私のこと、ちゃんと信頼してなかったんですね」
「違う違う違う! そうじゃなくて!!」
「じゃあ何。ちゃんと言って。隠し事とか、私嫌いなの、知ってるでしょ」
そりゃあそうだ。彼女は実直な人だから。けれどこれは……。
なんて色々悩んだけど、仕方がない。背に腹は替えられなかった。
「その、男にはですね。生理現象ってヤツがありまして」
「…………………………ぇっ」
「性欲というかね。それを解消するために……夜、外行って……その」
「え、何してたの。鹿か何かとヤった?」
「じゃなくて!! 一人で処理してたんです!!」
「……ぁ、そう……。つまり……あれ? その……マスター……ふみゃふみゃ」
いつもまっすぐにものを言うグレーだったけど、流石にそれは恥ずかしかったようだ。顔を赤くしながら、語気をぼやかしていた。俺は羞恥心で死にそうになったが、仕方がない。
「ということで、わかってくれたなら……ほな」
俺はハシゴに足をかける。
「……えっ、何でっ。……外、行くの」
「え? あのですね……これは生理現象だから、我慢するにも限界あって……」
「やそれはわかったけど。…………ここで」
「えっ」
「ここですれば……よくないですか」
時が止まった。
「い、い、いや。何言ってんだ、お前!」
「……だってっ!! そのっ!! 外、危ないです、よっ!?」
「でもアンタ……そんなキモいの、見たくないでしょ」
「……っ」
グレーの瞳が、確かに揺らいだ。いつも真っ直ぐに前を見据える彼女の目が。
「……そりゃ……見たく、ないですよ。当たり前でしょ」
「だよねえ!?」
「……でも」
彼女が、俺の指を握った。
「心葉は……それさ……何思い出しながら、シてるの?」
「…………えっ」
「だって……必要でしょ? こんな……ネットも、えっちな本もないんだから」
「……」
「何か……想像しながら……シてるんでしょ」
俺は、背筋に冷たいものが伝うのを感じた。嫌われる、と思った。
けれどグレーの熱のこもった息を感じた時に、そうじゃないのだと知った。
「……バカですよね、ホント」
「えっ」
「無人島生活で。私が心葉のこと……別に嫌いじゃないの、知ってるくせに」
「…………」
「一人で、こんなに、我慢して……。私を怖がらせないように」
グレーは、握っていた指を離して、代わりに、絡めた。五本の指と指を。
「……だから、もう良いよ。気を使わなくて」
「グ、レー……?」
「ここで、していいです。……見てて、あげるから」
「……本当に……良いの?」
「……………………」
彼女は、顔を真赤にしていた。今日は満月だから、その紅さが脳裏に焼き付いてしまった。
「……うん。……別に。……したら?」
彼女が、するりと服を脱ぐ。
「…………心葉の、想像、してたコト」
そんな夜があった。
■
無人島に漂流して、一体、どれだけの時間が経っただろうか。
「…………」
「…………」
この熱帯の島は通年で気候が変わらないから、暦にあまり意味がなかった。それ
に、俺達にもあまり関係はなかった。
「くすっ」
指をきゅっと絡めた彼女が、頭を俺の肩に預けて、水平線を見つめていた。
「どうしたの」
「……なんかさ……。なんか……。私達の島に、なっちゃったなァ……って」
それは、その通りだ。彼女の便利な能力で森は随分と切り開かれて、捕まえた動物たちも飼い慣らした。俺の終末は畜産に超便利だという事も判明した。
服を仕立てる技術もかなり上手になって、最近では動物のなめした皮を使って、結構文明的な服を着ていたりする。毎日は確かに大変だけど、この資源の多い島で二人で暮らすのは十分すぎるぐらいに十分だったのだ。
「……だね」
「心葉はさあ。……まだ、帰りたい? お家に」
「そりゃね。今も、クーラーでキンキンに冷やした部屋でアイス食べたくて仕方がないし」
「あはは、わかります」
随分と長い間、この島で暮らした。2人きりで。なんだか今となっては、かつて文明的な暮らしをしていたときのほうが夢のようだった。この2人だけの世界だけが、現実だった。
「じゃあ、心葉は……来なきゃよかったと思ってる?」
グレーが、いたずらっぽく笑った。
「……そんなまさか。って言ってほしいんだろ」
「ン? どうでしょう」
この島に来なければ――俺は、彼女と出会わなかったんだから。そんなまさか、なんて言えやしない。そりゃあ今でも、故郷は懐かしい。みんなに会いたい。だけど、俺は。
「ね……心葉……ちゅーしてもいいですよ」
「ちゅーしてくださいって言え」
「やだ。だって私のほうが偉いから」
清楚な文学少女じみてるけど、根はただのガキ大将のような、実直でかわいい少女。俺は彼女の事を抱きしめると、唇を合わせた。
「ふふ……もっとしろ」
「してください、だろ?」
「しろ♪」
俺達は、何度も何度も唇を合わせた。全く、付き合いだしてから既に数年経っているはずなのに、全く飽きる気配がない。彼女にキスをするたびに、幸せすぎて笑ってしまう。
「……あっ、待って」
グレーが、不意に驚いて体を離す。
「なに? どうかした?」
「今……」
彼女が笑った。今まで俺が見たどんな少女よりも、幸せそうに。
「今……蹴った……」
大きなお腹を優しく撫でながら。心の底から愛おしげに。
「…………………………」
「ふふ。楽しみだね。パパ……♪」
「………………ああ」
なんだか、幸せで、体が包まれているようだった。俺達は指を絡め合いながら、広い海を見つめる。2人だけだったこの世界に、もう1人増える。それは奇跡のような話だ。
「出産自体は、
「……その能力、ガチで便利すぎ。サバイバルするために生まれた能力か……?」
俺が尋ねると、彼女は俺の肩に頭をすりすりしてから、喉を鳴らした。
「知りません。でも、少なくとも、私は――」
彼女が、俺の目を見つめた。
「私は――このために生まれてきたんだと思います」
潮騒だけが俺達のことを見守っていた。辺りには誰も居なかった。俺達以外の、一切が。
そんな、青空の日があった。
☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【No,823『人造模造人間観察キット』】――Stage 2:『
○性質――反現実機械工学
○詳細――『境界領域商会』の開発した商品。形状はフラスコ。触れた2人の遺伝情報・魂魄情報を解析して、表面上性質は酷似した極小の人造人間<ホムンクルス>を制作・観察することが出来る。『無人島モード』『密室モード』『最後の人類モード』など、細かく背景を設定をすることが出来る。使用者たちの相性占いにも使えると話題になり、境界領域商会の中でもかなりのセールスを達成した商品となった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
☆
「もう。焦りましたよテル先輩。それであのフラスコ、一体、何だったんですか?」
俺が尋ねると、テル先輩は豪快に笑いながら。
「普通に機密だ! 終末で遊ん――実験をしていた事が知れたら大目玉食らう」
「……先輩、もっと真面目に生きてくださいね」
とは言え、体に大事があるものではなかった。普通に部屋の奥に引っ込んでいただけのテル先輩は、フラスコが急に手にくっついた俺とグレーさんの悲鳴を聞いて、すぐに現れて問題を解決してくれたのだった。
「……ふう、シェルディーとは行き違いだったんですね」
「あ、……あああ。……先に……ホテルに帰ったはずだぞ……」
グレーさんがため息を吐いて、女性が苦手なテル先輩は、何とか応えた。
「それでは私も帰ります。言万さん。お世話になりました」
「いえいえ。それでは」
彼女は軽く会釈だけすると、さっさと去って行ってしまった。
「そんじゃ、俺ももう行きます。失礼しました、テル先輩」
「おう。またな」
俺は、テル先輩の
背後の扉の奥で、彼がポツリとこぼすのを聞こえる。
「どうしたもんか、この2人。ま、幸せそうだし。好きに余生を過ごさせてやるか」
何の話か、俺には全くわからないのだった。