「結果として、SNSの普及は、距離感の摑みかたを理解できない大人たちを浮き彫りにさせてしまった。これには『そうてきゆうのうかん』という心理が関係している」
 自分の能力を高く見積もり、相手をあなどって見下してしまう心理のことだ。
「先ほどの事例だと、犯人はしつようにメッセージを送り続けることで、好きな地下アイドルに対して『自分が正しい』『自分を知ってほしい』とゆがんだ感情を抱いていたわけだ。そして……このような感情は、ときに暴走し、変質して、人間を残虐な行為へと駆り立てる」
「残虐な行為……」
「教授が言ってるのは極端な事例だから、あまり怖がらないでね」
 恐怖から身震いするゆきくんの不安を取り払いたい一心で、ふたたびギュッと抱きしめた。
 教授はこちらに目もくれず、いよいよ議題の詰めに入る。
「そもそも、ゆきくんの住所を知っている時点で犯人の候補は絞られているんだ。あとは浮かび上がった犯人像を当てはめるだけ。ちなみにゆきくん、家族構成は?」
「……父母は離婚していて、僕はひとり暮らしです」
 少し悲しい目で、視線をずらすゆきくん。
「理解した」
 教授は淡々とした様子でそう言った。ぶっきらぼうに思えるけれど、そもそも本来はあまり他人の事情に興味を示さない人なのだ。大事なのは関係性。『教授』と『教え子』というつながりによって、しらさぎれいは動いている。
 わたしはそっとソファを立ち、研究室の一角に足を向け、電気ケトルのスイッチを入れた。
「ストーカー行為とうの規制等に関する法律──通称『ストーカー規制法』が施行されたのはおおよそ20年ほど前だ。論点となる『ストーカー行為』は、住居、勤務先、学校やその他通常所在場所でのつきまとい行為を反復しておこなうことを指す。詳しくは六法を参照してくれ」
「教授、また話が飛んでますよ」
「制定された当時はインターネットがそれほど普及していなかったが、幾たびかの改正を経てブログへのコメントやSNSのメッセージなども『つきまとい行為』に追加されている。なので本来ならば警察が動いてしかるべき事態だが──単に、事態を軽く見られているんだろうな。だからこそ、私の口添え程度では力が及ばない。そんな消極的な方法では事態は好転しない
 わたしの指摘を完全に無視しながら、教授の主張は結論へと向かっていく。
「被害の状況から見てもほぼ単独犯だろう。我々の力でなんとかなる範囲だ」
 そこで教授は眼鏡を外して「ふう」と腰を落ち着ける。どうやら講義は終了らしい。わたしがすかさず湯気の立つマグカップを差し出すと、教授は無言でクイッとコーヒーを口に含む。
「法規制は整備されたが網羅性は充分ではない。きみの被害は郵便ポストへの不審物とうかんや盗撮など。それだけでもストーカー規制法の要件には当てはまる事例はあるが、重要なのは反復性であり、これが不十分とみなされればつきまとい行為として認知されない可能性がある」
「あの、教授」
 思わず口を挟んだ。
「なぜ犯人が付属校の教員だとわかるんですか?」
「それはあくまで私の立てた仮説にすぎないが──ふむ。移動後に説明しよう」
「移動? これから? どこにです?」
「決まっている、ゆきくんの自宅だよ」
 結論ありきで話す教授についていけず、わたしは首をひねる。
 一方、教授はコーヒーを飲み干して、デスクにしまっていた車のキーを取り出した。
「事態を最小限に食い止めるならば、常に最悪のケースを想定して動く必要がある。ここで問題となるのは、ストーカーがほんとうに付属校の教員だった場合のことだ」
「と、いいますと?」
「……教えてください」
 わたしが尋ねると、ゆきくんも身を乗り出す。
 教授は椅子から立ち上がり、うん、と伸びをしながら続けた。
「教員と生徒間の問題とはいえ、もちろん刑事罰は適用される。しかし決定的な要件が認められず、本件の重大性が伝わらない場合、警察側は学校法人内部での解決を求めるだろう」
「法による裁きではなく、懲戒解雇で手打ちになる……みたいなことですか?」
「そうなればまだマシだろうな。最悪の場合、当該教員への戒告処分のみで済ませる……という結末を迎えるかもしれない」
「そんな……」
 懲戒処分にはいくつかの種類がある。
 戒告とは『口頭での注意』。つまり、もっとも軽い処分だ。
 そうなれば結局、ゆきくんは不安を抱えたまま日常生活を送ることになる。
 現実的にはなにも変わらないままだ。
「もしもそれがほんとうだとして、僕はどうすれば……?」
「ふむ」
 ゆきくんの絞り出すような声を受けても、教授のトーンは変わらない。
 なぜならば、答えが出ているからだ。
 理論も、行動も、その妥当性も、すべて教授は考慮し終わっている。
「なにが一番手っ取り早いと思う?」
 ゆきくんは首を横に振る。
 もちろん、わたしにも見当がつかない。
 当然だ。理解するほうが難しい。
 しらさぎれいという人物は、学会に数々の革新的な論文を発表し、特例として30歳にも満たない年齢ながら大学教授を務め、その知見と美貌からメディアからもたびたび声をかけられ、ときにはコメンテーターとしてテレビ番組にも出演するような人物だ。
 まさに、絵に描いたような才媛。
 でも天才となんとやらは紙一重。
 天才の出す結論は、往々にしてネジが外れている。
じんたいだよ」