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目覚めると、ベッドで丸くなっていた。
おかしな夢を、徐々に思い出す。俺は豚になっていて、欧風美少女JKに豚小屋から救い出された。豚のレバーを生で食ったら、豚になる夢を見るらしい。
ん?
見慣れないベッドにいる。レースで飾られた天蓋付き。落ち着いた色の花柄。
色覚は回復したようだ。俺は人間に戻ったのだろうか。だが問題もありそうだ。ここは明らかに、病院ではない。
身体を起こそうとするが、肩の様子がおかしい。どうして腕が横に広がらない? 骨折したのか……?
「お目覚めになりましたか?」
首を巡らせて声の方を向くと、少女が一人立っていた。
「あの……お具合の方はいかがでしょうか」
さらさらとした金髪が、肩のあたりまで伸びている。水色の質素なワンピースを着た、線の細い少女だった。歳は十六、七だろうか。顔立ちは欧風だが、鼻はちょこんと小さく、和の雰囲気もどことなく感じる。黒ずんだ銀の太い首輪が、ひとつだけ異様な雰囲気を放っている。
痛みや気持ち悪さはないが、どうも身体が動かしにくい。一体ここはどこなんですか?――と言おうとしたが。
「フンゴァ!」
とオタク音が出てしまう。
「あっ……無理に喋らなくても大丈夫です。私には、その……分かりますから」
ん?……まだ人間に戻れていないのか? これは夢の続きか?
混乱する俺に、少女は困ったように笑いかける。
「ごめんなさい……手は尽くしたのですが、あなたを人の姿に戻すことは叶いませんでした」
もう分からん。とりあえず起きて、状況を確認したい。
身体を起こそうと寝返りを打つと、次の瞬間、俺は四足で立っていた。自然と足が進み、ベッドの縁からひょいと飛び降りる。
すぐそばに、銀縁の姿見があった。急いでテコテコそちらへ向かう。
鏡の向こうから見返しているのは、やたら清潔な一匹の豚だった。丸めた布団くらいの大きさだろうか。美味しそうに太った肉体は薄いピンクの毛並みに覆われ、真っ黒な瞳がウルウルとこちらを見つめ返している。湿ったピンクの鼻が、俺の呼吸に合わせてヒクヒクと動く。
俺が右手を上げると、豚は右の前脚を上げた。俺が首を傾げると、豚も同時に首を傾げた。豚と見つめあう。俺は豚だった。
え、なにこれ。
むしろ冷静になって、俺はゆっくり少女の方へ向き直る。
どうして俺は豚なんだ? 状況を説明してほしい。
無言のはずの俺に、少女は返答する。
「どうしてあなたが豚さんになっているのかは……ごめんなさい、私にも分かりません。私の管理する豚さんの飼育小屋に、あなたが迷い込んでいたんです」
なるほど。しかしそれならこの少女、どうして見た目が完全な豚であるところの俺が(元)人間だと判別できたんだ?……思い出そうとするも、少女の声が遮った。
「これ、見えませんでしたか?」
少女は少し恥ずかしそうに、髪をかき上げ、首輪を見せてきた。
何かのレリーフが施された、厳めしい銀の首輪。長い間つけているのか全体的に黒ずんでおり、おとなしい印象の少女には似合わない。
「似合いませんか……やっぱり」
ここにきて、確信をもった。この美少女は、俺の心を読んでいる。
「あの……私、イェスマです。申し遅れましたね、キルトリン家に仕えております、イェスマのジェスと申します」
はあ。よく分からないが……僕は豚です、よろしくお願いします。
「あの、豚さんは、どちらのご出身ですか?」
戸惑いの響きを含ませながら、少女は訊いてきた。
I am from Tokyo, Japan. Nice to meet you, Jess!
「えっと……トキヨ……ごめんなさい、不勉強でして、国の外のことは分からないんです。でも、イェスマをご存じないということは、メステリアの方ではないようですね」
たぶんそうだとおもいます。
いや、そもそもメステリアって何だ? ここはどこだ? テコテコ歩き、窓を探す。そばにあるのだが、豚の目の高さでは外が見えない。
と、少女――ジェスが、窓辺に大きめの椅子を持ってきてくれた。ありがたくそこへ上り、外を見る。
草原。その向こうには、ポツリポツリと漆喰塗り赤瓦の屋敷。遠くにはうっすらと雪に白んだ岩がちな山々。南ヨーロッパの避暑地のような長閑な風景が、見渡す限り広がっていた。
「ご説明しますと……メステリアとは、一続きになったこの土地のすべてを指す言葉です。偉大なる王がその全域を支配されています。ここはそのメステリアの南、キルトリの郊外にあたる場所です。キルトリを治めるキルトリン家の、邸宅です」
なるほど……? それで、イェスマというのは……?
「あ、そうですね、イェスマというのは……小間使いの種族です。銀の首輪をつけているのが特徴で……何て言えばいいんでしょう、口や耳に頼らず、心を通わせることができるんですよ。私はここ、キルトリン家にお仕えするイェスマです」
口や耳に頼らず、心を通わせる――どうりで、地の文に書いた疑問すべてに答えてくれるわけだ。
少女は俺と並んで外を見ていたが、ふと俺を見た。
「あの……何か召し上がらなくて大丈夫ですか? お口に合うか分かりませんが、果物ならベッドサイドにご用意いたしました」
見ると、質素な木の机の上に色とりどりのフルーツが置かれていた。
うん……あんまり腹は減っていない。今はむしろ、なぜか無性にナデナデされたい。
少女の手が俺の――豚の頭を撫で始めた。思わず尻尾を振ってしまう。
願っただけで、望むものが手に入る。
ようやく理解した。俺の夢は、異世界ファンタジーの章へと場面を転じたのである。主人公は豚、ヒロインは心を読む能力者。見知らぬ国へと転生した男は、人間に戻るため、剣と魔法の世界で奮闘するっ!
――――?
ん? 待てよ。待て待て、まあ落ち着け諸君。イチャラブファンタジーを始める前に、一つ確認しておきたい。このジェスという少女は心を読めるんだよな? だから豚小屋で、俺が豚じゃなくて人間だと気付いたわけだ。ここまではいいな。ここまでは。
じゃあもし、もしここで俺がその清らかな肌を見て「ブヒブヒ! 襲いたいブヒ! 豚の唾液でベトベトにしたいブヒ!」などと思った場合、彼女にはそれが分かってしまうのだろうか?
少女の手が、ふと撫でるのをやめた。
「……ええ、まあ、そういうことになります」
まずい! それでは俺の豚のような欲望が垂れ流しではないか!
ジェスは申し訳なさそうな顔になる。
「あの……ブラッシングをお望みのようでしたから、寝ていらっしゃる間に、お身体をきれいにしました。服装も……準備がございましたので、丈の短いワンピースに着替えました。ごめんなさい、勝手にお考えを探ってしまって……外国の方でしたら、大変不快に思われたかもしれません。本当に、申し訳ありませんでした」
むしろ謝られてしまった。そこで思う。この少女、あまりに優しすぎないだろうか。椅子。食べ物。ナデナデ。俺が裸を見たいと思ったら、服まで脱ぎそうな勢いである。
少女は恥ずかしげに、胸の前で手を合わせる。
「貧相で見応えもないと思いますけど……もしお望みならば」
ちょっ。
慌てて椅子から下り、少し離れて少女と対面する。豚と差し向かうのはさぞかし奇妙な気分だろう。
「いえ、そんなことは……」
三つほど言いたい。聞きたまえ、少女よ。
「はい……」
まず一つ目。服の上からでも分かるが、君のそれは決して貧相なんかじゃない。むしろオタクにはそれくらいの大きさを好む人種も多いから、安心してほしい。
「えっと……ありがとうございます……?」
次に二つ目。
〈こうやって括弧をつける部分以外、俺の思考は知らなかったことにしてくれ〉
「括弧……ですか」
〈そう。君に伝えたいことは基本、こうやって括弧でくくって思考することにする。それ以外の考えは、もし読めてしまっても、聞かなかったことにしてほしいんだ〉
そうでもしないと、会話の節々にゲスい発言をはさむセクハラオヤジのようになってしまうからな。
「別に私は……気にしませんが」
〈今の部分は地の文だから、返事をしないでいいんだよ〉
「あ、そうでしたね! すみません……」
少女は口に手を当てて、急いで謝った。イヤイヤ、オジサンの方こそ、ごめんネ^_^;
静謐な部屋の中で、金髪美少女と向き合う一匹の豚。今日の夕食はシュヴァイネハクセに違いない。
〈じゃあ最後、三つ目だ。豚の分際で偉そうなことを言うが、いいかな〉
「えっと……大丈夫です」
〈君が俺にしてくれたことは、どれも気が利いていて素晴らしかった。清潔にしてくれてとても嬉しいし、そのワンピースはよく似合っていて、裾の丈も申し分ない。何とは言わないが、清純な感じの白い薄布は君らしくて最高だと思う。もうバレてしまっているようだから白状すると、俺は豚になって真っ先に、金髪ミニスカ美少女にブラッシングされたいと考えた。君は俺の考えうる最高のおもてなしをしてくれたわけだ〉
JKという概念は、この世界にはなさそうだしな。
「じぇ……いえ、光栄です」
〈うん。そう、君は素晴らしい。でもね、俺の望んだことをことごとく叶えてくれるようじゃ、なんというか、その、リアリティがない。君は、俺の欲望を満たす妖精さんではないだろ? 俺が何を欲しようが、君にはそれを満たす筋合いがない〉
「ですが……私にできることなら、して差し上げたいのです」
分かってもらえないかあ。尻尾がしゅんと垂れ下がってしまう。
〈じゃあはっきり言おうかな〉
少女は窓枠に左手をかけ、右手を握ってその胸に当てた。そんなふうにされると言いづらい――が、これは俺自身の夢への注文なのだ。
賢明な諸君なら分かってくれるだろうか。優しい妹が毎日献身的に作ってくれるお弁当と、普段は豚扱いしてくる妹が、昨日は宿題手伝ってくれてありがとう……今回は特別なんだからねっ! と言って作ってくれるお弁当、どちらがおいしいか! いや、どちらも美味しいに違いないが、俺は絶対に後者がいい! 異論は認めない!
……というのをまとも風に翻訳して、頭の中で括弧を打つ。
〈個人的な趣味で非常に申し訳ないんだが、俺は一方的な優しさを受けたくないんだ。豚には君の恩に報いる能力がほとんどない。君が優しくしてくれればくれるほど、俺の方にばかり借りが溜まっていってしまう。そういうのはなんというか、気分がよくない。本当に俺のためを思ってくれるなら、俺がお願いしたことだけに応えてくれると嬉しいな。その分に関しては、俺も豚なりに精一杯恩返しをする。気を遣いすぎないでほしいんだ。君は俺の、召使いじゃないんだから〉
オタク特有の早口に、少女は困ったような顔をする。
「……それでいいんですか?」
〈そうだよ。むしろ、普段は豚のように扱われていながらも、本当に困っているときだけ手を差し伸べてもらった方が萌えるんだ〉
裸もここぞというときまでとっておいてほしいかな。
「あ……見たくないわけじゃないんですね」
あの、そこは地の文です。