<六>

 およそ2時間が経過したころには、とっぷりと日が暮れてしまっていて、え? これいつまで続くの? 普通に狭いんだけど……と内心しびれをきらしていたのは事実だ。けれど、わたしが教授の頭脳を信頼しているのもまた事実なわけで、そんなこんなでなんとか耐えしのいだ。
 いよいよ3時間がとうとしたころ、事態は急速に動き出した。
「あれはきみの知り合いか?」
 教授の視線の先、ゆきくんの家の前に、なにやら怪しい人影が立っている。
 横に長くて縦に短いシルエット。女性……いや、小柄な男性だろうか?
 教授の言葉を受けて、ゆきくんの愛らしい顔におびえの色が浮かぶ。
「……ここからだとわかりません……でも、僕の家に突然訪ねてくるような知人はいません」
 言葉を待たずして、わたしは音をたてないようにドアをそっと開き、不審者から気づかれないように細心の注意をはらって身を乗り出した。
「先ほどから家の前をしきりに往復し、スマートフォンらしきもので外観を撮影していた。そして今は、郵便受けになにかをねじ込んでいるように見える。ひまり──」
「今見ています」
 視力のよくない教授に代わってじっと目を凝らすと、たしかにそのとおりだった。
「あれは……なにかの容器みたいですね。ペットボトルかな。中身は判別つきません」
「なにが入っているのか想像したくもないな」
 わたしの報告に、教授は片手で顔を覆う。
 中身に見当がついているのかな……。
「どう考えてもポスティングのたぐいではないだろう。不法侵入と、場合によっては器物損壊。もしアレがほんとうにストーカーだったならば、手にしているスマホからゆきくんの写真データが多かれ少なかれ出てくるだろうし、今が頃合だろう。ひまり、準備は?」
「いつでも」
 わたしは端的に答え、ドアの開閉音を立てないよう細心の注意をはらって車外へ。
ゆきくん。私の推察した犯人像を理解した上で同行する気はあるか?」
「……行きます。僕も向き合わなきゃいけないことですから」
 静かに車外へと出る。人影がこちらに気づいた様子はない。
 わたしは教授とアイコンタクトを取って、足音が鳴らないよう慎重に不審者のもとへ。
 胸元に仕込んだICレコーダーの電源を入れ、人影までの間隔を音もなく詰めた。
 近づくに連れ、不審者の輪郭がはっきりしてきた。
 眼鏡をかけた小太りの男性。
 身長はわたしと変わらないくらいか。
 頭頂部は薄く、目は血走っている。中年男性だという教授の仮説は見事に的中していた。
 手に持っていた物体はやはりペットボトル。それが思うように郵便受けに入らず悪戦苦闘しているらしい。ふぅ、ふぅと息が上がっていた。
 そんな怪しさ満点のシルエットに、笑顔で横から声をかけた。
「ここでなにをされているんですか?」
 すると中年男性はビクッと反応し、わたしの姿を確認する。
 おそるおそるといった様子で振り向いた不審者だったが、こちらがただの女性だと知るや、露骨に表情筋を緩ませた。
 ニヤけるばかりでなにも答えないので、一歩踏み込む。
「わたし、ここに住んでいる子の友人なんです。最近ストーカー被害に遭っているらしくて相談を受けていたんです……もしかして、なにかご存じだったりしますか?」
「いや、俺は別に、なにも……」
 そこまで言って、先ほどとはまた異なる意味でギョッとした顔をする。
「あんた、なかむらと写真に映ってた……」
 なかむら……ゆきくんのみようだ。
 昼間にカフェで撮ったツーショット写真を思い浮かべる。
 教授が確認したという、犯人からのメンションも。
「……やっぱり、あなたがストーカーでしたか」
 目の前の中年男性……改め、ゆきくんのストーカーは、ハッとして口を覆う。
 しかし、時すでに遅し。わたしは一気に畳み掛ける。
「ご存じありませんでしたか、ストーカーは犯罪ですよ?」
「……あ、あんたには関係ないだろ。これは俺となかむらの問題だ」
「関係ないわけありません。ゆきくんは、あなたの行動に迷惑しているんですよ」
「う……うるさい! これだから女はだめなんだ……赤の他人のくせにずけずけとものを言って来やがる……俺の気持ちをわかってくれるのは男だけなんだ……」
「あー……」
 もはやギャグなのかと疑ってしまう主張だが、イライラしてきた。
 これだから何々は、なんて言いかたで物事を語る人に、ろくなやつはいないのだ。
「……女性が嫌いだから、かわいい男の子を狙っているわけですか?」
「そんなに単純じゃない! 俺は毎日なかむらを見ているんだぞ、将来のことや進路の相談にも乗ってやってあいつのことを心から気にかけてやっている、俺たちは結ばれる運命だ!」
「うわあ……」
 今度は素で引いてしまった。言い返す気力が引き潮のようにせていく。
 泡でも吹くんじゃないかと思わせるストーカーの勝手な言い分に限界がきたわたしは、切り札として取っておいた、この年代の中年が最もけんする文句を突きつけた。
「悪いけど、どう考えても脈なしですよ。いい大人なのに、そんなこともわからないの?」
 すると、目の前の脂ぎった顔が瞬時に赤く染まり、怒りがあらわになる。
「お、お、おああああああああああ!」