『年上か年下? いやいや、僕の年齢で年下好きって言ったらヤバいんですけど!』
画面越しの笑顔を見た教授は、まったく声のトーンを変えずにこう言った。
「ふむ。真雪くん、元気そうでよかったじゃないか」
「……はい?」
教授がなにを言っているのかわからず、わたしは横顔をうかがう。
「なんだ、まだ気づいていなかったのか?」
すると教授は心底意外そうな目でわたしを見た。
「中村真雪くんと、配信者の『神村まゆ』は同一人物だぞ?」
「…………ほっ?」
はい?
どういうこと?
口をあんぐり開けて固まるわたしに、教授が追い討ちをかける。
「彼のRootSpeakに、ひまりとのツーショットが上がっているだろう」
「なんですと……?」
「なぜきみが知らないんだ」
わたしはすぐさま配信をバックグラウンド再生に切り替え、すっかり放置していたアカウントにログインして『神村まゆ』の公式アカウントへと遷移する。
「ほんとだ、載ってる……『初すっぴんなう。せんぱいとデート』って書いてある……」
「常日頃から言っているだろう。常にインフルエンサーのSNSには目を光らせておけと。第一、好きな配信者のアカウントくらい趣味で覗いたりしないのか?」
「昨日は疲れていて、帰ってそのまま寝ちゃったので……」
わたしは教授の指摘に唸りつつ、ふたたびスマホを眺める。
ちょっとまだ脳が現実に追いついていなかった。
とんでもない数のメンションのつくその写真は、間違いなくカフェで連写した80枚のうちの1枚だった。お気に入りや拡散の数も尋常じゃない。
わたしが……わたしと真雪くんのツーショットが、めちゃくちゃな人数に見られてる……。
パニックで焼き切れそうな脳を振り絞り、思わず声を荒らげた。
「きょ、教授は気づいてたんですか!」
「無論だ。彼は各配信サイトのチャンネル登録者数が80万人、RootSpeakでも20万のフォロワーを抱える立派なインフルエンサーだ。当然、私の調査対象に入っている」
「で、でも、声とかも全然違ったし……」
「そりゃあ、あれだけ切羽詰まっていたら声のトーンだって落ちるだろう」
『神村まゆ』の配信は活発で中性的なハイトーン。
あのときの真雪くんは終始怯えた様子で、声を張るシーンはなかったけど……。
わたしは納得いかず、白々しい顔の教授にぐいっと詰め寄る。
「いつ気づいたんですか!」
「いつもなにも、初めからだよ。彼が府内の高校に通っていることは自ら公言していた。普段の配信時間帯が夕方から深夜に寄っていることからも全日制学校なのは確定で、年がら年中配信を欠かさない人間なのに、1年のうち3周期、合計6週間ほど休みを取っている。つまり彼の高校は3学期制で、休みの周期はテスト期間だと考えられるだろう」
「確かに、ぽっかりと休む周期があって不思議だなとは思っていましたけど……」
「府内の全日制で未だに3学期制の学校なんて山吹付属くらいだからね。ああ、ついでに、彼が以前の動画でクローゼットの紹介をしているときに、ブレザーや学ランのたぐいが見当たらなかったのも気にかかっていた。山吹付属高校は私服通学なんだ」
念のため、ひまりが買い物に行っている間に確認は取ったがね、と教授は口にする。
そんな重要な情報、わたしが不在のときに確かめないでほしかった!
「というか、そんな回りくどい考察をしなくても、名前を紐解けばすぐにわかるだろう?」
その言葉に、わたしはようやく思い至る。
なかむらまゆき。
最初と最後の一文字を取ると。
かむらまゆ。
『どんな年上が好きですか? うーん、そうですねー……』
スマホの画面で、女装男子は快活に笑う。
『かしこい人。あと、つよい人が好きです。心の強さもそうですし、身体的な強さも……強い人って魅力的ですよね』
頭の中に、真雪くんとのやりとりがフラッシュバックする。
「あ……あ……ッ!」
涙ぐむ真雪くんを抱きしめたこととか。
一緒にツーショット撮ったこととか。
耳打ちしたときのかわいい反応とか。
そんな彼の目の前で、中年男性を組み伏せたこととか。
あれがすべて、憧れのインフルエンサー、神村まゆだった……?
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
わたしの絶叫が人のまばらな学舎に響きわたる。
血液が沸騰しそうになって、思わず顔を覆った。
そして、計ったかのようなタイミングで研究室の引き戸の音が響く。
「こんにちは、玲華さん! ……それに、ひまりさん」
薄くアイラインの入った目、ファンデーションが馴染んだ白い肌。
光沢のあるリップが塗られて艶めく唇。男性離れした小さな顔。
不自然さを感じさせないガールズファッション。
そこには見慣れたはずの──しかし初めて見る『神村まゆ』が立っていた。
余りある衝撃が立て続けに襲ってきて、たまらず口を開いては閉じるを繰り返す。
一瞬おとずれた静寂を打ち破ったのは、昨日とは打って変わった張りのある声だった。
「おかげさまで、ひさしぶりに配信ができました! お二方のおかげです!」
ありがとうございます、と神村まゆは──中村真雪くんは頭を下げる。
現実味のない光景に、わたしは震える声を絞り出した。
「ほんとうに……神村まゆちゃん……だった……?」
「気づいてくれたんですね、ひまりさん」
突如として目の前にあらわれた『かわいすぎる女装配信者』は、ふだんは画面の中でのみ見せていた笑顔を輝かせて、その先を続けた。
「嬉しいです……ところで、あの。突然なんですけど、僕……ひまりさんにひとつお伺いしたいことがあって──」
「な……なに、かな……?」
カチコチに固まった口角をなんとか動かして、震える唇に活を入れてわたしは尋ねる。
画面の中から飛び出してきたインフルエンサーは、なまめかしい所作を崩さぬまま。
予想だにしなかった言葉を口にした。
「僕は、ひまりさんにとって魅力的な人ですか?」