こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~

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 フウは目の前で起きた事実を少しずつ飲み込んでいく。少年の死がもたらした事実は二つ。この世に人造人間なるものが実在する事。もう一つは、その力をもってしてもチアゲハを討伐するのは至難であるということ。
 状況を整理する。
 王都チオウと自分の住む家を最短で移動するには砂漠を渡る必要がある。フウは危険を承知で「運び屋」に依頼して砂漠を車で渡る決心をした。が、砂漠を渡る「運び屋」とその哀れな顧客はフウを残して死んだ。フウの足元には獰猛な肉食砂獣が、地表に神経を尖らせている。フウの背後五百メートルには動力装置が停止して立ち往生したトラックが一台、空っ風に晒されていた。フウの眼前、即ち南にはごつごつとした岩場の風景が遠く揺れていた。フウは風に耐えながら夜を待つしかなかった。
 フウの母は「砂漠には竜がいて危ないから絶対に入っては駄目」とよく言っていた。竜はいなかったが、危険であることは確かだった。それでも、フウはその危険を承知で運び屋に同行したのだが。
 夜まで自分は生きていられるだろうか。フウの足元からはチアゲハが地中を進む音が聞こえていた。
 フウは死を覚悟する。いや、覚悟、というのはおかしいかもしれない。それは確信だ。自分はもう助からないという確固たる思いがフウの脳内に浸潤していく。
 だが、後悔はない。こうするしかないと、フウは本気で信じていた。これが、母を助ける最良の選択であり、自分は賭けに負けただけなのだと。
 ――ごめん
 フウはポケットの中の薬の入ったプラスチック容器を握りしめる。
 フウのすぐ側には、少年に切り裂かれて瀕死となったチアゲハが横たわっている。不思議と、自分の傍らで死を待つチアゲハに妙な共感を覚えるフウだった。
「ウゥー」
 どこからともなく鳴き声のようなものが聞こえた。それは風の高鳴りに思えた。だが違う。鳴き声に遅れて、軽快な足音が聞こえてくる。一つじゃない。連なるその足音は群れを連想させる。フウは眼球を右に動かし、地平の彼方から迫りくる無数の影を見た。
 ――竜。
 思わず声が出そうになった。体高一メートルはあろうかという巨大な蜥蜴の群れだ。乾燥した鱗と、広い顎。そして背中や口の端から伸びた無数のトゲ。 
 大蜥蜴の群れは軽快に、そして素早く、風のように地表を駆けた。フウに百メートルほど近づくと、連中の走った後から次々にチアゲハが飛び出した。一匹がチアゲハに食われたものの、大蜥蜴の群れは瀕死のチアゲハに辿り着いた。すると、その広い口を開いてチアゲハに喰らいつく。チアゲハはのたうつ程の抵抗すらみせず、赤黒い血をまき散らして大蜥蜴の胃袋の中に収まっていった。
 チアゲハの肉を半分ほど食い散らかした大蜥蜴は、再び西の方角に走り去っていく。
 竜はいたのか。この死地にあって妙な感動がフウの胸に生まれた。
 死ぬ間際に面白いものが見えた。
 いや、
 待て。
 冷静になると、ある疑問がフウの胸に浮かんだ。
 ――何故、大蜥蜴はチアゲハに食われなかったのだ。
 あの大蜥蜴はこちらに向かってくるとき、チアゲハに捕食された。だけど、チアゲハの死肉を食べてる間と引き返す時は、チアゲハに襲われなかった。食べてる時なんかあんなに無防備だったのに……
 そう言えば、地上に飛び出たチアゲハは他のチアゲハに襲われていない。瀕死のチアゲハも同じだ。もし、振動だけに反応しているなら奴らは共食いを始めているはずだ。
 つまり、振動で相手の位置を、臭いで地表の生物を識別しているのか。筋は通っている。どこにも矛盾は生じてない。フウは食い散らかされたチアゲハの肉片に目をやった。フウのいる位置からは五メートルほど離れている。
 ――いけるか? いや、やるしかない。
 フウは躊躇いを振り払い、勇気を出して走った。直後、地面が大きく唸って地表が砕かれ、チアゲハが飛び出した。フウは迫りくるチアゲハを背中に感じつつも全力でチアゲハの死体に走り寄り、黒い血の海に飛び込んだ。顔と衣服に粘ついた血がこびりつき、糞尿を煮詰めたような悪臭が鼻の奥まで突き刺さる。
 猛烈な吐き気に顔をしかめながらもフウは後ろを振り返る。チアゲハに自身と同じ臭いを纏ったフウを襲う素振りはない。チアゲハは暫くして地面の中に潜っていった。
 フウの「仮説」は正しかった。フウは自分の仮説を、命を懸けて実証したのである。
 これが生まれて初めての科学的な思考だった。