<二>
「ストーカー被害に遭っているんです……」
「ストーカー? 珍しいね、男の子なのに」
「たしかに近年の調査結果によればストーカー被害者の8割は女性だが、裏を返せば残りの2割──つまり5回に1回は男性が対象となる計算だ。統計的には珍しいことでもない」
「たしかにこの子、めっちゃかわいいし納得はできますけど……」
「そういう話ではない。ひとまず続けてくれ」
「は、はい」
愛らしい見た目の男の子は、神妙な面持ちで語り始めた。
「これまではRootSpeakのメッセージに、たまに知らない男の人からのデートの誘いや、卑猥な写真がダイレクトメッセージで送られてくる程度だったんですけど」
「待って、出会い系の話してる?」
「出会い系? 彼はRootSpeakの話と言ったはずだろう」
「すみません、ただの比喩です……」
今のは軽口を叩いたわたしが悪い。しかし、卑猥なメッセージがたびたび送られてくる時点でかなりひどい状態なのは確かだ。インターネットは便所の落書きに例えられるけれど、落書きどころか便所そのものである。
「最近では郵便受けに変な手紙を入れられたり、学校から帰るところを盗撮されてRootSpeakのダイレクトメッセージで送られたり……身の危険を感じるようになって」
来客用のソファに腰かけて、ともに耳を傾けていたわたしたち。
教授は、額に手を当てながら、ふう、と煙混じりの息を吐き出す。
「まったく、あのサービスのセキュリティはつくづくどうなっているんだ。警察に相談は?」
「しました。けれども、対応がどこか消極的といいますか」
「ふむ……ストーカー規制法の改正によって取り締まりが強化されたとはいえ、そのあたりの認知が甘い警官は少なくないからね。特に年配方。さらに言うと、きみが男性であることも、事態を軽く見られている理由のひとつだろう」
「……そういう空気は感じていました」
「ひどいね……怖い思いをしてるのに、助けてくれる人がいないなんて」
その胸中をおもんぱかってわたしが声をかけたところで、こほんと教授が咳払いをする。
「ひまり、そろそろその子から離れてあげたらどうだ。暑苦しいだろう」
「心細いかなと思って」
「単にきみが男の子にくっつきたいだけじゃないのか?」
「わたしそんなに尻軽じゃありませんけど!?」
「発言と行動が一致していないが?」
指摘を受けたわたしは、腕の中で顔を赤らめる男の子に、さらにぎゅっと抱きついた。
「教授はああ言ってるけど、どうする? お姉ちゃん離れたほうがいい?」
わたしの言葉に、もぞもぞと身をよじらせる。
「……あ、あの。そもそも、なぜ僕はずっと膝の上に乗せられているんでしょうか?」
「リラックスできるかなと思って。お姉ちゃんの膝の上、居心地悪い?」
「ちょっと子どもっぽいかなって……」
「気になるならやめようか? 膝枕のほうがいい?」
「えっ……と……いえ、あの……」
顔を赤らめて恥じらう男の子を見て、わたしの中のいけないなにかが弾けそうになる。
なんというか、彼からはどことなく甥っ子みたいな雰囲気を感じるのだ。もっともわたしには親戚がいないので、あくまでイメージでしかないのだけれど。
そんな彼の不安を取り除くなら、優しく抱擁してあげるのが効果的かなと考えたわけで。
そこに教授の咳払いが入る。
「ひまり、クライアントの不安を取り除くことはたしかに重要だが、ここが神聖な学び舎だということを忘れていないか?」
「すみません、めったにない『お姉ちゃんポイント』獲得のチャンスなのでつい」
「誰も知らない概念を作るな」
「『お姉ちゃんオーラ』を放つためには『お姉ちゃんポイント』の集積が必要なんです」
「誰も知らない概念で誰も知らない概念を作るんじゃない。それに、きみが本来集めなければならないのは必修単位のはずだが……それは二の次ということで良いのかね?」
「そんなっ、費用対効果悪すぎ!?」
権能を振りかざした脅しを受けて、わたしは瞬時に飛びのいた。必修単位──それは、大学生にとってもっとも守らなければいけないもの。小さな粗相で失うわけにはいかないのだ。
「…………くくっ」
すると来訪者の男の子はパーカーの袖を口元にあて、声をひそめて笑った。風貌もあいまって、なおさら女の子っぽく見える。今流行りのジェンダーレス男子ってやつなのかな?
「さて、本題に入る前に、きみの名前を聞かせてもらいたいのだが」
来訪者が心を開いてくれたと見て、そこにすかさず教授が質問を投げる。
そういえば大切なことなのに聞いてなかったなー。わたしも男の子の答えを待つ。
「中村といいます。中村真雪です」
「ふむ。山吹大学付属高等学校3年生の中村真雪くん。で、合っているかね?」
「えっ?」
驚くのも無理はない。
彼はまだ名乗っただけで、詳細な情報を明かしていないのだから。
「え、でも、どうして……?」
狼狽する彼に向け、教授は早々に種明かしを始める。