こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~

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 フウは五万オウチの金を握りしめ、ドテンの大通りを歩いて郊外の〈キンベイ〉に足を運ぶ。
 キンベイはドテンの南に隣接する区域で、ドテンで働く中流労働者の居住地になっていた。キンベイの東側には食品加工場がいくつか建ち、とある工場の壁には精悍な男のペイントがしてあって「現人神、ハロウレンを湛えよ」の文言が書かれていた。この大地は神が創造し、その神の化身がチオウの王、ハロウレンらしい。科学という別の崇拝先を見つけたフウにとっては無縁の信仰だった。
 そのハロウレンのペイントにトマトを投げつけている男が一人いた。
「何が王だ! このペテン師め!」
 酔っぱらっているのか、反政府の人間か、どのみち関わらない方がいいと思ってフウは見て見ぬふりをする。
 そこから少し離れた場所にある工場と工場の間に、小さなコンテナが挟まるように置かれている。そのコンテナの扉にかかった南京錠に鍵を突っ込んで扉を開ける。中は椅子や机が置かれ、机の上の本立てには拾ってきた教科書が並んでいた。簡易照明のスイッチを入れると、白熱灯のオレンジ色の光が室内に満ちた。フウは木の椅子に腰かけ、一つ大きく息をついた。
 壁のコルクボードには区から受けた依頼表がピンでとめられていた。「区長の飼い犬の世話」と、「白昼の労働者の護衛」に赤い線を引いた。
『需要は金になる』の可能性をフウなりに広げていった結果、困っている人を助けて金を貰うフリーの便利屋に落ち着いた。最初は仲介業者を通していたが、中抜きに不満を持って今は自営業である。
 フウは一時居住許可書を持っていない。だから、二日以上第五管轄区の自宅を空けると罰金を支払う必要があった。管轄区民は「税金」を払わなければチオウに居住することができない。だが、管轄区に家族を残せば特例としてチオウでの労働滞在が許される。いわゆる出稼ぎというやつだ。
 そういった事情で家族もおらず税金を納めていないフウは七日の内一日だけ、このコンテナに宿泊することが許されていた。
 フウはしばらく仮眠を取ると、北のゴミ捨て場へジャンク品を漁りに出かけた。フウはイヤホンのプラグをラジオに差し込み、電源を入れた。誰にもラジオを見られないよう、ポーチの中にすっぽりと隠す。番組の内容はチオウの神話に反していることもあるため、警察に見つかれば罰金、いや、ラジオを取り上げられることもあるかもしれない。
 夜の七時は〈明日への案内所〉の時間だ。社会系の番組で歴史を経済、政治、思想とからめて学ぶ。
『つまりそれまでの戦争では食料は略奪によって賄うのが基本だったんですね。我々の想定する補給というのは、成熟した国家、制度、技術がないと成立しないんです』
 この一ヵ月は戦争にフォーカスを当てている。六時以降の番組はかなり応用的な内容になる。〈童心科学倶楽部〉や〈我が大地〉などの番組をあらかじめ聞いていると、地理や科学の基本的な知識が活きて内容もスッと入ってくる。
 いつ放送のストックが無くなるかとフウは気が気じゃないが、今の所二年保っている。彼等のラジオ放送局の上に「ミサイル」が落ちてくるまで、彼らは番組を作り続けていた。番組のストックが無くなる日がいつ来るのかは分からない。だが、今の有志による放送はどこかでループするはずだ。
『――近代社会の生産力が――を可能――』
 ラジオにノイズが入ってフウは不機嫌になった。チオウはいろんな電波が乱れ飛んでいるからか、電波の受信にムラっ気がある。ぶっ叩いてやろうかとも思ったが、壊したくはないのでぐっと堪えた。ラジオはフウの命であり全てだ。
 何故ならフウには何もないから。
 母の為に水を運ぶのが、フウの人生の全てだった。母がいなくなったフウには目的があるようでない。昨日より賢くなる。それだけが、今のフウの全てだ。
 都市の乾いた風がいつもより冷たく感じられた。
 フウはジャンクの山を見上げて一つため息をつく。気を取り直してそこから、扇風機や車のダイナモなど金目のものを目ざとく見つけて麻の袋に入れた。袋がいっぱいになると、フウは近くの公園を通って帰る。キンベイの公園は小奇麗で、木々が夜風に囁き、街灯の青白く冷たい光がどこか幻想的で好きだった。
 フウはイヤホンをはずし、風の音に耳を澄ませながら冷たい光の中を歩いた。世界に自分しかいないような、静かな夜だった。
 音が無くなると、胸の空洞が痛む気がする。静夜というものはどうやら、人のトラウマを思い起こさせるような作用があるらしい。フウは胸を抑えた。気を紛らわせるために何かをしようとポケットに入ったチョコレートバーを取り出した。チョコの層に挟まれたクッキーが甘々サクサクで実に美味い。フウはその食感を楽しみながら街灯の冷たい光の中を歩く。静謐な夜の公園に菓子を食べる音が不自然なまでに響いていた。
 フウは足を止めた。道の真ん中にサソリがいる。「ドクトウゲ」という壁を登れるサソリで管轄区からチオウの住宅街で広く見かける。死ぬほどの毒ではないが刺されれば一週間は激痛が続くのでフウはコイツが大嫌いだった。
 フウがサソリを避けようとしたその矢先だった。