天嬢天華生徒会プリフェイズ

2 その⑥

 10000という数字と、渋沢栄一ののっぺりしたバストアップ。日本銀行券。


「通貨発行こそが独立国家の要件です。現状、学園内でも日本円が使われています。これでは日本国に囚われたままなのも当然です。自国の通貨を発行し、国際市場で価値を認められて取引されること。それが独立国家の必要にして十分条件だと、わたしは考えます」


 ぼくはうなずいた。

 うなずくことしかできなかった。

 言っていることは理解できる。妥当だとも思える。しかし、話がでかすぎる。


「となれば、まず欲しいのは強力な経済的基盤です!」


 凰華はずいと身を乗り出してきた。


「天祿院家もそれなりにお金はありますが、まだまだ全然足りません。二天六宮すべてをお金で屈服させ、財力を一手に掌握したいのです。ただ、わたしたちの生徒会にはその力がない。他人様のお金を毟り取るための力です」


 空気の塊がぼくの喉につっかえた。

 やっと――話がつながった。

 つながってほしくない場所に。


「……それで、ぼくに教えてほしい、と」

「はい! 平林さんからお話を伺ったとき、これはもう運命だと思いました。憧れの先生が職を探しているなんて」


 エージェント平林の顔を思い出す。あいつ、なんでこんな大事なことを黙ってたんだ。普通の学校に普通の教員として潜り込めるものだと思い込んでぼくはここまでやってきたのに。

 いや――。

 そんなうまい話、あるはずがなかったのだ。

 脛に傷持つぼくみたいなのがありつける職なんて、まともな仕事なわけがない。

 こんな考え方は凰華に失礼か。わざわざぼくを選んで雇ってくれたのに。

 ぼくを――ゴミ溜めの中から探し出して。


「あのさ、ずっと前からぼくのこと知ってるみたいな感じだけど、つまり、その。ぼくは逢った記憶とかないんだけど」

「一方的に存じ上げていました。公判を拝見しましたので」


 公判を見た?

 まさか、直に見たわけもないだろう。その頃の凰華は小学生――いや、下手をすると小学校入学前だ。それなりにニュースになったらしいから傍聴記事を後で読んだ、とかだろう。なにもそんなものに興味を持たなくてもいいのに。


「ぼくのこと……生徒会の他のみんなも知ってるわけ」

「いえ。まだ話していません」


 椅子の背もたれに背中を押しつけて深く息をつく。


「気遣い、ありがと……」


 手で顔を覆ってしばらく考える。

 指の間から見える凰華は、ひどく申し訳なさそうな顔をしている。


「わたし、ほんとうに先生を尊敬していて、憧れていて、だから誤解してほしくないんです。弱みにつけこんでいるとか、そういうのではなくて。他のみんなに話していないのも先生に断りもなく勝手なことはできないからで、わたしとしては恥ずべきことでも隠すべきことでもないと思っていますし」


 いやそんなこと全然ないよ。どう考えても恥ずべきことだよ。


「……うん、あの、変な気の回し方させちゃってごめん。今はここがぼくの職場なんだし、求められた仕事はちゃんとやります。ぼくなんかが力になれるかわからないけど」


 凰華はひどく哀しげな表情になった。長い睫毛が夜色の瞳を深く翳らせた。きっとぼくの答え方が気に染まなかったのだろう。しかたないから、他に行く場所がないから、雇い主の言うことだから――そんな理由で従ってほしくないのだ。たぶん。

 でも彼女は一度目を伏せ、しばらくしてから再びぼくの顔を見たときにはいつもの王族スマイルに戻っていた。


「ありがとうございます、先生。みんなも喜びます」


 申し訳なさが喉までせり上がってきた。

 凰華はいちばん信頼している生徒会役員の仲間たちにさえ、隠しごとをしている。ぼくのせいで、だ。隠してもらっていることにぼくは安堵している。できればこれからもずっと隠しておいてほしいと思っている。毎日のように生徒会室で顔を合わせる彼女たちに。


「……あの、他の生徒会役員って、今日逢わせてもらったあの二人だけ?」


 凰華、竜胆、アルテ。生徒会という大組織を回すには三人では足りない気がする。


「はい。……ああ、いえ――」


 凰華は少し言い淀んだ。

 スマホを取り出し、なにか操作してからぼくに差し出す。


「役員は全部で四人、ということになります。しばらく潜伏して執行部の個人教師を、という話を先ほどしましたよね。先生にはまず、その四人目を担当していただきたいんです。これが、その生徒の詳しいプロフィールです」


 液晶画面には、その《四人目》についての情報がびっしり表示されていた。

 生徒会執行部・庶務、琴吹緋奈乃。

 アルケリリオン女子学舎の制服を着た写真も添えられている。ちょっと垢抜けない三つ編みに眼鏡の、どこからどう見ても十代の女の子に見える。

 ぼくは天井を仰いだ。

 気を落ち着けて、スマホの画面に目を戻し、プロフィール詳細を読む。


 奈良県の名門中学を卒業後、この四月にアルケリリオン女子学舎高等部に編入。小論文模試で全国一位を獲った経験もある秀才だが会話と感情発露が苦手でコミュニケーション全般に難があり、中学時代に進路のことで教員や両親と何度も衝突し、祖母(地元の名士であり琴吹家では多大な発言力を持つ)の一存で親元を離れて天涯学園に預けられた。文書処理の才能を買われて大統一生徒会執行部にスカウトされる。この春から生徒会庶務に就任予定。権限と機密の集中している生徒会執行部の一員としては懸念点が多いため、常につきっきりでの介助が必要と思われ……


 他人の人生を追体験させられているかのような、やたらと細かいところまで詳しいプロフィールだった。

 ざっと読み終えてからもう一度天井を仰ぐ。

 こんな面倒臭そうなポジションの生徒を、ぼくが受け持つの?


「先生にしかできない仕事ですよね?」と凰華は期待のまなざしで言った。


 ぼくにもできるとはとても思えなかった。

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