続・ツッコミ待ちの町野さん
#35 モーニングルーティンる町野さん
「ふわぁ……」
部室の床にドミノを並べつつ、僕はあくびをひとつする。
本当はひとつじゃない。さっきから眠くてたまらない。
春眠暁を、という話ではなく、単純な睡眠不足だった。
「町野さんが、うらやましい……ふわ」
家から教室まで数秒なトランポリン通学の町野さんと違って、僕は電車と徒歩で一時間ほどかかる。直線距離は近いのに、接続が絶望的に悪い。
全国の「ニュータウンあるあるだね」なんてぼやいていると、部室の引き戸が開いた。
「こんちくわ! 二反田、眠そうだね」
現れたのは、制服スカートにジャージを羽織ったポニーテールの女子生徒。
テンション高めな声のおかげで、いくらか眠気が覚めた気がする。
「こんにちは、町野さん。昨日ちょっと、ドミノで夜更かししちゃって」
「へー。二反田って、朝何時に起きてるの?」
「六時だよ」
「おー、同じくらいだね」
「町野さん。家近いのに、そんなに早く起きてるの?」
「朝の女の子はやること多いからね。わたしのモーニングルーティン、再現しとく?」
「後学のために、お願いしようかな」
女性のメイクや髪のセットには時間がかかる、という程度しか知らないし。
「リアル女子を知って、後悔しないようにね」
町野さんがにやりと笑い、髪をまとめているゴムを取った。
次いで頭を手でわしゃわしゃにして、目を「≡」の形にする。
その後に椅子を並べて横たわり、右ひざを立てつつ左足を床に着けた。
右手はまっすぐ頭上に伸ばし、左手は半分スカートのウエストにイン。
口は幸せそうな半開きで、端から幾分したたっている。
「……ごめん、町野さん。寝相がおじさんすぎて直視できません」
「へへ、へろへろ、へへ、へろへろ、へへ、へろへろ、へへ、へろへろ、どぅーん」
「急に『ウォーキング・デッド』のオープニング流れてきた」
「うーん……もう六時……? 寝覚め最悪……」
「アラーム音が怖すぎるから」
「……にこっ……にかっ……キレそ……」
「顔認証が通らない朝の一幕」
「起きたけど、また寝ちゃいそ……おそば……おそば……」
町野さんが「≡」状態の目のまま、ふらふらと起き上がる。
「なるほど。二度寝しないように、朝ごはんを食べちゃう作戦だね」
「おそば、おいで……ふふ。ふわふわ……すぅ」
また椅子に横たわる町野さん。
「『おそば』猫の名前だった! より質の高い二度寝!」
「へへ、へろへろ、へへ、へろへろ……うーん……うーん……」
「スヌーズ発動で悪夢見てる」
「ごめん、二反田。ぜんぜん聞いてなかった」
「なにが……ああ、寝言」
「新人アイドルの『清楚担当』みたいなノリ、もういいって? 言いすぎだよ二反田」
「寝言で人を燃やさないで!」
「……七時……そろそろ起きよ。お父さん、朝ごはーん」
「町野家は、お父さんが作るんだね。メニューはどんな感じ?」
「お父さん、卵取って」
「ゆで卵かな? じゃあ朝はパン派?」
「卵ないの? それじゃ割り下しょっぱいよ! お父さんの卵なし! もう寝る」
「朝からすき焼きな上にプチ反抗期!」
あと「卵なし」って悪口なの?
「ふう。顔洗おっかな……あ、鼻からうどん出てる。自撮りして上げとこ」
「朝食キャンセルかと思ったら、シメまでがっつり食べてる」
あとそれ、デジタルタトゥーにならない?
「こうやって、しっかりもこもこ泡立てて」
「洗顔フォームかな。やっとモーニングルーティンっぽくなってきた」
「あ、おそば逃げないで。ちゃんと洗わせて」
「朝から猫のシャンプー!」
「さて。泡だってきたら、今度はよく練って……」
「今度こそ洗顔であれ」
「色が紫に変わった……んー、おいしい!」
「そうだね。町野さんは、知育菓子を買うタイプのJKだもんね……」
「髪はくくっちゃうって言っても、まとまってないとかわいくないしねー」
「いよいよ身支度かな? マイムから判断すると、ヘアオイル、ブラッシング、ドライヤーの流れっぽい」
「うん、おっけ。今日もかわいいよ、お母さん」
「お母さんは自分でやってください!」
でも親子で同じ髪型なのは、ちょっと見てみたい気もする。
「八時になっちゃった。ワンチャン熟睡いけそう」
「いけないで! そろそろ登校検討して!」
「へへ、へろへろ、へへ、へろへろ、へへ、へろへろ、へへ、へろへろ、どぅーん」
「寝入ってるし……がんばれスヌーズ」
「へへ、へろへろ――八時半……イオちゃんにLINEしよ。『影武者用意できる?』」
「僕が安楽寝さんなら鬼電するよ」
「電話うるさ……うん……そう……風船にモップかぶせて」
「五十年代アニメの手法」
「ふわぁ……九時五分。そろそろ登校しよっかな」
「一時間目始まってる……みんなの目、節穴すぎない?」
「で、スキンケアして、日焼け止め塗ってー、って感じだね。わたしのリアル朝」
「思ってたのと違ったけど、猫とお母さんがかわいかったです」
「モーニングルーティンなんて茶番だからね。コスメ紹介かネタに走るか二択だよ」
「需要を考えると、そうなんだろうね」
とはいえ、手のひらバックでコスメ紹介する町野さんを見たかった気もする。
「じゃ、次は二反田の番ね」
「僕のルーティンなんて、それこそ起きて顔洗って着替えるだけだよ」
「需要なさそうだね。わたし以外の」
町野さんはいつも、こういう言いかたで僕を手玉に取る。
「……やってみるけど、本当に期待しないでね」
町野さんと入れ替わり、僕は並べた椅子に体を横たえた。
「おー、寝相が即身仏。すでに面白いよ、二反田」
さて、いつもどんな風に起きてたっけ。
そうそう、アラーム。音は別に変えてないけど……あれ?
デフォルトの音って、どんなのだったっけ――。
寝不足がたたったようで、僕はメロディーを思い浮かべながら居眠りしていた。
いかんいかんと目を開くと、鼻先に町野さんの顔がある。
なぜかその目は、閉じられていた。
「え」
「うわあ、二反田起きた!」
慌てて飛び退く町野さん。
「町野さん、なにかしようとしてた?」
「べべべ、別になにも」
僕から目をそらしつつ、ふるふると首を横に振る町野さん。
「僕が『もしかして、キスしようとしてたんじゃ……』って勘ぐるようなわざとらしいリアクションだけど、鏡を見たら落書きだらけってパターンでしょ?」
「ば、バレちゃったかー。でも『ブレイキングダウン』なら目立たないほう」
「そんなに書いたの!?」
「じゃ、わたし部活行くね」
へへっと照れ笑いして、ずらかっていく町野さん。
「まったく……とりあえず確認しよう」
ところがインカメラにしたスマホを見ても、顔に落書きはひとつもなかった。
「あれ? じゃあ町野さん、なんで慌てて出ていったんだろう」
まさか本当に……なんて頬に熱を持った瞬間、見切れていた額に前髪クリップが見えた。
このときの僕の叫び声は、屋内プールまで届いたらしい。



