【第一幕】 女子大生と女教授

<一>

 わたしの心に残り続けている言葉がある。
 その声はひどくしゃがれていて、うなるような響きをともなって脳内を反復する。
『一番魅力的なのは、てめえの力で、てめえの大切なもんを守れるやつだって思わねぇか?』
 どれだけ最低な人間が発したものでも、正しい言葉なら心に残る。
 自分の大切なものを、この手で守れるような強い女。
 わたしはそういう、魅力的な人間になりたい。
『魅力』にはいろいろな解釈があると思う。
 心意気やポリシーとは別なところで、たとえば仕草。スタイル。ユーモア。ファッションなど……他人をける力には多角的な要素が存在する。
 花の女子大生たるわたしは、世間の求める『かわいい』を絶賛模索中なのだった。
 研究室の窓越しに外を見やる。
 突き抜けるように澄み切った青空が広がり、大学の構内には散った桜の花びらがじゆうたんのように広がっている。窓の外をひとしきり眺めてから、わたしは室内に視線を戻した。
「教授、そろそろコーヒー飲みます?」
 返事はない。代わりに聞こえるのはバチバチと激しい打鍵音だけ。
 もっとも、こんなのは日常茶飯事。わたしは電気ケトルのスイッチを入れつつフィルターに豆を敷く。そして一連の作業が終わってから、手慰みにスマホの再生ボタンをタップした。
『はろはろー! みんなのまゆまゆ、むらまゆですっ! 今日は、これひとつで肌の赤みを抑えられるリキッドファンデを紹介します! 下地いらずで、重ね塗りも必要なし! すっごくカンタンにナチュラルメイクが仕上がるんですよー!』
 ディスプレイの中央ではセーラー服姿の天使が笑顔で手を振っている。
 二重の瞳に涙袋の目立つ、泣き腫らしたようなアイメイク。血色感の乏しい白い肌。地肌にはチークがんでいて、みずみずしい唇には光沢のあるリップがのっている。
 そこには女の子が憧れる、理想の『かわいい』が詰め込まれていた。
 声の主は親指の付け根にファンデを落とし、それを慣れた手つきで塗り込んでいく。
『ほら見てください、こんなに自然とむんです! 肌の悩みも一発解決ですよっ! 僕もたまに使ってるんですけど、朝のメイクがすぐに終わるのですごく重宝しますっ! ほら、見て見て。目元めっちゃ自然じゃないですか?』
 直後に天使がカメラに寄ってきて、きめ細やかな肌がアップになる。
 たまらず、わたしの中の『かわいいメーター』が秒速で振り切れた。
「ひいぃ……待ってもう無理、超かわいいんですけどぉ……」
 あまりの愛らしさに、たまらず声を上げてもだえてしまう。限界だ。スマホの中に天使を飼ってるような感覚。子どものときにった携帯型の育成ゲームが脳裏をよぎる。
 やがて電気ケトルがボコボコと鳴き声を出し始める。その音声に負けないよう、わたしはスマホのボリュームを引き上げた。透徹したような天使の声が大出力で響き渡る。
「さすがにうるさいぞ、ひまり」
 飛んできた不機嫌そうな声に、思考を現実へと引き戻される。
 わたしは動画を止めて声の主──教授へと謝罪を述べた。
「すみません、ボリューム大きすぎましたか?」
 教授は大仰にためいきき、流れるような所作でほおづえをつく。
「きみは何回その動画をリピートするつもりだ?」
 そんな教授のもとに、わたしはスマートフォンを手に近寄る。
 デスクのすぐ脇で再生ボタンをタップすると、ふたたび画面の中に笑顔が咲く。
『実は今日、これ使ってメイクしてるんです! ご覧のみなさまもぜひ試してみてくださいねっ! それでは最後に精一杯のまゆちゃんスマイルをお届けします。せーのっ』
 にっこり、と画面の中で笑顔が咲いた。
「これ男の子なんですよ? なのにこんなにかわいいんですよ? ほら見てくださいよ、このセーラー服とか! 最後のまゆちゃんスマイルとか! 超かわいくないですか?」
「きみは『かわいい』しか褒める語彙を知らないのか?」
「冷淡な指摘!」
 ぐさりと胸を突かれ、ふところを押さえながらのけぞるわたしをよそに、教授は続ける。
「それに、すまないが今はそれどころではないんだ」
 パソコンのディスプレイを指さしながら、いつもどおりの早口で告げる。
「先ほど、また『死んだ』に新しい投稿がみられた」
「死んだ……? あー、あの悪質アカウントですか」
 このところ簡易ブログ型のSNS『RootSpeakルートスピーク』上で、とあるアカウントが世間を騒がせている。『死んだ』という不吉な文字列は、そのアカウント名スクリーンネームだ。
 不特定の場所で反社会的行為を予告し──ときには実行するという、きわめて悪質なもの。
「今度は千葉県の遊園地に爆弾を仕掛けると犯行予告があった。ただでさえ書き入れ時だろうに。運営会社も気の毒なことだ」
 ペンキで壁に落書きをする、建物にゴミや生卵を投げ入れる──その他、さまざまな迷惑行為の動画も上がっていたりするのだけれど、管理者はいまだ特定できずにいるらしい。
RootSpeakルートスピークはセキュリティ強化に本腰を入れるべきだね。匿名ブラウザを使われただけでユーザーをきゆうできないサービスなんて今時ありえないだろう」
「あー……いくら新興のサービスだからって、そこをおざなりにしちゃダメですよねー。むしろ新規だからこそ対策しておかなきゃ。ただでさえSNSを使った犯罪は増えてますもんね」